SF百科図鑑

島田荘司『本格ミステリー宣言』講談社文庫

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1999年

2/1
本日のお題「競馬、裏ビデオ、本格ミステリ」
ついに2月に突入。(略)

帰りに、梅原克文「ソリトンの悪魔」上下と島田「本格ミステリー宣言」、「若妻生肉悶え」12巻を購入する。(略)
帰ってから、「本格ミステリー」を斜め読みしていたら、あまりの面白さに半分ぐらい一気に読んでしまう。
島田のいう本格ミステリーは、私がSFに求めてきたものと重なる。冒頭の謎と、その論理的な解明! SFもミステリーもポオが始祖であるから、島田がポオを本格ミステリーに取り込もうとして定義づけに関する提唱を行えば、それがSFにも通ずるのは至極当然である。いわゆる「認識の変革」テーマといわれるSF(宇宙の孤児、ノンストップ、都市と星、逆転世界等々......)はすべて、島田のいう本格ミステリーにあたることになる。そして、これらの作品こそまさに、私がSFに求めるものの全てなのである(私が読んだ全てのSF作品中で、「これぞSF!」として私の記憶に残っている作品は、そういえば全てこのタイプの作品なのである)。
私がSFに求めるのと同じものを島田がミステリーにおいて目指していたのだから、私が島田作品に何の違和感もなく魅かれていったのは当然だったのだ!
そして、呆れたことに、島田は本格ミステリーの本質的要素として、「センスオブワンダー」を挙げているが、これはまさにSFの魅力を評して50年代以後使われていた言葉ではないか。
このように考えると、SFとミステリーは何の共通点もないように見えながら、実は極めて相似した発展経過をたどっていることに気付くのだ。その発祥についてはもちろん、謎と論理の結び付き(SFの場合には、謎の時間的または空間的な現代社会との離隔が大きいという点と、論理が多く疑似科学的説明によるという点と、冒頭の謎を後半で疑似科学的に説明するという形式ではなく、謎そのものが疑似科学的説明を伴って最初から提示され、それを前提とした上での仮想空間における物語を楽しむという形式をとることが多い点に特徴があるが)という本質部分も共通する上、文学コンプレックスに侵されて本来的なセンスオブワンダーが失われ、中間小説化するとともに、浸透?拡散?解体というジャンルの危機を迎えた点もそっくりである。
ただ、唯一違うのは、SFには島田にあたる人物がいなかった、ということであろう。確かに、ミステリーに島田がいなければ、綾辻も以後の本格派作家も今ほどの隆盛があったかは疑わしく、ミステリーもまたSFと同じように衰退していたかも知れない。パルプ小説時代の娯楽SFの復活を提唱する梅原も、島田ほどの的確な理論による提唱ではない分力はないし、そもそも梅原にはもはやSFに対する愛はない。つくづく、今のSFは末期症状であると思う。
ところで、島田のいう「冒頭の謎」は何であってもよいというのであれば、例えば(略)
こんな馬鹿馬鹿しい「謎」ですら、書きようによっては十分「本格ミステリー」的な謎に仕立て上げられるだろう。すなわち、本格ミステリーのネタは至る所に転がっているのである。私もこんなことしちゃいられない。(略)なんか早々に切り上げて、早く作家稼業にいそしめるような身分にならなければ(笑)。
考えてみれば、競馬だって「本格ミステリ」である。必ず勝つ馬が1頭はいるのだが、発走前はどの馬だか分からない。それを、与えられた手がかりを十分に使って推理するのだ。私が競馬に魅かれるのは、それが「本格ミステリ」だからであり、パチンコに興味がないのは、ミステリ的要素が希薄だからなのだ。
(略)

そう、つまり私の好きなものは全て「本格ミステリ」なのだ。「本格ミステリ」がこれだけ普遍的なものだというなら、これはもう文学以上に高級なものだというほかない。私はやはり、「本格ミステリ」に淫するべくして生まれてきた人間なのだ。ここはおとなしく呑まれることにしよう。

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