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レノンのめがね Lennon Spex ポール・ディ・フィリポ

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レノンのめがね LennonSpex ポール・ディ・フィリポ


わたしはブロードウェイ南部を歩いている。キャナル・ジーンズから遠くない場所だ。そこでわたしはその、最も邪悪な行商の男と会う。

さてここで、幅広い歩道いっぱいに、都会ふうの進歩的な人や物が溢れていると、考えてみて欲しい──木作りの猿の彫刻を持ったアフリカ人。油と香料の壷を持ったファラカン風の黒人イスラム教徒。イタチ革のグッチ・バッグを持ち、油じみたエルメスのスカーフを巻いた、冴えない老齢の白人男。イアリングとパンティホース姿で、海賊盤テープを持ったベトナム人──さらに、わたしことジルジャンが、ここで長い間生活し、このような光景をすっかり見慣れていたことを理解していただきたい。そうすれば、この男が信じがたいほど邪悪でなければならないことを理解していただけると思う。

もっとも、実際は違うのだが。つまり、邪悪ではない。変人でもない。どちらかというと、場所にそぐわないと言うほうがふさわしいだろう。

男は一見、禅僧のようななりをしている。日本人なのか中国人なのか韓国人なのか、それともベトナム人なのかは見分けがたい。頭はつるつるに剃り、金色の上掛けを羽織り、藁草履を履いている。パーク・アヴェニューでその日初めての精神安定剤を飲んだ婦人よりも静かだ。年齢も不詳で、飲酒が許される年齢にわずかに満たないぐらいにも見えれば、早期退職の年齢を過ぎているようにも見える。

禅僧は、まぎれもなく処方箋付きの中古眼鏡を売っている。テレビ用のトレイにわずかな品物を丁寧に並べている。携帯のレンズ磨きの道具は見当たらないので、カスタマイズはなしだろう。<安かろう悪かろう>の言葉に新たなバリエーションを付けくわえている。

わたしは禅僧の前で立ち止まる。禅僧はお辞儀をする。わたしもお辞儀を返さざるを得ない。居心地悪さを感じつつも、わたしは眼鏡の在庫を見る。

寄せ集められた猫目石の背後に隠れて、線条細工をほどこした亀甲作りの老婦人用眼鏡が置かれている。特別製のレンズを持ち、耳掛けはバレリーナの脚のようにきれいに折りたたまれている。他の品物の中でそれだけが場違いな感じがする。禅僧自身が場違いなのと同じように。

わたしはその眼鏡を取り、観察する。

それはシンプルな金属製の金縁で、レンズは透明で完璧な真円だ。耳掛けは、レンズの外半分のちょうど真ん中から伸びている。ブリッジの位置はそれよりも高く、レンズの内半分のうち、下端から測って三分の二ほどの位置で、やや上方に寄っている。飾りは全くない。

とつぜん、わたしは悟る。これはわたしがそれと知る何年も前から、<ジョン・レノンのめがね>、<レノンめがね>と呼ばれてきたものだ。ビートルズのジョン・レノンによって、この眼鏡が初めて有名になったのは、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバムジャケット写真だ。その後、死後発売されたアルバムジャケットでは、割れた状態で写っている。このため、この眼鏡は、永久的にこの男のイメージに結びついている。とはいえ、実際にはジョン・レノンは、後年パイロット風の様々なデザインの眼鏡に切り替えている。オノ・ヨーコとの結婚に伴い、自分の顔をヨーコの風貌と調和させようとしていたことは疑いない。

わたしは、近視でも遠視でもない。フレームだけを買って、レンズを分光レンズに交換するつもりもない。わたしは直射日光の効用を信じている。だが、何かにつき動かされ、わたしはそれをためしにかけてみていいかと尋ねずにはいられなくなる。

「あの、これ、かけてみてもよいですか?」わたしは禅僧に尋ねる。

禅僧は微笑む。(仏陀の弟子の微笑みは、仏陀の教えがいかによく伝わったかを示すものだ。)「もちろんです」

わたしは耳掛けを起こす。そのときわたしは、耳掛けについた生き血のようなしみに気づく。たぶん、通りすがりの客のチリドッグか何かのケチャップが飛んだのだろう。特に不快に感ずることもなく、わたしは指に唾をつけ、そのしみをふき取ろうとする。指でこすると、しみは一時的に消えるが、すぐにまた現れる。

禅僧はわたしの行動に気づく。「心配いりません」禅僧は言う。「銃撃でちょっとついたしみです。眼鏡の使い心地に全く支障はありません。どうぞ、かけてみてください」

そこでわたしはかけてみる。

サイケデリックな日光の色の奔流に塗りこめられた手漕ぎボートが見える。さざなみをたてながらボートを揺り動かす、幅広い川の水の色は紫だ。わたしはボートの中央のベンチに座り、櫂も持たず下流へ流されてゆく。

両岸にはミカンの並木がある。ところどころに黄色や緑のセロハンの花が、信じられない高さまで伸びている。空は──想像してみて欲しい──マーマレードだ。本物のオレンジの皮のしみと、イングリッシュ・マフィンの雲。栄養満点の完璧な朝食。

「聖サルバドール・ダリ」わたしは声を漏らす。両手を紫の水に入れ、グレープ・ジュースの匂いをかき回し、必死でボートを岸に向けようとする。

「ジルジャン」誰かが上から呼びかける。わたしは、とてもゆっくりと答える。「はあ──はい?」

「漕ぐのをやめて、上を見なさい」

空飛ぶ少女は、万華鏡の瞳を持ち、たくさんのきらきらした宝石を身に着けている。だが、他には大したものを着ていない。

「あなたは贈り物を受け取ったのよ、ジルジャン。パニックを起こす必要はないわ」

「ああ、信じられない──」

ボートは揺れている。いや、違う。わたしはケンタウルスに座っている。蹄の代わりに、そのケンタウルスの脚は、曲げ木製ロッキングチェアになっている。そして、スクーター・パイを食べながら、野原をどんどん進んでゆく。

ルーシーは別のロッキングチェア式馬人間にまたがり、わたしの横にいる。「落ちついて、ジルジャン。ここへは、あまり多くの人を招かないわ。ここ何十年では、あなたが最初よ。信じて」

「最後にあなたを信じた男には、いったい何が起こったのだ?」

ルーシーはむっとする。「あれは人間の失敗で、わたしたちのせいではないわ」

ルーシーはタクシーのドアを開ける。わたしに乗るようにと。それは古いワシントンポストとニューヨークタイムズの新聞紙でできている。見出しはベトナム戦争のことだ。わたしが中に乗りこむと、頭が新聞紙の天井を突き破り、雲の中に突き出す。ルーシーもだ。車輪付きの麒麟のように、湿った蒸気を切って走りながら、わたしはルーシーの瞳に映る太陽に見とれる。

ルーシーはわたしを列車の駅に送る。「しばらくは、その眼鏡を使って。別に失うものはないでしょう? さあ、その眼鏡がどんなに似合うか、見てご覧なさい」

ルーシーは塑像用粘土でできたガンビー人形そっくりのボーイを呼ぶ。そのネクタイは、胸に貼りつけられた鏡の破片だ。わたしはそのネクタイ型の鏡に映った自分の姿を点検する。眼鏡をかけた顔はそんなに悪くない──

回転ドアが股間にあたり、声を上げる。「失礼!」

「楽しんでらっしゃい」ルーシーは言って、わたしの背中を押し、中に入れる。

わたしは、ブロードウェイの街灯の柱にしがみついている。すぐにわかる。なぜなら、その柱にはまだ、最近の戦争に抗議する、あのぼろぼろのポスターの残骸が貼られている。誰かが、特に秀逸なスローガンを書き込んでいる。「リアルアイズリアライズリアルライズ(本物の目は本物の嘘を見ぬく)」

顔を上げ、最悪の事態を懸念する。

だがありえない。世界は──間違いなく処方箋なしのこのレンズ越しに見る限り──正常だ。

人間を除いては。

行き交う人みな、メデューサのごとく、蔓の巣を頭に乗せている。

全員の頭から、無数の生きているように見える突起が飛び出し、先端は頭から約五、六〇センチのところに達している。蔓は、色も太さも材質も様々だ。先端部は平らに切られているが、しなびて垂れ下がったりはしていない。

その人たちは、爛熟した虹向日葵によく似ている。

犬が立ち止まり、わたしの握っている街灯柱に放尿する。その頭にも虫がたかっているが、人間たちのそれよりは少ない。

おぞましい考えが浮かぶ。ゆっくり手を柱から離し、自分の頭に触れる。

わたしも蛇のようなターバンをかぶっている。ビロードのような、ゴムのような、ねばねばした、あるいはざらざらした管が、頭骨に根を張っているのを感じる。

わたしはレノン眼鏡をはぎ取るように外す。

人々の頭の蛇は姿を消す。触ってみると、わたしのもなくなっている。

戦慄を覚えながら、眼鏡を再びかける。蛇が現れる。

誰かが脇に立っているのに気づく。禅僧の商人だ。

わたしの視界にいる人間の中で、この禅僧だけは、頭から生えている蔓が一本しかない。それは禅僧が着ているローブと同じような金色だ。頭頂部の正確な中心点から生えている。そして、垂直に上がっている。

禅僧はふたたび微笑み、回転木馬の棒のような金色の蔓に触れる。

「まっすぐ仏陀の下へ向かいなさい」禅僧はそう言って笑う。「眼鏡を賢く使うのだ。ではさらば」

そして、行き交う通行人の群の中に消える。

眼鏡をかけたまま、わたしは疲れ切って、路肩の段の上に座る。

おいおい、いったい、こいつらはみんな、頭から生えたスパゲッティにどうして気づかないでいられるんだ? どうして重さを感じないのか? 考えてみれば、なぜわたしは、自分の頭の上の重さを感じないのか? わたしは手を頭に伸ばし、あの不愉快な物体が依然として手に触れるのを確認する。指に触れるとそこにあるのに、重さを感じない物体が、どうやって存在しうるのか? いや、単にその重さに慣れてしまっただけなのだろうか?──

さきほどわたしの足下に放尿した犬が、わたしになついて寄って来る。手を差し出すと、犬は手を舐め始める。よだれを垂らす犬の頭をわたしは恐怖の面持ちで見る。

その頭から新たな蔓が生えてくる! それはコブラのように、わたしを求めてくるのだ!

とつぜん、わたしの頭の上から、わたしの視界に、同種の蔓が現れ、犬の触手に近づいてゆく!

わたしは手を払いのける。犬は怒ってうなり、その新しい蔓は、色と模様を変える。わたしの蔓も同様だ。だが、それらの蔓は前にもまして強く、お互いを求めあっているように見える。

わたしは誰にもカール・セーガンと呼ばれたことはない。だがわたしは、物事を観察し理解するのはとても速い。またそもそも、ジョージア州の上院議員並みの馬鹿ででもない限り、この虫たちの間で起こっていることを理解できないことはありえない。

すべての者の頭から生えるこの蔓は、情緒的愛着、絆、感情のつながり、カルマを表しているのだ。わたしたちが人生で選び取る、あらゆるつながり、関係性。愛と憎悪の糸。くだらない流行歌で誰かが歌ったような。

犬はうなるのをやめ、自分の体を舐め始める。わたしはためしにまた、手を伸ばす。犬は一瞬匂いをかいでから、優しくわたしの指を研ぐように舐め始める。

今度は、自分の触手を犬の触手とつなぎ、融合させる。

わたしはこの犬が好きだ! いい犬だ! 犬は器用に膝の上に乗り、わたしの顔に舌を浴びせる。犬もわたしを愛している。ああ、かわいそうな野良犬よ。わたしは自分が次にしようとしていることを、心底恥じる。

わたしは犬と自分の頭をつないでいる切れ目のないケーブルをつかみ、犬の頭から引き抜こうとする。自分の頭よりも、犬の頭で実験するほうがいい。少し抵抗される感覚はあるが、やがて接続部は、無意識の中でポンと音を立てる感じとともに外れる!

犬はきゃんと鳴き、無感情に膝から降り、寝てしまう。

わたしの手の中のケーブルは、今やわたしの頭としかつながっていないが、じたばたともがきながら、ふたたび犬の頭につながろうとする。わたしはそれを妨げる。数秒たって、それはしなびたようになり、吹雪の中で勃起したペニスがそうなるように、消えてしまう。わたしは頭の上で、不気味な接着パッチが消えてゆくのを感じる。そのケーブルは、そもそも大して丈夫なものではなく、ピンク色で鉛筆のように細く、生存競争の大半に耐えることができないのを、わたしは悟る。

頭の上のスパゲッティの性質に関するこの新知識に力づけられて、わたしは周囲の人々をもっと近くで見てみる。

誰もが数秒おきに絶えず新しい触手を生やしているのに、わたしは気づく。じじつ、うまく説明はできないが、ある種の方法でレノン眼鏡を通して目を凝らせば、人々の頭皮近くに海底の森のポリプや珊瑚の波打つ動きにも似た、かすかな動きを見分けることができる。

この胚にも似た付着物の極めて多くは一時的存在で、生まれるとすぐ死んでゆく。例えば。

ひとりの女が、服飾店のウインドウの前で立ち止まる。女は、マネキンが着ている服に向かって、毛針釣りの漁師のように、釣り糸を投げる。それはガラスの板を通過して、一瞬、対象物と接続するが、その後女は糸を引き戻し、歩み去る。

もちろんだ。無生物に対しても、真剣な愛着を寄せることはある。

その新たな学習を再現するかのごとく、ひとりの男が、奇跡的に空いた駐車スペースにジャガーを停め、降りて来る。男と車をつないでいるケーブルは手首のように太い。にもかかわらず、男は通りかかったベンツに触手を伸ばすのを妨げられることはない。こころは嘘をつく──いやこの場合は、頭というべきか。

運送屋の男が、毛皮を着た上品な美女に触手を伸ばす。いうまでもなく、それは報われない。

介護士に付き添われた老婦人が、医者らしい身なりの若い男に触手を伸ばす。

わたしの少し知っているニューヨーク大学建築学科の学生の娘が、入念に彫り込まれた蛇腹に目を奪われ、スパイダーマンの糸のように、触手を伸ばす。

一人の男とその恋人が、曲がり角でキスをして別れる。ふたりの絆の紐は、太く丈夫だ。ふたりが離れてゆき、結びついた絆の長さが一メートルを超えたあたりで、それは中ほどが次第に薄れて見えなくなり、超次元の連続体の中に入ってしまう。それによって、個人が遠くの人や物とつながりを保つことができるのだ。

もう十分見た。

今度は、家に帰って、更に新しいことを学ぶ時間だ。

洗面所の鏡の前に立ち、わたしはすべてのケーブルを、一本ずつ頭から引き抜こうとする。

まずこの、古ぼけた灰色の蔓だ。それは強く抵抗する──おや、とつぜんわたしは、他人に対して何も感じなくなる! 母親も、父親も。親が何の役に立つ? 気持ち悪い。子としての愛情があった場所には、大きな空洞が残っている。だが、この状態はよろしくない。元に戻したほうがいいだろう──

この細く滑らかな、赤と白と青の縞模様のやつはなんだ? ひっこ抜け。愛国心か? わたしはどんな感情を持っていたんだろう? 向こう側の端には、ホワイトハウスがあったのだろうか? リンカーンの肖像? プリマス・ロック? きっと、一人一人違うのだろう──

ここには、小さな、つるつる滑るうなぎみたいなのがある。ねじり取ってしまえ。なんだこりゃ、ゲーム番組の女司会者だ! 意識レベルでは、自分があの女に魅かれていたなんて、全く知らなかったぞ! くわばらくわばら。こいつは殺してしまえ。しなびてなくなるまで、その蔓の端を握りつづける。自分の感情をどこに置くかについては、いくら用心してもしすぎるということはないのだ。

頭のいかれた老電話交換手のごとく、次の二時間を費やして、わたしはケーブルを引きぬく。一つ一つが何のチャンネルであるかを記憶しながら。(一度だけ、同時にあまりに多くのケーブルを引きぬいてしまい、ある種の宇宙的感覚を感じる。宇宙空間に浮かんで、回転しながらあてどなく移動しているような感覚。)わたしはすぐに、一方通行のつながり、例えば無生物や反応を返さない同輩の人間(例えば高校のころ好きだったシェリー・ゴットリープ)に対するものと、双方向性のつながり、たとえば向こうからもわたしに思いを寄せている他人に対するそれとの見分け方を学習する。この両者は波動が異なっている。前者では、一方向

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