My Little Brother [2]

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寒い日暮れの中やってきたカイトは、すぐに松本夫妻によって着替えさせられた。
ラルフローレンのシャツにカシミアのセーター、高級な本革ベルトで締めた緩めのチノパン。
「随分細いんだな。小さめを買っておいたのにぶかぶかじゃないか」
呆れたように笑う博明氏に向かって「でも暖かいです」と用意された服を嬉しそうに触りながら言うカイトを見てメイコは(やっぱどんくさいタイプ…?)と不安になった。
見た目は人形のように整った顔立ちの美しい青年だが、何とはなくメイコの第六感がそう告げる。
「でも腰の位置はあなたよりずっと高くてよ?」と衿子夫人が博明氏に向かってからかうように言った。
博明氏も四十代という年代にしては長身でスマートでなかなかのグッドルッキンだが、やはり人間が理想の美術品を作り上げるように精巧にボディデザイニングしたカイトと並ぶと年齢相応の中年男性に見える。
「はは、息子ができたようで嬉しいが、息子というものは親父よりハンサムなものさ」
にこやかに笑ってカイトの肩を叩く博明氏と「今度洋服買いに行かなきゃね」と少女のようにはしゃぐ衿子夫人の後ろで、メイコは特に喋ることもなく手持無沙汰に腕組みして突っ立っていた。
「いい匂いがします」
ふと発せられたカイトの言葉にメイコはハッとし、衿子夫人が「そうそう、メイコちゃんが腕によりをかけて夕食を用意したのよ。メイコちゃんの料理の腕前はプロ級なの。身体も冷えてお腹も減ったでしょ?メインディッシュは鶏肉と野菜たっぷりのポトフよ。夕食にしましょう」とカイトに向かって微笑んだ。
「メイコが、料理を作っているんですか?」
カイトの顔がぱぁっと明るくなる。
「ええそうよ。メイコちゃんがめきめき腕を上げるからもうほとんどメイコちゃんにお任せ」
メイコが何か言う間もなく衿子夫人が嬉しそうに答え、博明氏も「メイコのメシは美味いぞ」と笑う。
「すごい、メイコ。楽しみです!」
「そ…そんなにすごくないから期待しないで…」
なんとなく及び腰になってしまったメイコの言葉にカイトはきょとんとした顔をした。
「今の言葉は…『謙遜』、ですか?」
「いえ、その…」
なんだってこんなにやりにくいのかしら、とうろたえるメイコに助け舟を出すように「そう、謙遜。メイコちゃんははっきり物を言うけど奥ゆかしいところもあるから自分で自慢したりしないのよ」と衿子夫人が言う。
「謙遜だと思いました。だってすごくいい匂いがしますから、美味しいと思います」
無邪気に笑うカイトを見てメイコは溜息をついた。
仕方ない、この子はまだ起動したばかりで複雑な感情の機微を判れというのは無茶な話だ。
でも、あたし、起動したばかりの頃こんなだったかしら…?
「僕、何か変なこと言いましたか?」
カイトが心配そうに聞いてきたのでメイコは「なんでもないわ」と苦笑した。
「衿子さんに料理を教わっているうちにいつの間にか料理が大好きになって今では食事の支度をほとんど任されているだけなの。不味いものを食べさせたりしないくらいの自信はあるから安心して」
「メイコは、料理上手な上に奥ゆかしいなんて、『大和撫子』なんですね」
にっこりと微笑んだカイトの言葉にメイコは今度こそ言葉をなくし、呆然とした。
なんだか大変なものを抱え込んだ気がする…。
「そうよ、メイコちゃんはどこに出しても恥ずかしくない大和撫子。あなたいろいろ言葉を知ってるわね」
「ありがとうございます。言葉の使い方が間違えていたら遠慮なく言ってください。直します」
「正直で素直なのはいいことだな、ははは。じゃあメシにしようか。腹ぺこだ」
とにかくやたら素直で人懐こい子だということはわかった。
詐欺師にまんまと騙されそうなタイプだわ……と内心頭を抱えながら、「じゃあ食事にしましょう」とメイコはなんとか笑顔を作り、ウキウキと期待に目を輝かせているカイトをダイニングに促した。




カイトの口に合うか心配していた料理を「美味しい!」と感嘆しながらカイトは平らげた。
しかし、「平らげた」という言葉が似つかわしくない行儀の良い食事の仕方で、食事中の会話からも、この“弟”がどうやらかなりおっとりしたタイプだということをメイコは理解した。
食後のデザート用に作ったゼリーを物珍しそうに眺め、口に含んで飲み込むと「綺麗な色のお菓子を食べているみたいなのに全然食感が違う、つるつるで咽に気持ちいい!」とカイトは嬉しそうにはしゃいでいた。
メイコもこのやや人が好すぎる観のある弟に不安を抱きつつも、美味しいと言われれば悪い気はしない。
料理を作る楽しさは、食べてくれる人が喜んでくれることにこそある。
とにかくカイトがとても美味しそうにすべての皿に乗った料理を食べてくれたのでメイコはホッとした。


「メイコの料理は本当に美味しい。これから毎日こんな食事が食べられるなんて嬉しいです」
「うん、ありがと……。…あのね、カイト…」
「はい?」
きょとんとしたカイトに向かって思い切ってメイコは「私相手に敬語はやめないかしら?」と言った。
思い切って言った分、少し語気が強くなってしまったかもしれない。
カイトは菫色の瞳をぱちくりと瞬かせている。
「あの、嫌とかじゃなくて…なんだか他人行儀じゃない。私たち一緒に開発されたのに…」
「他人行儀…」と呟いてカイトは何か考え込んでいる。
「そうだな。メイコもカイトも姉と弟のような関係じゃないか。私たちにはともかくメイコに敬語はないだろう」
メイコに同調した博明氏に「姉…?弟…?」とカイトは聞いた。
「そうよ。二人で一緒に開発されて、メイコちゃんのほうが早く起動して、同じうちに来たのよ?私たちにとってメイコちゃんは娘同然だし、あなたも息子同然なんだから、二人は姉弟関係でしょう?」
「してい…」
「メイコちゃんはカイトのお姉さんってこと」
「姉さん…」
鸚鵡返ししているカイトを見て、この子、頭の中身も少し不自由?とメイコは心配になった。
「姉さんって呼んで…いいんですか?」
「いいのよ」とメイコは答えた。
自分にとっては弟のような存在のカイトに「姉さん」と呼ばれることは何も不自然な気はしなかった。
「姉さん!」
突然明るい声で呼ばれてメイコは驚き「え…」とたじろいだ。
「僕たち、“きょうだい”なんですね!あ、きょうだいって言ったら男同士ですけど…ボーカロイドなのに、きょうだいがいるなんて嬉しいです。僕、姉さんがいて嬉しい…。姉さんも他人行儀はやめてくださいね?」
朗らかに言うカイトは心底嬉しそうで、逆にメイコは驚いた。
それからカイトはかすかな微笑みを浮かべて少し俯き、「僕、ちょっと不安だったんです…。メイ……姉さんより二年も遅れてロールアウトして、一緒に開発されたのに置いてけぼり食ったみたいで…。姉さんが僕を家族だと思ってくれるかなぁって…」と独特の澄んだ柔らかい声で言葉を続けた。
はしゃいでしまったのを少し恥じ入るように頬を染めたカイトを見て、メイコは合点が行った。
そうだ、二年も遅れて起動したこの子のほうが、私と対等に付き合えるかどうか心配していたのも無理はない。
自分の不安や戸惑いにだけ気を取られていたが、カイトのほうがよほど不安だったのだと気付き、メイコはこの人懐こい弟が内心「家族」として受け入れてもらえるのかどうか心配していたことをいじらしく思い、「やぁね、たまたま私のほうが先に起動していただけでそんなに気にしなくてもいいのに」と笑った。
「姉さんも緊張していたんだ」
「え?」
安堵だけではなく慈愛のこもった眼差しで柔らかく笑うカイトの瞳を見つめると、「だって姉さん、今までずっと緊張して心を開いてくれていなかったみたいで…僕が来てから…。だから僕も不安で…緊張してたんだ」とはにかむように微笑んだ。
「え…?」
柔和な微笑みを浮かべる弟の口から発せられた意外な言葉にメイコは目を丸くした。

私は…緊張していたの?この子が来てから――。

そう言えば――朝からやけに落ち着かなかった。
チョコレート作りをしたり、衿子さんとお茶を飲んでいた時も、気を紛らわしていたような気がする。
約二年ぶりに会う、同時に開発された半身のような存在のカイトと上手く話せるかどうか――。
弟にあたるこの子に、「姉さん」と呼んでもらえるかどうか、受け入れてもらえるかどうか――不安だった。
そして、実際にカイトを会ってから、ずっと会話を避けていた――。


「やだ」と泣きたいような気分で笑みが漏れた。
「私ったら…お姉さんなのに弟を不安にさせていたなんて、姉貴失格ね」
本当に、自分の中の不安や緊張にも気付かず、この子の不安や緊張にも全然気付いていなかった。
「姉さん、これからは姉さんって呼んで普通に話していいの?」
「もちろんよ」
「嬉しいな…僕、家族がいるんだ」
少し潤んだ目で微笑むカイトはまるで天使のようで、いとおしくて抱きしめたくなる。
「メイコちゃん、あなた、ひとのことに気を遣いすぎで自分の心に気付かないことがあるのよ」
ふふ、と衿子夫人が微笑み、「本当に…しっかりしているのに自分のことには鈍感なんだから。カイト、メイコちゃんはそういう子だから、少しでもメイコちゃんが自分のことを棚上げにして無理してたら止めてあげるのよ?」とカイトに向かって微笑んだ。
「はい。家族は支え合うものだから、姉さんが無理したら僕は止めます」とカイトは微笑みながら答えた。


嬉しい――弟ができて心底嬉しい――。
その弟が、とても優しい子だということが泣けるほど嬉しかった。






食後にメイコはカイトを連れてキッチンに行った。
食器を洗うメイコを見て「手伝おうか?」とカイトが声をかけてきたが、「いいの」とメイコは答えた。
「今日はまだ最初の日だからお客さん。ゆったり過ごして頂戴」
「お客さんだなんて他人行儀だよ…」
もごもご呟くカイトに「明日からはいろいろやってもらいますからね、覚悟しててよ」とメイコは笑った。
その笑顔を見てカイトは目を輝かせて「うん!頑張る!」と答えた。
しかしこの子は家事なんかできるんだろうか?
女性型の私だって実際に家事をこなせるようになるまで結構失敗や苦労をした。
果たして男性型のこの子に細々とした身の周りのことや家事ができるんだろうか――?
考えても仕方ない、とメイコは食器を乾燥用のシンクに置き、「あなたに特別なデザートよ」と微笑んだ。
不思議そうな顔をしたカイトの表情が花のようにほころぶのを想像してメイコは内心ワクワクしながら冷蔵庫を開け、チョコを取り出しラップを外し、透かし模様が入った乳白色の華奢な皿にチョコを乗せた。
「はい、誕生日のお祝いとバレンタインを兼ねてチョコレート」
目の前に差し出されたチョコレートを見てカイトが目を丸くする。
「これ…すごく高そう…」
「手作りなの。口に合うかどうかわからないけど、一個でも食べてみて」
「すごい、手作りなんだ…!ありがとう、姉さん!」
銀紙の小さなカップに溶かし込んで固めたチョコをひとつ手に取り、カイトがまじまじとチョコを見つめる。
「見ていないで食べてよ」と笑いながら、もし、辛党だったらどうしよう…とメイコは不安になったが、それでもお義理で一個くらい食べてくれるだろうと思い、最悪の事態は回避できると考えた。
「チョコの中にいろいろ入ってるみたい…白い粒々やオレンジの細いの、上に乗ってるのは何?」
「ナッツとオレンジピールを混ぜてドライチェリーを飾りに乗せたの」
「美味しそう。すごく手間暇かけて作ってくれたんだ…。ありがとう、姉さん」
そう言って微笑むと、カイトは銀紙のカップを外してチョコをひとつ口の中に入れた。
メイコが緊張しながらカイトの様子を凝視していると、カイトは目を瞑り口の中でチョコを転がしながら、心地よさげな表情を浮かべている。
チョコは生チョコを使ったのでわりとすぐ溶けるはずだ。
溶け切る前にチョコを噛み砕いてごくんと飲み込んだカイトは目を開けて、少しほうっとした表情でいる。
「…どうかしら…?…甘かった…?」
恐る恐るメイコが聞くと、恍惚とした表情を浮かべていたカイトが「美味しい…」とうっとりしたように言った。
「チョコの甘味と苦味、ラム酒とバニラエッセンスの風味が絶妙なバランスで、マカデミアナッツのクランチとオレンジピールのハーモニーがチョコの味を引き立てている…。粉砂糖もちっともくどくない…」
…美味しいってことなんだろうか?
「甘いものって幸せな気分になれるな。不思議」
目を開き、メイコを見てにっこりと微笑んだカイトの表情は幸福感に満ちている。
「すごく美味しい!こんな美味しいチョコ作ってくれたなんて嬉しい、ありがとう、姉さん!」
よかった…と安堵で胸を撫で下ろすと同時に喜びがひしひしと湧き上がってきた。
半分気を紛らわすためとはいえ一生懸命作ったチョコレート、こんなに喜んでくれるなんて嬉しい。
「甘いもの苦手かと思ってちょっと不安だったの。口に合ったならよかったわ」
少し頬を染めて照れ笑いを浮かべながら舌を出したメイコに「すごく嬉しいよ、全然不安になることない!僕のために作ってくれただけでも嬉しい…!」とカイトが湧き上がる喜びを隠せない様子ではしゃぎ、「これ、マスターや衿子さんにも分けてあげたいな」と言って二個目を口に入れた。
「マスターたちには昨日チョコケーキを焼いて三人で食べたからいいのよ、これはあなたのためのチョコ」
「でもこんなに美味しいのに一人占めなんて悪いよ。マスターたちにも食べさせてあげたいな…」
「じゃあ一個ずつマスターと衿子さんにあげたら?」
「うん、そうする!」
嬉しそうに笑ったカイトがまたひとつチョコレートを手に取り、「はい、姉さんも一個」と差し出したのでメイコは慌てた。
「あ、あたしはいいのよ…!あたしが作ったんだし…」
「味見した?」
…途中で味見はしたけれど、完成品の味見はしていない。
「でも、ほら、カイトの分が少なくなっちゃう」
「いいんだよ、こんなに美味しいチョコ、みんなで食べたいし、美味しいものはみんなで食べよう?」
にっこりと微笑むカイトの言葉は一般論的に言えば正論で、メイコはそれ以上抗えなかった。
カイトの真向かいに椅子に腰掛け、カイトから差し出されたチョコを受け取り口に入れた。
甘い。
ブランデーが飲みたくなるなぁと思いながら、メイコは丹精込めて作ったチョコを自分で味わった。
甘味はそうそう得意ではないけれど、その出来栄えに、こんなに自分が一生懸命カイトのためにチョコを作っていたのかと内心驚きつつパティシエも夢じゃないわね…と笑いながらチョコを飲み込んだ。
「あまーい。お酒が飲みたくなっちゃう」
「お酒…飲むの?」
目を真ん丸くしたカイトに「嗜みよ」とメイコはニヤリと笑い、「あー、なんだか疲れたけどいい気分」と両腕を上げ大きく伸びをした。
しかし、カイトの視線がメイコの胸に行ったことに目敏く気付いたメイコはすぐに腕を下ろして胸を隠した。
「見ないでよ。自分でも大きいってわかってるんだから」
「あ、ごめんなさい…」とカイトが赤面して両手を前で振った。
「さ、マスターにチョコ持って行ってあげなさい」と言うと、赤面したままカイトは「うん」と答えてチョコの乗った皿を手に立ち上がり、行儀よく椅子を元に戻すと「ありがとう、姉さん」と少し赤らんだ頬のまま微笑んでキッチンを出て行った。


残されたメイコはシンクの下にこっそり隠してあるブランデーの小瓶を取り出しグラスに注いだ。
浅草名物「電気ブラン」、日本で初めてできたバー、浅草の神谷バーの名物ブランデーである。
口をつけると、名前のとおり痺れるような感覚とともに、存外口当たりの良いアルコールが口の中に残ったカカオの香りやチョコの甘みと混ざり合い絶妙なハーモニーを奏で、メイコはうっとりと目を伏せた。

とにかくよかった――。
一生懸命作った料理や、チョコレートを喜んでもらえてよかった。
素直な優しい子でよかった。
今頃マスターや衿子さんに嬉しそうにチョコを差し出しているだろう。
あたしは今日から「お姉さん」。
弟をちゃんと守ってあげなきゃね――。




初めて、なんの躊躇いや戸惑いもなく、メイコは弟との出会いに幸福感を抱きながらグラスを傾けた。


<続> 

 

 

 

 

 

 

 

 

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