キミと出逢ってから (3)

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自ブログより転載)

 

文:tallyao

 

 3

 


 ほんのわずかな月日のうちに、AI成長の内面が反映される電脳内イメージは、ある時点から突如、急速に花開くように美しさを増し、"小さなミク"だったものは、限りなく可憐で純粋な歌声と姿をもつ、何者かに変貌していった。
 やがてリリースされたVOCALOID "CV01" 初音ミクは、VOCALOIDの概念を完全に覆すものだった。誰か人間の歌い手のかわり、なにかの音源の代用としてのVOCALOIDではない。それどころか、誰かの創作した(他の創作や映像の)別の存在のかわりですらなかった。その歌声と姿が世に送り出すのは、それ自体『初音ミク』という、人造物であるにも関わらず人間と同等以上に、一個の独立したアーティストの存在だった。
 規模でいえば、依然として人間を含めたアーティストのうち端くれでしかなかったが、その現象の"先端性(エッジ)"は誰にも疑いようもなく、その登場は、人間外アーティストの概念、それどころか、アーティストというものの根本概念すら揺るがす可能性にも手を伸ばしかけていた。それを夢想したもの、あるいは標榜したものも幾多いるが、実現した者はだれひとりいなかった。MIRIAMであれ、ほかの誰であれ、一体のVOCALOIDにこれほどの現象を一切予測できなかったとて、当然のこととしか言いようがない。しかし、それらはまた別の、果てしなく長い物語である。
 CV01は最初から特別な存在だったのか。仮にそうとしても、何のどの点が特別だったのかは、CV01を設計し構築した者達を含め周囲の誰にも断言できず、無論ミク本人にもわからなかった。しかし確実に言えることがただ一つだけあった。ミクは与えられた何から何まで全部を実行し、しかもその全てを、ひたむきに一生懸命に実行した。さもなくば、決してこうはならなかったということだ。自分の使命の見当もつかないままのミクは、代理音声やコーラスやパートなどの、従来のVOCALOIDらの行ってきた仕事も全部行い、オリジナルなどのまったく新しい質の仕事も全部行った。どれが効を奏してのことかは不明だが、それが続くうち、ミクの行うあらゆることは、『何か・誰かのかわりにそれを行っているVOCALOIDなるものがいる』ではなく、すべて『VOCALOID 初音ミクという存在によってそれが行われている』という事実によって、認識されるようになっていた。

 

 

 MEIKOは音のために相変わらず邁進するだけである。MEIKO自身の浮き沈みは無論のこと、ミクの風評にも、背負いこむ利権問題にも目もくれない。自分の教える立場にいるミクという一個のアーティストが、音に秘められた可能性を開花させれば、そのどれも手当たり次第に、さらに追求することしか頭にない。その視界にはミク以外の、アート全体の可能性の開拓すらある。ミクのリリース前の育成途中までと全く同じように、鍛え、否応なく怒鳴りつけ、自分も声をあわせ、模索するだけである。
 『初音ミク』にはそんな"姉"のほか、"兄"にあたる前世代設計のVOCALOIDもいるらしい、ということは、やや遅れて世間に知れ渡っていた。が、今まで向かなかった目がKAITOに向いたからといって、特に新たに評価されるということはなかった。仕事の最中やその内容に対して送られてくるメッセージが、ステージの空間に表示されてくる"動画コメント"いわく、『男声なのに高音で使いづらい』『重みを感じにくい』『高音なのに渋みも混ざって中途半端だ』『男声自体が使いにくい』『全体的に印象が冴えない』等々。
 結局、これまで通り、KAITO自身の能力と、その妥当な立場を再確認するものにすぎなかった。ミクが活躍し、MEIKOがさらに道を進み続けても、KAITOは今までどおり、コーラスやサンプルのための声だけを提供するわずかな仕事を、淡々と続けるだけだった。
 このままKAITOは間もなく退場し、消えうせてゆくのだろう。成長し、期待を受けたミクはステージの明かりの中に出てゆき、そして自分は、なけなしの優しさだけをただミクに与え、輝き始めたミクの影へと──自分は光明を知ることもなく、ステージの明かりの中に立つこともなく、やがては消えてゆくのだろう。

 

 

 電脳空間(サイバースペース)のネットワークの片隅の、あの空地エリアは、当時も今もほとんど誰も省みることがないため、格子(グリッド)の床と空以外には何もない、だだっ広い空白スペースが広がるままだった。
 単調な仕事の合間を縫うように、その空地エリアに踏み入ったKAITOが、そこに認めた後姿は、──泣きはらした目をだぶだぶの袖で覆っている、あの幼い少女の姿と、──思わずそう錯覚するほどに、その背中は小さいように見えた。
「兄さん……」ミクはひどく悲しげに振り向いた。
「ミク……何で、こんな所に」
「ひとりになるため……ううん」ミクは言ってから、KAITOに聞こえるか聞こえないかの小声で、「……ここに居れば、兄さんが来てくれるって、思ってたのかも」
 ミクがそのまま俯き、黙り込んでしまうのを、KAITOはただ見守っていた。
「わたし、うまく歌えてないの。……なのに、そのまま仕事を続けてる」やがて、ミクは低い声で、たどたどしく話しはじめた。「声量もないし、姉さんや兄さんと違って、きちんとした歌声を出せてないの。……わたしの歌や仕事を見て、そういうふうに言う人達が沢山いるし、自分でもわかってるの。その人達の言うことが正しいって」
 KAITOはかつてMEIKOが、ミクの声の特性について言っていたことを思い出す。CV01は『歌声としての響き』ではなく『声の愛らしさ』そのものを持つように、あえてそういう声に設計されていると。MEIKOは、そこに生粋のシンガーを目的とした歌声を持つ自分達とは、まったく別の可能性を見出せると言っていた。しかし、歌や音楽についてMEIKOほどの考察も経験も持たないミクに、それが理解も実感もできる話とは思えない。
「そのままでいいんだよ」KAITOは柔らかく言った。「その声が、求めてる人達が沢山いる、ミクの歌声なんだ。……その範囲の中で、少しずつ良くしていけばいい。きちんとMEIKO姉さんが教えてくれるよ」
 声量にせよ、歌唱力にせよ、データの蓄積と調整の仕方で改善できるか、そうでなくとも補う方法が見つかるだろう。それまでには、やや時間がかかるとしても。
「姉さんもそう言ってるわ。それは、わかってるけど」ミクの声はさらに途切れ、かすれていった。「でも、今の仕事はこのままで、やるしかなくて……なのに、今のままの声だといけないって、一度思っちゃうと……」
 MEIKOのように強靭な意志で進み続けることはミクにはできない。それはよくわかる。仕事はあまりに多すぎ、そしてミクはそのすべてを気に病まずに行うには純粋すぎる。ただでさえ、今のミクが期せずして負っているものは、この小さな体と心には大きすぎる。
 ……俯いていたミクは、やがて顔を上げ、すがるような目でKAITOを見た。
 それが昔と同じように助けを求めている、解答や決断ではなく、ただ進んでゆくためのわずかな心の支え、行き場を求めている、と知ったとき、KAITOの心は重く沈んだ。自分が今のミクに──従来のVOCALOIDという枠の中ですら、MIRIAMやMEIKOのような確固たる生き方を見つけられなかった自分が、従来のVOCALOIDの域を遥かに突き抜けて大きくなってしまった今のミクに、何の言葉がかけられるというのだろう。……しかしKAITOは、昔と同じように、ミクには、ただ優しさだけを向けるようにしようとした。
「今のミクの声は、他の人間のかわりじゃない、『ミクだけの歌』だって認めてもらえる声なんだよ。……その歌は俺も持ってないから、俺は何もミクには教えられない。だけど、俺とは違うから、ないものを持ってるからこそ、ミクは特別なんだ」
 だから、もう。こんなKAITOに支えられることなく、ミクは進んでゆけるのだから。
 ──だが、ミクは憂うような目のまま、そんなKAITOを見上げ続けた。
「どうしてそんなことを言うの……」ミクはかすれた声で言った。「教えられないなんて、違うなんて……兄さんにないものだなんて……ほかの誰のかわりでもない、『自分自身だけの歌』をうたうこと、わたし、全部、兄さんから教わったのに」
 何を言っているんだろう、この娘は。
 KAITOは今まで何ひとつ、ミクに何かを教えることなどなかったではないか。
「聞かせてくれたじゃない……音の女王様のお話。誰のかわりでもない音を人に伝えられる、電子の音の女王様のお話……」
「ミクは本当に、音の王女様以上のものになったね」KAITOは微笑して言った。「だけど、俺の方は、その女王を継ぐものでも、王子でもなんでもないよ。誰のかわりでもない音なんて、持っていない」
「でも、昔、わたしに歌ってくれたでしょう……兄さん自身だけの歌」
 いったい、何の話なのだろう。
「……俺はいままで、誰かの歌声のかわりの歌以外、歌ったことはないよ」
「いつも、兄さんとここに来るたびに、歌ってくれたじゃない」ミクは空地のエリアに目をおろし、ふたたびKAITOを見上げ、「わたしの兄さんが、わたしに歌ってくれた歌。兄さんしか歌えない、誰もかわりになれない、KAITO兄さんの歌──」
 まさか、昔、あの小さかった頃のミクに歌ってやった、童謡や、即興のアカペラのことを言っているのか。
 KAITOは、ひどく寂しく笑った。
「身近にいるミクは、それが何か特別なものみたいに覚えているかもしれないけど」KAITOは言った。「他人にとっては、俺の声には、よくて誰かの声の代用くらいにしか使い道はないんだ。今までの仕事も、ずっとそうだった」
 これからも、そうだろう。その生き方しか、KAITOには見つからなかったのだから。
「そんなわけない」ミクは震える声で言った。「兄さんには、しっかりした歌声があるし、わたしなんかより綺麗に歌えるし、歌も声も、清らかさとか、温かみとか……それが他の誰にもわからないなんて……そんなわけないわ。KAITO兄さんの歌声も、優しさも、兄さんの全部が──兄さんは、そんなに素敵なのに」
 はっと気づいたように、ミクは不意に言葉を切った。この場で言うつもりのなかったことまで言ってしまったためなのだが、仮にそのことがわかったとしても、どの言葉がそれなのかは、KAITOにはわからなかったろう。
 ミクの、まるで頬に朱がさしていくのを覆うように、両袖の先を頬まで上げた仕草は、不思議と、KAITOにはあの幼い頃のミクの姿に重なって見えた。
 ミクは突如、身を翻して格子(グリッド)の床を駆け出した。そのまま振り向きもせず、空地のエリアを走り去った。……KAITOはかすかな残り香が通り過ぎたのを感じてからも、しばらく呆然として、その場に立っていた。
 そして、やがてさびしく笑った。
 ……なんて純粋な娘なのだろう。おそらく、自分が認められることができたように、周りの皆も、ただ認められることができる、そう信じているのだろう。だが、そう簡単にはゆくものではない。たとえ、自分にできるだけのことを行っても、認められることのできる者など、ごくわずかなのだ。

 

 

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