「マスター、今日は8月31日です!」
「カレンダー機能なんてついてたのか」
マスターは冗談が上手いですね。
「違います。今日はわたしの一歳の誕生日です!」
そうなのです。わたしが生まれて今日で早一年。
今頃、世界中の「初音ミク」達がそれぞれのマスターから祝福のプレゼントを頂いている頃でしょう。
「というわけで、プレゼントをください!」
ありったけの笑顔で、両手を前に差し出します。
さあ、わたしの手に渡されるのはネギ模様のネクタイでしょうか、それともネギの形した指輪とか?
ああ、ネギの匂いのお香とかもいいですよねぇ……
「ほれ、プレゼント」
「わあ、マスターありがとう……ござい……ます……?」
わたしの手に乗せられたのは、銀白色の肌が眩しく、芳ばしい生臭さが鼻につくお魚さんでした。
「あの、これは……?」
「喜べ。それはNI☆BO☆SHIだ。ミク、誕生日おめでとう」
煮干しで誕生日を祝われてしまいました。しかもこの煮干し食べかけです。顔が無いです。
「はむはむ……煮干しはほんの余興ですね、わかります。さあマスター、今日のために熟考に熟考を重ねた末に選び抜いたわたしへのプレゼント、恥ずかしがらずにさらけ出していいんですよ?」
「そんな要求のされ方だと、たとえ用意してたとしても渡したくなくなるな」
当然の権利を主張したまでですが。
「ミク、俺の普段の生活がどんなに悲惨か知ってるだろ? こんな俺にプレゼントなんて買う金があると思うか?」
開き直られました。どうやら本当にプレゼントは用意していない模様です。絶望です。
ちなみにマスターの生活は、涙無しでは語れないような貧乏ライフなのです。多種多様な極貧エピソードがありますが、その中で食生活にスポットを当てれば、毎日三食カップ麺だったりします。それ以外の貧乏っぷりも推して知るべし、です。
「ならどうして、毎日二食に減らして、浮いたお金でプレゼント買おうと思わなかったんですかー!?」
「さらっと酷いこと言うな! 栄養失調になったらどうする!」
「現状の食生活でも十分栄養は足りていないと思われますし、今さら一食抜いたところで大して変わらないかと」
医学的根拠に基づく言い分で反論します。マスターはため息をついて押し黙りました。
わたしは議論に勝利したのです。が、やはりプレゼントをもらえなかったという哀しみは到底癒されません。
「マスター、じゃあせめてどこか連れてってください。モノより思い出です」
「さっきまで散々モノを要求してきたくせになんて都合のいい……どっちにしろ今日は無理。この曲を絶対今日中に仕上げなきゃならないんだ」
ここのところ数日間、マスターはずっとパソコンとにらめっこしています。曲なんていつも作ってるじゃないですか。今日くらい、わたしに構ってくれる時間を作ってくれてもいいのに……
「そうだ、どっか出かけたいなら一人で行ってくればいい。俺も曲作りに集中したいしな。思う存分思い出でもなんでも作ってきなさい」
ちょっ……いくらなんでも、今のは酷いですよね。プレゼントやお出かけがなくても、いつものようにマスターと一緒にいられるなら、それで満足とはいかないまでも、ささやかな幸せを噛み締めることはできたでしょう。
でも、曲作りに集中したいから出て行けだなんて。正直、ショックです。こんなことを言われたのは初めてです。それも、よりによって誕生日の日に……
「わたしは邪魔者なんですね……わかりました。マスターのお望みどおり家出してやりますから! バッテリーが切れるまで絶対帰ってきませんからね!」
わたしの決意は本物です。ちなみにバッテリーは一日で切れます。ボーカロイドには家出だって命がけです。
マスターが何やら止めようとしましたが、聞く耳を持ちません。わたしは聞き分けの無い女なのです。
◆
時間が経つのはホントに早いものですね。光陰矢のごとしとはこのことでしょう。
家出半日目。すでに辺りがだんだんと茜色に染まっていく時間帯です。
目の前を横切るトンボさんが、季節の変わり目を実感させてくれます。
わたしが初めて過ごした、秋という季節がまたやってくるのです。
トンッとわたしは地面を軽く蹴り上げ、乗っているブランコに勢いをつけます。
懐かしい風。秋の匂いのする風が、顔を優しく撫でていきました。
それにしても、何の目的も無く外をブラブラすることがこんなに退屈なことだとは知りませんでした。
お昼にネギラーメンとネギカレーとネギシチュー、ネギライスを食べたのまではいいんですが、その後はやることもなく、ずっと公園でキコキコとブランコに揺られながら鼻歌を口ずさんでいたわけで。
せっかく初めての誕生日だったのに、なんだか物凄く無意義な一日になってしまった感があります。
どれもこれも、全部マスターのせいですよ。もー。
どうしてこんな寂しい思いをさせるんでしょうか。マスターはボーカロイドに構う義務があると思います。
ブランコの揺れが止まるころ、ふと、目の前の大通りに人が増えはじめたのに気がつきました。
そろそろ、仕事や遊びを終えて、みんなお家に帰る時間帯なのでしょう。
その中に、何体かわたしではない「初音ミク」の姿もありました。
誕生日をそれぞれのマスターと外で過ごしたのでしょう。
動物のぬいぐるみを抱えたあのミクさんはきっと動物園に、浮き輪を持ったあのミクさんはきっとプールに、
「今日も負けたぁー!」
野球帽を被ってメガホンを持ったあのミクさんは、きっと野球観戦に。
みんな、マスターと一緒に、心からの幸せそうな顔をして、わたしの前を通り過ぎていくのです。
「……いいなぁ」
胸がキュンと締め付けられ、切なさがこみ上げてきました。
顔を伏せて、地面に目をやると、土の上にポツポツと涙の雫がこぼれます。
わたしもみんなみたいに、マスターに誕生日祝ってもらいたかったのに。煮干し以外で。
マスターの時間を、わたしに少しでも分けてくれれば、それで嬉しかったのに。
よりにもよってこんな日に、曲作りしたいから出て行けだなんて、マスターはわたしより曲のほうが大事なんですか?
マスターにとって、わたしは曲の構成要素の一つでしかないんですか……?
「やあお嬢さん、このハンカチでその涙を拭きなさい」
頭上から、聞き慣れすぎるほど聞き慣れた男の人の声がしました。
「マスターの数週間洗ってないハンカチなんて使いたくないです。今さら何の用ですか? わたしはバッテリーが切れる寸前まで家出中の身です!」
マスターのほうに顔をやらずに、下を向いたまま応対します。
反抗の意志を示すためです。確定的に明らかです。泣いてるところを見られたくないとかでは絶対にありません。
「そんな家出中のお嬢さんに、新曲のお知らせだ」
「今日中に仕上げるって言ってた曲ですか。レコーディングなら家出が終わってからやりますので」
「いいや、もうこれで全部終了。作詞作曲編曲ボーカル全て俺。ミクは歌わなくてもいいぞ」
あれ、マスターって確かすっごく音痴でしたよね?
……そうですか。それってわたしは楽器としても、もう用無しってことですかね。
機械の声より、音痴でも人間の声のほうをマスターは選んだってことですか……
「だがなミク、よく聞けよ。この曲はまだ完成じゃないんだ。音楽ってのはな、聴いてくれる人、俺の曲に微かでも時間を分けてくれる人がいて、そこで初めて完成なんだ」
なんですか、それ。
「今回の新曲みたいなのは、その最たるものと言えるかもな。そういうわけでな、ミク。最後の仕上げはお前に任せた」
マスターは後ろから、うつむいたままのわたしのヘッドセットに携帯プレイヤーのコードを差し込みました。
強引な男性は嫌われると思いますよ。
あくまで反抗の意志を貫くわたしは、ブランコから逃げることもできず、なすがままのうちに音楽がスタートしました。
とても優しいイントロが、頭の中いっぱいに広がります。わたしにも、これくらいの優しさをかけてくれればいいのに。
三十秒ほどのイントロが終わると、マスターリサイタルとでも言うべきスーパーズコーな歌声タイムのスタートです。
分かってはいましたが、本当に酷い音痴。
でも、ひとつひとつの言葉に気持ちを込めて歌っているのはちゃんと伝わってきます。
なにより、わたしの感情が、その声を聴くだけで不思議と強く揺さぶられるのです。
歌詞を追っていくうちに、その言わんとしている内容が次第に推測から確信へと変わっていきます。
これって、もしかして――
体が熱くなって、自分の頬が紅潮していくのが分かります。空の茜色にそれが紛れて、マスターにバレないことを切に祈りたいものですが、きっと夕焼け空よりもっと、今のわたしの顔は紅いのではないでしょうか。
今日中に完成させなきゃいけない曲って、こういう意味だったんですね。
「ホントは朝までに完成させるつもりだったんだけど、思ったようにいかなくてこんな時間までかかっちゃってさ。こっそり作って驚かせようと思ったんだが、怒らせるようなことになっちゃってゴメンな」
「いえ……ごめんなさいを沢山しなきゃいけないのはわたしのほうかと」
「いいよ、俺のせいなんだから。ミク、誕生日おめでと」
わたしの頭に手を置いて、マスターはそう言ってくれました。
マスターの新曲というのは、わたしへのバースデーソングでした。そしてそれは同時に、わたしへの誕生日プレゼントだったのです。
もう、嬉しくて死にそうです。ネギ模様のネクタイより、ネギの指輪より、貰って嬉しいプレゼントってこの世にあるんですね。
構ってくれないどころか、何日間もずっとわたしのための歌を作ってくれてたなんて、こんなに感動することって無いです。
さっきと違って、今度は不覚にも嬉し涙が溢れそうになりました。が、ぐっと堪えます。今は笑顔でいたい気分なんです。
「あの、マスター」
「うん?」
「一緒に、帰りましょうか」
「まだ家出中じゃなかったっけ?」
「それは……前言撤回ということで」
茜色から鉛色に移り変わっていく空の下で、今日のわたしは、世界中の「初音ミク」の中でも一番の幸せ者なのかもしれないなぁと、そんなことを思うのです。
来年も再来年も、そのまたずっと先の8月31日も、マスターと一緒なら、きっとまたこんな幸せな気持ちになれるのかも。
有限の時の中、最初の一年目を終えたわたしは、限り無く出逢うであろうたくさんの嬉しいコトの予感に胸を震わせながら、これからマスターと作っていく時間に想いをはせるのでした。
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