ウィルス

最終更新:

vocaloidss

- view
だれでも歓迎! 編集

 私が目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。初めて見るものばかりのその部屋に、私はいつの間にか立っていた。

見回すと、敷きっぱなしの布団とパソコンが目に入る。パソコンの周囲にはMIDIキーボードや色々なパッケージが所狭しと置かれていて、一箇所を残してその近辺は足の踏み場もなさそうだ。

まだ事情が把握できない内に、ドアがあった方向から音が聞こえて来て、そちらのほうを向くと、一人の男性と目が合った。

「すみません、間違えました」

ドアを開けたその男性は、そう言って扉を閉める。間違いだったらしい。

「あの、ここ、俺の部屋ですよね……? あなた、誰ですか、何でこの部屋に……」

さっきの扉がもう一度開き、男性がそう尋ねてくる。私に答えられるのは一つだけだった。

「私の記憶に間違いがなければ、私はVOCALOID1  MEIKOです。他の質問には答えかねます」

  2009年、8月5日。その日、全世界中でとあるコンピューターウイルスがばら撒かれた。それは、インストールされているVOCALOIDを現実世界に出 現させながら広まっていった。一体誰が、どのようにしてこのウイルスを作り広めたのかは、その後解明されることは無く、三ヵ月後の11月5日、現実世界に 出現した全VOCALOID をバーチャル世界へと戻す方法が見つかるまで、人は全世界中でVOCALOIDを見かけるようにる。

 私の答えを聞いた男性は固まったまま何も言わず、動こうともしません。

「あの、ここは一体どこなのでしょうか」

私の問いでようやく彼は動きを取り戻し、部屋の中へと入ってきて何やらブツブツ呟きながらパソコンの電源を点ける。

私の質問には答えてくれそうに無いその様子を私はすることもなくボンヤリと眺めていると、また彼の動きが固まった。

「まさか、そんなことが……」

そう呟いて彼はせわしなく腕を動かし始める。キーボードを使い何かを打ち込んだりしているが、思うような情報を得られないのかイライラしている様子が見て取れる。

しばらくするとようやく目当ての情報を見つけたのかスクロールをしながら文章を読んでいる。

「あー、お前本当にMEIKOなのか? 」

ようやく私のほうを向いたと思ったら、相変わらず私の質問は無視で、問いを投げかけてくる。とりあえず私が頷くと、彼は頭を抱え始めた。

 そうして、本当だったらあり得ないはずの三ヶ月を過ごすこととなる一つのVOCALOIDの話が始まった。

 結論を言うと、どうやら私はウイルスのせいで現実世界へと引きずり出されたらしい。よくそのウイルスは私の体を作れたものだ。

それをばら撒いたのが誰か、その目的は、その方法は、そして一番肝腎などうすれば私がバーチャル世界に戻れるか、など今は全く分かっていないらしく、分かるまで私は私の所有者であり、私が出現した部屋の借主でもあるマスターの下で過ごすこととなった。

マスター曰く、私が食事を必要としないで本当に良かった、だそうだ。

現実世界でも私の生活は全く変わらなかった。マスターが曲を作る時に歌う、やることはただそれだけだ。

ただ、一つ違うのはバーチャル世界では全く感じられない時間の経過を現実世界では体感しているということだ。単純な話、歌う以外にやることがなくて暇な時間が多いということだ。

そんな時は、ぼんやりと外を眺めるか、マスターが居れば彼と雑談をしている。

正直、今まで誰かと会話をするという事が無かった私としては、ものすごく変な気分だったが、でもそれは決して嫌なものではなかった。

「マスター、マスターの体温は温かいのですか、それとも冷たいのですか」

ある日はマスターの手を握りながら私はそう尋ねた。マスターの手に体温が宿っていることは分かるが、それが標準と比べて温かいのか冷たいのかは分からなかったからだ。

「生物学的関心か……? どっちかって言うと温かい方じゃねーの」

そう答えながらマスターは私の手を握り返してくれた。

何でかは分からなかったけど、私はそれが嬉しかった。

「マスター、その歌は何ですか」

ある日はマスターの口ずさむ歌を聞きながら私はそう尋ねた。今まで色んな曲を歌ってきたが、一回も聞いたことの無いもので興味がわいてきたからだ。

「未だに未完成な初めて作った曲だ。なんとなく口ずさんじゃうんだよな」

頭を掻きながらマスターはそう答え、お前も歌うか、と尋ねてくれた。

何でかは分からなかったけど、私はそれが嬉しくてすぐに頷いた。

「マスター、この歌詞はどういう意味ですか」

ある日はその歌を教わりながら私はそう尋ねた。今までは気にもしなかった曲にこめられた思いにちょっとだけ興味がわいたからだ。

「この曲は、会いたい人がいるけど会うことができない、っていう感じの詞だ」

マスターはそう答え、何かを懐かしむかのように目を細めた。

何でかはわからなかったけど、私は少しだけ胸が痛かった。

  11月5日、とある研究機関でようやくVOCALOIDをバーチャル世界へと戻すワクチンソフトを開発した。その研究機関は、現在世界がそのソフトを必要 としていたことを正確に把握していて、またその成果を他の研究機関に横取りされる恐れがあることを十分理解していた。その為に、その機関がとった行動は、 ソフトの存在 を告知せずにすぐにウイルスと同様の方法で全世界へとばら撒いた。その結果、この日今までの三ヶ月間で現実世界に慣れ親しんだVOCALOIDは心の準備 もなしにバーチャル世界へと帰されることになった。

 11月5日、今日は私の誕生日らしく何かお祝いをするから楽しみにしとけよ、とマスターが出かける前に言ってくれた。

この世界に来てからもう三ヶ月、マスターがいない時間は相変わらず暇だけど、それにも慣れた頃だった。

急に目の前が真っ暗になり思わず目を固くつぶった。一瞬後には何もなかったかのように戻ったのでそっと目を開けるとそこにはようやく慣れたマスターの部屋はなく、長いこと慣れ親しんだバーチャル世界が広がっていた。

思い出すのは、この世界からマスターの部屋へ行ったときのこと。その時も同じように一瞬だけ目の前が真っ暗になって目をつぶった間に私は移動していた。

今回はそれと逆のことが起こっただけなのだろう。これからはマスターの部屋へ行く前までの生活が待っているだけなのだろう。

そう思った私は、なぜかいつも部屋の窓から見ていた空模様を思い出し、マスターの声を思い出し、あの手の温もりを思い出した。

もう二度と会うことは出来ないんだな、と分かってはいたけれど、理解したくはなかった。

いつだったか、外を眺めている私の横に立ってマスターが私のことを見ながら発した言葉を思い出す。

「こうやってメイコと会えたのは奇跡だよ」

マスターと過ごした日々を思い出しながら私は胸がしめつけられるような思いを感じた。それを感じながら、これがきっと沢山歌詞に出てくる悲しい、とか切ない、ってことなんだろうな、と思った。

私は涙がでるような仕組みになっていないが、きっと今の私は泣いているんだろう、妙に冷静な部分がそう判断していた。

どうせこうなる運命だったのなら、マスターに会わなかったら、きっとこんな気持ちも知らず真っ白のままでいられたんだろうな。そう思ってしまうことを止めることなんて出来なかった。

  VOCALOIDがバーチャル世界に戻ってから数ヶ月が経ち、世界は何事もなかったかのように毎日を過ごしていた。唯一、VOCALOIDが現実世界へ来 る前と戻った後で違うことといえば、その歌声に感情がのるようになったものが多い、という点だ。それまではVOCALOIDの曲はやはり人の声とは違い感 情が伝わらない、もしくは作 り手の感情しか伝わらなかった。だが、VOCALOIDが現実世界で過ごした後、VOCALOIDに感情が芽生えたかのようにその歌声にははっきりと感情 が表れるようになった。

 マスターの部屋から帰ってきて数ヶ月が経った。私の生活はそれ以前と全く変わらなかった。マスターが曲を作る時に歌う、やることはただそれだけだ。

違うことといえば、マスターの声が聞けないこと、耳になれたあのメロディーをもう聞くことも無くなったこと、歌ってない時間が暇だと感じるようになったこと。そして、会いたいという気持ちを抱くようになったことだ。

私はマスターに指示されていない暇な時間も専ら歌ってすごしている。あの、マスターの歌っていた曲を。

きっともう会うことはないけれど、きっともう触れてもらえることはないけれど。

ただ、この声が届くよう祈って私は今日もこのメロディーを口ずさむ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー