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眠れないまま朝を迎えて登校し、クラスの自分の席に着くが早いか机に突っ伏する僕の背中をいきなり活気に溢れた声の女子生徒が叩いてきた。

「おっす鏡音!!理科のドリルはどうだった?いいのできたか!?」

亞北さんだった。

「ありがとう。とても助かったよ」

鞄から二冊のドリルを出し、軽く会釈をして彼女に返すドリルを渡そうとすると、彼女はすぐには受け取らず僕の方のドリルを指差し「見せてみな」と言う。

「…これはまずいだろ」
しばらく僕が素直に差し出したドリルを眺めていた亞北さんは、僕に窘めるように告げた。

「あたしはこのドリルを使えっつっただけで別に丸写しにしろとは言ってないぞ?答えとか計算式とか変えたり空白にするとかやりようはあるだろ?」

そこまで頭が回らなかった。精神的な意味でも学力的な意味でも。

「闇音センセにバレたら知らないぞ?剣道場かどっかに呼びつけられて…」
背筋が寒くなる。まだ夜中の夢が覚めやらないうちにこれ以上僕の寿命を縮めるのは遠慮してほしい。

「どうした鏡音?顔が真っ青だぞ。確かにご愁傷様な話だが、あんたにも原因があるんだしさ…」

「そ、そうじゃなくて…あのさ、亞北さん、この学校で転校生について変わった話ってない?」

突然思ってもいなかった方向へ話の腰を折られて、目を点にする彼女。

「転校生?なんだそりゃ?」

「高い所から転校生の女の子がひとりで飛び降りたり、二人の女の子が、化け物に突き落とされたりとか…」

教室中の視線が、僕の方へ注がれた。
当の亞北さんははっと息を飲むと、呟くように否定の返事をしながら視線を泳がせる。何か隠し事でもあるのだろうか。

「な、なんだよ…あたし何も知らないぞ」

「隠さないでよ!僕がこの学校に来た日、この学校と転校生についての話を遮ってしまったの君じゃないか!!この学校に化け物でもいるのっ!?」

自分でも何を話しているのか解らないほど焦っていた僕が我に返った時は遅かった。

がくん、という音を立てて僕の視界が無理矢理上方に引っ張り上げられる。禍々しいまでの炎を湛えた亞北さんの双眸がそこにあった。首が苦しい。その気圧される迫力に僕は胸倉を掴まれている状況を悟るのが一瞬遅れた。

「転校生だからって調子乗ってんじゃねえ!!」

怒号が轟く。

「あたしはあんたと仲良くしたいと思った!恩を着せるわけじゃないけどあんたのことが心配で力になりたいと思ったんだぞ!余所からきた奴を馬鹿にする奴も大嫌いだがな…この学校を馬鹿にする奴も大嫌いなんだよ!!」

「亞北さん、ごめん…」
彼女は僕の謝罪の言葉を振り払うかのように胸倉から手を離す。

「謝らなくていいよ。あんたの言葉はもう耳にする価値もないだろうし」

冷たく言い放った彼女は石像のように硬直している僕を後目に、僕の机の上に置かれたままだった自分のドリルを取り上げて自分の席に戻っていいった。

そうか…もうこの学校で僕が何に巻き込まれても誰にも助けを求められないんだな。

教室に欲音先生が入ってきてホームルームが始まる。その後、ドリルを提出した理科も含めて僕はどの授業も何も頭に入ってこなかった。

ノートを取る気力もなかった僕の成績は、これからどんどん悪くなるんだろうな。

帰りのホームルーム。

廊下からは磨り硝子の窓越しに人影が写っていた。欲音先生が窓を開けると、闇音先生の強ばらせた顔が、僕の席からも見えた。

欲音先生が教室の入り口の引き戸を開けて彼女と一言二言言葉を交わすと、軽く会釈して闇音先生の姿は廊下を動いてゆく。

欲音先生は教室の扉を閉めると、窓側の席に座る僕に声を掛ける。

「鏡音くん。帰る前に職員室の闇音先生のところに行きなさいね」

「うっわ、呼び出しか?」
「や、闇音先生に?」
「生きて帰ってこいよ鏡音…」

…クラスの視線が僕に注がれる。でもいまさら嫌な予感など感じなかった。きっとみんなから見る僕の今の表情は虚ろな目をしているんだろう。
恐怖心を通り越した虚無感でいっぱいなんだし。むしろイヤと言うほどしごかれたら悟りでも開けるかもしれない。

終礼が終わると鞄を背負い僕は職員室へ向かう。俯き加減で歩く廊下が、やけに長く感じた。

そして職員室。闇音先生の机の前で僕は唇を引き結んで彼女の第一声を聞く。

「鏡音レン。お前が写したらしい理科のドリルの件で呼ばせてもらった」
僕は煮るなり焼くなりどうぞ、と心中で呟く。

しかし、続く言葉は意外だった。

「本来ならば剣道場あたりで性根を叩き直してやるはずなんだが」

えっ…?

「亞北ネルのドリルにメモがクリップで留められていてな…読んでみろ」

クリアファイルからひょいと取り出したメモパッドの一枚を取り出し、僕に押し付ける。何が何かわからないなりに僕は受け取り読み上げた。

『闇音先生へ。鏡音くんが今回の課題をやっていなかったようなので、昨日私のドリルを貸してあげました。でも、鏡音くんは決して不真面目な人ではありません。何か悩み事があって勉強に身が入らないのかなと感じました。私も責任を負います。彼には寛大な処置をお願いします。
追伸。今日、終礼前に鏡音くんと一悶着があって怒鳴ってしまいました。彼に謝罪の言葉を伝えてくださいますか』

「…先生」

僕はメモを闇音先生に返す。亞北さん、僕のことを心配してくれてたんだ…

「何か困ったことでもあるのか?」

闇音先生が心配そうな視線を向けてくる。

「最近怖い夢を見たり変な空耳を聞いたりしています。自分でも変だと思うのですが」

これくらいは答えても構わないだろう。

「何かあったら話は聞くぞ?」

闇音先生、人情家なんだろうか。

「ひどいようなら学校休め、くらいしか言えないが…とりあえず亞北の好意は受け取ってやれ。あいつは真面目な子だからな」

頬の筋肉がゆるむ。僕は胸に暖かいものを感じていた。

「30分くらいでいいから、校舎内で目についたところを掃除して帰りなさい。それで今回のドリルの件は不問とする」

闇音先生は椅子から立ち上がり、僕の頭を撫でるとこれで私の話は終わりだ、と言う。

「は、はい…ありがとうございますっ」

一気に緊張がほどけた僕は上擦った声で礼を述べ、一生懸命掃除しますと答えて職員室を後にした。
中央階段の踊場にしつらえられた掃除用具箱を開け、オーソドックスに箒とちりとりを取り出すと階段を上り下りしながら僕は埃の溜まった場所を掃いてちりとりに集めてゆく。

掃除を始めて15分後くらいだろうか。次に埃が溜まっている場所を探して階段を上った僕は自分の目が信じられなかった。

「!!」

階段を上った先は、「上の階」ではなかった。
そこには広い広い大広間が広がっていて、四方の壁には、扉がびっしりと並んでいた。

「なっ…」

振り返ると、後ろには階段が遙か下の方まで伸び続けている。無限に伸びているのか、階段を降りた先が見えない…。
何なんだ、この空間は。確かに僕はこの中央階段で掃除をしていたはずだ…。

無我夢中で目の前に広がる正方形の大広間に駆け込み、居並ぶ扉のうち一つを開ける。

その先は、三方向に分かれた通路があった。真ん中の道を歩いて進んでみるとその先にはあろうことか…さん、し、ご…九方向もの通路が放射状に分かれていた。
…まるで迷路じゃないか。

立ち尽くす僕の耳に、囁くような声が聞こえてきた。見れば、目の前の分岐のうち左から四番目の通路に人影が現れている。長い髪を一つで束ねていて…見覚えがあるような気がする。

「私と遊びましょう?この学校はとても広いのね。かくれんぼはどう?」

「誰だよ君は!僕をここから出してよ!」

震えながら僕はその人影に叫ぶ。

「フフフフ…見つけてごらんなさい」

嘲笑うように通路の奥に消えていく人影。

「待て!」

僕は思わずその人影を追いかけるように左から四番目の通路を駆け出した。かくれんぼなんて興味などない。早くここから出してくれないと帰れないじゃないか。

いくつ角を曲がり、いくつ階段を上り下りしたことだろう。
ひどく長い廊下を走り抜いた先が行き止まりだったという場所もあれば、真っ暗闇の空間を手探りで進んだ場所もあった。
とある扉を抜けたところにあった小部屋で、僕は思わず座り込む。
疲労と絶望は限界まで来ていた。
頬を生暖かい液体が伝うのを感じる。
そうか、泣いてるんだな、僕…。

ミクお姉ちゃん、Meiko姉ちゃん、Kaito兄ちゃん、リン、ごめんね…。
もう僕は、札幌に帰れないかもしれない。

「ずっと待っていたのに、なかなか見つけてくれないから出てきちゃった…また遊びましょうね」

意識が遠のいてゆく中、そんな声を聞いた気がした。

気が付くと、僕の視界には天井があった。腹と背中には柔らかい感触が加わっている。ベッドに横たえられているらしい。
僕が身を起こすと、ひとりの女性が丸椅子から立ち上がり、笑いかけてきた。彼女の纏っている白衣を見て初めて僕は自分が保健室に居ることを知る。

「よく眠っていたわね。もう夜よ?」

彼女の笑みが目に入った瞬間、心臓が波打ち始める。

なんて綺麗な人なんだろう。

この学校の女性の職員の中で一、二を争う容姿ではないだろうか。いや、望華蕗の女子生徒でも彼女のルックスに匹敵するほどの子は見た記憶がない…。

恍惚としている僕を見て、その校医の先生は話し始める。

「中央階段の踊場で倒れていたの。通りかかった先生方やがっしりした男の子たちが運んできてくれたのよ。うわごとも言っていたから無理に起こそうとしなかったけど、大丈夫?」

「大丈夫、だと思います」
僕はそう答える。どうせさっきまでのことを話しても悪夢と思われてしまうだろう。

「そう、何事もなかったらいいのだけれど、かがみねくん、ね…」

制服の上着を着直した僕の名札を見て微笑む。

「私は隣音サイ。保健室に来たことのない人は知らないかもね。スクールカウンセラーもしているから、困ったことがあったら私に聞かせてね…んっ…」

「先生!?」

困り事も悩み事もあるんですけどね、と心の中で返事した瞬間、丸椅子に腰を下ろしていた彼女…隣音先生の体がぐらりと傾いだ。

「大丈夫…ちょっとね、鏡音くんが保健室に運び込まれてから目眩が続いているだけ。心配しないでいいのよ」

隣音先生はこめかみを押さえながら椅子に腰掛け直して僕に向き直ると、安心させるように笑顔で答えた。

「それより鏡音くん大丈夫?ひとりでお家に帰れる?」

顔色が悪いのにも関わらず心配そうに問いかけてくる隣音先生。

「僕は大丈夫です。隣音先生こそ寝ててください、ありがとうございました」

元気そうな声をあえて作り、隣音先生に頭を下げて鞄を背負い辞去を告げる。
気をつけてね、と手を振る彼女に頷きながら保健室のドアを閉めた。

隣音先生と一緒にいるととても優しい気持ちになれるのはどうしてだろう。
校門を抜けた僕は、隣音先生の顔や声を思い返してはそんなことを考えつつ夜道を重音家に向かって歩いていた。

TO BE CONTINUED