SF百科図鑑 初心者向けの魔法 Magic for Beginners ケリー・リンク


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初心者向けの魔法 Magic for Beginners ケリー・リンク


フォックスはテレビの女性キャラクターで、まだ死んでいない。だがすぐに死ぬだろう。フォックスは<ライブラリー>という番組のキャラだ。読者はこの番組を多分見たことはないだろうが、見ればよかったと思うに違いない。

***

<ライブラリー>のあるエピソードで、ジェレミー・マースという十五歳の少年が、ヴァーモント州プランタジネットにある自宅の屋根に座っている。夜の八時で、明日は学校がある。ジェレミーと友人のエリザベスは、この一週間にわたって、担任教師のクリフが出してきた数学の問題に取り組みねばならない。だがそうせずに、二人はこっそり屋根の上に出る。そこは寒い。ふたりは、<X>が<Y>の平方根である場合に、<X>について知るべきすべてのことをまだ知らない。ふたりは<Y>についてすら知らない。だから、家の中に入るべきなのだ。
だが、テレビではろくな番組をやっていないし、夜空はとってもきれいだ。二人はジャケットを着ている。暗闇の片隅の空が始まるあたりでは、山の上にまだ雪がある。家の周りの木立では、一部の動物が、小さく心配そうな音を立てる。「なぜ泣くの? なぜ泣くの?」
「あれは何?」エリザベスが言って、四角い配置の星座を指さす。
「あれは<駐車場の建物>だよ」ジェレミーは言う。「そのすぐ隣が<大ショッピングモール>と<ちょい小さいショッピングモール>さ」
「で、あれがオリオン座? <バーゲン品漁りのオリオン>?」
ジェレミーは夜空を見上げる。「いいや。オリオン座は向こうだ。それは<オーストリアのボディビルダー>だよ。その脚の下のほうを何となくくるんでいるように見えるのが、<恋する頭足動物>だ。<おなかぺっこぺこのタコ>だよ。あいつは、相手を食べていいやら、狂おしい八本足の愛を注いでいいやら決めかねているのさ。その神話は知っているだろう?」
「もっちろん」エリザベスは言う。「カールは文句を言うかな、いっしょに勉強しようと誘わなかったって?」
「カールはいつでも何にでも文句を言っているよ」ジェレミーは言う。ジェレミーはエリザベスに関するある考えを、断固拒む。なぜぼくたちはここにいっしょに座っている? 言い出したのはぼくか、エリザベスか? ぼくたちは友達? 屋根に座って話しているだけのただの友達? それとも、ぼくはエリザベスにキスしようとすべきなのか? 多分、キスしようとすべきなんだろうと思う。もしキスしても、まだぼくたちは友達だろうか? カールにはこんなこと、きけないや。カールは人を助けるという観念を信じない。あいつは、人を馬鹿にして笑うことこそ最高だと信じている。
ジェレミーは、自分がエリザベスにキスしたいのかどうかすら、分からない。今の今まで、考えたことすらなかった。
「あたし、おうちに帰らないと」エリザベスが言う。「いまごろ新しいエピソードが流れているかも、こんなことしてたら分からないわよ」
「誰かが呼んで教えてくれるよ」ジェレミーは言う。「ママが上にあがってきて、大声で呼ぶはずだ」母親もまたジェレミーが頭を悩ませたくないことの一つだ。でもジェレミーは悩んでいる。悩んでいる。

***

ジェレミー・マースは、マースすなわち火星には詳しい。そこに行ったことはないけれど。ジェレミーは何人かの女の子を知っているが、詳しいわけではない。女の子についての本があればいいのになあと思う。火星についての本があるのと同じように。スケベに見えないままで女の子の軌道や明るさを望遠鏡で観察できるといいのに。前にジェレミーは火星の本をカールに読み聞かせたことがある。ただし、<火星>のところは全部<女の子>と言い換えた。カールはいつも腹を抱えて笑った。
ジェレミーの母親は図書館の司書をしている。父親は本を書いている。ジェレミーは伝記を読んでいる。マーチ・バンドではトロンボーンを演奏する。学校の体育服を着ては、ハードル競走を走る。ジェレミーはまた、フォックスという名の反体制図書館司書にして魔法使いが出てくるテレビ番組に熱中している。この女は自分の世界を泥棒、殺し屋、変節主義者、海賊から守ろうとする。ジェレミーはおたくだが、テレビ向きのおたくだ。誰かがジェレミーについての番組を作るべきだと思う。
友達はジェレミーをジェルムと呼ぶ。だが本人はマース、火星君と呼ばれたい。両親はもう一週間互いに口をきいていない。
***

ジェレミーはエリザベスにキスをしない。星は空から降って来ない。ジェレミーもエリザベスも屋根から落ちて行かない。中に入って勉強を済ませる。

***

ジェレミーが会ったことも聞いたこともない人──クレオ・バルドリックという名の女──が死んだ。今までにたくさんの人がジェレミー・マースと知り会うことなく生まれて死ぬことができた。だが、クレオ・バルドリックは遺言でジェレミー・マースとその母親に奇妙な遺産を残した。ラスベガスから四十マイルほど離れた場所にある高速道路の電話ボックスと、ラスベガスの結婚式用の教会だ。教会は<地獄の鐘>と呼ばれる。そこでどういう人が式を挙げるのか、ジェレミーにはかいもく分からない。きっとバイカーだろう。札付きの悪とか、変人とか、悪魔主義者だろう。
ジェレミーの母親は息子に何かを教え込もうとする。たぶんラスベガスとクレオ・バルドリックに関することだ。クレオは──後で分かったのだが──母親の大伯母だった。(母親に大伯母がいることなどさっぱり知らなかった。母親は謎めいた人間だったから。)だが一方でそれは、父親に関することかも知れない。今のところ一週間半の間、ジェレミーは母親の心配ごとを見ないで済ますことができている。物事を気付かずに済ますのは易しい。それなりの努力を払いさえすれば。バンドの練習がある。朝食時の会話を避けるために平日は朝寝坊する。夜は望遠鏡を持って屋根にあがり、星を見る。火星を見る。母親は高所恐怖症だ。ロサンゼルスで育った。
母親がジェレミーに教えねばならないことが、できれば教えたくないことであるのは明らかだ。母親と二人きりになるのさえ避けていれば、ジェレミーは安全だ。
でも四六時中ガードを固めているなんて無理だ。ジェレミーは学校から帰ってくる。何とか数学のテストに合格したぞ、と思いながら。ジェレミーは楽天家だ。きっとテレビで面白い番組がある。父親のペット・カウチの一つにリモコン片手に座る。その椅子はばかでかく、オレンジジュース色のコーデュロイで張り換えられている。そのせいで辛うじて、犯罪的に気ちがいじみた家具を収容する最高セキュリティの監獄を免れたかのように見える。このカウチの趣味はまるでインテリア・コーディネーターを食うことであるかのようだ。ジェレミーの父親はホラー小説家だ。だから、貼り換えたカウチの一部が不気味でおぞましいものだからといって、誰も驚かないのだ。
母親が部屋に入ってきて、カウチの前に立ちふさがり、ジェレミーを見下ろす。「ジェルム?」母親は言う。まったく惨めな顔をしている。この一週間というもの、いつも多かれ少なかれ、そんな顔をしていたが。
電話が鳴り、ジェレミーは跳ぶように立ちあがる。
エリザベスの声を聞くと、ジェレミーはすぐに分かる。エリザベスは言う。「ジェルム、やってるわよ。四二チャンネルを見て。あたし、テープにとってる」エリザべスは電話を切る。
「やってるよ!」ジェレミーは言う。「四二チャンネルだ! 今だよ!」
ジェレミーが座る前に、母親はテレビをつける。図書館司書だけあって、母親は<ライブラリー>が特にお気に入りだ。「パパに教えないとねえ」そう言うが、母親はジェレミーの横に腰をおろしてしまう。そして今や、両親の関係がおかしいことが明白になる。でも<ライブラリー>は始まっていて、フォックスがウイング王子を助けようとしている。
エピソードが終わると、母親が泣いていることは見なくても分かる。「ママのことはかまわないで」母親は言って、袖で鼻を拭く。「フォックスは本当に死んだと思う?」
だが、ジェレミーはここに居残って話すわけにいかない。

***

テレビのキャラクターたちはどんなテレビ番組を見るんだろうと思う。テレビのキャラクターというものは、ほぼいつも普通の人よりもかっこいい髪型をし、面白い友人を持ち、セックスに対してあっけらかんな態度をとる。魔法使いと結婚し、宝くじを当て、ハンドバッグにピストルを入れている女と恋をする。一時間刻みで奇妙な出来事に遭遇する。ジェレミーも私も、髪型については目をつぶれる。ただ、どんなテレビ番組を見るのかだけをききたいのだ。

***

いつもとまったく同じで、新しいエピソードが始まったときすぐに気付いて知らせてくれたのはエリザベスだった。誰もが後でエリザベスの家を訪ね、事後分析(ポストモーテム)を行う。今度は本物の死後分析(ポストモーテム)だ。なぜウイング王子はフォックスを殺したのか? なぜフォックスはされるがままになったのか? フォックスのほうが一〇倍強いのに。
ジェレミーは途中ずっと走りながら、古い運道靴で歩道を蹴り、震動の快感、刺激の甘美さを味わう。肺の中の荒くかすかな痛みが好きだ。コーチは言う、走るのが楽しいなんて、君はマゾの気があるぞ。それは何ら恥ずべきことではない。利用すべきことだ。
タリスがドアを開ける。ジェレミーに微笑む。タリスも泣いていたのが分かる。着ているTシャツには<私は骨の髄までゴス、小さな吸血鬼糞食らえ>と書いてある。
「ヘイ」ジェレミーは言う。タリスはうなずく。タリスはゴスじゃない。少なくとも、ジェレミーやほかのみんなが知る限りは。ただたくさんTシャツを持っているだけだ。謎めいたTシャツに包まれた、謎の女だ。かつてケルヴィン・クーリッジにこう言ったことがある。「大統領さん、わたし、あなたに単語二つ以上を話させることができるって、夫と賭けをしていますのよ」クーリッジは言った。「ユー・ルーズ(あなたの負けだ)」ジェレミーは、前生でケルヴィン・クーリッジだったタリスを想像できる。あるいは、吠えない犬の一匹だったのかも知れない。バセニー犬。岩。あるいはドルメンの遺跡。前に<ライブラリー>で、踊る邪悪なドルメンの巨石が出てくるエピがあった。
タリスの後からエリザベスが来る。タリスがゴスではなくても、エリザベスはバレリーナのゴスだ。ハートとドクロと黒インクの刺青と、ピンクのチュール地と、キティちゃんが好きだ。キティちゃんは何で人気があるんですかときかれて、ハローキティの発案者はこう答えた。「そりゃ、口がないからですわ」エリザベスの口は小さく、唇はひび割れている。
「今まででいちばんおっそろしいエピソードだわ! めちゃくちゃ泣いたもん」エリザベスは言う。「ヘイ、ジェルム。だからあたし、タリスに、あなたがガソリンスタンドを相続した話をしてたのよ」
「電話ボックスだぞ」ジェレミーは言う。「ラスベガスにあるんだ。大大伯母が亡くなったもんで。それに、結婚式用の教会もあるんだ」
「ヘイ! ジェルム!」カールがリビングから大声で叫ぶ。「黙ってこっちに来いよ! しゃべる猫のCMが始まったぜ──」
「うるさいよ、カール」ジェレミーが言う。中に入り、カールの上座に座る。時々カールには誰が親分かを示してやらないといけない。
最後にエイミーが来る。エイミーは隣町で漫画本を買っていた。まだ最新のエピソードを見ていなかったから、みんな内容については伏せて(一言も口をきいていないタリスは別)、エリザベスがテープを再生する。
<ライブラリー>前回のエピで、覆面をした魔法使いの盗賊が、ウイング王子に向かって、聖マーガレットの髪に小さく邪悪で火を吐くゴーレムをつけた魔法を解く方法を売ってやると言っていた。(聖マーガレットの髪はいつも発火していたが、決して剃ろうとはしなかった。その髪は魔法の源泉だったから。)
魔法使いの盗賊は、ウイング王子を罠にかけた。その罠はあまりにも見え透いていて、本当に罠であることなどあり得ないように見えた。それは、<自由の民の世界樹ライブラリー>一四〇階にあった。魔法使いの盗賊は、指の魔法でウイング王子を陶器の紅茶ポットに変え、二つのティーバッグをポットに入れ、沸騰した湯を注ぎ、<禁断の書の永遠に延期され期限超過した王国>を焼き、紅茶を一気飲みし、げっぷをし、土産もののマグカップを地面に投げ、もとはウイング王子だったティーポットを割り、何百のかけらに変える。それから邪悪な魔法使いの盗賊は、ウイング王子と収集品のマグカップのかけらをいいかげんに木のたばこ入れに入れ、その箱を<世界樹ライブラリー>一七階のアンジェラ・カーター記念公園に埋める。そしてその上に、ジョージ・ワシントン像を作る。
そこで、フォックスはウイング王子を探さねばならなくなる。フォックスが、ライブラリーの一七階でとうとう公園を見つけると、ジョージ・ワシントン像は台座から降りて、フォックスと死闘を繰り広げる。文字どおり、死闘、トゥース・アンド・ネイル(歯と爪)である。そして、長く尖った金属の牙を持ち、噛んだり引っ掻いたりするこのジョージ・ワシントンの等身大像には、ひどく悪夢的な何かがあると誰もが認めた。その歯からは歯ぎしりするたびに稲妻が走る。ジョージ・ワシントン像はフォックスのピンクの指を噛みちぎる。指輪物語の<運命の山>の頂上で、ゴラムがフロドの指を噛み切ったように。だがむろんのこと、ひとたびワシントン像がフォックスの魔法の血を舐めるや、たちまち恋に落ちる。その後はずっとフォックスの仲間になる。
新しいエピソードでは、フォックス役の俳優は、ジェレミーの知っていると思う、若いラテン系の女優だ。この女優は、透明化と空中浮揚の戦いを巻き起こした食中毒の疫病のエピソードでは、四階にいる高慢な善意の図書館司書役だった。ウイング王子が自分の母親は禁断の書の一冊であることを見破ったエピソードでは、恋に敗れて自殺願望に駆られたベア教の女司祭役だった。
聖マーガレットとウイング王子だけがいつも同じキャストであることを除いては、あらゆるキャストが入れ代わるのが、<ライブラリー>のいいところのひとつだった。聖マーガレットとウイング王子は、愛すべき対象にして主要キャラクターであり、それゆえ必然的に、最も退屈なキャラクターだった。もっとも、エイミーはウイング王子に熱を上げているけれど。
フォックスと、威勢がいいが腹黒い魔法使いの盗賊という、この二人の悪魔は、決して同じ俳優であることがなかった。もっとも、<ライブラリー>第二一エピソードでは、同じ女性が両方を演じたけれど。こんなふうにやっていると、いつかキャスティングが混乱するはずだとジェレミーは思う。でもそのおかげで、想像力が刺激される。魔法のように。
フォックスはいつもその衣装でそれと分かる(緑色のぴちぴちに小さいTシャツ、尻尾を隠すために穿くロングスカート)。あるいは、おおげさな手の動き、身振り、俳優たちがフォックスを演じるときに使う、震える息のような声で。フォックスは奇妙で、危険で、不機嫌で、移り気で、欲深く、おおざっぱで、突発事に強く、優雅で、謎めいた過去を持つ。一部のエピソードでは、フォックスは男の俳優が演じた。だが、いつもフォックスらしく見える。そして常に美しい。どのエピソードを見ても、このフォックスこそ今までで一番美しいと思えるのだが、いざ次のエピソードになると、前回よりももっと、息を飲むほどに美しいと思えるのだ。
テレビでは、<自由民の世界樹ライブラリー>は夜だ。すべての図書館司書が眠りにつき、棺や、鞘や、司祭の祠や、ボタン穴や、ポケットや、隠れた食器棚や、魔法にかかった小説のページの間に入っている。月光が、高いアーチ型の図書館の窓を通り、棚の並ぶ廊下の隙間を通り、公園にあふれ出す。フォックスは膝をついて、素手で泥の地面を引っ掻いている。ジョージ・ワシントン像が横で膝をついて、手伝っている。
「で、あれがフォックスね?」エイミーが言う。誰も黙ってとは言わない。そんなことは無意味だ。エイミーは大きな心と、もっと大きな口を持っている。雨が降ると、エイミーは歩道の虫を助け出してやる。秘密を一人で抱えきれなくなったら、エイミーに話せばよい。
理解して欲しいのは、エイミーはこの物語のほかの登場人物と比べて、それほど愚かなわけではないということだ。ただ単に、思ったとおりのことをしゃべってしまうというだけだ。
エリザベスの母親がリビングに入ってくる。「ヘイ、坊やたち」母親は言う。「ハーイ、ジェレミー。あなたのお母さんが、結婚式の教会を相続したと小耳に挟んだけど?」
「ええ、そうですよ」ジェレミーは言う。「ラスベガスにあるんです」
「ラスベガス」エリザベスの母親が言う。「わたし、ラスベガスで三〇〇ドル勝ったことがあるわよ。グランドキャニオンのヘリコプター遊覧で使ったけど。ところであなたたち、一日に同じエピソードをいったい何回見られるの?」だが、自分もいっしょに座って見始めた。「ほんとに死んだと思う?」
「誰が死んだんですか?」エイミーが言う。誰も口を開かない。
ジェレミーはこのエピソードをもう一度見る心の準備があるか、自分でも分からない。特に、エイミーといっしょには。ジェレミーは二階に行き、シャワーを浴びる。エリザベスの一家は、様々な種類の多数のシャンプーを持っている。ジェレミーがいつシャワーを借りようと、誰も気にしない。

***

ジェレミーとカールとエリザベスは、幼稚園の最初の日に知り合った。エイミーとタリスは一歳若い。五人はいつも友達だったわけではない。ジェレミーとカールだけはずっと友達だったけど。タリスが一人でいるのを好むのは有名だ。みんなの知る限り、音楽も聴かない。黒い服をそれほどたくさん着るわけでもない。数学や英語がさほど得意でもない(苦手でもないが)。飲まなければ、議論もしないし、編み物もしないし、肉を食べないわけでもない。もしブログをやっているとしても、誰にも教えないだろう。
<ライブラリー>がジェレミーとカールとタリスとエリザベスとエイミーを友達にした。学校のほかの連中はそこまで入れ込んでいない。しかも、全員が元ヒッピーの子供で、町は小さい。みんな数ブロックの範囲内に住んでいる。高い屋根の古さびたビクトリア調の家や、リビングの床が陥没した農場の家に住んでいる。いつも友達だったわけではないけれど、成長するにつれて、夏の夜に湖で全裸で泳いだり、お互いのトランポリンの上で骨を折ったりするようになった。あるとき犬の名前は何がいいかを議論していて、激しやすいエリザベスが、一〇段変速の自転車でジェレミーを轢こうとしたこともある。また一年前のことだが、カールがパーティで青リンゴ酒に酔っぱらい、タリスにキスしようとしたこともある。更に、七年生のときは五ヶ月の間、カールとジェレミーは全部大文字の怒り狂った電子メールのみのやり取りをしていた。何で喧嘩をしたのかは、私には言えない。
今や五人は離れられない間柄だ。強い絆がある。人生はいつもこんなふうだろうと、誰もが想像している──永遠に人々を結び付けるテレビ番組のようだろうと──そして、いつもみんないっしょだろうと。五人は共通の語彙を持っている。お互いの本や音楽の貸し借りをする。いっしょに昼食をとり、ジェレミーがやってきてシャワーを借りても何も言わない。ジェレミーの父親が変人であることをみんな知っている。変人に決まっているのだ。作家なのだから。

***

ジェレミーが階下に戻ると、エイミーが言っている。「ウイング王子には邪悪なところがあると、ずっと思ってたわ。馬鹿っぽいし、口もくさそう。本気で好きだったことは一度もないし」
カールが言う。「ぼくたちはまだ、ストーリーを全部知らない。きっとティーポットになっている間に、フォックスについて何か分かったんだろう」エリザベスの母親が言う。「ウイング王子は魔法にかかっているのよ。賭けてもいいわ」みんな、丸一週間でもこの話を続けているだろう。
タリスはキッチンで、ベルベータとピクルスのサンドイッチを作っている。
「君はどう思うの?」ジェレミーは言う。タリスに話をさせようとすることは、それ自体が趣味のようなものだ。もっと見込みは乏しいけど。「フォックスは本当に死んだのかな?」
「さあね」タリスは言う。そしてこう言う、「夢を見たの」
ジェレミーは待つ。タリスも待っているようだ。そして言う、「あなたの夢」それからまた黙る。タリスのサンドイッチの作り方は、何となく夢のようだ。まったくサンドイッチではない何かを本当に作っているかのよう。もっと意味深く謎めいた何かを作っているよう。あるいはすぐに目覚めて、サンドイッチなど存在しなかったと分かってしまいそう。
「あなたとフォックスよ」タリスは言う。「あなたたち二人の夢。フォックスは私に言った。あなたに言って欲しい。フォックスに電話するようにと。電話番号を教えてくれたわ。フォックスは困っている。あなたも困っているとフォックスは言っていた。連絡を絶たないようにと言っていた」
「おぞましい」ジェレミーは言う。じっくり考える。<ライブラリー>の夢を見たことはない。タリスの夢のフォックスを誰が演じていたんだろう。一度タリスの夢を見たことはある。でも誰も話題にしたことのないような夢だった。二人はただいっしょに座っていた。何も話さずに。タリスのTシャツにすら何も書いていない。タリスはジェレミーの手を握っている。
「夢だった気がしない」タリスは言う。
「電話番号は何番?」ジェレミーが言う。
「忘れた」タリスは言う。「目が覚めたら、忘れてた」

***

カールの母親は銀行員だ。タリスの父親は地下室にカラオケセットを持っている。マドンナの<ライク・ア・ヴァージン>から<ホリデイ>に至るまでの歌詞を丸暗記しているし、<ゴッドスペル>から<キャバレー>に至る全曲の歌詞を覚えている。タリスの母親は有資格のセラピストで、婦人雑誌の多肢選択式の性格診断テストを作っている。「あなたはどのテレビタレントに似ているかが一発で分かる!」などなど。エイミーの両親はイタカの集会で出会った。両親が正気に戻って法的に改名させるまでは、エイミーの名前はガラドリエル・ムーン・シュイラーだった。誰もがこのことを秘密にするように誓わされていた。これがエイミーだということを考えると、皮肉である。
だが、ジェレミーの父親はゴードン・ストレンジ・マースだ。巨大蜘蛛や、巨大蛭や、巨大な蛾の小説を書いている。かつて有名だったのは、ニューヨークの高級住宅地の豪邸に住む巨大な人食い薔薇が、心雑音のある勇敢なティーンの娘に恋をする話だ。聖バーナードの巨大蜘蛛たちが登場人物の運転する車を追って、暗いでこぼこの田舎道を走る。登場人物たちはバドミントンのラケットや、芝刈りの道具、花火などで蜘蛛と戦う。蜘蛛の小説はいつもベストセラーになる。
一度、ゴードン・ストレンジ・マースのファンがマース家に押し入った。ファンはゴードンの小説のドイツ版初版数冊と、ヘアブラシと、二つの古く乾いたティーバッグの入った中古のマグカップを盗んだ。ファンは、<POST ITノート>の紙片数枚に続けて、がっかりしたと罵る手紙を書き残した。それと、タイタニックを沈めた氷山の視点から書かれた自作小説も。ジェレミーと母親はお互いにそれを読み合った。書き出しはこうだ。「氷山はみずからの運命があることを知っていた」ジェレミーの気に入りの部分は、氷山が近づいてくる船を見て、淡々とこう言う部分だ。「おお、何ということだ。船長は、水面下にあるわたしの巨大で硬い体が見えないのか?」
後日ジェレミーは、小説を書いているかのファンが、ゴードン・ストレンジ・マースの使用ずみティーバッグとヘアブラシをネットオークションに出品しているのを知った。誰かが四二ドル六八セントで落札していた。ひどく薄気味悪いというほどではないが、ジェレミーはこの金額がまだ安いと感じている。だがむろん、これが適価なのだ。ジェレミーの父親はけちで有名で、お金にはひどく汚い。
ゴードン・ストレンジ・マースは、日本製の歌うトイレを買うのに、八〇〇〇ドル使ったことがある。ジェレミーの友人はそのトイレを気に入っている。ジェレミーの母親は赤いドレスを着た女の絵を持っている。その作者の名前をジェレミーは覚えられない。ジェレミーの父親がその絵を贈った。女は美しい。その女は、自分ではなく、見ている人間のほうが絵であるかのようにこちらをじっと見ている。その見ている相手が美しいかのように。女は片手にリンゴ、もう片手にナイフを持っている。ジェレミーは小さいころ、リンゴを食べる夢を見たものだ。明らかにその絵は、家全体やその中にある一切のものよりも高価だ。歌うトイレも含めて。だが、美術品とトイレを除けば、マース家はたいていの服を店で買う。
ジェレミーの父親は、クーポンを切り取って使う。
しかしその一方、ジェレミーが一二歳のころ両親にフロリダの野球キャンプに行きたいとせがんだとき、父親は同意した。ジェレミーの去年の誕生日、父親は何十ヤードのスターウォーズ模様の織物で張り換えたカウチをくれた。いい誕生日だった。
小説の執筆がうまくいっているときは、ゴードン・ストレンジ・マースは午前六時に目覚め、ドライブに出かける。巨大蟻に関する新しいプロットを考え出すとともに、捨てられたカウチを探し、ピックアップ・トラックの荷台に頑張って押し込む。その後は一日中小説を書いている。週末には安売りの布で拾ってきたカウチを張り換える。数年前、ジェレミーは家中のカウチを数えて回り、一四個のカウチと、八個のラブシートと、一個のぼろいラウンジチェアがあるのが分かった。数年前のことだ。以前ジェレミーは父親が二つのキャリアーを組み合わせて張り換え、巨大な蜘蛛を作る夢を見たことがある。
マース家のすべての部屋のすべての照明には一五分タイマーがセットされている。ジェレミーかその母親が部屋を出る際に電気を消し忘れるのに備えたものだ。そのせいで、めったにないことだが、マース家がディナー・パーティを催すときには、混乱が──そして時にはパニックが──起こる。
誰もが作家は金持ちだと考えがちだが、ジェレミーには自分の家族が金持ちの時は限られているように思える。それ以外の時には金持ちではない。
ゴードン・マースがゴードン・ストレンジ・マースの小説に必死で取り組んでいる時は、いつでも金の心配をしている。実際、自分はこの小説を書き上げられないのではないかと悩む。駄作になるのではないかと悩む。誰も買わなければ読みもしないのではないか、読んだ読者が金を返せと文句を言って来るのではないかと悩む。怒った読者がマース家の前に松明や棍棒を持って行列をなすのではないかといつも想像しているよ、と、ゴードンはジェレミーに話したことがある。
ゴードンが家で仕事をしなければ楽なのに、とジェレミーとその母親は思う。父親がそばにいて、水道料金の心配をしていると分かっていながら、シャワーを気楽に浴びるのは難しい。ゴードン・ストレンジ・マースの執筆中の小説について考えているのならともかく。その新作では、巨大な蜘蛛がかつて住みついていたゴルフコースに戻ってくるのだ。呪われたゴルフコースの九番ホールを取り巻く木の中に。そこで、哀れなプードルとその飼い主を溶かしたジュースをすすりながら、陰気な宴を催すのだ。
この間、ジェレミーは学校でシャワーを浴びる。体育の後に。あるいは友人の家に行く。そうすると母親がいやな顔をするのだけれど。ときどきはお父さんを無視するぐらいじゃないとだめよ、と母親は言う。母親は特にシャワーの時間が長い。浴槽にためる湯も多い。お父さんが水道料金の心配をしている時に浴槽の湯につかるほうが気持ちいいもの、と母親は主張する。ジェレミーの母親はSの気がある。
ジェレミーがシャワー好きなのは、立ったまま水に取り巻かれているのに、溺れる危険がまったくないからだ。しかも、スペイン語の宿題に頭を悩ませたり、お母さんは何であんなに心配そうなんだろうと考えたりしなくてもいい。その代わりに、こんなことを考えればよい。火星には水があるのかしらん。カールは毛を剃っているのかしらん。もしそうなら誰をだまそうとしているのかしらん。ジョージ・ワシントン像が、必死の血で血を洗う死闘の時にフォックスに言ったあの言葉の真意は何だろう。「おまえの前には長い旅路がある」そして、「すべてがこれにかかっているのだ」そしてフォックスは本当に死んだのかしらん?
フォックスがたばこ入れを掘り出し、注意深くティーポットのかけらからマグカップのかけらをより分けるのをワシントン像が手伝い、陶器の何百というかけらを貼り合わせ、ぼろぼろのティーポットをフォックスがウイング王子に戻すと、王子は一〇〇歳近くに見えた。そして、まだなくなったかけらがいくつかあるかのようだった。青ざめていた。フォックスを見ると、王子は更に青ざめた。目の前に立っているのを予期していなかったかのように。そして、巨大な剣を拾った。フォックスが王子のためにとっておいたものだ──熱狂的視聴者なら知っているこの剣は、巨大な古代の生物の歯を彫ったものだ。その生物は三階の魔法にかけられた地下の海で平穏無事に生きていた(ウイング王子が罠にかけられてそれを殺す羽目になる前のことである)──王子は、ジョージ・ワシントン像を串焼きにするかのように串刺しにし、木に突き刺した。フォックスの頭を蹴り、殴り倒し、カード・カタログに縛りつけた。フォックスの口に、片手一杯の苔と土を詰め込んだ。フォックスは何も話せなくなった。それから、フォックスが聖マーガレットを魔法で殺す計画を立てたと罵った。禁断の書よりも腹黒いと言った。フォックスの尾と耳を削ぎ、フォックスとともに母の秘密の館から盗み出した犬の頭の毒刃ナイフで、フォックスを切り裂いた。それからフォックスを放置した。カードカタログに縛りつけたままで。フォックスの脚はくじけ、血まみれで、美しい顔はだらんと垂れ下がった。王子はくしゃみをし(ウイング王子は剣技アレルギーである)、瓦礫の中に歩み去った。隠れ場所から司書たちがこっそり出てきた。フォックスの縄を解き、顔を拭いてやった。口もとに鏡を当てたが、鏡はきれいなままで、曇らなかった。
司書たちが木からウイング王子の巨大な剣を引き抜くと、ジョージ・ワシントン像はよろめき歩いて、フォックスを腕に抱き上げた。フォックスの尾と耳を、鳥の糞のついたライディング・コートの大きなポケットに入れた。フォックスを一七階下に運び、八階の魔法にかけられた好ましからざるスフィンクスの前を通り、三階の魔法にかけられた嵐の地下の海を通り、一階のもっとひどい魔法にかけられたチェックアウト・デスクの前を通った。そして、<自由民の世界樹ライブラリー>の金槌で整形された真鋳のドアをくぐった。どのエピソードでも、ライブラリーの中の人がその外に出たことはなかった。ライブラリーの中にはあらゆる物が豊富にある、普通の人が楽しむためには外に出ていかなければならないようなあらゆる物が。木や湖やグロットや野原や山や断崖(室内のものは言うに及ばない。むろん、書物などだ)。ライブラリーの外は、何もかもほこりっぽく、赤く、異質だ。まるでジョージ・ワシントンがフォックスをライブラリーから火星の表面に連れ出したようだ。

***

「ぼくは今すぐにでも冷たく素敵な<ユーフォリア>を探しに行ける」ジェレミーは言う。ジェレミーとカールは家に向かって歩いている。
<ユーフォリア>とは。図書館司書の活力源──<注意力が十分でなくなっている>ときの。<ライブラリー>では、しょっちゅう<ユーフォリア>のCMが流れる。実は誰も<ユーフォリア>が本当は何のためにあるのか知らない。アルコールなのかカフェイン飲料なのか、どんな味がするのか。毒があるのか、おいしいのか。有機飲料なのかどうか。ジェレミーを含めた全員が、ぜひ一度ユーフォリアを飲んでみたい。
「一つ質問していいかい?」カールが言う。
「なぜいつもそんなことを言うんだ?」ジェレミーは言う。「ぼくは何と言えばいい? なあ。君がぼくに質問してよくない場合が、あるって言うのか?」
「君とタリスに何があったんだ?」カールが言う。「キッチンで何を話したんだ?」カールの<注意力が十分>だったことがジェレミーには分かる。
「ぼくについての夢を見たというんだよ」不安げにジェレミーは言う。
「で、きみはタリスが好きなのか?」カールは言う。顎には生傷がある。カールは髭を剃ろうとしたんだなとジェレミーは確信する。「何でこんなこときくかっていうと、はじめぼくがタリスをどんなに好きだったか覚えてるかね?」
「ただ話をしただけだよ」ジェレミーは言う。「で、きみは髭を剃ったのか? きみの顔に毛が生えてるって知らなかったからさ。きみが髭を剃っていると思うと、ぼかぁ悲しいよ。カール、ぼくらが投票年齢に達してるとしたら、共和党に投票するようなもんだよ。あるいは音楽鑑賞の時間に、ぶほっと屁をこくようなもんだ」
「話をそらすんじゃない」カールは言う。「前にはいつ、きみとタリスは話したんだ?」
「ぼくらは一度、エリザベスが図書館から借りてきたダイアナ・ウィン・ジョーンズの本の話をした。エリザベスはうっかり本を風呂に落としてしまったんだ。ぼくから母に話してもらえるかどうか、知りたいということだった」ジェレミーは言う。「それから、リサイクルの話もしたよ」
「黙れよ、ジェルム」カールは言う。「ところで、エリザベスはどうなんだ? きみはエリザベスが好きだと思ってた!」
「誰がそんなこと言った?」ジェレミーは言う。カールはにらみつける。
「エイミーが言ってたよ」カールは言う。
「ぼくはエイミーに話したことはないよ、エリザベスが好きだなんて」ジェレミーは言う。エイミーは、ひどいおしゃべりなだけでなく、人の心も読めるようになったのか? 何と最悪の組み合わせだろう!
「違うよ」カールが我慢ならないように言う。「エリザベスがきみのことを好きだと、エイミーに話したのさ。だから、きみのほうも好きなんだろうとぼくが勝手に思っただけだ」
「エリザベスがぼくを好きだって?」ジェレミーは言う。
「明らかに、みんながきみのことを好きだよ」カールは言う。自分自身を哀れんでいるようだ。「きみのほうはどうなんだよ? きみだけがそんなに特別には見えない。鼻の形は変だし、髪も馬鹿っぽい」
「ありがとうよ、カール」ジェレミーは話題を変える。「フォックスは死んだと思うかい?」ジェレミーは言う。「永遠に?」足を速める。追い着くためにカールは小走りにならざるを得ない。今のところジェレミーはカールよりずっと背か高い。この状態が続く限りはそれを楽しんでやろう。カールのことはよく知っている。自分も背か伸びないのなら、ジェレミーの脚を膝で切断しかねないやつだ。
「あいつらは魔法を使うのさ」カールは言う。「さもなくば、すべて夢でしたとさ、というオチ。必ずフォックスを生き返らせる。もしほんとにフォックスを殺したりしたら、ぼくはぜってー許さないよ。それにな、もしきみがタリスを好きなら、ぜってー許さない。きみの考えてることは分かってる。きみは思ってる、ぼくが本気で発言していると思いこんではいるけれど、でもほんのひと押しすれば、ぼくはきみを許すはずだ、またもとどおりぼくらは友達だ、七年生の時のようにねって。でも、ぼくは許さない。きみは間違っているよ、ぼくらは二度と友達に戻れない、金輪際あり得ない」
ジェレミーは何も言わない。むろんジェレミーはタリスが好きだ。つい最近まで自分がどれだけタリスを好きか、分かっていなかった。今日までは。カールが口を開くまでは。ジェレミーはエリザベスも好きだ。だが、エリザベスとタリスをどうして比べられる? 無理だ。エリザベスはエリザベスだし、タリスはタリスなのだ。
「きみがタリスにキスしようとした時、タリスはきみを蛇挟みで殴ったっけなあ」ジェレミーは言う。エイミーの蛇挟みだった。きっと偶然だったろう。カールは、蛇挟みを持っている状態でキスしようとすべきではなかったんだ。
「ぼくの言ったことをよく肝に銘じておくんだな」カールは言う。「きみは好きになりたい相手を自由に好きになっていい。タリス以外なら誰でもな」
ライブラリーのテレビ放送が始まって二年になる。レギュラー番組ではない。同じ週に二回あることもあれば、一、二週間、まったく放送がないこともある。真夜中に新エピソードがいきなり放送されるのもしばしばだ。各チャンネルの番組表を精査するのに何時間も費やすインターネット上の大規模なコミュニティも存在する。放送があるぞという警告は本当であることもあるが、ガセであることもある。ファンたちは、各自の理論や、録画テープやファイルを交換する。あるいはファン日記を書く。エリザベスはパソコンの設定を調整して、信用のおける<ライブラリー>監視サイトが新作エピソードの放映を伝えた時には、「起きろ、エリザベス! テレビが始まるよ!」と叫ぶようにしてある。
<ライブラリー>は電波ジャック的なテレビ番組だ。ほとんどのチャンネルに一、二回は現れる。だが、たいていそれが現れるのは、ジェレミーが<幽霊チャンネル>と考えている種類のチャンネルだ。何も映らずじっと静止しているチャンネルだ。もっとも、何百チャンネルもあるケーブルテレビに会費を払っていれば別だけど。CMによる中断はあるが、<ユーフォリア>のような商品ばかり宣伝される。実在するブランドのようには思えない。本当に買える商品には見えない。たいていのCMは英語ですらない。それどころか、それと分かるどんな国の言葉でもない。効果音は意味のあるなしは別として、イマ風だけど。脳裏にこびりついて離れない。
<ライブラリー>のエピソードは定期的な放送予定がない。権利者表示もない。時には台詞すらもない。<ライブラリー>のあるエピソードなどは、カード・カタログの一番上の引出の中で起こる。漆黒の闇の中で、サブタイトルは全部モールス信号。それだけ。<ライブラリー>を発明したのは自分だと主張する者は誰もいない。出演俳優にインタビューした者もいない。セットや撮影スタッフやシナリオを見た者もいない。もっとも、あるドキュメントタッチのエピソードで、俳優がスタッフを撮影したことはあるけど、みんな頭に紙袋をかぶっていた。

***

ジェレミーが家に着くと、父親が夕食用に、シチュー鍋の上でピザを裏返している。
作家と会うと、大半はせいぜいがっかりするのがおちだ。官能スリラーを書いている作者自身が、官能的であったり、スリリングであったりする必要はない。それをいうなら、児童文学の作者は、むしろ会計士や、斧を持った殺人鬼のような顔をしている。ホラー作家が<キモイ>顔をしていることは滅多にない。それどころか、料理がうまいことが多い。
だが、ゴードン・ストレンジは<キモイ>顔をしている。細長い指──今はピザ・ソースでべたべたしている──は、ゴードンが偽のミドル・ネームに<ストレンジ(奇妙)>とつけた理由だ。白っぽい金髪を、執筆の最中ずっと、まっすぐ逆立つまで引っ張っている。まさか同じ家の中にいると思っていないような時に、突然近くに出現するという悪癖を持つ。目つきが異常に据わり、まばたきの回数が少ない。カールいわく、ゴードンに会うと、ゴードンは相手を巨大な蜘蛛の幼虫の中に束ねてくるんでしまおうとしているような目つきで見る。それは多分本当だろう。
本を読んでいる人間が、その作者は親として立派かどうかなんて頭を悩ませることはあるまい。そんなこと考えるわけがないだろう?
ゴードン・ストレンジ・マースは万引きが趣味だ。地元の本屋と、特殊で複雑な無言の密約を結んでいる。ゴードンの本ができるだけ売れるようサインをする代わりに、何も言わず本を万引きしてもいいことになっている。ジェレミーの母親がいずれやって来て、小切手を切るのだ。
ジェレミーの父親に対する感情は複雑だ。父親は変人でちっぽけな泥棒だ。でもジェレミーは父親を愛している。父親は滅多にジェレミーに怒ることがない。いつもジェレミーの人生を気にかけている。ジェレミーが相談すると、いつもおもしろい(混乱してはいるとしても)アドバイスをくれる。たとえば、エリザベスにキスすることについてきくと、父親は、エリザベスにキスする時に巨大蜘蛛の心配をする必要はないんだよ、などと言いそうだ。ジェレミーの父親のアドバイスは、いつも巨大蜘蛛と関係がある。
ジェレミーとカールが口をきいていなかったとき、関係修復してくれたのはジェレミーの父親だった。ジェレミーの父親はカールを罠にかけて、二人を自分の書斎に閉じ込めた。そして二人が再び話すまで、外に出さなかった。
「父さんの本について、いいことを考えついたよ」ジェレミーは言う。「サッカー場のゴールに蜘蛛が巣を張ったらどうだろう? しかも、試合の途中になるまでキーパーがそれに気付かなかったら? サッカーボールで蜘蛛を殺せるかな、すごく強く蹴れば? 爆発するかな? いや、こっちのほうがいいかも、蜘蛛が巨大な牙でサッカー・ボールを破裂させる。それもかっこいいね」
「母さんがガレージにいるよ」ゴードンはジェレミーに言う。「おまえと話がしたいそうだ」
「ああ」ジェレミーが言う。突然、タリスの夢の中のフォックスのことを考える。自分に電話しようとしている。自分に警告しようとしている。筋は通らないが、フォックスが死んだのは両親のせいのような気がする。両親が殺したかのような気分。「父さんのこと? 離婚するの?」
「知らんよ」父親は言う。肩をすくめる。顔をしかめる。ジェレミーの父親がよくする顔だ。でもいつもよりも悲しげで、罪悪感に打ちひしがれている。
「何をしたの?」ジェレミーは言う。「ウォルマートの万引きが見つかったの?」
「いいや」父親は言う。
「不倫?」
「いいや!」また父親は言う。今や嫌悪感を感じているようだ。自分に対してかジェレミーに対してか、それともそういうひどい質問をされたことに対してかは知らないけれど。「頭が混乱してるんだ。そっとしといてくれ」
「本の進み具合はどう?」ジェレミーは言う。父親の声には何かを蹴飛ばすような響きがあった。でも、必要な時に限って、巨大蜘蛛は現れないんだ。
「その話もしたくない」父親は言う。可能な限り、恥ずかしげな口調で。「母さんに言いなさい、あと五分で夕食の準備ができるって。夕食後には、わたしとお前とで、<ライブラリー>の新しいエピソードを見られるだろう。お前がそれをもう一〇〇〇回も見たのでなければね」
「父さんは結末を知ってるの? 母さんが言ったの? フォックスは──」
「何てことだ」父親が遮る。「フォックスは殺されたのか?」
それが作家であることに伴う問題だと、ジェレミーは知っている。どんなに大きな、驚くべきどんでん返しも、めったにどんでん返しには見えない。物語がどういうふうに進行するかを知っているから。

***

ジェレミーの母親は孤児だ。ジェレミーの父親によると、母親は獰猛なサイレント映画のスターたちによって育てられたらしい。それは真実だ。母親はハロルド・ロイドの映画のヒロインが抜け出したように見える。母親は、一見乱れた服装をしている。まるで誰かが電車の線路に縛り付けたあと、また解いたかのようだ。母親は(父親が<ストレンジ>を名乗って最初の小説を売る前に)父親とニュージャージーのショッピングモールのフードコートで出会ったが、相手が作家だということも、万引きが趣味だということも知る前から恋に落ちた。結婚する前には、ゴードンの小説を読んだことがなかった。それは父親のほうに言わせれば、典型的なずるい行動なのだが。

ジェレミーの母親はホラー小説を読まない。幽霊話、説明できない現象、非常に技術的な説明を要するタイプの現象を好まない。たとえば、超短波とか、飛行機とか。ハロウィーンも嫌いだ。ハロウィーン・キャンディすら嫌いだ。ジェレミーの父親は自作のスペシャル・エディションを贈ったが、恐い部分はページを糊で貼りつけて読めないようにしてあった。
ジェレミーの母親はどちらかといえば静かなことが多い。名前はアリスで、時々ジェレミーは自分の知る最も静かな二人の人物の名前がアリスとタリスであることについて考える。だが母親とタリスの静かさは種類が違う。母親は何かを隠して秘密にしている感じだ。タリスは自分自身が秘密のような感じだ。母親はたやすく自分が秘密工作員であることを明かしてしまいそうなタイプ。タリスは自分自身が殺人光線、不死への鍵、あるいは秘密工作員が秘密にしようとするその他ありとあらゆるもの。タリスと歩くのは、一〇代のブラックホールと歩くようなものだ。
母親はガレージの床に座っている。大きな段ボール箱の横に。手に写真のアルバム。ジェレミーは横に座る。
壁の上の猫の写真だ。ぼんやりと見えるのは、鯨、飛行船、あるいはパン一切れに似た何か。女の横に座っている小さな娘の写真。女は毛皮の襟をまとい、鋭く小さな口、四本の脚を持ち、背が高い。ジェレミーは突然胸の痛みを覚える。フォックスは、ジェレミーが愛する人の中で初めて死んだ人物だ。でも、実在しない。写真の幼い娘は、まったくうつろな表情だ。誰かに金槌で殴られたような顔。カメラの後ろの人物がこう言っているようだ。「笑って! きみの両親はもう死んだんだから」
「クレオ」母親が女を指さして言う。「これはクレオ。わたしの母の伯母よ。ロサンゼルスに住んでいた。両親が死んだ時、いっしょに暮らすことになったの。わたしは四歳だった。クレオの話を一度もしなかったことは分かってる。何を言っていいやら、見当がつかなかったから」
ジェレミーは言う。「いい人だったの?」
母親は言う。「いい人であろうとしていたわ。小さな女の子を<鞍に乗せられる>なんて思っていなかったでしょ。<鞍に乗せられる(サドル)>。変な言葉ね。まるで馬みたい。わたしを誰かが乗せて、二度と離れなくなるみたい。大伯母はわたしに洋服を買うのを楽しみにしていたわ。洋服が好きでねえ。幸福な人生ではなかった。大酒飲みだった。午後には映画を見に行き、夕方には降霊会に行くのが好きだった。彼氏が何人かいたわ。中には悪いやつもいた。一番好きになった相手は早死にの悪党で、そいつが死んでから、大伯母は一度も結婚しなかった。いつも言っていたわ。結婚なんて冗談よ。人生はもっと大掛かりな冗談。自分にユーモアのセンスがないのは本当に不幸だって。だから、大伯母が晩年に結婚式場の教会を経営していたなんて不思議に思えるわ」
ジェレミーは母親を見る。半分笑い、半分顔をしかめ、まるで胃が痛いような顔をしている。「一六のときわたしは家出した。それ以来二度と会っていない。一度手紙をもらったけど。お父さんの出版社のことを気にかけていた。父さんの本は全部読んだ、そしてわたしを見つけたんだって。たぶん父さんがわたしに献辞を贈ったからね。わたしが幸せだと願っている、わたしのことを心配しているって書いてあった。返事を書いたわ。あなたの写真も同封した。でもその返事はこなかった。<ライブラリー>のエピソードみたいじゃない?」
ジェレミーは言う。「そんな話をぼくにしたかったの? 母さんはぼくに話があるって父さんに聞いたんだけど」
「まだ話の一部よ」母親は言う。「わたしはラスベガスに行かなきゃならない。この結婚式場の教会について、調べたいことがあるのよ。<地獄の鐘>っていうこの教会について。あなたもいっしょに来て欲しいの」
「ぼくにそれをききたかったの?」ジェレミーは言う。でもほかに何かあるのは分かっている。母親はまだあの半分悲しい微笑を浮かべているのだ。
「ジェルム」母親は言う。「わたしが父さんを愛しているのは知ってるわね?」
「どうして?」ジェレミーは言う。「父さんは何をしたの?」
母親はアルバムのページをぱらぱらめくる。「見てご覧」母親は言う。「これ、あなたが生まれたときの写真よ」写真の中で、父親がジェレミーを抱いている。まるで誰かが魔法にかかった陶器のティーポットを手渡そうとしているようだ。ジェレミーの父親はにこっと笑っている。だが、脅えているようにも見える。子供のように見える。すっかり怯えきった子供に。
「父さんは教えてくれないよ」ジェレミーは言う。「だから、よっぽど悪いことなんだろう。もし父さんと母さんが離婚したら、母さんはその先をぼくに話すべきだよ」
「わたしたちは離婚するわけじゃないわ」母親は言う。「でも、あなたとわたしがラスベガスに行くのはきっといいことよ。そこに数ヶ月滞在して、遺産の整理をするの。クレオの財産を管理するのよ。先生にはわたしから話すわ。図書館には言ってある。楽しい冒険だと思ってちょうだい」
母親はジェレミーの顔の表情を見る。「あら、ごめんね。本当に馬鹿なことを言ったわね。これが冒険なんかじゃないって分かってるけど」
「ぼく、行きたくない」ジェレミーは言う。「友達がみんなこっちにいるし! 友達をただおいていくのは嫌だ。そんなのひどいよ!」そう言いつつ、想像しうる限り最悪の事態に対する心の準備をした。母親との会話は以前から想像していた、母親がおぞましい秘密を告白し、ジェレミーの想像の中で、ジェレミーは理性的に落ち着いていた。想像上の両親は泣き、分かってくれと懇願する。想像上のジェレミーは、理解する。自分がすべてを理解するさまを想像する。だが今、母の話をきいていると、ジェレミーの心臓のどきどきは速くなる。肺が空気でいっぱいになる。まるで走っているときみたいだ。汗をかき始める。ガレージの床は冷たいのに。天体望遠鏡を持って屋根のてっぺんに座っていられればいいのにと思う。裸眼では見えない彗星が見えるだろう。すごい速さで天を駆け抜けるのだ。そして、地球に向かって落ちてくる。フォックスは死んだ。自分が知っている人はみな死ぬ運命だ。こんな風に考えつつも、自分が過剰反応しているのが分かる。でもそれが分かったところで何にもならない。
「ひどいことだと分かってるわよ」母親は言う。母親は<ひどい>ことに関しては、何がしかのことを知っている。
「じゃあ、どうしてぼくはここにいちゃいけないの?」ジェレミーは言う。「母さんがひとりでラスベガスに行って、財産の整理をしてくればいいよ。ぼくは父さんとここに残る。なぜここにいちゃいけないの?」
「父さんがあなたを本の中に閉じ込めるからよ!」母親は言う。言葉を吐き出す。母親がそんなに怒るのを見たことがない。絶対に怒らない人なのだ。「自分の本の中の一冊に、あなたを入れてしまうの! わたしが仕事場にいるとき、原稿が机の上にあったわ。そこにあなたの名前が書いてあった、わたしは拾って読み始めたの」
「それがどうしたの?」ジェレミーは言う。「父さんは前にもぼくを本の中に登場させたよ。ぼくが言ったこととかさ。ぼくが八歳のころ、熱病にかかって、木立の中にパーティーハットをかぶった死人がいっぱいいると父さんに語ったこととかさ。ぼくが間違って父さんの仕事場に火をつけたこととかさ」
「そういうことじゃないの」母親は言う。「あなたよ。あなた。父さんはあなたの名前はまだ変えていない。本の中の少年は、ハードル競走を走り、ロケット科学者になりたがっている。火星に行きたがっている。可愛らしい、面白い、魅力的な子よ。一番の親友のエリザベスは、この子に恋をしている。この子は、あなたと同じように話し、同じようなルックスで、最後には死んでしまうのよ、ジェレミー。脳腫瘍を患って、死んでしまうの。死ぬのよ。巨大な蜘蛛なんて出てこない。ただあなたが出てくるだけ、そしてあなたは死ぬの」
ジェレミーは黙る。父親が、ジェレミーという名の少年が死ぬ場面を本の中で書き、泣いているさまを想像する。ジェレミーという子供、ジェレミーというキャラクターが死ぬのを想像する。悲惨な、哀れな子供。いまやジェレミーとフォックスは共通点を持った。二人とも作られた人間だ。二人とも死ぬ。
「エリザベスがぼくに恋をしているって?」ジェレミーは言う。一般論としては、ジェレミーはカールが言うことを信じない