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 もう潰れてしまった海沿いのライブハウス。
とても小さなハコで、数回しか行ったことはないが、僕はあの場所を一生忘れないだろう。

彼女の歌をはじめて聞いたのはもう4年前になる。
その日ライブハウスに行ったのは本当にただの気まぐれだった。通りがかりに「オープン10周年記念ライブ」という告知を見かけ、知っているバンドの名前もあったので、暇だし見ていくかと思ったのだ。
格好つけてキューバ・リブレを飲みながら、フロアの後ろに据えつけられた席で轟音に耐えていたら(そのライブハウスは僕の好みよりすこし音が大きかった)、――突然その声は降ってきた。

彼女の歌は倦怠感にまみれ、それでいてくすぶるような熱を帯びていた。高音で少し混ざる金属音。かすれるように響く低音。マイナスと思われるような要素も魅力に変えてしまう、彼女の声にはそんな力があった。僕はグラスを右手に握りしめたまま、その音に聞き入っていた。
彼女の名はMEIKOと言った。
MEIKOのバンドはすでになかなか人気があったようで、精力的にライブ活動もしていた。僕はそのひとつひとつのライブに行った。もともと音楽はキライじゃない。けれど、僕は彼女と出会わなければ音楽をやろうとは思わなかっただろう。バンドを組むとき、必要以上に女性ボーカルにこだわったのも彼女の影響だったのだと思う。「もし俺たちが有名になって、」その頃は結構本気でそんなことを考えたものだ――「影響を受けたアーティストを聞かれたら、彼女の名を出さなければ」。
彼女の声はすばらしかった。そしてその声をすばらしく生かす楽曲。いつしか僕は新曲が出るたびに悔しいと思うことが多くなった。自分にはこんな曲は書けやしないし、自分にはMEIKOもいない。なぜこのバンドはこんなにも恵まれているのだろう。最高の楽曲を作る人間がいて、それを最高に再現するボーカリストがいる。

彼女に顔を覚えてもらうのにそれほど時間はかからなかった。毎回ライブに顔を出す人間を覚えるのは容易いだろう。最初のうちは恥ずかしくてとても彼女と話すことなんて出来なかったが、いつしかライブ後に彼女や、彼女のバンド仲間と言葉を交わしたりするようになった。
話すことはほとんどが他愛無いことだった。彼女はいつも話題の中心にいたが、僕はその周縁で静かに話を聞いているだけだった。もしかしたら、直接話したことはほとんど無かったのかもしれない。何かの拍子に二人きりになったときなど、話すことがなくてとても困った覚えがある。周りを取り巻くファンが熱い思いを彼女に伝えていても、僕はただそれを眺めているだけだった。
結局僕と彼女が関わるのは、ライブがあるときだけだった。僕は彼女のライブが終わればその次のライブを心待ちにした。ロクに更新されない彼女のバンドのホームページに毎日のようにアクセスし、他のファンから情報をかき集め、とにかくひとつのライブも逃さないように必死だった。
だから、ライブの回数が極端に減りだしたとき、僕はすぐに気づいた。本当に少しずつ緩慢に、彼らの活動は停滞していった。僕にはどうしようもないことだ。彼女に会える機会はどんどん少なくなっていった。

最後のライブのことは今でも覚えている。僕はまだ認めていなかったし、彼女たちも表層的には認めてはいなかったが、すでに終焉は始まって久しかった。しかし、その時にはこのライブが本当の終焉になるとは思ってもみなかったし、彼ら自身にもそのつもりはなかったと思う。なにしろその日は久しぶりに新曲が演奏されたのだから。それはこれからもこのバンドを続けていくのだという意思の表れだったはずだ。
「アルニコ」と銘うたれた新曲の最初の音を聴いた瞬間、喉の奥がぎゅっと締まるような感じがした。穏やかにはじまって急に変わる曲調。僕は何か日常の中で降り積もったやるせなさと、うつくしい風景を両方同時に見せられたような心地がして、腹の底が熱くなるのを感じた。

その曲が、僕が最後に聞いたMEIKOの歌だった。その後一度のライブのアナウンスもないまま何ヶ月かが過ぎ、ある日いつものようにバンドのページにアクセスすると、解散のお知らせが載っていた。
それきりMEIKOと会うことはなかった。結局僕と彼女は顔見知り以上ではなく、ライブというつながりがなくなればそれでおしまいだ。あの日一度だけ聞いた「アルニコ」は、もうどんな曲だったか思い出せはしない。ただ、あの強烈な印象だけが僕の心の中に今も残っている。

4年経った今、僕のバンドもまた解散の危機を迎えていた。複数の人間が同じ目的と目標を保ち続けるのは難しい。いろんなことがずれていき、身動きが取れなくなっていく。嘘くさいと思い続けてきた「音楽性の違い」というのも、こうなってみるとあながち嘘でもないと思った。
このバンドがなくなってしまったら、僕は音楽を続けていけるだろうか。そしてそう考えはじめるといつも、僕はMEIKOのことを思い出す。彼女は今もどこかで音楽をしているのだろうか。

夕暮れの街を歩きながら、僕はあの「アルニコ」を再現しようとしていた。もちろん思い出せもしない原曲そのものではなく、僕の中に残ったあの印象を再現できるような曲を作ろうとした。そんな曲が実際に作れたとして、バンドではもう演奏できないかも知れなかったが。

走り抜けていく自転車、風にざわめく街路樹、子どもの手を引いて家路に着く母親。そう、あれはこういった日常の中から生まれくるようなメロディーだった。それでいて焼け付くような熱を秘めた曲。

前を歩く母親が、子どもにせがまれて歌を歌い始めた。聞こえてきた声はとても優しく、夕暮れの街並みに溶け込むようだ。はじめて聞くはずの音楽なのに、なぜかとてもなつかしい。僕はすぐそのメロディーに、声に引き込まれた。
低音で少しかすれる歌声、少し耳につく高音。
僕は強烈なデジャヴに襲われた。歌い方はまるで違う。僕の記憶にある声はもっと鋭さを秘めた声だった。だけど聞けば聞くほど、その声には聞き覚えがあった。

「MEIKOさん!」
全く今考えてみても、どこにそんな勇気があったのかと思う。けれど、さまざまな不安よりも「ここで声をかけなかったらきっともう会えない!」という気持ちの方が強かった。
彼女はびっくりしたように振りかえると、僕の顔を見て不思議そうな顔をした。
「あ、あの…」
途端に僕は口ごもってしまってうまく喋れなくなった。彼女は僕なんて覚えてないに違いない!
「昔バンドをしてらっしゃった頃に…ファンで…」
「ああ!」
彼女はそう言うとうれしそうに笑った。

彼女が本当に僕のことを思い出したのかはよく分からない。しかし
「ホントーに久しぶりね!」
と喜んでくれた。
僕たちは近くの公園に入って、子どもを遊ばせながらベンチに座って話した。こんなに近くで彼女の横顔を見たことがあっただろうか。彼女の顔は記憶のままに美しかった。
「かわいいお子さんですね」
「憎たらしい盛りよ~! ホントに毎日大変!」
そう言いながらも子どもを見る彼女の目はとても楽しそうだった。
「MEIKOさんはもう、音楽はやってないんですか?」
「うーん、そうねえ。バンドが解散してからしばらくはいろいろ探したりもしたんだけど、あの子が生まれちゃってね。やめようと思ってやめたわけじゃないけど、気づいたらやめちゃってた。あなたは……音楽をやってるのね」
彼女は僕の持っていたギターケースを眺めてそう言った。
「ええ…まあ……」
「なに? はっきりしない返事ね!」
彼女はそう言うとじれったそうに身を揺すった。MEIKOはもう少し落ち着いた人間だった気がするが、まあ4年もあれば変わるものだろう。

僕は自分のバンドが解散に危機にあることを話した。そして解散した後自分は音楽をやっていけるのかどうか不安なことを。
話しているうちになんだか僕は不思議な気持ちになってきた。なぜ僕はそんなに音楽をやることに固執しているのだろう。そもそも解散の話が出るまでの僕はそんなに真剣に音楽をやっていなかった気がする。それがいざこうなってしまったら必死でしがみつこうとして。

なんだか滑稽だ。

「昔はプロになりたかったんだ。だけど結局自分の実力のなさや、やる気のなさのせいで、夢は夢のまま終わってしまった。なのに必死でその残滓にまだ縋っているなんて、おかしいですよね」
僕がそう言うとMEIKOはしばらく黙った後に
「それでいいんじゃない?」
と軽く言った。
「作りたいものがある、表現したい気持ちがあるっていうのは幸せなことよ。たとえ、それが多くの目に触れなくてもね。その手段を失うかもしれない、っていうのはツライわ」
わたしだってそうだったもの、と彼女はぽつりと小さくつぶやいた。
僕たちはしばらく黙ったまま、落ちていく夕日と伸びた影を眺めていた。

彼女はまたさっきの歌を口ずさみはじめた。僕はしばらくその歌をひき込まれるように聴いていた。しかし穏やかに紡がれていた旋律は、途中で突然曲調を変えた。そこで僕ははじめて気づいた。
ああ、これはあの「アルニコ」ではないか!
急にあのライブの情景が思い出されてきた。確かにこの曲だ。当時の感動が鮮明によみがえってきた。
あの頃からだいぶ遠くまで来たような気がする。ただ同じような日常を繰り返してきただけなのに。昔と今ではずいぶんいろんなことが変わってしまった。僕自身も変わってしまったし、彼女も変わった。それでもこの曲は、今でも僕の心を掻きたて、焦燥感を煽る。
結局夢なんか叶わないのかもしれない。バンドだってもうどうにもならないのかもしれない。でも、僕にはやはり、捨てきれないものがある。
「MEIKOさん!」
彼女が歌い終わったところで、僕は叫んだ。
「あなたに、僕の曲を歌ってもらいたい!」
彼女の声はやはり今でも僕を駆り立てる。僕が思わず言ったそのことばに、MEIKOはそっと微笑んだ。
「そうねえ、あなたが本気ならやってあげてもいいわ」
「本当ですか?」
「そうよ、本当に本気ならね。わたしを歌わせるのはそう簡単じゃないんだから! あきらめないでやる自信あるの?」
なぜだろう、その時僕はものすごく自信を持てた。技術的な問題はきっと乗り越えていける。彼女の声があれば。
「大丈夫です!」
このしょうもない世界で、僕は足掻こう。彼女の声がきっと、そのための力をくれる。