SF百科図鑑

コニー・ウィリス『ドゥームズデイ・ブック』

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1999年

11/28
ジャパンカップ、わざわざ見に行ったのにスペシャルウィークだなんて。
府中とは相性が悪く、見に行って当たったためしがないのだが、今回も、いちばん来てほしくなかったスペシャルが楽勝しやがり、2着がインディジェナスで2万馬券。インディはモンジューとの組み合わせしか買ってねーよ!(当然だ、スペシャルなんて一点も買ってない)
(略)
くっそー、スペシャル今年G1を3勝だって? 全く頭に来る。しかも、JCはブライトもセイウンも、4歳三強もグラスもエルコンドルも出ていないではないか。こんな空き巣のようなメンバーで、しかも調整不十分の外国馬相手にJC制覇でG1年間3勝というのでは全く頭に来るよ。有馬では絶対、馬群に沈んでくれ!
マンデイ満ちるのoptimistaとサンタナの古いやつ買う。サンタナの例の曲は5週連続1位とか。こりゃ、年間も上位に来るな。(しかし、アルバムは、あの曲だけずば抜けて良くて、後はいまいちだなぁ。)
マンデイは普通だった。
帰ってからテープ編集。

寝る前ドゥームズデイ読み進める。半分近くまで来ると結構かったるくなるな、早く「犬」読みたくて急いでるんだけど。頑張ろう。しかしハードカバーは重くて鞄に入れられないのが痛い。
英語、シソーラスつぶし始めたはいいけれど結構めんどくさくなってきた。(略)。
原書、最初は訳さず素読みするつもりだったが、やっぱり訳さないと、大して面白くない本の場合は興味が持続しない。「ミラーダンス」もシリーズの前のを読んでいない分、いきなり女が出てきて求婚を断ったり、クローンの兄の話が出てきたりと、話の脈絡がつかめず困る。訳しながら読もう。
ドゥームズデイ、中盤のかったるさは、要するに、パニック小説な書き込みをし過ぎて、しかも不必要にコメディタッチになっているので、SF的な思弁性が影を潜めているためだ。「SFでなくてもできること」「SFとして書く必然性が&&」と非難されるのはこういうところによるのだろう。
正直言って、結構先を読むのがつらくなってきた。


2000年

2/1

「ドゥームズデイ」ほんとにかったるい。女の書くSFってどうしてこうちまちました話が多いんだろう。結局、綺麗にまとまった予定調和の話で終わってしまうのかな。スマートだけど凄みがないんだよね。


2001年

4/18
「スノウクラッシュ」ついに文庫化! 表紙絵最高、即買い。直ぐにでも読みたいけど後の楽しみにとっておくのだ、「ダイヤモンドエイジ」の前に読むっちゃ。

で、例によって面白くなさそうなものから優先的に読む。まずは何としても「ドゥームズデイブック」と「レッドマーズ」を突破せねば。はっきりいってどっちもディテールにかまけ過ぎて面白くない上、ぶん投げて1、2年たっているため登場人物の誰が誰か全く忘れておりなおさら面白くない。この状況から挽回するのは結構大変だ。

で、とりあえず持ち運び不便な「ドゥームズデイ」を先に読むほうが労力(腕力)を節約できるので、今週中に絶対読み終わる予定。

で、今までの内容を少しおさらいしてみたい。
確か、キヴリンというのが歴史学科の学生で、タイムマシンで中世イギリス(ペスト大流行の少し前)に送り込まれるが、そこで盗賊に襲われ、助けられたものの原因不明に熱病にかかり寝込んでしまう。まもなく回復するが、送り込まれた地点がどこにあるかわからない。いったん過去に送り込まれると、現在と過去の時間はリアルタイムで進行するため、2週間後に元の地点で待機していなければ現代に戻れない。他方、現代では、キヴリンを中世に送る際、データ解析を行った学生?が熱病で寝込んでしまう。そしてこの地域に同様の熱病が大流行し、この地域は隔離されてしまう。ダンワーシイは、キヴリンを救うため誤差がどの程度なのかを確認しようと右往左往する。しかし、隔離されているため連絡を取り合うのにも四苦八苦し、ついにこの熱病で死者が出るに及んで・・・。
というような内容です。
とにかくディテールの書き込みにうんざりする(笑)。メインプロットは50ページの短編で表現できてしまうと思うが、それを、中世の家庭の描写に異常に労力を費やし、また現在の疫病によるパニックに異常に筆を費やし、というような感じでやるので話の進行がとにかく遅くて疲れてしまう。で、いったん中断するともう登場人物の誰が誰だかわからない。キヴリンとダンワーシイ以外の人物は全く印象に残らないので、しばらく出てこないともうわからなくなってしまう。要するに人間が描けていないんではなかろうか(笑)。
しかしいちばんつらいのは、キリスト教、教会、といったものの描写が異常に執拗で退屈だということではなかろうか。キリスト教に知識も興味もない者にはこれはつらい。だからこの作品は日本で人気がないのではなかろうか。
というわけですんげえつらいけど、我慢して読みたいと思います。この後面白くなるんだろうか? とにかくSF性があまりプロットに感じられない内容なので、けっこうつらいです。いまやっと350ページ、頑張っても1日50~100ページしか進まない。英語のほうが早く読めるのではというぐらい、読みにくいです。訳文がこなれ過ぎているせいではないだろうか。うう、あと250ページも残っている。超うんざり。

21
現在
12月28日 死者2人。
人物
ラティマー キヴリンの指導教授。
メアリ
ダンワーシイ
フィンチ
ウィリアム
バードリ
ギルクリスト
アンドルーズ
モントーヤ 考古学者。
ディアドリ メアリの姪。
コリン ディアドリの息子。
ベイジンゲーム 史学部長。

用語
一時隔離者

4/19朝
「ドゥームズデイ」頑張ったのだがあまりに面白くなくてノルマの半分も行かず途中で寝てしまった。無理やり興味を喚起しようと用語/人物表を作ったり、疑問点や要点を書き込みしたり、随時この日記をつけたり涙ぐましい努力をしているのに。まさに地獄だ。これが「人物描写が素晴らしい」とほめられているなんて信じられない。どうかしちゃったんじゃないの?という感じである。まだ400ページにも達していない。昨日読んだページ数は30ページほど。1日でこの進み具合では残り230ページを読み終わるのに1週間以上かかることになる。ディクスンの「巡礼の道」なんて英語の本の大判で500ページ以上あるのに1週間で読み終わったことを考えると、英語だろうが日本語だろうが要は内容の面白さで読むスピードは決まるということで、日本語だから英語より速く読めるとは限らないということである。この「ドゥームズデイ」など、面白くなさ過ぎて英語より読むのに時間がかかる本の典型である。むしろ、この本、英語で読んだほうが速く読めるかも知れない。例えば「フィックス」といった訳語、日本語だとわけがわからないが、英語でfixと書いてあれば前後の文脈で意味がわかるし、英語だと積極的に意味を掴もうとする分印象に残り易く読み落としが少ないという利点もある。訳文がとにかく要領よくこなれ過ぎていて、字面を追うのが易しい反面、かえって平凡な文章でほとんど印象に残らないというか、文章自体に魅力がないのである。淡々とし過ぎていて香気がないというか。これも大森の力量か。浅薄なキャラクターが滲み出ているというか・・・。つらいっす。読むほうとしては。
とにかく、もう、無駄に長い本はノーサンキューです。うああって感じ。
この部を読み終わったら残りの200ページは原書に切り替えようかとすら思っています。英語で読めば、いくら内容が面白くないとはいえ、少なくとも単語を調べる楽しみがある(また、日本語で「言う」「走る」となっていても、英語だと、違う単語の使い分けを楽しめる)ので、未だしも退屈せずにすむと思いますし。それにしても、単語を調べながら読む英語より読むのに時間のかかる日本語って、いったいどんな日本語だって感じですよね。全く頭に来ます。
しかし、女流の長編って、どういうわけかつらいものが多い。冗長なんだよね、とにかく。無意味なディテールの書き込みが多い割には突っ込みが浅いという。知的にエキサイティングでない。ゆえに退屈。短編ではいい方向に出る女性的な感性が、長編だとマイナスに働く。長編向きと積極的に評価できるのは未だかつてルグィンただ一人です。
あまりにも頭に来て、出勤前に風呂に入るのも惜しんで愚痴を書き連ねてしまった。夢でうなされて早く起きてしまったし(笑)。にっくきドゥームズデイ、である。

そうそう、3件ほどいいアイデアのでなかった件があったが、(略)。

4/20
ドゥームズデイ、とうとう第3の書から原書に切り替える。原書だと場面場面がかえって印象に残ります。ダンワーシイがとうとうぶっ倒れてしまいます。雨の中を走り回って、研究室に入り込んだものの、ギルクリストがネットの電源を切っていたためにキヴリンとのフィックスが失われてしまいます。他方キヴリンは、1348年にいることに気づき、ペストが広まらないようにと必死になります。しかしとうとう家族にも患者が出てしまいます。大森の翻訳がこなれ過ぎていて、原文の軽い文体と重い内容の微妙なニュアンスが伝わってこないのですね。絶対原書で読んだほうがよいです。原書に切り替えたとたんに好感度が上がりました。テーマ的には「見張り」と同じで、歴史上の悲劇を手を拱いて見ていなければならない悲哀が、軽い文体とユーモアでいなしながらもストレートに伝わってくる作品です。ただし、ヨーロッパ史やキリスト教になじみの薄い日本では評価が割引きになるのは、仕方のないところでしょう。14世紀のイギリスの農村風景なんて、われわれにはイメージ湧きませんもんね。
さて、今日はこれから喫茶店で最後まで読み、ついでにレッドマーズも下巻に入る予定。レッドマーズはよく読むと異色作品なんですね。技術的ハードSFの衣をまとってはいても、ロビンスンは生っ粋の文系SF作家。文体や内容に彼の短編にも通じる濃密な文学的雰囲気が感じられます。何というミスマッチ。題材はクラーク的なのに。ということで異質なものの絶妙の結合という点でこの作品の評価は高いのではないでしょうか。お見それしました。じわじわと作品世界に引き込まれていきそうです。

4/21
ウィリス「ドゥームズデイブック」★★★★1/2
第3部の出来は完璧。第2部が引っぱり過ぎなのが惜しい。これがなければ満点だった。うっとうしいと思っていたクリスマス鳴鐘隊の描写もこのラストの盛り上がりの伏線だった。すけこましのウィリアム、病院の婦長といった笑えるサイドキャラクターも効果的に使われている。助かると思っていたロズムンドやローシュ親父まで死んでしまう場面は泣けます。ダンワーシイが病をおして乗り込んでくる場面の山積みの死体の描写もリアル。SF性は時間旅行の一点のみで確かに思弁性や認識の変革といった要素はなく、そういう意味で薄味なのがわが国で受けの悪い理由なのは「見張り」でも言及したとおりだが、しかし、その道具立てを効果的に用いて、中世のペスト流行を最もリアルに現代小説のごとく描出し、持てる小説技法を駆使して、ラストの感動に向けて徐々に盛り上げながら人間性の極限を描き尽くそうとした文学的野心作である。テーマは文学的であるが、SFの手法なくしてはここまで効果的に目的を遂げることはできなかったという意味ではSFならではの作品であることは間違いない(例えば、単なる中世を舞台にした歴史小説として書かれていれば、ここまでの迫真性は持ち得なかったであろう)。よきにつけ悪しきにつけ、SFの新しい形を示す問題作と言えるだろう。映画化向きの話ですしね、アメリカで受けたのはよくわかります。
やはりウィリスは、最後まで読まずに軽はずみな批評はできませんね。一筋縄で行かない。というわけでさっそく、シリーズ最新作の「犬についてはいうまでもなく」に入りまーす。ロビンスンの火星3部作と並行して。

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