SF百科図鑑

壁の中の狼 The Wolves in the Walls ニール・ゲイマン

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壁の中の狼 The Wolves in the Walls ニール・ゲイマン

ルーシーは家の中を歩き回った。
家の中はすべてが静まり返っていた。
母親は自家製ジャムを瓶に詰めていた。
父親は仕事に出かけている。チューバを吹くのだ。
弟は居間でテレビゲームをやっていた。
ルーシーは物音を聞いた。
物音は壁の中から聞こえてくる。
忙しく押し合いへしあいしているような音。
かさこそ、かさこそ、という音。
こそこそ這い回り、ぺしゃんこになっているような音。
ルーシーは、大きな古い家の壁の中でそういう音を立てるのが何か知っていた。だから母親のところへ行って、こう言った。「壁に狼がいるよ」ルーシーは母親に言った。「音が聞こえるもん」
「いいえ」母親は言った。「壁の中に狼なんていません。きっと鼠の音を聞いたんだと思うわ」
「だって狼だもん」ルーシーは言った。
「絶対狼じゃないわ」母親は言った。「だって、知ってるでしょ、言い伝えによると──もし壁の中から狼が出てきたら、それはおしまいだって」
「何がおしまいになるの?」ルーシーはきいた。
「それよ」母親は言った。「みんな知ってるわ」
ルーシーは豚のぬいぐるみを拾った。それはルーシーがすごく小さいころから持っていたものだ。
「鼠のような音じゃなかったと思うわ」ルーシーはぬいぐるみに言った。
すべてが静まり返った真夜中、ルーシーは、爪で引っかいて噛み、かじり、争うような音を聞いた。
壁の中の狼が、狼らしい陰謀を練り、狼らしい計画を温めている音を聞いた。
昼間には、自分に注がれる視線を感じた。その目は、壁の割れ目や穴から覗いているのだ。
人物画の目から覗いているのだ。
ルーシーは父親のところへ行って話した。「壁の中に狼がいるの」
「そんなものいないと思うよ、かわいこちゃん」父親はルーシーに言った。「おまえは、想像力が過敏すぎるんだ。たぶんお前の聞いた物音は、鼠の音だよ。こういう大きな古い家には、時々鼠がいるんだ」
「狼だもん」ルーシーは言った。「わたしのおなかに感じるもん。それに豚のぬいぐるみも、狼だと思ってるわ」
「おやおや、お前はぬいぐるみと話せるのかい──」父親はそう話し始めてから、こう言った。「どうしてわたしはお前に、人形に話しかけろと言おうとしてるんだろう? ただの人形なのに」
ルーシーは、豚のぬいぐるみが怒り出さないように、その頭を軽く叩いてやった。
「とにかく、狼についての言い伝えを知っているだろう」父親は言った。「もし狼が壁から出てきたら、それはおしまいだ」
「誰が言ってるの?」ルーシーがきいた。
「人々だ。みんなだ。知っているだろう」父親は言った。そしてチューバの練習に戻った。
ルーシーが再び物音を聞いたとき、絵を描いていた。壁の中で、押し合いへし合いしながら、四方八方をうろつき、かさこそという音をさせていた。
「壁の中に狼がいるよ」ルーシーは弟に言った。
「こうもりだよ!」弟は言った。
「壁の中にいるのは、こうもりだと思う?」ルーシーはきいた。
「違うよ」弟は言った。「姉ちゃんがこうもりだ!」
弟は自分のジョークに長い間笑っていた。でも大して面白いジョークじゃなかった。
「わたしはこうもりじゃないわ」ルーシーは言った。「壁の中に狼がいるってこと、教えてあげるわ」
「第一に、世界のこの地域には狼はいないんだよ」弟は言った。「第二に、壁の中に狼は住まない。鼠やこうもりのようなものだけだ。第三に、もし狼が壁から出てきたら、それはおしまいだ」
「誰が言ってるの?」ルーシーはきいた。
「学校でウィルソンさんが」弟は言った。「ウィルソンさんは、狼やいろんなことを教えてくれる」
「ウィルソンさんはどれぐらい物知りなの?」ルーシーはきいた。
「みんなが知ってることだよ」弟は言って、自分の宿題に戻った。
翌日、音は大きくなった。
「あの鼠をなんとかしないとねえ」母親が言った。
「うるさい鼠だ!」父親が言った。「朝になったら業者を呼んで、何とかしてもらおう」
「こうもりだよ、ぼく知ってるよ!」弟が楽しそうに言った。「確認のために、ぼくは今夜首を出して寝るよ。その一匹が吸血こうもりかも知れないからね。もしそいつがぼくを噛んだら、ぼくは飛んで、棺桶の中で眠れるし、二度と昼間に学校へ行かなくていい」
だがルーシーはそれが鼠やこうもりとは思わなかった。この悲しい無視の態度に対して、首を振った。そして歯を磨き、父母にキスをし、ベッドに入った。
その夜、家は物音がしなかった。
「いやだわ」ルーシーは豚のぬいぐるみに言った。「静か過ぎるわ!」
だがすぐにルーシーは目を閉じ、ぐっすり寝入った。
真夜中に、吠える声、悲しい鳴き声、どすんばたんとぶつかる音が聞こえた。そして──

──狼が 壁から 出てきた。

「まあ、なんてこと!」ルーシーの母親が叫んだ。
「狼が壁から出てきた!」ルーシーの父親が叫んで、ルーシーを抱き上げ、ルーシーと最高のチューバを抱えて、階段を駆け降りた。
「おしまいだ!」弟がその横の階段を飛び降りながら叫んだ。
家族は裏口から庭に出た。
そしてその夜は庭のふもとで身を寄せあった。
家のすべての部屋の電気がついていた。
家に戻ると、狼たちがテレビを見、家族の食料庫から食べ物を出して食べ、階段を上り下りしながら狼のダンスを踊っているのが分かった。
「北極に行って生活しなければならんな」父親が言った。「そこの家は氷と雪の壁でできていて、何百キロもの間に、北極熊とアザラシしかいないのだ。壁から狼が出てきたら、他にできることはないよ」
「ふんっ!」ルーシーは言った。
「サハラ沙漠に行って生活しないといけないわ」母親が言った。「壁は色のついた絹のテントで、熱風にはためいて、何千キロもの間に、ラクダと沙漠の狐しかいないのよ」
「いーだ!」ルーシーは言った。
「僕たちは宇宙に行って生活しないと」弟が言った。「金属の壁とちかちか点滅する照明のついた軌道宇宙ステーションに住めるよ。何十億キロの間、フーズルとスコサックしかいないんだよ」
「フーズルとスコサックって何よ?」ルーシーがきいた。
「宇宙の生き物だ」弟は言った。「脚がたくさんある。スコサックは別だけど。脚が全くないから。でもとても友好的なんだ」
「自分の家以外に住むのは絶対いや!」ルーシーは言った。「それに、豚のぬいぐるみ忘れてきたし!」
「どこかに引越したら、新しいの買って上げるわよ」母親が言った。「さあ、眠りましょう」
庭のふもとは肌寒く、ルーシーはぬいぐるみの豚が恋しかった。
「あの子は、家の中に独りぼっちで狼といるんだわ」ルーシーは思った。「きっとあいつら、あの子にひどいことをするわ」
そこでルーシーは鼠よりもおとなしく庭を這いあがり、後ろの階段をのぼり、裏口から家に入った。
ルーシーは家の裏口の小さなホールに立っていた。すると狼が階段を下ってくる音が聞こえた。
狼たちはテレビの前でトーストにジャムを塗って食べており、追加を取りに戻ってきたのだ。
ルーシーはどこに行けばいい?
何ができる?
こうもりの羽根の羽ばたきのようにすばやく、ルーシーは壁に滑りこんだ。
そして家の内側を這い回った。階下から中央を通り、自分の寝室の壁に入りこんだ。
何よりも太った巨大な狼が、ルーシーのベッドで寝ていた。
二本の後ろ肢と、片方の耳と、尻尾の先に靴下を穿いている。
そしてすごく大きないびきをかいている。
ルーシーはベッドの上にかかった絵を押し開け、下に降りた──
注意深く──
静かに──
そして床から豚のぬいぐるみを拾い、抱いてやった。
「ぐおー んがー」熟睡している狼がいびきをかく。
影のように静かに、ルーシーは古い人形の家の上に乗り、そこから箪笥の上に乗り、そこから暖炉の上に乗り、絵の後ろにもぐり、壁の中に戻った。
「壁の中はちょっと居心地がいいわね」ルーシーは思った。
「あなたのこと、とても心配だったのよ!」ルーシーは豚のぬいぐるみに言い、とても強く抱きしめた。
壁の中を這い回って、ルーシーは庭に戻った。
「どこに行ってたの?」家族がきいた。
「戻って、豚のぬいぐるみを取ってこなくちゃいけなかったの」ルーシーは言った。
「新しいのを買ってあげると言ったじゃない」母親が言った。「ピンクで新しくて、灰色にならないのを」
「だから、あたしの豚のぬいぐるみを取りに戻ったのよ」ルーシーは言った。
そして、ぬいぐるみを抱きしめて眠った。
翌朝、ルーシーの母親は仕事に行き、弟は学校に行き、ルーシーと父親は庭の下で座っていた。
父親はチューバの練習をし、旅行ガイドブックを読んだ。
「僕たちは沙漠の島に行って生活できる」父親はその夕べ中ずっと、そう話していた(夕食を食べながら。夕食は、母親が仕事帰りに買ってきた、ハンバーガーと、フレンチフライと、中がすごく辛い小さなアップルパイだった)。「僕たちは海の真ん中の島で、草の壁の草の小屋で生活できるよ。島には山羊しかいないし、海には魚しかいない」
「私たちは熱気球で生活できるわ」母親が言った。
「僕たちはすごく高い樹の上の樹の家で生活できるよ」弟が言った。
「家に帰って生活することもできるわ」ルーシーが言った。
「なんだと?」父親が言った。
「なんですって?」母親が言った。
「なんだって?」弟が言った。
「何と?」庭仕事を手伝うためたまたま来ていたマレーシア女王が言った。
「えーとね」ルーシーが言った。「家の壁にはたくさんの空間があるの。そして、そこは少なくとも寒くないわ」
「狼はどうするんだ?」父親がきいた。
「家の中にいるわ」ルーシーは言った。「壁にはいない」
ルーシーの母親と父親と弟は、うなって眉をしかめた。でも、誰ももう一晩庭の下で眠りたくはなかった。
小屋の中で眠ろうとしたが、芝刈り機と大黄の肥料の匂いが強烈だった。
だから、みんなで階段を這い登った──
裏口から──
裏のホールへ──
壁の中へ。
「すごく静かにしないとね」ルーシーは言った。
だが狼が大きな音を立てるので、誰にも聞こえなかった。
家族は家の壁の中を這い回り、肖像画の目の穴や物の割れ目から覗いた。
テレビを見てポップコーンを食べている狼たちがいた。
テレビのボリュームを最大限に上げていた。そして、床中にポップコーンをこぼし、ポップコーンは、食べかけのジャム・トーストにくっついた。
階段を駆け上る狼がいた。
欄干を滑り降りる狼がいた。
狼の中には、家族の一張羅の服を着ているものもおり、尻尾を出すため後ろに穴を開けていた。
真夜中に家族は目覚めた。狼がパーティをしているのだ。
歌い、踊り、ジョークを飛ばしている。
狼の一匹が弟のテレビゲームをやっている。そして、すべてのハイスコアの記録を破っていた。
狼の群の中で最も若い二匹が、ルーシーの母親の作った自家製ジャムの瓶に頭を突っ込み、ジャムを瓶から直接食べては、ジャムを壁中に塗りたくった。
最も大きく太った狼は、父親の二番目にいいチューバで、古い狼のメロディを吹いていた。
「わたしのジャムが! わたしの壁が!」母親が言った。
「ぼくのテレビゲームのハイスコアが!」弟が言った。
「ぼくの二番目にいいチューバが!」父親が言った。
「いいわ。もうたくさん」ルーシーが言った。
壁には十分な空間はなく、古い壊れた椅子があるだけだった。
ルーシーは椅子の脚を拾った。
「同じく、こんな狼はもうたくさん」父親が、母親が、弟が、言った。
家族一人一人が、壊れた椅子の脚を拾った。
「準備はいい?」母親が言った。
「いいとも」他の全員が言った。
そして──
「あひゃー!」狼たちは吠えた。「人間が壁から出てきたぞ!」
「人間が壁から出てきたら、おしまいだ!」いちばん大きく太った狼が、チューバを脇に放り出して叫んだ。
狼たちは家中を走り回り、一番大事な持ち物をかき集めた。
「逃げろー!」狼たちは叫んだ。
「逃げろ! 逃げろ! 逃げろ! 人間が壁から出てきたりしたら、おしまいなんだ!」
狼たちは階段を駆け下り、お互いに体をぶつけてよろめきながら先を急いで走り、家から外に逃げ去った。
「いったい、誰が考えたんだ、こんなこと?」狼の一匹がぼやいた。
そして狼たちは走り、走り、走り、走り、真夜中に人間が壁から飛び出してほーほー叫び、人間の歌を歌いながら、椅子の脚を振り回すことの絶対なさそうな場所に着くまでは、走るのをやめなかった。
狼たちが北極に行ったのか、砂漠に行ったのか、宇宙に行ったのか、全く違う場所に行ったのかは、誰も知らない。
だがその日から今日まで、あの狼たちは二度と目撃されていない。
家を狼たちが壁から出てくる前の状態に近いものに戻すための掃除には、数日を要した。
だが結局すべてが前の状態に戻った。ひどいジャムのダメージをこうむった父親の二番目にいいチューバを除いては。
そこで父親は二番目にいいチューバを売り、前から欲しかったスーザフォンに買い換えた。
そしてすべてが原状に復した──
そしてルーシーが何かおかしなことに気づいた。
ルーシーは、古い家の中で、かさこそいい、引っかき、押し合い、きいきいいう音を聞いた、そして、ある夜──
──ルーシーは、まさしく、象がくしゃみをしようとしているような音を聞いた。
ルーシーは豚のぬいぐるみを取りに行った。
「他の人に言ったほうがいいと思う?」ルーシーは言った。「この家の壁の中に象が住んでいることを」
「絶対すぐにばれることよ」豚のぬいぐるみはルーシーに言った。
そしてその通りになった。
~おしまい~

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