SF百科図鑑 スワンウィック「スローライフ」


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2003.9.6

9月3日

昨日、ランディス「火星への下降」読了。8点。罪人を次々火星に送り込み、火星がアノミー状態になる話。昔のオーストラリアみたいなもんか。短いながら着想が面白く、楽しめた。

今日は今からスロウライフ読む予定。

日本人ハウスユニットの最高峰、GTSの99年アルバム「futureclassics」受領。ずーこ目的だったが、このアルバム全曲よし。凄い。10点。八神純子の「思い出のスクリーン」英語ハウスバージョン(歌ってるのも本人)にはびっくりした。しかもいいんだよこれが。クラブで聴きてーな。


9月4日

疲れていた。日記更新の暇なし、何をしたか覚えていない。(略)


9月5日

ティプトリー「霊長類」読み進む。
「一瞬のいのちの味わい」10点
凄い。アイデアもさることながら書き方がうまい。徹底したニヒリズムと、どろどろの心理描写。論理に裏打ちされた躁鬱のダイナミズムがティプトリーの真髄だと思うが、鬱の面を代表する名作だと思う。

「ネズミに残酷なことのできない心理学者」9点
ティプトリーの精神的私小説? 感傷と冷酷さの奇妙な同居がティプトリー作品の特徴だと思うが、そのルーツを探る一つの手がかりになると思われる作品。作者自身が実験心理学の学位をとっているが、恐らくそのときの体験が元になった作品だろう。非常に興味深い。もちろん、純粋に一個の小説としても面白いのであるが。主人公がアブサンに酔って見る幻覚を除くと、内容は普通小説といってよいが、「科学について考える小説」という意味ではサイエンスフィクションと言える。

「すべてのひとふたたび生まるるを待つ」8点
人類史、生命史を点描的に描きながら、死とまみえる宿命を持った生命の本質を隠喩的に描いた技巧的作品。やや観念過多なきらいがあるが、生命の哲学的考察とも読めるし、後半に出てくる死を招く盲目の少女スノーにティプトリー自身の自己像を重ね合わせて読むこともできる。

以上で読了、短編集全体として非常に読みごたえがあり、面白かった。再読、三読に耐える本だ。10点。


9月6日

ティプトリーの未訳5冊をアマゾンコム米国&日本に発注。アマゾン日本よりコラライン、ホミニド受領。

競馬全敗。

焼肉OFF。「食い放題」という概念に疑問を持った。元を取るために無理により多くの食い物を腹に詰め込むのは苦痛である。食べる量の極大化と快楽の極大化は必ずしも一致しない。快楽は逓減し、ある一定量に達した時点で苦痛に変わる。これは何についてもそうである。読書。性行為。それなのに人はなぜ「食い放題」に行くのか? 食い放題の店はなぜ流行るのか? 心理学的説明はどのように可能なのか? 一つの研究テーマとして非常に興味深い。
個人的には、やはり焼肉は少量の極上肉をゆっくりゆとりを持って楽しむのが最高と思った。今度はそういう店を物色したい。しかし、当分肉はイイや。

テキスト入力用ミニパソコン(ていう呼称が適当なのかどうか知らないが)欲しいぞ。すぐ買う。

物語性の基本要素理論。物語性が太古、ギリシャ/ローマ時代からの文学の発生源とすると、世のこ難しい純文学の大半は文学として邪道であり、ランクが低いという理論が成り立つ。この物語性の基本要素を客観的な採点基準化して純文学を採点するという企画は非常に興味深い。小気味いい結果が得られそうだ。
その採点基準の作成は藤枝氏に委ねるとして、本日、スワンウィック「スロウライフ」読了。中身を読んだところ、「スロウライフ」にいう「ライフ」とは生活ではなく、生命体の意味であり、「ゆるやかな生命」とでも訳した方が適切なようだ。土星の衛星タイタンを舞台とする「ゆるやかな生命体」とのファーストコンタクトと、危難からの脱出物語を組み合わせた、娯楽性豊かな作品だ。8点。近日訳載乞御期待。
現時点の藤枝理論は、私の理解では次の通りである。
「物語の構成要素は、設定、人物、変化(事件)の3つである。この3つをいかに巧みにバランスよく描けるかで作品の出来が決まる。」(心の垣根その1、2)
「人物について重要なのは行動目的の設定である。」(その3)
「舞台設定は、物語を魅惑的にするために必要な範囲でのみ語り、くだくだしく説明しない。」(その4)
「人物設定において、キャラ立ちする設定は、行動目的にインパクトと説得力を両立させる必要がある。またこのような意味での、キャラ立ちする非凡なキャラクターは、面白い物語の必須要素である。特に、正義の異能者と悪の異能者の対立、相克は、面白い物語の一つの基本パターンと言える。このような「異能者」は、感情移入の媒介項たる「平凡な主人公」とは別個の存在として、憧れ(正義の異能者)または克服(悪の異能者)の対象であることが望ましい。」
これらの要素に、「謎の提示と解決」「困難の提示と克服」「波乱万丈の振幅の大きい物語展開」といった「大きな変化」(小刻みなサイクルで畳みかける方法、作品全体で一つの巨大なサイクルを形作る方法、これらを組み合わせる方法など)をバランスよく組み合わせるのが物語の基本作法である、これらと違っているように見える「面白い作品」も、子細に分析すれば実は単なるバリエーションに過ぎない、という理論は、非常に興味深い。

早速、「ゆるやかな生命」にこの理論を適用してみよう。
1 舞台設定
場所=タイタン
時代=未来(第2の宇宙時代=22世紀ぐらい?)
状況設定=有人宇宙船がタイタンに降下、タイタン地表の調査を行う。特に、生命の存在を探るのが眼目。
2 人物設定
リジー・オブライエン=女性宇宙飛行士、バルーンにぶら下がってタイタン地表に降下し調査を行う。主人公、感情移入媒介項。
「優しい声」(「ゆるやかな生命」)=タイタン海中からリジーの夢に語りかける知的生命体。全体が一体であり、海中に閉じ込められているために、「個」「宇宙」といった概念を知らない。リジーの精神と接触することにより、様々な概念を知ったことを感謝し、最後はリジーを助ける。
フィッシュカメラ=(厳密には人物ではなく機械であるが)コンシュエロがタイタン地表分析のためメタンの湖に沈めた探査カメラ。タイタン地中に巨大な海を発見し、最後は「優しい声」の力で主人公を助け出す。
その他の有象無象=同僚飛行士として、スペイン語を喋るコンシュエロ、とりたてて特徴のないアランなど。地球から無線で語りかけるカウンセラーや牧師といったところが主なところ。コンシュエロがスペイン語で喋る滑稽さ、生命の危機に晒されたリジーに何の訳にも立たない慰めをいうカウンセラーなど、多少の味付けにはなっているが、物語の前面に出るものではない。
3 変化(事件)
変化軸その1=「タイタンに生命は存在するか?」?「主人公の夢に語りかける『声』」?「主人公が生命体ではないかと疑い始める」(謎の提示)?「声との対話の中で、生命体であること及びその全容が次第に明らかになる」?「声が主人公を助ける」(謎の解決)
変化軸その2=「リジーのバルーンのハーネスが絡まり動けなくなる」?「脱出方法が見つからず、酸素ボンベの残量が減っていき、次第に皆が諦め始める」(克服すべき危難)?「無線で地球とつながるが、訳に立たない心理カウンセラーがどうでもいい慰みをいう」?「リジーが死を覚悟し、死ぬ前に牧師に告白をしたいと要求」?「牧師登場、リジーが諸々の告白を行う」?「その告白を聴き、感謝などの様々な概念を新たに知った『声』が、リジーに語りかけ、助かりたいというリジーの心に応えて、リジーを救出する(リジーの体を操作し、バルーンを破り、メタン海に落としてフィッシュカメラに掴まらせる)」(危難の克服)
4 分析
上記したところから明らかなように、この作品は物語の基本要素を踏まえたオーソドックスなエンタテインメントであることがわかる。感情移入の対象たる共感し易い平凡な女性宇宙飛行士(リジー)の視点から、人物として、異能者(優しい声=謎の存在から正義の「異能の者」に変化)を配置し、興味及び憧れの対象として描く(フィッシュカメラも魅力的なサブキャラと言える)。変化として、「タイタンの生命の謎」と「タイタン空中での遭難」という2つの軸を用意し、これらを密接に絡み合わせて読者の興味を惹き付ける。
第1の変化軸について。タイタンの生命の謎を解くのは、主人公自身のようにみえるが、主人公が謎を解いたというよりも、異能の者である「優しい声」自身が自ら主人公に語りかけて、真相を明かしたといった方が正確である。主人公は受け身の立場であり、謎を解決したのは実質的には「謎そのもの」=異能者、といってよい。
第2の変化軸について。魅力的な「異能の者」である「優しい声」が、魅力的なサブキャラである「フィッシュカメラ」を使って、何ぴとも助け得ないと思われた主人公を見事に救出する。これはまさに(ハッピーエンド型の)図式通りである。(バッドエンド型であれば、これが「失敗し主人公が死ぬ」あるいは「主人公が助かる代わりに『優しい声』が死ぬ」といった変奏型になると思われるが、これらも結局基本型のバリエーションに過ぎない。)
以上の通り、本作は、2種の変化をバランスよく絡み合わせ、両者を必然的に結び付けた上で見事に解決しており、解決までの過程も巧みで説得力がある。そしてその2つの解決がいずれも、平凡な者(主人公)の視点から描かれる異能の者(優しい声)の自己暴露及び超常能力によって成し遂げられる。その解決も物語展開上自然であり、キャラクター設定に無理がなく過不足がない。
キャラクターの行動目的について。まず、「リジー」の行動目的設定は、第1に「タイタンの地表を分析し生命の存否を探ること」。第2に、「夢に現れる『優しい声』の正体を知り、これとコミュニケーションすること」。第3に、「大気中で遭難した状況から脱出すること」または「確実に迫る死をできるだけ平静に受け止めること」となる。これらの行動目的設定は、いずれも状況設定から非常に合理的なものであり、説得力がある。克服課題として読者の共感を得易いであろうし、また主人公が平凡な通常人であるだけに達成困難な、克服しがいのある行動目的となる。
次に、「優しい声」の行動目的は、第1に、リジーと接触し、外の世界や様々な概念を知ることである。第2に、リジーと接触し、「死ぬ」「感謝する」「助ける」といった個を前提とする人間的な概念を学んだことによって後半で設定される行動目的として、リジーを救出することである。これらの行動目的は、いずれも、擬人的観点から非常に合理的で説得力があり、「優しい声」を「異能ではあるが主人公に友好的な存在」として好意、憧れの対象に引き上げる。
ここで、憧れの対象たる異能の者に関しては、「擬人的存在であること」を一つの要件として追加してよいのではないか。憧れの対象であるためには、多かれ少なかれ人類、主人公にとって友好的な存在として認識される必要があるだろう。人間しか出て来ない一般小説の場合にはこのような要件を加えるのは必要ないだろうが、ことSFに関しては「人間の登場しない」話すらあるから、このような要件設定には意味があることだと思う。
さて、以上のように巧みに物語の基本図式にそったキャラクター、変化設定を乗せる基盤である状況設定は、物語に必要な範囲でのみ語られ、余計なディテールの詰め込みはない。しかもその状況設定は、少し未来に置かれ、設定に無理がなく読者に疑念を抱かせない程度に合理的な設定になっており、物語性の観点から申し分ない。
以上の通り、本作は、藤枝理論に見事に乗った極上のエンタテインメント作品だという結論になる。

更に突き詰めて「SFにおける物語性の特質とは何か?」を抽出してみたいのであるが、それは後日。