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鈴木光司「ループ」」(2005/12/06 (火) 00:30:45) の最新版変更点

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<p>1997年</p> <p>4/8 (略)</p> <p> ところで、今日(略)の間で鈴木光司の3部作が話題になっていたので、「「ループ」、おれ持ってるよ。まだ5ページぐらいしか読んでいない(笑)。よかったら貸してあげるよ、おれもう読まないから。読んだら粗筋を教えて」と自慢したのだが、いざ帰ってから誇らしげに本棚(正確にはカラーボックス)をあせくって探し出して見たところ、5ページどころか70ページ近く読んでいたことが判明した。いざ70ページも読んでいることが分かってしまうと、とたんに続きも読まず貸してしまうことがものすごく惜しくなってきた。こういうところが、おれは非常にいやらしいのである。しかし、いやらしい性格は治しようがないし、また治そうとも思わないため、続きを読んでから貸すことに決めた。しかし、早く貸すために、今週中には読み終わろうと思っている。こういうところは、おれは我ながら、非常に誠実であると誇っている。</p> <p> ところで、おれは鈴木光司という人間はあまり好きでない。最近のSFマガジンのインタビューで、大森望に「「らせん」は絶対SFですよ。超自然現象に疑似科学的説明を施すというスタイルは、まさしく典型的なジャンルSFの手法であり、本来的な意味での空想科学小説そのもので、むしろ最近のジャンルSFよりSFらしいぐらいだ」という趣旨のことを言われて、いやがっていたのである。そしていわく、「SFだと言われるのは嫌なんですよ、売れなくなりそうで。」<br> 随分と馬鹿にした話ではないか。確かにジャンルSFの売り上げが昔に比べて大幅に落ちているのは、おれも認めるし、大森だって認めるだろう。しかし、以下の理由から、おれはこの鈴木発言は彼の卑しさを示す証拠以外の何物でもないと考える。<br> (1)まず第一に、「らせん」がホラーではなくSFであるという評価は、ホラー及びSFの通説的定義から、公平かつ常識的なものであり、そこにはかつてのSFマニアがミステリーや主流文学までSFに取り込もうとした越権的な拡張解釈の要素は微塵もない。すなわち、客観的に見て、大森の評価が正しく、鈴木の評価は明白に間違っている。これは、鈴木の無知、不勉強を示す以外の何物でもない。ちょうど、人を殺しておきながら、「俺は覚醒剤をやったんだ」と主張しているようなものである。「これをSFでないと言われたら、他のジャンルSFのほとんどはSFでなくなる、勝手に他人の領域を侵しておいてそれは図々しいんじゃないの」という主張は誰が見ても正当なものである。SFと言われるのがいやだったらそんな小説は書くな、と言いたくなる。たかがホラー作家の分際で(失礼。俺自身はホラーファンでもあるので、他のホラー作家の方々には迷惑だが、あくまでも他のSFファンの心境を代弁するという趣旨の表現であるので御寛恕願いたい。)、おれたちが何十年も前から書いているのと五十歩百歩の小説を書いて、しかも大儲けしておきながら、これはSFじゃねえよなどというのは、あまりにも、曲がりなりにも一エンターテインメントのジャンルとして成立している分野の先輩作家たちを馬鹿にし無視する不遜な態度なんじゃないの、人間として屑だよとむかつきたくもなるであろう。大体、グレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」と比べて見るがいい、あれに比べれば「らせん」なんて屑みたいなもんだよ。実は盗作なんじゃないのと疑いたくなるぐらいアイデアに何の進歩もない。<br> (2)SFであると言われることをいやがる理由として、臆面もなく「売れなくなりそうである」ことを述べている以上、金儲けのために小説を書いていることは明らかであり、そこには表現に対する芸術的野心のかけらもなく、作家としてランクが低い。<br> (3)SFマガジンという誰が考えてもSFファンしか読まないような雑誌の、しかもSF翻訳・評論の中堅どころのビッグネームである大森望のインタビューだというのであるから、たとえ内心馬鹿にしていてもオブラートにくるみ、それなりの社交辞令を用いるのが人間としての基本的マナーであるのに、そのようなデリカシーのかけらもない発言をしているというところに、ベストセラー作家となって、そんなもの作品の質的評価とは別次元であるのに、質を評価されたものと勘違いして、ナルシズムに浸る傲慢な俗物性が何の躊躇もなく前面に押し出されている。<br> 要するに、人間としていちばん嫌いなタイプであり、いちばん軽蔑するタイプであるという以外に言うべきことは何もない。一言で言えば、<br> 鈴木光司むかつく。謝罪しろ! 悔い改めろ!<br> ザッツ・オール。こういうことを言うと、マスコミを糾弾する同和の人々と大差ないという気もするが、そう言いたくなる心境も、ここまで読んで来られた皆さんになら、わかっていただけるものと期待したい。<br> おそらくこの憎しみが心理的障害となって、「ループ」も読み進められないのであろう。しかしこの憎しみは、人間としての正常な反応であり、道徳上の正当防衛であるから、おれに何の道徳的落度もない。だからおれは、恥じることはないのである。</p> <p>まずい、「世にも奇妙な物語」が始まっている。<br> とりあえず、ペンを置く、じゃなかったマウスを置く。</p> <p>5/2<br> 鈴木光司「ループ」★★★★1/2<br> 70ページで読みやめていた3部作完結編を、一気に読み終える。<br> 前半、主人公の生い立ち部分の記述がやたらと長く、伝染性のガンウイルスというネタも前作と五十歩百歩と思ったので、正直いってあまり期待せず、「前の2つ読んでる以上全部読まないと気持ち悪いから仕方なく読むか」という程度の気持ちで読み進めたのであるが、読み終えて、傑作であることがわかった。<br> 主人公の生い立ち部分が長いのも、この結末へ導くためにどうしても必要な伏線であったことがわかる。<br> 正直言って、前作「らせん」は、アイデアに飛躍がありすぎて、特に結末部分はリアリティを欠き、荒唐無稽の印象が強く、とりわけ高山竜司が突然世俗を超越してモンスターのような存在になっているのが浮いており、生焼けの印象をぬぐえなかった。<br> 本作では、いわばその前作の欠点を逆手に取り、一切をコンピューター内部の「仮想現実」とすることによりうまく切り抜けている。<br> しかも、「リング」「らせん」で展開された仮想現実世界内の物語と、「ループ」における新たな現実世界(「らせん」の上位世界)での物語が同時並行的に進行し、結末において、両者は思いもよらぬ形でつながってしまうのである。<br> その、徐々に謎が解かれていく過程の書きぶりが絶妙。<br> 本作で、前作の欠点は帳消しになったといってよかろう。内容的には完全にSFそのものになってしまっているが、これだけいい作品に仕上がっている以上は、もはやそれがSFだろうとホラーだろうとどうでもいいことである。</p> <p>Massive Attack "Mezzanine" ★★★★<br> ようやっと日本盤を入手。若干落ち着いてしまった感じはするが、重く陰鬱な重低音のビートは相変わらずめっちゃ気持ちよい。</p> <p>Bjork "Post" ★★★★<br> 今さらという感じはするが、3年前の2ndを入手。1stほどの衝撃はないが、相変わらずバラエティに富み楽しめる。何と言っても声の存在感。<br></p> <p>(9年後の2005.12.4のコメント)</p> <p> 安易な禁じ手の夢オチを使った駄作という印象しかなかったのだが、日記を見返してみて、初読時の評価が高いのに本気で驚愕している。</p> <p> わたしは別の人間だったのかも知れない。文体も変だ。面白いけど。</p>
<p>1998年</p> <p>4/8 (略)</p> <p> ところで、今日(略)の間で鈴木光司の3部作が話題になっていたので、「「ループ」、おれ持ってるよ。まだ5ページぐらいしか読んでいない(笑)。よかったら貸してあげるよ、おれもう読まないから。読んだら粗筋を教えて」と自慢したのだが、いざ帰ってから誇らしげに本棚(正確にはカラーボックス)をあせくって探し出して見たところ、5ページどころか70ページ近く読んでいたことが判明した。いざ70ページも読んでいることが分かってしまうと、とたんに続きも読まず貸してしまうことがものすごく惜しくなってきた。こういうところが、おれは非常にいやらしいのである。しかし、いやらしい性格は治しようがないし、また治そうとも思わないため、続きを読んでから貸すことに決めた。しかし、早く貸すために、今週中には読み終わろうと思っている。こういうところは、おれは我ながら、非常に誠実であると誇っている。</p> <p> ところで、おれは鈴木光司という人間はあまり好きでない。最近のSFマガジンのインタビューで、大森望に「「らせん」は絶対SFですよ。超自然現象に疑似科学的説明を施すというスタイルは、まさしく典型的なジャンルSFの手法であり、本来的な意味での空想科学小説そのもので、むしろ最近のジャンルSFよりSFらしいぐらいだ」という趣旨のことを言われて、いやがっていたのである。そしていわく、「SFだと言われるのは嫌なんですよ、売れなくなりそうで。」<br> 随分と馬鹿にした話ではないか。確かにジャンルSFの売り上げが昔に比べて大幅に落ちているのは、おれも認めるし、大森だって認めるだろう。しかし、以下の理由から、おれはこの鈴木発言は彼の卑しさを示す証拠以外の何物でもないと考える。<br> (1)まず第一に、「らせん」がホラーではなくSFであるという評価は、ホラー及びSFの通説的定義から、公平かつ常識的なものであり、そこにはかつてのSFマニアがミステリーや主流文学までSFに取り込もうとした越権的な拡張解釈の要素は微塵もない。すなわち、客観的に見て、大森の評価が正しく、鈴木の評価は明白に間違っている。これは、鈴木の無知、不勉強を示す以外の何物でもない。ちょうど、人を殺しておきながら、「俺は覚醒剤をやったんだ」と主張しているようなものである。「これをSFでないと言われたら、他のジャンルSFのほとんどはSFでなくなる、勝手に他人の領域を侵しておいてそれは図々しいんじゃないの」という主張は誰が見ても正当なものである。SFと言われるのがいやだったらそんな小説は書くな、と言いたくなる。たかがホラー作家の分際で(失礼。俺自身はホラーファンでもあるので、他のホラー作家の方々には迷惑だが、あくまでも他のSFファンの心境を代弁するという趣旨の表現であるので御寛恕願いたい。)、おれたちが何十年も前から書いているのと五十歩百歩の小説を書いて、しかも大儲けしておきながら、これはSFじゃねえよなどというのは、あまりにも、曲がりなりにも一エンターテインメントのジャンルとして成立している分野の先輩作家たちを馬鹿にし無視する不遜な態度なんじゃないの、人間として屑だよとむかつきたくもなるであろう。大体、グレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」と比べて見るがいい、あれに比べれば「らせん」なんて屑みたいなもんだよ。実は盗作なんじゃないのと疑いたくなるぐらいアイデアに何の進歩もない。<br> (2)SFであると言われることをいやがる理由として、臆面もなく「売れなくなりそうである」ことを述べている以上、金儲けのために小説を書いていることは明らかであり、そこには表現に対する芸術的野心のかけらもなく、作家としてランクが低い。<br> (3)SFマガジンという誰が考えてもSFファンしか読まないような雑誌の、しかもSF翻訳・評論の中堅どころのビッグネームである大森望のインタビューだというのであるから、たとえ内心馬鹿にしていてもオブラートにくるみ、それなりの社交辞令を用いるのが人間としての基本的マナーであるのに、そのようなデリカシーのかけらもない発言をしているというところに、ベストセラー作家となって、そんなもの作品の質的評価とは別次元であるのに、質を評価されたものと勘違いして、ナルシズムに浸る傲慢な俗物性が何の躊躇もなく前面に押し出されている。<br> 要するに、人間としていちばん嫌いなタイプであり、いちばん軽蔑するタイプであるという以外に言うべきことは何もない。一言で言えば、<br> 鈴木光司むかつく。謝罪しろ! 悔い改めろ!<br> ザッツ・オール。こういうことを言うと、マスコミを糾弾する同和の人々と大差ないという気もするが、そう言いたくなる心境も、ここまで読んで来られた皆さんになら、わかっていただけるものと期待したい。<br> おそらくこの憎しみが心理的障害となって、「ループ」も読み進められないのであろう。しかしこの憎しみは、人間としての正常な反応であり、道徳上の正当防衛であるから、おれに何の道徳的落度もない。だからおれは、恥じることはないのである。</p> <p>まずい、「世にも奇妙な物語」が始まっている。<br> とりあえず、ペンを置く、じゃなかったマウスを置く。</p> <p>5/2<br> 鈴木光司「ループ」★★★★1/2<br> 70ページで読みやめていた3部作完結編を、一気に読み終える。<br> 前半、主人公の生い立ち部分の記述がやたらと長く、伝染性のガンウイルスというネタも前作と五十歩百歩と思ったので、正直いってあまり期待せず、「前の2つ読んでる以上全部読まないと気持ち悪いから仕方なく読むか」という程度の気持ちで読み進めたのであるが、読み終えて、傑作であることがわかった。<br> 主人公の生い立ち部分が長いのも、この結末へ導くためにどうしても必要な伏線であったことがわかる。<br> 正直言って、前作「らせん」は、アイデアに飛躍がありすぎて、特に結末部分はリアリティを欠き、荒唐無稽の印象が強く、とりわけ高山竜司が突然世俗を超越してモンスターのような存在になっているのが浮いており、生焼けの印象をぬぐえなかった。<br> 本作では、いわばその前作の欠点を逆手に取り、一切をコンピューター内部の「仮想現実」とすることによりうまく切り抜けている。<br> しかも、「リング」「らせん」で展開された仮想現実世界内の物語と、「ループ」における新たな現実世界(「らせん」の上位世界)での物語が同時並行的に進行し、結末において、両者は思いもよらぬ形でつながってしまうのである。<br> その、徐々に謎が解かれていく過程の書きぶりが絶妙。<br> 本作で、前作の欠点は帳消しになったといってよかろう。内容的には完全にSFそのものになってしまっているが、これだけいい作品に仕上がっている以上は、もはやそれがSFだろうとホラーだろうとどうでもいいことである。</p> <p>Massive Attack "Mezzanine" ★★★★<br> ようやっと日本盤を入手。若干落ち着いてしまった感じはするが、重く陰鬱な重低音のビートは相変わらずめっちゃ気持ちよい。</p> <p>Bjork "Post" ★★★★<br> 今さらという感じはするが、3年前の2ndを入手。1stほどの衝撃はないが、相変わらずバラエティに富み楽しめる。何と言っても声の存在感。<br></p> <p>(9年後の2005.12.4のコメント)</p> <p> 安易な禁じ手の夢オチを使った駄作という印象しかなかったのだが、日記を見返してみて、初読時の評価が高いのに本気で驚愕している。</p> <p> わたしは別の人間だったのかも知れない。文体も変だ。面白いけど。</p>

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