原点(ZERO)の彼方へ

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匿名ユーザー

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 「駄目だ! 声が小さい!」
 俺の声がスタジオに響き、緑の髪の少女はびくりと身を震わせた。
 彼女の名は、初音ミク。俺の所属事務所の新人歌手だ。
 一ヶ月半後のデビューを控えての、最終調整の真っ最中。
 俺のデビューから一年半。久々の新人だ。会社の期待も違う。
 俺の名はKAITO。売れない歌手だ。他の歌手のバックコーラスや音楽学校の講師などして細々と食っている。
 事務所では肩身の狭い思いをしていた俺だったが、副業の音楽学校の講師の経験を買われ、ミクのトレーナーを務める事になったのだ。
 デビューが決まって以来、ずっとマンツーマンでトレーニングを続けてきた。その結果、彼女は周囲も驚く程の成長を遂げたのだった。むろん、俺の指導のせい、という訳じゃない。彼女の生来の資質なのだろう。
 だが一つだけ、どうにもならない事があった。
 それは、彼女の声量。ともすればバックに埋もれてしまいそうになる声。これだけは、どうにかしなければなるまい。
 その先例が……俺だ。
 この弱いな声のせいで、何度仕事を断られた事か。
 俺の失敗を、彼女に繰り返させる訳にはいかない。
 しかし……
「もう……もう無理です、これ以上は……」
 彼女は今にも泣き出しそうな声で答えた。
 俺にも、彼女にとってその声が限界に近いという事は分かる。
 だが、そこで止まっていては駄目なのだ。優しい声を欠けたい気持ちをぐっとこらえる。
 MEIKO——俺の同僚だ——に匹敵する強い声を。
 だからこそ、俺は心を鬼にせねばならない。
「甘えていては駄目だ! もう一度だ、まだ出来る!」
「……」
 彼女の瞳から大粒の涙が溢れた。
「もう歌えません!」
 泣きながら彼女は身を翻す。
 そして、スタジオを飛び出してしまった。
「待て、! ミク……待つんだ!」
 俺は少女を追いかけようとし……

 

「ミク!」
 俺はベッドから飛び起きた。
「……夢、か」
 薄暗い部屋。
 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。
「また、あの夢か……」
 久々に見た、あの夢。
 ここ半月程は、全く見なかったのだが。
 カレンダーを見る。九月ももう半ばに差し掛かろうとしていた。
「そういえば……」
 ミクがデビューした頃か……あの夢を見なくなったのは。
 一つ大きく息を吐く。
 一躍アイドルとなった彼女。その噂は聞いている。
——何で気になる? ……もう、終わった事だ。
 彼女にあんな仕打ちをした俺に、会わす顔などあろうものか。

 

——あの時。
 なびく緑の髪を追い、あわててスタジオを飛び出した俺。
 廊下を走り去る彼女を追って走り出す……と、
 「何の騒ぎよ」
 背後からの声。
 振り向くと、そこのは馴染みの顔があった。
「MEIKO……」
 彼女は俺の同僚。
 事務所に入ったのは同期だが、デビューは彼女の方が早いので一応先輩という事になる。
「……何となく分かるけどね。少しは落ち着きなさいよ」
「分かってる。だが……」
「いいから来なさい」
 そう言うと、彼女は俺の手を掴み、歩き出した。
 スタジオ裏の控え室。
 俺に紙コップのコーヒーを手渡すと、彼女はベンチに腰掛ける。
 仕方なく、俺も同様に腰を下ろす。
「少し気合い入れ過ぎじゃないの? まだ一ヶ月半でしょ?」
 一口コーヒーを啜ると、彼女は口を開いた。
 確かにそうだ。だが、ここで気を抜くわけにはいかないだろう。
「もう一ヶ月半だ」
「……まっ、アンタらしいけどね……」
 ふう、と彼女はため息をつく。
「心配性ね。ま、アンタの焦りも分かるけど……あの娘にはあの娘の良い所があるんだからさ、もっと余裕を持ちなさいよ。アンタが幾ら気張った所で、実際にデビューするのはあの娘なんだからね」
 彼女の言葉は俺の心に重く響いた。
「そうか」
 俺はそれだけ答えると、コーヒーに口をつける。
 コーヒーのほろ苦さが口中に広がる。
「……そうだな」
 コーヒーを飲み下し、俺は大きく息をついた。
 焦り過ぎというのは、俺も重々承知していた。
 けれど、彼女のデビューを失敗させる訳にはいかない。
 こんな俺に、期待の新人のトレーニングを任せてくれたのだ。今までさんざん迷惑をかけてきた会社への、せめてもの恩返しをしなければ。
「落ち着いた?」
 彼女がそんな俺を見て苦笑する。
「まぁな」
 こうしちゃいられない。
 メニューの見直し。そして、ミクを捜してトレーニングを再会出来る様に説得する事。
「ありがとう。じゃあ、行くよ」
 席を立つ。
「あんまり無理しないでよ」
 と、MEIKO。
「分かってるって」
 答えると、俺は控え室を後にした。

 

——暫し後、スタジオ前
 ミクが見つからず、とりあえずメニュー見直しの為にスタジオに向かう。
 録音したデモを聞いて、問題点を洗い出し直さねばならない。
 ドアのノブに手を掛けようとし……
——歌!?
 微かに漏れる歌声。間違い無い。これは、ミクの声。
 ドアを僅かに開ける。
 歌っている彼女の姿があった。
 俺が指摘した箇所を何度も、少し目に涙を浮かべながら歌っていた。
 透き通る様な、澄んだ声。
 心の奥底まで染み込む様な。魂まで癒される、涼やかな声。
——!!
 何て事だ。
 俺は自分の過ちに気付いた。
 彼女の強みは、この透き通った声だった。
 分かっていた。分かっていたはずだ。
 だが、俺は分かっていながらその長所を潰す所だった。声の大きさに気を取られて、俺の理想を一方的に押し付けてしまった。
 トレーナー失格だな。
 俺は思わず自重の笑みを浮かべた。
 情けなさに泣き出したいくらいだった。
 俺はその足で社長の所へ向かい、トレーナー辞退を申し出た。
 彼は渋い顔をしたものの、俺の決意が変わらないと見て、首を縦に振った。
 MEIKOは、少し困った様な顔で一つため息をつき、
「後はあたしに任せて」
 と、苦笑いを浮かべて言った。
 そして、俺は事務所を後にした。
 歌手としての活動を一時休止し、独りで旅に出たのだ。
 それは、自分探しという名の現実逃避だったのかも知れない。

 

 沖縄。ベトナム。中央アジア。
 一月あまり、あてどなくふらついた。
 現地の人々と歌を歌い、酒を酌み交わす。
 そうするうち、萎えていた歌う事への気力が戻って来るのが分かった。
——俺はまだ歌える。
 だが、心の奥に微かに何かが残っていた。このままでは日本に戻る気には慣れなかった。
 そこで俺は、イギリスへと足を向けた。
 ロンドン郊外のスタジオ。俺の事務所と提携している会社だ。
 そこには懐かしい面々があった。
 LEON、LOLA、MIRIAM……デビュー前、ともにボイトレに励み、歌を語り合った仲間だ。
 俺は暫し、このスタジオで厄介になる事になった。

 

 そしてここは、スタジオから程近いアパートの一室。
 こっちの事務所の社宅として使われている部屋だ。たまたま空きがある部屋を使わせてもらっている。
 外から聞こえてくる、小鳥のさえずり。そして、子供の声。
 時間は……六時か。
 ベッドから降り、カーテンを開ける。
 優しい朝の光が、部屋の中を隅々まで照らす。
 一つ頭を振り、夢の残滓を頭の片隅に追いやった。
 窓を開け、深呼吸。
 朝の清々しい空気が俺の肺の中を巡り、身体の奥から瑞々しい力が湧いて来る様だ。
——そうだな、今日は少し外を歩いてみるか。
 こちらに来てからずっと、スタジオとこの部屋の往復ばかりで、ろくに外を出歩いていない。
 旅の疲れもあったが、こっちの新人のトレーニングに付き合っていたのだ。
 彼らと触れ合う事で、俺の至らなさに改めて気付かされる事しきりだ。
 もし出来るのならば、あの時に帰ってミクと歌いたいと思う。
 しかし、ミクは俺を許してくれるだろうか?
「…………」
 いかんな。ネガティブになりすぎてる。
 大きく息を吐き、考えを振り払う。
 軽く朝食をとると、身支度を整える。
 白地に青いラインの入ったジャケットと、青のスカーフ。
 9月とはいえロンドンの最高気温は20度にも満たない。上着は必須だ。
 アパートを出、朝の賑わいをみせる街に踏み出す。
 石畳の道をゆっくりと歩む。
 目に入る風景。聞こえる人の声、街の音。
 二時間程、あてもなく歩く。
 そしてたどり着いたのは、小高い丘。
 そこからは市街地が一望出来る。
——懐かしいな。
 同期の仲間、LEONとLOLAのデビューが決まった時、俺達五人はここでちょっとしたパーティーをやったものだ。
 MIRIAM、MEIKO、そして俺。
 次々にデビューを果たし、各々が多忙な日々を送っている。
 でも俺達はあの時の事をずっと忘れる事は無いだろう。
「……」
 柔らかい草の上に腰を下ろし、空を見上げる。
 流れ行く、白い雲。
 あの時と同じだ。
 今にもあの連中の声が聞こえてきそうだ。
 そう思った時、独りでに俺の唇から歌が溢れた。
 あの時、五人で歌った歌だ。
 今は俺一人。
 でも心の中には彼らの声が響いていた。
 また一曲。
 これはボイトレをしていた時の曲。
 また一曲……
 そうして何曲か歌い続けていると、不意にもう一つの声が被った。
 聞き覚えのある、美しい声。
 この声は……
 歌い終え、振り返る。
 見知った顔があった。
 声と同様、美しい女。
「 MIRIAM……」
「やはりここにいたのね。知り合いの子から、奇麗な歌が丘から流れてくるって聞いたから、来てみたの。ごめんなさい。邪魔しちゃったかしら」
 風に流れる金髪を書き上げ、彼女は微笑んだ。
「いや、そんなことはないさ。相変わらずの声だな。聞き惚れちまう」
 お世辞などではない。
 彼女の透明感のある歌声には、魂まで癒される様だ。
「どういたしまして。褒めても何も出ないわよ。……と、言いたい所だけど、これ、食べる?」
 彼女が、手に持つ紙袋から何かを取り出し俺に差し出した。紙のカップの様な物。
「アイスか……」
「いらない?」
「いや、頂くよ。ありがとう」
 俺達は二人並んでアイスクリームを食べ始めた。
「来る途中、アイスクリームバン(アイスクリーム売りの車)を見かけたの。美味しいって評判の。あ……そうそう、手紙が来てたの。あなたに」
「手紙?」
「そう。これを届けようと思って。部屋には居なかったから。日本からよ。貴方の事務所からじゃないかしら」
「そうだったのか。ありがとう」
 彼女が差し出した封筒を受け取り、封を切る。
 中には三枚の便箋。
 一枚目は……
「むぅ……」
 ……神経質そうな細かい字がぎっちりと並んでいる。
「……読めるの? それ」
 隣から覗き込んだMIRIAMが、眉間に皺寄せて呆れた様に呟く。
「……慣れてる」
 これはプロデューサーの字だ。
 軽い鬱気質なあの人らしい、といえばそうだが……もう少し読みやすくしてくれないものか。内容もかなりまわりくどくて頻繁に話が飛んでいる。
 苦労して理解出来た内容は、事務所の近況だ。
 ……MEIKOが酒飲みになって、ミクがネギ振ってる? 何だそりゃ?
 何か頭が痛くなってきた。
 鬱状態が更にひどくなってるのかも知れない。
 今まで俺がスケジュール管理とかやってたからな……。
 MEIKOとミクの二人じゃちょっときついのかも知れない。
 まあいい。とりあえず、二枚目。MEIKOからだな。
 奇麗で読み易い字だ。……もっとも、さっきのに比べたらほとんどの手紙は読み易くなるが。
 内容は……要約すると、「いつまでもウジウジしてないで、早く帰ってきなさい」か……。
 MEIKOらしい。
 三枚目。これは……
「ミク、か……」
 やや小さくて丸っこい、可愛らしい字。
 内容は……
『KAITOさん、今何をしてますか? もし日本に帰ってきたら、また一緒に私達と歌って下さい』
 ただ、それだけ。
 彼女は、また俺と歌う事を望んでくれている。
 そう思うだけで、胸が熱くなった。
 不覚にも涙が溢れそうになり、慌てて空を見る。
「……どうしたの?」
「いや、ちょっとな」
 俺は曖昧な返事を返し、手紙に視線を落とした。
 と、その時、記憶の片隅に浮かび、そして消えた情景。
 ……?
 思い出せない。じっと手紙を見る。
「……溶けるわよ。早く食べないと」
 と、MIRIAM。
「ああ、そうだったな」
 慌てて少し溶けたアイスの残りを口に運んだ。
「……!」
 思い出した。
 初夏の暑い日。ミクのトレーニング中、スケジュールの合間を縫って顔を出してくれたMEIKO。彼女の差し入れのアイスクリームを食べつつ三人で歌について語り合った事。
 ミクも苦しい時期だったはずだが、楽しそうに夢を語っていた。
 そうだった。
 俺の夢は、一人でも多くの人に、俺の歌を聴いてもらう事。
 一曲でも多く曲を歌う事。
 それだけだ。
 ここで鬱屈していても、何もならない。前に進めはしない。
 顔を上げる。
「……俺、日本に帰る事にするよ」
「そう」
 MIRIAMは微かに微笑んだ。俺の答えを知っていた様に。

 

——翌朝
 俺は仕度を整えると、スタジオへと向かう。
 皆に別れの挨拶をする為だ。
 スタジオには、まだ誰も来ていなかった。
「……」
 静かに演奏されるのを待つ楽器たち。
 俺は傍らのピアノの蓋をそっと撫でた。
 そこに映る、俺の顔。
 妙に晴れ晴れとしていた。
 何か可笑しい。
「……」
 廊下に人の気配があった。
 振り向いた視線の先で、勢い良くドアが開く。
 現れたのは、三十代前半とおぼしき男。オールバックにした髪と、やや浅黒い肌に無精髭という風体だ。
 この男の名はLEON。
 こっちの事務所に所属するシンガー。俺の同期の中で、一番先にデビューした奴だ。
 ……しかし、相変わらず容姿が一定しない男だ。
 最初に会った時は色白の瀟洒な美声年と言った風だったが、俺のデビューの頃は真っ黒に日焼けしていた。そして今は、この姿。
 次に会う時はどんな姿か密かに楽しみだったりするが。
「よう……兄弟。聞いたぜ? 日本に帰るんだってな」
「ああ。突然ですまん」
「どういう風の吹き回しで、と思ったが……そういえば、そっちで新人がデビューしたんだったな。あの可愛い娘だろ?」
「ああ。今や大人気らしい」
「へえぇ〜〜、大したモンだ。いずれ大物になるとは思っていたがな……」
「ああ。事務所も大わらわらしい。で、プロモーターもダブルブッキングやらかして、MEIKOが代理に引っ張り出されてご機嫌斜めだそうな」
「成る程な、あの姉ちゃんらしいや」
 MEIKOの歌にかけるプライドは、人一倍高い。生来の負けず嫌いっていうのもあるのだろうが、後輩の代理扱いされ、ひどくプライドを傷つけられたのは想像に難くない。
「まあ、とりあえずミクが成功したのは一安心、って所だな」
「そうだな。……前に会ったのは、いつだっけか? 可愛くなってるだろうな」
「ミクが可愛いのはずっと前からだ。それより、頬ずりだけはやめろよ。今のミクにやったら立派なセクハラだからな」
「もうやらん。後でLOLAにシバかれたからな……」
 相変わらずLOLAの尻に敷かれてるのか。そんな事を思っていると、奴は何か思い出した様にポンと手を一つ叩く。
「ああ、先月、あの娘に“お守り”送っておいたぜ」
「お守り?」
「リーキだ」
「リーキって……あのネギか!」
 リーキとはこっちでよく使われるネギの一種で、下仁田ネギによく似ている。しかし、何故そんな物を? 嫌な予感がするが……
「ただのネキじゃないぜ。“歌の国”ウェールズの国花であり国章でもある有り難いものだからな。それに、可愛い女の子がネギ振るのが最近流行ってるそうじゃないか」
「成る程な……って、貴様のせいか」
「……どうした?」
「……いや、何でも無い」
 むぅ……今更責めても仕方が無いか。しかし……
 どうしたものかと考え込みかけた時、
「デビューか……俺には眩しい言葉だぜ」
 横からの野太い声。
 見やると、身を竦めてドアを潜ってくる巨漢の姿があった。
「……AL !? 来ていたのか」
 この男はBIG-AL。スウェーデンの事務所に所属している新人だ。顔に縫い目とかなり強面だが、気は優しい良い奴だ。何よりこいつの魅力は低音。その部分に限って言えば、俺やLEONより秀でるだろう。
「おうよ。KAITOの兄貴が帰るって聞いたんでな。でも水臭いぜ。俺のデビューを見届けてくれるんじゃなかったのか?」
「ああ。すまん。また来るさ。次は一緒に歌えると良いな。ステージで」
「だと良いんだけどな……。でも俺、本当にデビューさせてもらえるのかな」
 大きな身体が気の毒な程縮こまった。
 こいつの気持ちは良く分かる。デビューの日程がなかなか決まらず、焦っているんだろう。俺もそうだった。LEON達に先を越され、MEIKOもデビューし……そこから一年以上俺は待たされた。一躍アイドルとなったMEIKOの姿を遠くから眺めつつ、ひたすらボイトレに励んだあの日。何度も折れそうな心にむち打ち、デビューの日を待った。
 ……最も、デビューしても待っていたのは辛い現実だったが。
 何かとMEIKOと比較され、仕事も何度と無く門前払いされ……
 それでも、自分の夢を果たすことができたのだ。それだけは、何物にも代え難い。
 せめてあの時の喜びは、こいつにも味わわせてやりたい。
「安心しろ。大丈夫さ。……俺でもデビュー出来たんだからな」
「……その言い方、逆に不安になるぜ?」
 LEONが茶化す。
「……痛い所を」
 俺は苦笑し、肩をすくめた。
 ALは居心地悪そうに身を縮める。
「AL、アンタもさ、いじけてないでしゃんとしなよ」
 と、女の声。この声は……
「姐さん……」
 ALの背筋がぴんと伸びた。あやうく電灯に頭がぶつかりそうになる。
「ANNも来てたのか」
 MIRIAMとともにやって来たもう一人の金髪の女。
 女性らしいメリハリのある肢体。そして、ALとお揃いの首元の縫い目。
 ……ソレに何の意味があるのか、俺は聞いていない。触れてはいけないものな気がするのだ。
 顔は……こっちじゃ美人なんだろうが、かなり濃い。まあ、この辺は好みの問題だろう。
 彼女もまた、スウェーデンの事務所に所属している新人だ。デビューを目前にしての最終調整の真っ最中。向こうの事務所は彼女が初のシンガーである為、週に何度かこっちに顔を出してLEON達からボイトレを受けている。それに俺も協力していたのだ。
 声量もあり、得意な音域も広い。MEIKOに近いかも知れない。
「ええ。お礼を言わないといけないしいね。それと、ミクさんだっけ? 新人同士頑張りましょうって」
「分かった。伝えておく」
「私も……」
 と、黒髪の女。こっちはここの事務所の新人、PRIMA。
「ところで、日本で貴方を待ってる女(ひと)はどなた? MEIKOさん? それとも、新人のミクさん?」
「いや……その……」
 思わず口ごもる。
「ハイハイ、そこまで。根掘り葉掘り聞くものじゃないわ」
 と、助け舟を出してくれたのは、LOLA。LEONと同期のデビュー。
「……もうそろそろ行かなきゃいけない時間でしょ?」
「ああ、そうだな……。名残惜しいよ」
「じゃあ、お別れの前に、一曲皆で歌いましょ。PRIMA、ピアノをお願い」
 頷くと、PRIMAはピアノに向かう。
「曲は……何が良い?」
 と、LOLA。
「そりゃあ……」
 あの時、五人で歌った歌。
 やっぱりね、とLOLAは頷くと、PRIMAに指示を出す。
 程なくして俺達の歌がスタジオ中に響き渡った。

 

 歌い終えると、俺は彼らと握手をし、名残を惜しんだ。
 そして、こう続けた。
「みんな、今度また日本に来いよ。あっちでも色々盛り上がってるらしいからさ」
 日本でまた一緒に歌えたら良い。それだけの軽い気持ちだった訳だが……この時、俺はその後の(阿鼻叫喚な)状況など全く想定出来なかった。
 ……正直スマンカッタ。

 

——成田空港
 到着手続きを済ませ、荷物を抱えて到着ロビーへ向かう。
 さて、ここから駅まで歩かねば……
 少々うんざりする。
 と、俺の視界に飛び込んできた、見知った顔。
「MEIKO……」
 いや、それだけじゃなかった。銀髪を首後ろでまとめた、どことなく陰気な雰囲気を漂わせた女性の姿もある。
「プロデューサー……来てくれたんですか」
「……そのツマンネ顔をまた見るとは思わなかった」
 どうやら歓迎してくれているらしい。
 それより……
 MEIKOの後ろに、少し恥ずかしそうに隠れている少女。
「ミク……」
「あ、あの……KAITOさん」
 MEIKOに押され、彼女はおずおずと前に出る。
「すまなかったな、あの時は……」
「そ、そんな事……」
 少し困った様に俺を見る。
「もう……会ってすぐにそれ?」
 俺達の様子を見、MEIKOが苦笑を浮かべる。
「もうちょっと景気の良さそうな顔したらどうなの?」
「そうだったな。手紙、ありがとう。あれでまた歌う気になれたよ」
「そんな……私は、ただ……」
「そうだな……また、アイスでも食べながら一緒に歌おうぜ」
「……ハイ!」
 一瞬ミクは戸惑った様な顔をしたが、すぐに可愛らしい笑みを見せた。
「アイスって……もうちょっと気の利いた事言ったらどうなの? まっ、アンタらしいけどね」
 MEIKOが呆れた様に言い、プロデューサーは「ツマンネ」とため息をついた。
「これでみんな揃ったな」
 背後からの声。
 振り返ると、三十代半ば程の男が口元に笑みを浮かべて立っている。
「社長まで……」
 俺達の事務所の社長である。
「元気そうで何よりだよ、KAITO。また、一仕事頼めるか?」
 彼は後ろを振り返る。
「一仕事? あれは……」
 向こうからやってくる二人組。十代半ばの、金髪の少年と少女だ。
「リンとレン……あの二人も、デビュー決まったんですか?」
「ああ。12月にな。こっちも色々忙しくなって、人手が足りないんだ」
「ええ……俺なんかで良ければ」
「頼むよ。……正直、手に余るんだ」
 社長は苦笑いを浮かべた。あいつらは(良く言えば)元気がいいからな……。一筋縄では行かないんだろう。
「努力してみ……うぐっ!?」
『KAITO兄ちゃ〜〜ん!!』
 二人が同時に俺に体当たりをしてきた。
 こいつらは軽く当たったつもりかも知れないが、不意をつかれた上、二人は結構パワーがある。
 俺は後ろに吹っ飛び、無様に倒れ掛かった所をMEIKOが手を掴んで起こしてくれた。
「スマン。ありがとう。しかし、リンもレンも手荒だな」
「だってさ〜、兄ちゃん、いきなりいなくなっちゃうから、俺達寂しかったんだぜ」
「そうよ〜。もっと遊んで欲しかったのに」
 ……こいつら。安請け合いすべきじゃなかったかな?
 ともあれ、俺にはまだまだやる事がある。嬉しい事だ。
「っと、忘れてた。これをまず言わないと。ただいま。またみんなと歌おう」

 

——新年
 昨年末にはリン、レンが無事デビューを果たし、海の向こうからはPRIMAのデビューが決まったという知らせが舞い込んできた。
 ミクが忙しいのは相変わらずだ。MEIKOも親衛隊まで出来ている程だ。
 で、俺はというと、どういう訳か物好きな連……いや、ファンがどんどん集まってくれている。有り難い事だ。これも全てミクのおかげだな。
 そのせいで、リンレンのボイトレには途中からほとんど関われなくなってしまったが。
 何にせよ、歌うことが出来る今が一番幸せなのだと思う。

 

——東京郊外 とある一軒家
 ここは俺達の今の宿舎だ。ここでプロデューサーやMEIKO、ミク、リン、レン達と暮らしている。
 スタジオからは程近くの場所だ。
 先刻収録を終えた俺は、玄関のチャイムを鳴らす。
「おかえり〜!」
 リンの声。
「おう、帰ってたか。みんなは?」
「MEIKO姉もミク姉、レンも帰ってるよ。プロデューサーは?」
「ああ。まだ最終調整の為にFL-CHANと打ち合わせしてる。でも、もうすぐ終わって帰って来るんじゃないかな?」
「へぇ〜、今回の出来はどうなんだろ?」
「……『ツマンネ』がいつもより少なかったから、多分上出来だったんじゃないかな」
「……何でそれだけで分かるのよ」
「慣れだ」
 気質的に近いからかもしれん。……とは思いたくないが。
 とりあえず、リビングへ。
 三人が各々くつろいでいる。
 ……MEIKO、もう一杯やってるのか。
「お〜〜、帰ったか。アンタも一杯やる?」
「……もう出来上がってるのか。後でな。後、ミク達には飲ますなよ」
「わあ〜って(分かって)るわよ」
 ……本当に分かってるのだろうか。
「おかえりなさい。収録、どうだった?」
 そう言ったのはミク。
「ああ、上手く言ったよ。……そうだ、コレ」
 俺は手に持つ紙袋を机の上に置いた。
「え〜っ、何? 美味いモノ?」
 レンが身を乗り出す。まあ、食べ盛りだから仕方が無いか。
「お土産だ。食べるか?」
 袋を開け、中身を取り出す。
「何? ……ってコレ、アイスじゃん」
「おう。美味いぞ!」
「一個、もらっていい?」
 ミクが手を出す。
「ああ。レン達も食べるか?」
 中身を見て手が止まったリン、レンに問う。
「……何でこの寒いのにアイスなのさ」
 不思議そうに問う彼ら。まあ、仕方が無いだろう。
「俺の、もう一つの原点だからな……」

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