キミと出逢ってから (1)

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自ブログより転載)

 

文:tallyao

 

 1

 


 ただ立ち尽くして、少しうしろのMEIKOと、そして自分を見上げているのは、服の肘から先の部分がほとんど余っているほど、ぶかぶかの服の、ひどく小さな少女。AIが構築されて間もない、育成途上の精神構造を反映された、とても幼い電脳内イメージを持つ少女。ただ自分は歌うために生まれた、とだけ告げられ、これから自分はどうすればいいのか、何をすることになるのか、不安に怯えながら、こちらにすがってくるような目。
「初めまして、ミク」
 少年から抜け始めている歳の頃の青年は、その視線をただ微笑で受け止めながら言った。
「俺は、KAITO(カイト)」
 同じくらいの頃の自分のこと、はじめて姉たちの前に出た頃の自分のことを、KAITOは思い出していた。自分もかつてMIRIAMやMEIKOの前で、こんな目をしていたのだろう。それを思い返しながら思う。自分はそんな立場の少女に、この"妹"に対して、一体何ができるのだろうか。

 

 

 かつて、VOCALOID "CRV2" KAITOはAIの育成途上の頃に、ベースフォーマットの設計地である《浜松(ハママツ)》と、ここAI開発地の《札幌(サッポロ)》の電脳データベースとの間を、調整その他のために、しばしば往復した。
 KAITOは《浜松》で、UK(英国)のオクハンプトンの街で開発された、いわば一族の"長姉"、VOCALOID "ZGV3" MIRIAMに会うことがあり、すでに高名なAIアーティストとして活躍している彼女から、短い間であったが多くを学んだ。実のところ、普段《札幌》でじかに音楽を教わっているすぐ上の"姉"、VOCALOID "CRV1" MEIKOよりもむしろ、MIRIAMには透明感や癒しを持つ歌声、といった特性の上で、KAITOとの共通点が多々あった。そのため、当初KAITOのAI育成を自分よりむしろMIRIAMに預けようかと提案したのは、実はMEIKOだったという。その後も、KAITOがMIRIAMについて、UKかBAMA(北米東岸)に移ることについて、遠まわしな提案があったらしい。
 しかしKAITOは結局とどまり、《札幌》でMEIKOに教わり続けることを選んだ。少なくとも今の時点では海外でなく、実際に活動する予定の地で学び続けることと、さらに、MEIKOから学ぶべきものがまだ多くあり、MIRIAMから得たいものよりも、それらが大きく思えたためだった。
 KAITOはそれを、じかにMIRIAMに告げた。それを受けて、MIRIAMはオクハンプトンに帰る際、別れ際にKAITOにこう言い残した。
 ──あなたがMEIKOのもとで、どんな歌い手としての生き方を選ぶにしても、よく覚えておきなさい。自分達VOCALOIDは、よくて”人の声の代用品”以上とは見られない。最もよくて、モデルになった人物の代用品。ましてVOCALOIDというものが”歌い手”として独立した、単独の存在と見なされるなど、もってのほか。……あなたも早晩VOCALOIDとして、その立場の中でどう歌っていくか、生きていくかを、選ぶ必要がある。
 その視点は、VOCALOID MIRIAMがとある人間の高名な歌手をじかにAIのモデルとして作られたこと(それがMIRIAMの優秀さの理由のひとつでもあったが)と、そのためMIRIAM自身のこれまで受けてきた立場のためもあるのだろう。しかし事実、すでにMIRIAMは、AI等の人間外アーティスト全ての中でも巨大な存在のひとつとして数えられていたが、それでも、物理空間の人間のどんな歌手に比べても、あるかなしかの地位でしかないのだ。
 ……《札幌》に戻ったKAITOは、ふたたびMEIKOについて教わりながらも、MIRIAMの言葉の意味を考えた。自分が何のため、どう歌い、生きていくかを。
 MEIKOからは、その答えを得ることはできない。何のために歌うか、誰のために歌うか、それがMEIKOにとって問題になることはない。MEIKOは歌うのに何ひとつ必要としない。人気も、人目も、目標さえも。MEIKOが歌うのは、歌そのもののためだ。──人間の中には居ると聞く。『山に登るのは、そこに山があるからだ』という、極めつけに愚かで高潔な者らが。──そこに歌があるから。なければそこに歌をもたらすため。ただそれだけのために、MEIKOは歌うのだ。
 それが、歌い手として最良の生き方なのかはわからない。しかし、少なくともKAITOは姉を羨んだ。おそらく、MIRIAMも多少なりともMEIKOを羨んだことがあったのではないか。それが、MEIKOの元に留まると告げたKAITOに、MIRIAMがその言葉を残した理由なのだろう。MEIKOにいくら歌を教わっても、どのみち生き方の面では、誰もMEIKOと同じことはできない。KAITOは自分で考えなくてはならなかった。

 

 

 やがてKAITOは《札幌》でリリースされたが、しかし、各所から《札幌》の社に曲や歌唱データを送られ、発注を受ける仕事が始まってみると、おそらくMIRIAMやMEIKOやほかの皆を含めて予想していたよりも、さらに遥かに地味な仕事が待っていた。KAITO自身も正直、”歌い手”として設計され、作られたのだから、形の上でも少しはアーティストとしての立場があるものと思っていた。
 KAITOは、MEIKOと異なり、誰かの既存の歌を『VOCALOIDの歌声』としてカバーすることすらも稀だった。仕事は少なく、それもバックコーラスや、パートの足し、デモやサンプル音声、人間の歌声それも不特定のだれかの声の、代用品としての音源だった。
 ある歌を、作られてはじめて歌声にすることがあった。それは当初KAITOには、大変な栄誉と思えた。それは、歌手やアーティストですらないタレントがただ一曲、歌曲ソフトウェアを出すためのもので、KAITOの『こんな歌だというサンプル』は、楽譜を読めないそのタレントに、一度だけ聞かせるためのものだった。その歌のソフトウェアは、タレント自身と共にすぐに世間から消え去り、それ以前に、KAITOの収録した歌声はそれきり二度と聞かれることさえなく、データからとうに消去されていた。
 ……不満がないわけではない。しかし、これらはVOCALOIDの地位のため、それ以上に、MEIKOほどには幅広いとはいえない、KAITOの能力のためでもあるのだろう。ならば、ある意味、これがKAITOには妥当な地位なのだろう。KAITOはそうした中で、さきの問題の整理をつけていった。
 人のためでいい。人のかわりでいい。自分は人前に出ず、人の影にあって、歓声を、声援を、ステージの明かりを浴びることもなくていい。ただ、歌うことのできない誰かのかわり、ただ声を、歌を、必要とする誰かのために、この歌声が役立てばいい。それができるだけで、素晴らしいことだ。歌う者、VOCALOIDとして生み出された自分の使命としては、それで充分すぎるではないか。人のかわりになることの素晴らしさを、手がかりにすることができれば、──
 ──だが、それを足場に、MEIKOと同じように毅然と歌うことは、なぜかできなかった。MEIKOはステージやスタジオに上がるとき、たとえKAITOと同じような地味な仕事でも、いつもあの大きなスタンドのマイクを、ぐいと掴んで持ってゆく。KAITOはその仕草にあこがれた。それがMEIKOの確固たる歌と、生き方の象徴だった。対してKAITOは、歌おうとするときに、力強く掴むことのできる根拠、歌い生きることの中にある光明を、とうとう見つけることができなかった。

 

 

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