まだ汗もひかぬ私の髪にそっと触れ、彼は私の声を評してこう述べた。
まるで子猫が唸るようだ、と。
まるで子猫が唸るようだ、と。
彼にとって、私はそのとおり、子猫のような存在だったのだろう。
何もかも光に溶けるようなステージの上、
音の洪水にあらがうように声を張り上げる、
そんな私を、彼は雨の中から救い上げたように感じているのかも知れない。
そんな私を、彼は雨の中から救い上げたように感じているのかも知れない。
暗い観客席の果てから腕を伸ばして。
掌の大きな人だった。
私が、彼の煙草の匂いが染み付いたジャケットに頭を埋めると、その掌で掌の大きな人だった。
後ろ頭をすっぽりと包んでくれた。
その温もりが全てだと思う夜も確かにあった。
首筋、肩、頬、
汗で滑る肌をなぞり、彼は呟いた。
汗で滑る肌をなぞり、彼は呟いた。
「君、まだ歌うの辞めないんだね」
「来てたの?」
「来てたの?」
バンドのメンバーはもう先に帰っていた。
演奏が終わった後に、一人残ってぼんやりとするのが私の癖だった。
演奏が終わった後に、一人残ってぼんやりとするのが私の癖だった。
人気のない裏口の隅、非常灯の緑の光がリノリウムの床を染めあげ、
耳にはドラムの低音が絶えず響く。
彼は親指で私の頬をそっとなぜた。
「あんな、苦しそうな歌い方するから、俺が困るんだよ」
どうして、と唇が震えかけたが、なんとなくそのまま口を閉じてしまった。
目元までかかる前髪を摘むその指先が、視界に大きく写り、
それから先のことは覚えていない。
目元までかかる前髪を摘むその指先が、視界に大きく写り、
それから先のことは覚えていない。
今思えば、彼は私の歌が嫌いだったのかも知れない。
雨に煙る紫陽花の、紙細工のような色彩が、窓ガラスを透けて私の肌に映っていく。
あか、あお、入り交り、とても花とは言えない色彩で。
あか、あお、入り交り、とても花とは言えない色彩で。
雨粒の伝うのを白い指先で辿る。
「何みてるの」
煙草の匂い、堅い胸板が私の肩に合わさる。
背後に弱く熱の固まりを感じる。
背後に弱く熱の固まりを感じる。
「居たの?」
窓ガラスを伝う私の指先を大きな掌で包み込むと、
彼は私の手首を裏返し、そこに映る赤をじっと見つめた。
私は庭から目を離さないでいた。
彼は私の手首を裏返し、そこに映る赤をじっと見つめた。
私は庭から目を離さないでいた。
「紫陽花か」
彼が私の手首を撫でている。
優しいその動きはそのままに、声は重く暗い。
優しいその動きはそのままに、声は重く暗い。
「赤色、青色、綺麗に混ざって不思議」
私はそう呟きながら、後ろを振り返って、彼を仰ぎみた。
その横顔は、実に静かだった。
その横顔は、実に静かだった。
「紫陽花は綺麗だけど、枯れた後が難だね。茶色の汚いのが青々とした葉に
ぶらさがって、その対比が気持ち悪くてたまらない」
貴方は赤と青、どちらが好きなの。
そう彼に尋ねようとした、
その矢先に彼が私の手首の紅い痣を親指でぐっと押した。
その矢先に彼が私の手首の紅い痣を親指でぐっと押した。
「君は、青が足りないね」
一つの儀式のように思えたから、それも彼の愛情なのだ、と思っていた。
あるいは、あか、あお、真逆のものなのか。
今思えば、彼と私は良く似ていたのかも知れない。
風に巻かれて暴れているような音符の中、
彼が嫌いなこの声で、私はまたステージの上、唸るように歌う。
光が溢れるステージからは、暗闇に沈む客席は夜の海のようで、
彼がこの場に居るのかさえ分からない。
彼がこの場に居るのかさえ分からない。
それでも声を張り上げる。
消えそうになる度に新しく傷つける、彼が残した赤と青はキャミソールの下、
紫陽花、今頃消えているだろうか。
消えそうになる度に新しく傷つける、彼が残した赤と青はキャミソールの下、
紫陽花、今頃消えているだろうか。
彼にこの歌は届くだろうか。