SF百科図鑑 ネビュラ賞受賞未訳作をまとめて読むページ 1966-1980


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一九六六年度 中篇部門受賞作
 
王と呼ばれた少年 CallHimLord ゴードン・R・ディクスン

かれは私の名を呼び、命令した
──それゆえに、私はかれを知った
だがそののち、かれは私を失望させた、そして
──それゆえに、私はかれを屠った!」
「楯持つ者の歌」

ケンタッキー・ヒルズに太陽が昇らないことはあり得ないが、同じように、カイル・アーナムが目覚めないこともありえなかった。日が昇っている時間は、あと11時間と40分。カイルは起きあがり、服を着、外に出て、芦毛の騙馬と白毛の牡馬に鞍を装着した。牡馬にまたがり、雪のように白い弓なりの首筋から、怒りのうなりが上がるのを待った。そして2頭の馬をキッチンの戸口まで従え、外につないだ。それから、朝食を取るため中に入った。
1週間前に届いた手紙が、ベーコンエッグの皿の脇に置いてあった。妻のティーナがパン切り台の前に背を向けて立っていた。カイルは座って手紙を読み返しながら、食事を始めた。
「──皇子は家督称号のひとつである<北部シリイ伯爵>の名を名乗って、忍びの旅をする予定である。<殿下>と呼ぶことのなきよう。<王>と呼ばれたい──」
「なぜ、あなたでなければならないのです?」ティーナがきいた。
カイルが顔を上げて見ると、妻は背中を向けたままだった。
「ティーナ──」カイルは悲しそうに言った。
「なぜです?」
「私の先祖は、皇帝の護衛だったのだ──エイリアンを撃破したあの戦争の時代にな。おまえには、話したことがある」カイルは言った。「私の父祖は、前触れもなく皇帝が命を狙われた際、何度もその命を救った──ラク人の宇宙船がどこからともなく突然出現し、わが軍勢を狙い撃ちにしたことがある。旗艦までもが標的になったのだ。皇帝陛下自ら、命を賭して白兵戦にくわわった」
「エイリアンは今や絶滅し、皇帝陛下は、100もの新しい領土を手に入れたではありませんか。皇子は、それらの世界を周遊すればよいのです! なぜ、地球にこなければなりませんの──しかもよりによって、あなたのところへ」
「地球はひとつしかないからだ」
「そして、あなたもひとりしかいないとおっしゃるの?」
カイルはわざとため息をついて、説明をあきらめた。カイルは母亡き後、父親と叔父の手で育てられたが、ティーナと口論になったときには、いつも無力感を覚えるのだ。テーブルから立ち上がると、妻のそばへ行き、その体に両手をかけて、こちらへ向き直らせようとした。しかし、ティーナは拒んだ。
カイルは心の中でもう一度ため息をつき、振り返って、武器キャビネットの前へ行った。弾の入ったスラグ・ピストル一丁を手に取ると、サイズの合った短めのホルスターに差し込み、ベルトのバックルの左側に留めた。その位置だと、垂れ下がったレザー・ジャケットの下に隠れるようになっている。次に刃渡り20センチのつかの黒いナイフを選び、前屈みになって、ブーツの上部内側に付いている鞘に滑り入れた。ズボンの裾の折り返しを元に戻し、ブーツの上部にかぶせ、立ち上がった。
「皇子には、ここに来る権利などありません」ティーナがパン切り台に向かって、きつい口調で言っている。「旅行客は、博物館地区か、旅行客用のホテル内にいなければならないのに」
「皇子はただの旅行客ではないんだ。それぐらいわかっているだろう」カイルは辛抱強く答えた。「皇帝の長男だし、祖母は地球の出身だ。皇子の妻も、恐らく地球の女性だろう。四世代ごとに、皇族は地球の血筋の者と結婚しなければならないことになっている。それが法律なのだ──いまだに」レザー・ジャケットを身につけ、スラグ・ガンのホルスターを隠すために一番下のボタンだけを留めると、ドアのほうを向きかけ──そして止まった。
「ティーナ?」カイルはきく。
妻は答えない。
「ティーナ!」繰り返す。そして、妻の前に行き、両手を肩にかけて振り返らせようとした。またも妻は抵抗したが、今度ばかりはカイルもそれを許さなかった。
カイルは大男ではなく、平均的な背丈で、丸顔、肩幅は広いとしても、ややなで肩気味で、特徴のない肩をしていた。だが力は非凡だった。片手で白馬のたてがみをつかみ、地面にひれ伏させることができた──そんなことのできた者は、いまだかつて他にいない。カイルはたやすく妻を自分の方に向かせた。
「なあ、聞いてくれ──」カイルは説得を始めた。だが、全部話し終わる前に、妻のかたくなさは立ち消え、ふるえながらカイルにしがみついてきた。
「皇子は、あなたをトラブルに巻き込みますわ──私には分かっています!」カイルの胸に顔を埋め、声をこもらせながら妻は言った。「カイル、行かないで! あなたが行かなければならない法はありません!」
カイルは妻の柔らかな髪を撫でてやった。喉はこわばってからからだった。もう妻に言う言葉はなかった。妻の望みに従うのは不可能だ。太陽が男と女の頭上に等しく昇るようになってからというもの、こういう事態に際して妻たちは、夫にしがみつき、不可能な願いを口にしてきた。いつの時代も、夫はいまカイルがそうしているように──まるで理解が押しつけた体から体へなんらかの形で伝わるのだと言わんばかりに──妻を抱きしめ、そして何も言わない。言うべき言葉が何もないから。
カイルは、もうしばらく妻を抱いていたが、やがて自分の背中に手を伸ばし、絡み合わせた妻の指を解き、その腕を背中からふりほどいた。そして、出発した。牡馬にまたがり、灰色の馬を引きながら、キッチンの窓越しに中を振り返ると、妻が先ほど置き去りにしたまさに同じ場所に立っているのが見えた。泣き声すら立てず、両腕をだらりと垂らし、頭を垂れて立ち、身動きしなかった。


カイルは、ケンタッキー・ヒルズの脇にある森を通り抜けた。ホテルに着くまでに2時間以上を要した。谷沿いをホテルへ向かっていると、背の高いひげの男が見えた。男は、<より若き世界>の一部の住民が身に着けているローブをはおり、古さびた木造のホテルの中庭に通じる玄関口に立っていた。
近づくにつれて、男は唇をかんでおり、そのひげが灰色を帯びているのが見えた。薄く直線的な鼻の上にある目は血走り、心配や睡眠不足でそうなったかのように、目の下には隈がはっている。
「皇子は、中庭におる」カイルが進み寄ると、灰色ひげの男が言った。「わしは、家庭教師のモントラーヴェンじゃ。皇子はもう、出発の準備ができておりますぞ」暗い表情の目が、ほとんど懇願するようにカイルを見上げる。
「馬の頭が通れるように、脇によけていただけますかな」カイルは言う。「それから、私を中庭の皇子のもとへ案内してください」
「その馬は、皇子が乗るのではないのか──」後ろに下がり、不信に満ちた表情で牡馬を見ながら、モントラーヴェンは言った。
「違います」カイルは言った。「皇子には、うしろの騙馬に乗ってもらいます」
「しかし、皇子はその白い馬に乗りたがるじゃろう」
「皇子は、この白い馬には乗れません」カイルは言った。「つまり、私が許したとしても、皇子にこの馬を乗りこなす力はありません。この馬を乗りこなせるのは、私ただひとりですからね。さあ、中に案内にしてください」
教師は振り返り、草の茂った中庭へ先導して歩み入った。中庭はプールを囲み、三方のホテルの窓から見下ろせるようになっていた。プール脇のラウンジング・チェアに、10代後半の背の高い若い男が座っている。たてがみのような金髪。脇の草の上に、ぱんぱんのサドルバッグがふたつ。カイルと家庭教師が近づいていくと、若者は立ち上がった。
「殿下」二人が立ち止まると、家庭教師が言った。「こちらは、カイル・アーナム、これから3日間、ここで殿下の護衛を務めまする」
「おはよう、護衛──いや、カイル」皇子はいたずらっぽく微笑んだ。「では、降りたまえ。僕が乗ろう」
「あなたは騙馬にお乗りください、王」カイルは言った。
皇子はカイルの顔をまじまじと見、ハンサムな顔を後ろに傾けて笑った。
「僕は馬ぐらい乗れるよ、きみ!」皇子は言った。「乗馬は得意なんだ」
「王、この馬ではありません」カイルは冷静な口調で言った。「この馬を乗りこなせるのは、私だけですから」
皇子の目は丸く見開かれ、笑いは途切れたが──ふたたび笑い出した。
「僕にどうしようがある?」広い肩をすくめる。「いつもいつも──僕は譲ってばかりなんだから。そう、ほとんどいつもだ」皇子はカイルを見上げた。唇は薄いが、正直だった。「よかろう」
皇子は騙馬の方を向き──突然跳び上がって、鞍の上にいた。騙馬はその衝撃に鼻を鳴らし、後ろ肢を跳ね上げた。若者の長い指が巧みに手綱を引き、もう片方の手で灰色の首筋を叩くと、騙馬は落ち着いた。皇子は眉を上げてカイルのほうを見やったが、カイルは黙然と座ったままだった。
「きみが、あの良兵カイルだね?」皇子はいたずらっぽく言った。「原住民が暴れ始めたら、僕を守ってくれるんだね?」
「あなたの命は私の手の中ですよ、王」カイルは言った。そしてレザー・ジャケットの一番下のボタンをはずし、すそを垂らして開いた。一瞬、ホスルターの中のスラグ・ピストルが見えた。それからカイルはふたたび、一番下のボタンを留めた。
「あの──」家庭教師は若者の膝に手をかけた。「坊ちゃま、無茶はなさらぬように。ここは地球ですぞ。ここの住民は、われわれのような階級も慣習も持ちませぬ。行動する前によくお考えになって──」
「ああ、もうやめてくれ、マンティ!」皇子が制した。「僕は忍びで来ているんだぞ。他の人々と同じように、謙虚で古風な、自立した人間としてな。僕がものを覚えられないとでも思っているのか! どうせ父の皇帝が合流するまでの3日かそこらのことだ。さあ、もう僕を放してくれ!」
皇子は急に顔をそむけ、鞍の上で前屈みになり、とつぜん騙馬を全力疾走させ、門のほうへ向かった。門をくぐってその姿が見えなくなると、カイルは牡馬の手綱を強く引いた。白馬は、皇子の後を追おうとして軽く跳ねた。
「皇子のサドルバッグをください」カイルは言った。
教師はかがんでバッグを取り、カイルに渡した。カイルはそれを、馬の両肩の隆起の間にある自分の荷物の上に固定した。見下ろすと、ひげの男の両目に涙が浮かぶのが見えた。
「皇子は、素晴らしい少年じゃ。きっとおわかりになる。おわかりになるとも!」そりかえったモントラーヴェンの顔が、無言で訴えかけていた。
「皇子が素晴らしい血筋であることは、私も心得ています」カイルはゆっくりと言った。「全力を尽くしましょう」そして、門をくぐり、騙馬の後を追った。


カイルが門を出ると、皇子の姿は見あたらなかった。だが、凹んだ茶色の地面や踏み荒らされた草から、騙馬の通った跡をたどるのはたやすかった。こうして跡をたどって幾本かの松の木を通り過ぎると、とうとう草の茂った広い傾斜地に出た。皇子は鞍上に座ったまま、箱型の単眼鏡ごしに空を見上げていた。
カイルが近づくと、皇子は単眼鏡をおろし、それを無言で手渡した。カイルはそれを目に当てて、空を見た。追跡装置がぶーんと音を立て、レンズ越しの視界に、地球を周回する3機の軌道発電ステーションのうちの1機が飛び込んできた。
「返してくれ」皇子が言った。
カイルが単眼鏡を返すと、皇子は続けて言った。「さっきは、見えなかった。見てみたかったんだ。わが帝国財務省からのかなり高価な贈り物だよ──これと、もうふたつの似たようなやつがね。この惑星がふたたび氷河期に戻ることがないようにするためのものだ。我々はその見返りに、何を得られるのかな?」
「地球ですよ、王」カイルが答えた。「人類が宇宙に出て行く前と同じ姿の、地球です」
「ああ、博物館地区なら、ステーションひとつと50万人の職員で維持できる」皇子が言った。「僕が言っているのは、もう2機と、それにたかって生きている、10億人かそこらの君たち住人のことだ。僕が即位するときには、その点を検討しなければならん。行こうか?」
「お望みのままに、王」カイルは牡馬の手綱を引いた。乗り手を乗せた2頭の馬は、傾斜地を横切って走り去った。
「──それから、もうひとつある」更に遠くにある松の木立に入ったとき、皇子は言った。「きみに誤解して欲しくはないからな──向こうでは、僕はモンティ爺さんを本当にとても好きだったんだ。ただ、ここに来ることなどまったく僕の本意でなかったというだけのことだ──僕を見ろ、護衛!」
カイルは振り返り、皇族代々の青い目が自分をにらみつけるのを見た。それから思いがけなく、視線は和らいだ。皇子は笑いだした。
「きみは簡単にはおびえないようだな、護衛──カイルだったっけ?」皇子は言った。「何だか結局、きみが気に入ってしまったようだよ。だが、僕と話すときは、僕の顔を見てくれ」
「かしこまりました、王」
「それでこそ、わが良兵カイルだ。ところで、この周遊旅行でここに来るなど、心外だったという説明をしていたところだったな。きみたちのような住人が、暗黒時代の生活と同じような生活を送っている、こんな古くて汚れた博物館世界に来たところで、何のメリットも見いだせない。だがな──僕の父の皇帝が、僕を説得して、ここに来させたのだ」
「お父上が、王?」カイルは応じた。
「そうだ。皇帝は賄賂を使ったと、きみならいうかも知れない」皇子は考え深げに言った。「皇帝はこの3日の間に、ここで僕と会うことになっていたんだ。そこへ今度は、少し遅れるという連絡が来た──だが、それはどうでもいい。要するに皇帝は、この地球が何か重要で価値の高い存在だと考える、老人の一派に属しているということさ。いまでは僕は、父を愛し、尊敬もしている。カイル、そのことは認めるね?」
「はい、王」
「そうだろうと思ったよ。そう、父は人類の中で僕が尊敬する唯一の人物だ。そして父を喜ばせるために、僕はこの地球旅行に来ているんだ。父を喜ばせるために──ただそれだけのためにだよ、カイル──僕はきみが自然の景勝地や温泉地、その他もろもろの場所を案内しやすいような、気さくな皇子の役を演じるつもりだ。さあ、これでわかったかね──僕のこと、そしてこの旅行をどう進めればいいかが」皇子はカイルをじっと見た。
「よし、いいだろう」皇子はもう一度微笑した。「それじゃあ、この木々や鳥や動物たちについて、ありとあらゆることを教えてくれるかね? 僕は名前をすべて暗記して、父が来たときに喜ばせられるようにしたい。木の下に見かけるあの小鳥は何だね──てっぺんは茶色で、その下は白っぽいあれは? 例えば、あれみたいな──ほら、あれ!」
「あれはツグミの一種で、ヴィアリといいます、王」カイルは言った。「深い森の中の静かな場所に住む鳥です。ほら、耳を澄ませて──」カイルは騙馬の手綱に手を伸ばし、2頭の馬を止めた。とつぜんの静寂の中、ずっと右側で銀色の鳥の声が抑揚を繰り返しながら次第に小さくなり、ついには沈黙するのが聞こえた。鳥の歌がやんでしばらくの間、皇子は座ったままカイルを見ていたが、やがてはっと気を取り直した様子だった。
「面白い」皇子が言った。そしてカイルが手放した手綱を持ち上げると、馬たちはふたたび進み始めた。「もっと教えてくれ」


太陽が天頂に向けて次第に昇る3時間以上の間、ふたりは馬で森に包まれた丘の間を乗り回し、カイルは、鳥や動物や虫や岩の名前を教えてやった。そしてその3時間の間、皇子は耳を傾けていた──その興味は突発的で瞬間的だったが、強いものだった。しかし、太陽が天頂に達する頃には、その興味も弱まっていた。
「もういいよ」皇子は言った。「そろそろどこか、昼食に寄らないかね? カイル、この近辺に町はないのか?」
「ございます、王」カイルは言った。「既にいくつか通り過ぎております」
「いくつか?」皇子はまじまじとカイルを見た。「なら、ひとつも行き当たらなかったのはどうしてだね? きみは僕をどこへ連れて行くつもりなのだ?」
「どこでもありません、王」カイルは言った。「王が先導しておられます。私はただ従っているだけです」
「僕が?」皇子は言った。初めて皇子は、自分が騙馬の頭を常に牡馬よりも前に置こうとしてきたことに気づいたようだった。「もちろんだな。だが、もう食事の時間だよ」
「はい、王」カイルは言った。「では、こちらへ」
カイルは、牡馬の頭をいま横切っている丘の斜面の下方へ向け、皇子も騙馬で後を追った。
「さて、それじゃあ聞いてくれ」追いつくと、皇子が言った。「間違いがないかどうか教えてほしい」そうして皇子は、カイルが言ったことのすべてを、ほぼ一字一句間違えずに暗唱し始めたので、カイルは驚いた。「これで全部かね? きみが言ったことのすべてかね?」
「完璧です、王」カイルは言った。皇子はいたずらっぽい目でカイルを見た。
「きみもできるね、カイル?」
「はい」カイルは言った。「ですが、これが私の人生で知っているすべてです」
「わかったかい?」皇子は微笑んだ。「これがきみと僕の違いだ、良兵カイルよ。きみは何かを学ぶことに人生を費やす──いっぽう僕は、たった数時間で、きみが知っているのと同じだけのことを知るんだ」
「同じだけのことではありませんよ、王」カイルはゆっくり言った。
皇子は目をしばたたいてカイルを見、拒否するように、半ば怒っているように、まるで何かを払いのけるかのように、手を動かした。
「何かささいなことを見逃しているかも知れないが、大したことではないだろう」皇子は言った。
ふたりは馬で斜面をくだり、曲がりくねった谷間をたどり、小さな村のはずれに出た。周りを取り囲む木々を抜けると、音楽の音色が耳に届いた。
「なんだい、あれは?」皇子は鐙の上に立ち上がった。「なんと、向こうで踊りを踊っているぞ」
「ビアガーデンですよ、王。それに、今日は土曜日──ここでは休日です」
「よし。では、そこへ行って昼食を取ろう」
ふたりは回り込んでビアガーデンまで行き、ダンスフロアからは奥まったところにある席を見つけた。若くて可愛いウェイトレスがやってきて、注文を取った。皇子が晴れやかにほほえみかけると、ウェイトレスはほほえみを返した──そして、軽く混乱したように、急いで去っていった。料理がくると皇子は飢えたように食べ始め、ビールを大ジョッキで1杯半も飲んだ。カイルのほうはもっと軽い量を食べ、コーヒーを飲んだ。
「予想以上においしかった」椅子に背をもたせかけて、皇子は言った。「腹が減っていたからな──おや、あれを見ろ、カイル! ほら、あそこに5つ、6つ──7つのドリフターの発着場があるぞ。きみたちの全員が、馬に乗るわけではないんだな」
「ええ」カイルは言った。「めいめいが好みの乗り物を選びます」
「だが、ドリフターの発着場があるのなら、他にも文明化されたものがあるはずだろう?」
「合うものもあれば、合わないものもありますから、王」カイルは答えた。皇子は笑った。
「きみたちのこの古くさい生活様式に、文明を合わせようとしているということかい?」皇子は言った。「それは順番が逆じゃないのかね──」そして言いやめた。「あれは何をやっているんだね?  気に入ったよ。ああいうダンスなら、僕でも踊れるな」皇子は立ち上がった。「本当に踊ってこようと思うんだが」
皇子は言葉を止めて、カイルを見下ろした。
「やめろと忠告するつもりかい?」皇子はきいた。
「いいえ、王」カイルは言った。「王が何をなさるかは、ご自身の問題ですから」


若者はとつぜん振り返った。先ほど注文を取りに来たウェイトレスが脇をとおり、わずか数席向こうにいた。皇子は後を追い、ダンスフロアの柵の近くで追いついた。娘がいやがっているのが、カイルには見えた──だが、皇子は娘の上に立ちふさがり、微笑みながら、高い身長の上から見下ろしていた。すぐに娘はエプロンを取り、皇子とともにダンスフロアに出て、ダンスのステップを教え始めた。ポルカだった。
皇子は素晴らしい速さで覚えた。すぐに皇子は他の客たちとともにウェイトレスの体を振り回して踊り、白い歯を輝かせながら音楽に合わせて足を踏みならしていた。やがて曲が終わり、バンドのメンバーは楽器を置いてステージを後にし始めた。
皇子は娘の制止をふりほどき、バンドのリーダーのところへ行った。カイルはあわてて席を立ち、フロアへ向かった。
バンド・リーダーは首を振った。とつぜんそっぽを向き、ゆっくり歩み去った。皇子は追いかけたが、娘が腕をつかみ、大変なことになるというようなことを言った。
皇子は娘を払いのけ、娘は少しよろけた。ダンスフロアの反対側の客席の中にいた、皇子と年もそう変わらず背丈も同じぐらいの下げ膳係の男が、トレイを置き、レールを跳び越えて、つるつるの硬材の上に立った。そして皇子を追いかけ、腕をつかんで振り回した。
「──ここでは、いけません」カイルが近づいていくと、下げ膳係がそういうのが聞こえた。皇子は黒豹のように──訓練されたボクサーのように──素早く、下げ膳係の顔面に、立て続けに3発の左パンチを繰り出した。皇子の肩が揺れ、一発一発に全身の体重をかけていた。
下げ膳係は転倒した。たどり着いたカイルは、皇子を連れて柵の透き間を抜け、ダンスホールを出た。若者の顔は怒りに青ざめていた。人の波がダンスフロアに押し寄せる。
「あいつは誰だ? 何という名だ?」食いしばった歯の間から、皇子が尋ねた。「やつは、僕に手をかけた! 見たか? 僕に手をかけたんだぞ、あやつは!」
「もう殴り倒したじゃありませんか」カイルは言った。「これ以上何をしたいんです?」
「あやつは、僕に暴力をふるったんだ──この僕にだ!」皇子はかみついた。「あいつが誰なのかを知りたい!」それ以上押しのけられまいとして、馬のつないである棒をつかんだ。「やつは、未来の皇帝に手をかけたんだと思い知ることになるぞ!」
「誰も、あの男の名前を言いませんよ」カイルは言った。そして、その声の冷たい響きが、ようやく皇子の耳に届き、正気に返らせたようだった。皇子は、カイルを見つめた。
「きみもか?」ついに皇子は言った。
「私もです、王」カイルは言った。
皇子は一瞬見つめた後、顔をそむけた。振り返り、騙馬の手綱を素早くほどくと、鞍に跳び乗った。そして、走り去った。カイルも馬に乗り、後を追った。
ふたりは黙って森に入った。しばらくして、皇子は振り向きもせず話し出した。
「それで、きみは自分が護衛だと言っている」最後に皇子は言った。
「あなたの命は、私の手の中にあるのですよ、王」カイルは言った。皇子は恐ろしい顔でカイルを見た。
「僕の命だけか?」皇子は言った。「やつらが僕を殺しさえしなければ、好き放題できると言うことか? きみが言いたいのはそういうことなのか?」
カイルはしっかり視線を合わせた。
「まったくその通りですとも、王」
皇子は耳障りな口調で話し出した。
「けっきょく僕は、きみのことが好きになれないようだ、カイル」皇子は言った。「きみが好きになれないよ」
「あなたに好かれるためにここにいるわけではありませんよ、王」カイルは言った。
「だろうな」皇子ははっきりした声で言った。「だが、僕はきみの名前を知っている!」
ふたりは半時間ほどものあいだ、黙ったまま進み続けた。だが次第に、怒りにこわばっていた若者の肩がゆるみ、突っ張っていた顎の緊張も解けてきた。やがて、カイルの知らない言葉の歌を、ひとりごとのように歌い始めた。歌っているうちに、次第に機嫌が直ってきた。すぐに、まるでふたりの間に楽しいこと以外はなかったかのように、カイルに話しかけるようになった。
<大洞窟>が近くにあったので、皇子はぜひ訪ねてみたいと言った。ふたりはそこへ行き、洞窟めぐりに少し時間を費やした。そのあと、馬で<緑の河>の左岸に沿って進んだ。皇子はビアガーデンでの出来事など忘れたかのように、行き会うすべての人に愛想を振りまいた。太陽がついに西に沈み、夕食の時間を告げるころ、ようやくふたりは河から離れた小さな村にたどり着いた。道路沿いのホテルが、脇の人工湖に自らの姿を映している。その背後は樫の木と松の木で守られていた。
「いいホテルだな」皇子はいった。「カイル、ここに泊まろう」
「かしこまりました、王」カイルは言った。


ふたりは馬を止め、カイルは2頭を厩に連れて行った。それからホテルにはいると、皇子はもうダイニング・ルーム脇のバーカウンターに座り、ビールを飲みながら、ウェイトレスを誘惑していた。この娘は、ビアガーデンにいたウェイトレスよりも若かった。柔らかい髪を下ろした小柄な娘は、背が高くハンサムな若者にちょっかいを出され、茶色の目を丸くして、喜びをあらわにしていた。
「いいね」ウェイトレスがカイルのコーヒーを取りに行った後、皇族の青い目の片隅でカイルを見ながら、皇子は言った。「ここはまさに、理想の場所だよ」
「理想の場所?」カイルが言った。
「ここの人たちをよく知るには、絶好の場所だ──なんだと思ったね、良兵カイル?」皇子が言って、笑いかけた。「僕がここで人を観察し、きみが説明をする──名案だと思わないか?」
カイルは考え込むように皇子を見た。
「説明できることなら、何でも説明しますよ、王」カイルは言った。
ふたりは飲んだ──皇子はビール、カイルはコーヒー──そしてまもなく、夕食を食べにダイニング・ルームへ入った。バーで告げたとおり、皇子は見るものすべてについて、質問攻めにした──そして見えないものについてまでも。
「──しかし、きみたちはみな、どうして過去に生き続けようとするのかね?」皇子はカイルにきいた。「博物館世界というものは、あっておかしくないと思う。だが、博物館人間などというものは──」皇子は言葉を止め、隣のバーの仕事を何とか切り上げてダイニング・ルームの給仕にやってきた、小柄な柔らかい髪のウェイトレスに向かって微笑むと、話しかけた。
「博物館人間ではありません、王」カイルは言った。「生きた人間なのです。種族や文化を保存する唯一の方法は、生かし続けることです。だからこそ私たちは、この地球に私たちなりのやり方で生活しているのですよ。<より若き世界>の人々が自らを比較検討するための、生きた実例としてね」
「魅力的だな──」皇子はつぶやいた。だがその視線はウェイトレスを追いかけていた。いまや混雑したダイニング・ルームの反対側から、娘はにこやかに微笑み返した。
「魅力的ではありませんよ。必要なのです、王」カイルは言った。だが、この若者が聞いているとは信じていなかった。
夕食後、ふたりはバーに戻った。皇子はもういくつかの質問をカイルに浴びせた後、バーに立っている他の人々の観察に戻っていった。カイルはしばらく見張っていた。大丈夫だと判断し、抜け出して馬の再点検をした後、ホテルのオーナーに明日の馬上用の昼食の手配を頼んだ。
バーに戻ってみると、皇子は見あたらなかった。
カイルはテーブルに座って待った。だが、皇子は戻らない。カイルの胸骨の下で、冷たく硬い不安の塊が大きくなった。とつぜんの悪い予感に襲われ、慌てて馬の点検に戻った。だが、2頭とも厩の中で静かに草をはんでいた。カイルが牡馬をのぞき込むと牡馬は低く鳴いて、白い頭でカイルを見返した。
「何でもないよ、坊や」カイルは言って、ホテルに戻り、オーナーを捜した。
だが、オーナーにも、皇子の行方は見当も付かなかった。
「──馬が残っているのなら、遠くへは行っていないはずですな」オーナーは言った。「お連れ様が巻き込まれていそうないざこざは、この近辺では起こっていません。きっと森に散歩にでも出かけられたのでは。もし戻ってきたらよく見張っておくようにと、夜勤のスタッフに伝言しておきましょう。どちらへいらっしゃいます?」
「閉店までは、バーにいます──その後は、部屋に」カイルは言った。
そして、待つためにバーへ戻り、開いた窓の近くのブースに席を取った。時間は過ぎてゆき、次第に他の客の数も減り始めた。整理して並べられた酒瓶の上のバーの時計は、ほとんど夜中に近かった。とつぜん、窓の向こうの厩の方角から、怒った馬の遠いいななきがカイルの耳に届いた。
カイルは立ち上がり、急いで外へ出た。外の暗闇を、厩まで走り、中にとび込んだ。厩舎内の夜間照明の薄明かりの中、馬房と馬房の間の通路の中央で騙馬におぼつかない手つきで鞍をはめようとしている、青白い顔の皇子の姿が見えた。牡馬の馬房の扉は開いていた。カイルが入っていくと、皇子は目をそらした。
カイルは素早く三歩で開いたドアの前まで行き、中を見た。牡馬はまだつながれていたものの、耳は逆立ち、目は泳いでおり、鞍はといえば、すぐ脇の床に転がり落ちていた。
「鞍をつけるんだ」通路からはっきりした声で皇子が言った。「出発するぞ」カイルは振り返って皇子を見た。
「このホテルに部屋を取っていますよ」カイルは言った。
「気にしなくていいよ。どうせ馬に乗っていくんだ。僕は少し頭をすっきりさせないと」若者は騙馬の鞍帯をきつく締めると、鐙をおろし、どっかと鞍に跳び乗った。そしてカイルを待たずに、厩舎から夜の中へと出て行った。
「じゃあ、坊や──」カイルはなだめるように牡馬に言った。急いで、白い巨漢馬のひもを解き、鞍をつけ、皇子の後を追って外に出た。暗闇の中では、騙馬の通った跡は見分けられない。だが、前に身を乗り出し、牡馬の耳に息を吹きかけてやった。驚いた馬が抗議するようにいななくと、前方の登り坂の暗闇の中からカイルの右方へ向かって、騙馬の鳴き声が返ってきた。カイルはその方向へ進んだ。
丘の頂上で皇子をつかまえた。若者は騙馬を歩かせ、手綱を緩め、声をひそめて歌っていた──以前に歌っていたのと同じ、聞き知れぬ言葉の歌だった。だがカイルに気が付くと、だらしなく笑い、よりはっきりした声で歌い始めた。初めてカイルは、理解できないその言葉に潜む、ある種の嘲るような力強い響きを聞き取ることができた。とつじょ、カイルは理解した。
「あの娘は!」カイルは言った。「あの小柄なウェイトレス。あの娘はどこです?」
皇子の顔から笑いが消え、ふたたびゆっくりと笑いが戻った。その笑いは、カイルに向けられていた。
「なぜだね、どこにいると思う?」皇子はろれつが回っておらず、近づきながらカイルは、若者の息がとてもビール臭いのに気づいた。「自分の部屋で、幸せに眠っているよ。皇帝の息子の栄誉を受けて──もっとも、本人はそうとはつゆ知らないがね。そして、朝まで僕が一緒にいるのを夢見ているよ。だが、僕にその気はない。どうだね、良兵カイル?」
「王、なぜそのようなことを?」カイルは静かにきいた。
「なぜ?」月光の中で少し酔っぱらったように、皇子はカイルを見た。「カイル、僕の父は4人の息子がいる。僕には3人の弟がいるんだ。だが、僕こそが次の皇帝になるんだ。皇帝は質問に答える必要はない」
カイルは何も言わない。皇子はカイルを見る。ふたりは黙ったまま数分間、進み続けた。
「よかろう、なぜだか教えてやろう」しばらくして、沈黙がほんの一瞬だったかのような口ぶりで、更に声を張り上げて皇子が言った。「それはな、きみが僕の護衛ではないからだ。カイル。すべてお見通しなんだ、僕は。きみが誰の護衛なのか、僕は知っているんだぞ。きみは、やつらの護衛なんだ!」
カイルは顎を引き締めた。だが、その動きは暗闇に隠れて見えない。
「いいとも──」皇子は鞍の中でバランスを失いながらも、ゆっくりと手振りした。「それでけっこう。きみのやり方でやるがいいさ。僕は気にしないよ。つまり、僕たちは点取りゲームをしているのだ。ビアガーデンで僕に手をかけた田舎男がいた。だが、誰も名前を教えないだろうと、きみは言ったな。いいともさ、きみはどうにかあの男を守ったというわけだ。きみに1ポイントだな。だが今度は、あのホテルで、きみはあの娘を守ってやれなかった。僕に1ポイントだ。どちらが勝つだろうね、良兵カイル?」
カイルは深く息を吸った。
「王」カイルは言った。「いつの日か、あなたは地球出身の女と結婚する義務があります──」
皇子は笑ってさえぎった。今度の笑い声には醜いひびきがあった。
「きみたちは、うぬぼれが激しすぎるな」皇子は言った。それから強い口調になった。「それこそが、きみたちの問題なんだ──君たち地球人の──ひどいうぬぼれがな」
ふたりは黙って進んだ。カイルはもはや何も言わなかったが、牡馬の頭が騙馬の肩の辺りに位置するようにして、若者を近くで見守った。しばらく皇子はうとうとしているようだった。頭ががくんと胸に落ち、騙馬があたりをうろうろし始めた。その後しばらくして、ふたたび頭を起こし、自動操縦のように巧みに動く騎手の指で手綱を引き、頭をめぐらせて、月光の中の景色を見渡した。
「酒が欲しいぞ」皇子は言った。その声はもはや力がなかったが、平板で不機嫌そうだった。「どこか、ビールのあるところへ連れて行け、カイル」
カイルは深く息を吸った。
「わかりました、王」カイルは言った。
そして、牡馬の首を右に向け、騙馬もこれに従った。ふたりは丘を越えて湖のほとりに出た。月光の中、黒い水がしぶきを上げ、対岸は暗くて見えない。湾曲した浜辺の木々を月光が照らしている。
「あそこですよ、王」カイルが言った。「居酒屋つきの釣り宿です」
ふたりは岸辺を回って釣り宿に着いた。カジュアルな低い建物が、浜辺に向かって立っていた。そこからドックが出ている。釣り船がいくつももやわれ、黒い水の上でかすかに揺れている。馬をつないでドアに向かうと、窓越しに室内の灯りが輝いていた。
ふたりが入った酒場は、幅が広くがらんとしていた。真正面に見える長いバーカウンターの背後の壁には、板に据え付けた魚がいくつも並んでいた。その魚の下に3人の店員──中央にいるひとりは中年で、身に着けたエプロンはどことなく威厳を感じさせる。他の2人は若く、筋肉質だ。四角いテーブルのあちこちに散らばっている客、あるいはバーカウンターに立っている客の大半は男で、粗い生地の作業服や、同じぐらいカジュアルな行楽用の服を着ていた。
皇子はバーから離れたテーブル席に座り、カイルもいっしょに座った。ウェイトレスが来ると、ふたりはビールとコーヒーを注文し、運ばれてくるやいなや、あっという間に皇子は大ジョッキ入りのビールを半分も飲み干した。ジョッキが空になるとすぐにウェイトレスに合図をした。
「もう一杯だ」皇子は言った。今度は、ウェイトレスがお代わりのジョッキを持ってきたときに、皇子はほほえみかけた。だが、この店のウェイトレスは30女で、喜びはしたものの、皇子にちょっかいを出されたことで舞い上がったりはしなかった。軽くほほえみ返すと、先ほど同年代の男ふたりと話していたバーカウンターへと戻っていった。男のひとりはかなり背が高く、もうひとりはそれよりも背が低く、弾丸のような頭で、肉付きがよかった。
皇子は飲んだ。ジョッキを置くと、ようやくカイルに気が付いた様子で、振り向いて見た。
「きみはもしや、僕が酔っぱらったと思っているのかな?」皇子は言った。
「いえ、まだ」カイルは言った。
「そうだ」皇子は言った。「そのとおりだ。まだ酔っていない。だがおそらく、そのうち酔っぱらうだろう。そして、もし僕が酔っぱらおうと決めたなら、誰が止めるのだ?」
「誰も止めませんよ、王」
「そのとおりだとも」若者は言った。「まったく正しいぞ」そして、ジョッキが空になるまで頑張って一気飲みし、ウェイトレスにお代わりの合図をした。頬骨の高い両頬が紅く染まり始めた。「こんな悲惨でちっぽけな世界に、こんな悲惨でちっぽけな連中といる以上は──やあ、涼しい瞳のお嬢さん!」ウェイトレスがビールを持ってくると、皇子は話を中断した。女は笑って、仲間たちのもとへ戻った。「──何としてでも、自分を楽しませなければならないのさ」皇子はそう締めくくった。
そうして、ひとりで笑っていた。


「父親や、モンティが──というか、みんなが──この惑星について、僕に語りきかせたことを思い出すと──」皇子は横目でカイルを見ながら、言った。「きみは知っているかね、かつて僕は本当に恐ろしかったんだということを──うーん、恐ろしかったというと語弊があるな、別に怖かったわけじゃない──不安だったといおうか──きっといつか、ここに来なければならないということがね」そして、また笑った。「心配だったんだ。自分が、きみたち地球人のレベルに見合った人間になれるのかどうか!  カイル、きみは<より若き世界>のどこでもいいから行ったことがあるかね?」
「ありません」とカイル。
「そうだろうと思ったよ。きみたち最低人種に、一言いわせてくれ、良兵カイル、僕がここで見た誰よりも体が大きく、見た目がよく、頭もよく、あらゆる面で優れている人たちがいるんだよ。しかも、僕はな、カイル、僕は──次期皇帝の僕は──その誰よりも優れているのだ。その僕に、きみたち地球人がどんなふうに見えるか、考えてもみたまえ」皇子はカイルを見て、待った。「さて、答えてくれ、良兵カイル。真実を言うのだ。これは命令だぞ」
「判断権は、あなたにはありませんよ、王」カイルは言う。
「ない──? 僕にないと?」青い瞳が燃え上がった。「僕は皇帝になるんだぞ!」
「それはいかなる単独の人間にも委ねられてはおりません、王」カイルは言った。「皇帝であろうとなかろうと。皇帝は、単に100の世界を統合する象徴として、必要なだけです。ですが、種にとって真に必要なことは、生き延びることですよ。この地球上に、生き延びる力のある知的生命が進化するのに、ほぼ100万年を要しています。そして、外宇宙の新しい世界では、人は変化を強いられます。もしそこで何か必要な要素が人類から失われるならば、それと入れ替えるために、この地にオリジナルの遺伝子プールを確保しておく必要があるのです」
皇子の唇が野蛮な笑いにおし開かれた。
「おお、いいぞ、カイル──いいぞ!」皇子は言った。「非常にいい演説だ。いかんせん、前にどこかで聞いたような話ばかりだがな。それに、僕にはとても信じられない。わかるだろう──いま僕は、お前たちがどういう人間なのかを見た。そして、きみたち地球人は、<より若き世界>のわれわれに比べて、優っているとはお世辞にも言えない。僕たちのほうこそ、きみたちに優っているのだ。きみたちの進歩が止まっている間に、われわれは日々進歩を続けてきたのだからな。そして、きみもそれを知ったというわけだ」
若者は、ほとんどカイルの顔面に向けて、穏やかに笑い声を上げた。
「きみたちが恐れていたのは、われわれにその事実を知られることだ。そして、僕はそれを知った」皇子はまた笑った。「僕はきみを一目見て、悟ったよ。僕のほうが背が高く、頭もよく、勇敢で優れている、この部屋の誰よりもな──なぜだかわかるかい? 僕が皇帝の子だからというだけじゃない。それが、まさに僕の中で生まれたからだよ! 肉体、頭脳、そのほかありとあらゆるものがな! 僕はここで、やりたいことが何でもできる。そしてこの惑星の誰ひとり、僕を止める能力がないんだ。見たまえ」
皇子はとつぜん立ち上がった。
「さて、僕はあのウェイトレスと一緒に飲んで酔っぱらいたい」皇子は言った。「しかも、今度は前もってきみに予告しているんだよ。きみは僕を止めるかね?」
カイルは皇子を見上げた。ふたりの目が合った。
「いいえ、王」カイルは言った。「あなたを止めることは、私の任務ではありませんので」
皇子は笑った。
「そう言うと思った」皇子は言った。そして振り返り、テーブルの間を抜け、バーカウンターへ向かった。そこでは、ウェイトレスがふたりの男とまだ話していた。皇子はウェイトレスから離れた場所に行き、中年のバーテンに大ジョッキのビールを1杯追加で注文した。ビールを受け取ると、振り返り、両肘をカウンターにかけ、後ろに寄りかかった。そして、ふたりの男のうち背の高い方が話しているのをさえぎり、ウェイトレスに話しかけた。


「あなたと話がしたかったんだ」皇子が言うのがカイルに聞こえた。
すこし驚き、ウェイトレスは振り返って皇子のほうを見た。微笑んだ。そして、誰であるかを認識し──その率直なアプローチに、すこしいい気分だったし、皇子の清潔な美貌がすこし気に入ってもいたし、その若さに対する寛容な気持ちも、すこしあった。
「かまいませんね?」皇子は、ウェイトレスの向こうにいるふたりの男のうち、ちょうど話していた背の高い方をじっと見ながらいった。相手はこちらを見返し、皇子の目と数秒間にらみ合ったまま動かなかった。とつぜん、怒ったように男は肩をすくめ、背中を丸めて向こうを向いてしまった。
「わかったね?」皇子はウェイトレスにほほえみかけた。「その男は、僕のほうこそが、きみが話をするにふさわしい相手だと認めたんだよ──」
「おいおい、坊や。ちょっと待て」
じゃまに入ったのは、こんどは背の低い、弾丸のような頭の男だった。皇子は一瞬驚きの表情を浮かべ、男を振り向いて見下ろした。だが男はすでに背の高い友達の方を向き、手をその腕にかけていた。
「しっかりしろよ、ベン」背の低い男が言っていた。「このガキ、ちょっと酔っぱらっているだけだぜ」そして、皇子のほうを振り返った。「とっとと失せろ」男は言った。「クララは、おれたちと話してるんだぜ」
皇子は茫然として、男を見つめた。あまりに皇子の目が据わっているので、背の低い男は目をそらし、友人とウェイトレスのほうを見た。そのとき、皇子ははっと目が覚めたようだった。
「ちょっと待て──」今度は皇子が言った。
皇子は弾丸頭の下の肉付きのいい肩の片方に手を伸ばした。男は振り向き、静かに手を払いのけた。それから、同じぐらい静かに、カウンターから皇子のビールが一杯に入ったジョッキを取り上げ、若者の顔に投げつけた。
「失せな」男は冷静な声で言った。
皇子は一瞬のあいだ、顔からビールを垂らしながら立っていた。それから皇子は、目をぬぐうために手を止めることすらなく、あのビアガーデンで披露済みの、見事にトレーニングされた左の拳を繰り出した。
だが、この背の低い男は、最初見た瞬間にカイルが察したとおり、皇子がこてんぱんにのした、あの下げ膳係とは違っていた。この男は体重が30ポンドも重く、15年も余計に経験を積み、体格といい性格といい、生まれつきの酒場の闘士だった。だから、その場で突っ立ってみすみす殴られるのを待っているわけはなく、とっくに頭をかがめ、前に身を倒し、太い両腕を皇子の体に回していた。皇子のパンチは、丸い頭の上をかすって弾んだだけで、何らのダメージも与えずに終わり、ふたりの体は絡み合ったまま床をうち、椅子やテーブルの脚の間を転げ回った。
カイルはすでにバーカウンターまで半分以上の距離に近付いていた。3人のバーテンは周りを取り囲んでいる木の柵を跳び越えていた。弾丸頭の男の背の高い友人は、二人の体の上に跳びかかり、目をぎらぎらさせ、ブーツの足を一歩引き、皇子の腎臓を蹴ってやろうと構えていた。カイルの鉄棒のような前腕が、この男の日に焼けた頚部に無駄なく炸裂した。
男はむせかえって後ろへよろめいた。カイルはじっと立ったまま、両手を開いて下におろし、中年のバーテンを見た。
「いいぞ」バーテンは言った。「だが、これ以上はやめてくれ」そして他のふたりの若いバーテンを振り向いた。「いいぞ。そいつを放り出せ!」
若いエプロン姿の男ふたりは、かがみ込んで手際よく弾丸頭の男を羽交い締めにし、立ち上がった。男は身をもぎ離そうと一度激しくもがいたあと、静かに立っていた。
「おれにそいつをやらせてくれ」男は言った。
「ここではだめだ」年配のバーテンが言った。「外でやってくんな」


テーブルの間をふらふらとよろけながら、皇子は立ち上がった。切れた額から血が流れていたが、その顔が溺れている人のように白いのは見て取れた。皇子は横に立っているカイルを見やった。そして、口を開いたが──出てきた声は、すすり泣きとも罵りともつかないものだった。
「いいぞ」中年のバーテンが繰り返す。「ふたりとも外へ出ろ。外で決着をつけるんだ」
部屋中の男たちがバーカウンターの周りに集まっていた。皇子は周囲を見回し、初めて人間の壁が自分を取り囲んでいるのを知った。そして視線をさまよわせながら、カイルの目を見た。
「外で──?」皇子はむせながら、言った。
「お前はここにいてはならん」カイルに代わり、年配のバーテンが答えていった。「おれは見ていたぞ。お前が全部始めたことだ。さあ、お前らのやりたいように決着をつければいい──だが、ふたりとも外に出るんだ。今すぐにだ! さあ、とっとと行け!」
バーテンが皇子を押しやろうとしたが、皇子は抵抗し、片手でカイルのレザー・ジャケットにつかまった。
「カイル──」
「申し訳ないが、王」カイルは言った。「私は手助けできませんよ。これは、あなたの喧嘩なんです」
「ここから出よう」弾丸頭の男が言った。
皇子は、まるでこれまで存在することすら知らなかった奇妙な生物を初めて見つけたというように、周囲の人間をじろじろと見回した。
「いや──」皇子は言った。
そして、カイルのジャケットを手放した。思いがけず、その手がカイルの腹部のホルスターに差し込まれ、スラグ・ピストルを抜き取っていた。
「下がれ!」金切り声で皇子は叫んだ。「僕に触るんじゃない!」
皇子の声は言葉の最後でひび割れた。群衆の間から、ヤジともうめきともとれない奇妙な声がした。そして群衆はよろめきながら後ずさった。マネージャー、バーテン、野次馬──カイルと弾丸頭の男以外の全員が後ろに下がった。
「この薄汚いチンコ野郎が──」弾丸頭の男がはっきりした声で言った。「お前が根性なしだと言うことぐらい、わかっていたぜ」
「黙れ!」皇子の声は甲高くひび割れた。「黙れ! お前ら、誰ひとり僕についてくるんじゃないぞ!」
そして、酒場の正面入り口へと退却した。部屋の中の人々はみな黙って見守り、カイルですら静かに立ったままだった。後退しながら、皇子は背筋を伸ばした。手に持った銃を上げた。ドアに着くと、立ち止まって左の袖で、両目から血をぬぐい去った。血まみれになった顔には、最初の傲慢さがいくぶん戻ってきたように見えた。
「ブタが!」皇子は言った。
そして、ドアを開け、後ずさりに外に出ると、ドアを閉めた。カイルは一歩踏みだし、弾丸頭の男と向き合った。ふたりの目が合い、さきほどカイルが弾丸男の中に戦士を見たのと同じように、弾丸頭の男も、カイルの中に戦士を認めたのがわかった。
「私たちを追わないでくれ」カイルは言った。
弾丸頭の男は答えなかった。だが、答える必要もなかった。男はじっと立っていた。


カイルは振り向いてドアに走り、一方の脇に立って、ばたんとドアを開いた。何も起こらない。カイルはドアをくぐり抜けると、開いたドアめがけて発射される弾丸を避けようと右に跳び退った。
だが、銃撃はなかった。一瞬、カイルは夜の闇に目がくらんでいた。しかし、やがて目が慣れてきた。視覚と触覚と記憶を頼りに、馬留めの場所へ向かった。そこに着く頃には、目が見えるようになっていた。
皇子は騙馬のひもを解き、乗ろうとしていた。
「王」カイルは言った。
皇子は一瞬、鞍を放し、肩越しにカイルを見た。
「僕に近寄るな」皇子ははっきりと言った。
「王」カイルは低い声で懇願するように言った。「あなたは、あそこで自分を失ってしまわれた。誰でも同じことをしていたでしょう。だが、これ以上事態を悪化させるのはやめてください。銃を返してください、王」
「きみに銃を返せだと?」
若者はカイルをじろじろ見た──それから笑った。
「きみに銃を返せだと?」また繰り返した。「誰かがまた僕をこてんぱんにやっつけるようにか? そうやって、僕の護衛を外すことができるわけだな?」
「王」カイルは言った。「お願いです。あなた自身のためなのです──銃を返してください」
「ここから出ていけ」皇子は強く言って、振り返り、騙馬にまたがった。「僕に銃弾を撃ち込まれないうちに、いなくなるんだ」
カイルはゆっくり、悲しげに息を吸った。前に進み、皇子の肩を叩いた。
「こちらを向いてください、王」カイルは言った。
「警告したろうが──」叫びながら皇子は振り向いた。
カイルが身をかがめたとき、皇子はこちらを振り返り、その手に持ったスラグ・ピストルが酒場の窓から漏れる光にきらめいた。カイルは前屈みになって、ズボンのすそを上げ、ブーツの鞘に差したナイフのつかに指を巻き付けた。そして、無駄なく、巧みに、若者のほぼ倍の速度で動き、若者の胸板に、ナイフを持つ手が肉と骨を覆う布にあたるほどに強く突き上げた。
それはとつぜんの強烈で素早い、慈悲の一撃だった。ナイフの刃は、肋骨と肋骨の間をアンダーハンドで上向きに突き刺さり、心臓を深々と貫通した。皇子は肺から空気が吹き出す衝撃にうめいた。カイルがそのぐったりした体をレザー・ジャケットの腕で抱え上げたときには、すでに事切れていた。
カイルは背の高い死体を騙馬の鞍に横向きに乗せ、縛り付けた。暗い地面の上に落ちたピストルを探し、ホルスターに戻した。それから、牡馬にまたがり、荷物を載せた騙馬を率いて、長い道のりを戻り始めた。


24時間ほど前に皇子を迎えたホテルを見下ろす丘の上に立ったとき、夜明けの空が白み始めていた。カイルは中庭の門に向かって降り始めた。
カイルが門を中庭にくぐると、その中で、夜明け前の薄明かりにぼんやりと、背の高い人影が待っていた。カイルが馬を近づけていくと、その人影は駆け寄ってきた。家庭教師のモントラーヴェンだった。そして、騙馬に駆け寄り、死体を固定している綱をまさぐりながら、泣き出した。
「申し訳ありません──」そう自分が言うのをカイルは聞いていた。自分の声が死んだように遠く聞こえるのに、軽いショックを受けていた。「他に選択肢はありませんでした。明日の朝提出する報告書をお読みになれば、わかるでしょう──」
そして言葉を止めた。もう一つ、もっと背の高い人影が、中庭に通ずるホテルのドアから現れた。カイルがそちらを向くと、この人影は数歩降りて草の上に立ち、こちらへ向かってきた。
「王──」カイルは言った。そして、皇子の顔に似ているが、もっと年老いた、灰色の髪の下の顔を見下ろしていた。この男は教師のように泣きはしないが、その顔は鉄のように静まりかえっていた。
「何が起こったのだ、カイル?」男は言った。
「王」カイルは言った。「朝には報告書をお読みになれます──」
「わしは知りたいのだ」背の高い男は言った。カイルの喉はからからにこわばっていた。唾を飲み込んだが、何ら効果はなかった。
「王」カイルは言った。「あなたには他に3人の息子さんがいます。そのうちの一人は、世界をひとつに統合するための皇帝となることでしょう」
「皇子は何をしたのだ? 誰を傷つけた? 教えてくれ!」背の高い男の声は、まさにその息子の声が酒場でそうなったように、ひび割れた。
「何もしていませんし、誰も傷つけていません」カイルは喉のこわばるままに言った。「ただ、自分と年の変わらない少年を殴りました。へべれけに酔っぱらいました。ある娘をトラブルに巻き込もうとしました。それ以外の誰にも、そのようなことはしていません」カイルは唾を飲み込んだ。「明日までお待ちください、王、それから私の報告書をお読みになれば」
「もうよい!」背の高い男は、カイルの鞍のサドルホーンをつかみ、それによって白馬が動きを抑えられるほどだった。「そなたの家系とわしの家系は、この件でかれこれ300年間もつながっておるのだ。わしの息子が地球に戻ってのこの試験に落ちたのは、いったいどんな欠点があったためなのだ? わしはそれが知りたいのだ!」
カイルの喉は痛み、灰のように渇いていた。
「王」カイルは答えた。「皇子は、臆病者でした」
とつぜん力を失ってはじき飛ばされたかのように、サドルホーンをつかんでいた手が落ちた。そして、100の世界の皇帝は、乞食のごとく後ろ向きにはじかれ、土の中にころがった。
カイルは手綱を持ちあげ、門をくぐって丘の斜面を森の中へ駆け去った。夜が明けようとしている。


一九七