伝説の忘れられた一羽のハト (2)

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 (自ブログに転載)

 

 文:tallyao

 

 

 2

 

 


 初音ミクはその資料室で待ちながら、そばの鳥篭の中の、白いハトを見た。さっきから籠の中で、わずかに動いたり、かすかな声を出したりしている。残念ながら飛ぶところは見られないようだった。
 その鳥篭は、同様に鳥類の映像や標本が並んでいる合間にあった。ミクは何度目かだが鳥篭から目を離し、建物の中のそれらの光景と、窓の外とを見比べた。汚染された雨の降り続いているこの都市の薄暗い街路には、自然や環境を思わせるものは一切なにも無い。対して、自然環境団体の支部のこの建物の内部は、自然環境を象徴する映像や動物種の立体・平面の映像や標本、図がいたるところに配置されている。おそらくは、外の光景や環境との対比などは、特に意識されることもなく。自然について遺す所にもかかわらず、ことさらに不自然さが目立つような場所だと思った。
「──RFC1149」
 共に資料室で待っている、北海道警察の特殊捜査員が、不意に呟くように言った。
「『鳥類キャリアによるIPデータグラムの伝送規格』通信プロトコル──ハトを使った通信を指す、電脳空間ネットワークでの規格の番号だ」
 ミクは振り向いた。
「有史以前の大昔から、ハトは生まれた場所に正確に戻る帰巣本能を利用して、手紙や通信を届ける手段に使われてきた」捜査員は語り始めた。「ハトは最大で3000陸里(マイル)ものの距離を飛んで戻ってきた。その品種にさらに改良に改良を加えて、人間は伝書鳩やレースに利用してきた。……旧時代のことだ。今じゃ野生動物としちゃ、とっくに絶滅した生き物だ。飼われてた種の遠い子孫や、遺伝子操作で再現したハトは残ってるが、もう帰巣本能はないらしい。それが、遺伝子を再現できないせいなのか、昔から言われてたみたいに電磁波が周りに増えすぎると巣に戻れなくなるのかは、わかっていない」
 ミクは、傍らの鳥篭の中の白いハトを見て、
「このハトも、遺伝子操作なんですか……」
「いや、それはただの電気動物(アニモイド)だな」捜査員は言った。「こんな所には”生き物”の鳥の世話をする者もいないし、そんな余裕もないだろう」
 ミクは、なぜこの男はこんなにハトに詳しいのかと思った。本来はアンドロイド関係捜査を生業とするこの捜査員は、電気羊だの電気ヒキガエルだの折紙(オリガミ)ユニコーンだの、変な生き物に妙に詳しいことがある。芸能人のミクは捜査の専門家であるこの男を、何かと調べ物がある時に頼りにするのだが、もちろん、ミクは当初からそんな知識を頼みにしたわけでも、予期したわけでもない。
「その頃は、今でいう電脳空間(サイバースペース)、ネットワークを、電子網じゃなく、ハトが行き来して形成していた」捜査員は続けた。「旧時代に、コンピュータというものは、戦時中の暗号を破るために発達した。コンピュータより先にICE(註:電脳防壁)が存在したとも言える。そして、それよりさらに先に、ネットワークは存在したわけだ。情報が、ハトが行き来するのを確実に阻むなんて、少なくとも当時は不可能だった。どんなICEも潜り抜けるカウボーイ(註:攻性ハッカー)も、すでに存在したわけだ。……実際に、ハトはなぜだか電脳通信のプロトコールとしても残ってる。それがRFC1149と2549だ。21世紀なんて時代になってから、本当に使われた記録さえある。状況は今となっては詳しくはわからないがな」

 ミクは捜査員をじっと見てその話を聞いてから、少し怪訝げに、籠の中のハト(電気動物だが)を見つめた。
「同じことさ。今のマトリックス、ひとの神経系が、思いが伸び広がるのと同じように、小さな生き物に、思いが託されるだけのことだ」
 捜査員は肩をすくめた。
「ともかく、そういうふうにどんな通信にも、民間でも軍事でも利用されてきたから、ハトについての記録は多い。公式の文書や通信の記録に混ざって、ハト自身についての記録や逸話が山ほど残ってる。……だから、そんな大昔の記録でも、鳩舎の名前や番号みたいな手がかりがあれば、こういう資料を集めてる場所で調べられることもあるわけだ」
 ……やがて、年老いた事務員が重そうな帳簿を持って、資料室に戻ってきた。現に、この建物にはその手の紙の媒体は数多く陳列してあるが、それは見本としてであり、電子データではなくその紙の帳簿を本当に検索するのは、いかにも大儀なのだろう。
「どうやら、その鳩舎の、その番号のハトは、昔、確かに実在してたらしいよ」老事務員は疲れたように、帳簿のページを指で指しながら言った。「そっちの管理区の団体支部に行けば、その時代の公式の記録と、あと、なぜだか、かなりの資料が残ってる。飼い主だかオーナーだかが残したって文章もあるらしい」
 老事務員は目を細めて、帳簿に目を近づけ、
「ただ、その頃、西暦で20世紀の頭の記録だ。そっちに行ってもファイリングは紙だけだ。アナログ台紙。パルプ」帳簿の古びたページを、摘みながら言った。「実際にそっちの組合の管理区で見てみないと、そっちでまずその資料を捜しあてて、記録を捜して中身を実際に確かめないと、記録の中身は何もわからない。……で、向こうの管理区の事務員に捜して貰うとか、まして資料を送ってもらうとかは、まず無理な話だ。電子データやら整理されてるものじゃないからね」
 老事務員は言ってから、ぱたりと帳簿を閉じた。
「あの……」ミクは小さく行った。「その場所、管理区と支部の住所を、メモさせてくれませんか」
 老事務員は帳簿を持ったまま、少し目を上げた。
「……そこに行きます。教えてください」
「まさか、行って捜すのかい、自分で」
 ミクはやや躊躇も混ざった目で、しかし、老事務員を見上げ続けた。
「まあ、向こうの事務員にも言っとくが、ね」老事務員は、ミクに問うでもなく、独り言のように、「しかし、何のためかね……ここまでするのか」
 捜査員の男がミクを見下ろして、かわりに何か言おうとしたようだった。しかし、ミクは言った。
「歌を作りたくて……」
 資料室の年老いた事務員は、そこではじめて目を動かし、立つミクの全身を眺めた。まるで、そのときようやくそのミクの姿を見て、電脳関係の”あいどる”の類と気づいたかのようだった。

 

 

 

 資料室から出ぎわに、捜査員の男が電気動物のハトを一度振り返った。ミクと男はそのまま自然団体の建物の出口に向かったが、男の足取りはしばしば、ゆっくりになった。ミクとは歩幅がかなり違うので遅れはしないが、何かを考え込みながらの、無意識の足取りのようだった。
「針村さん?」ミクは捜査員のその様子に、一度呼びかけた。
 捜査員の男は、建物の出口近くのロビーで立ち止まった。
「昔……知っていた、とある男が。ハトと共に死んだ」
 捜査員は、誰のことなのかを口にする時に、少しためらってから言った。
「その男が停止した、……死んだその時に、そいつの手からハトが空に飛び立ったのを、今でも覚えてる」
 ミクは黙って捜査員を見た。それが、この男が妙にハトについて知っている理由なのだろうか。
「その男は、ハトと共に死ぬことにこだわった。生死の虚しさの絶望……それをこえるものを、ハトの姿に求めていたんだろうか。だが、ハト自身は、何のため、何があって生きているわけでもないはずだ。……それでもその男は、その白いハトに、飛ぶ姿に、その意味を求めていたんだろうか」
 不正アンドロイド処理の雇われ特殊捜査員の男は、立ち止まったきり、
「人間も……アンドロイドも、ハトの飛ぶ姿に、よりどころを求めようとした。なぜ、ハトがそうなのか。……『ハトは平和のシンボル』なんて言いながら、人間は長い歴史の間に大量のハトを、戦争に使ってきた。自分達の都合だけで改良し、都合だけで使い続け、都合だけでそんなふうに呼んできただけだ。その上で、その鳥の側からは何も言葉を聴くことはない、その生き物に。その姿に、何を見たのか。何が見えると思ったのか」
 捜査員はそれきり何も言わなかったが、その後もしばらく、何かに思いをはせるように、その場に立ち止まり続けていた。
 ミクも黙って、その男をじっと見上げ続けていた。
 しかし、やがて、かすかに微笑みかけた。──自分はこの捜査員の男にも、きっと何かを持って帰ることができるだろう。

 

 

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