リッチミルクはどんな味?

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匿名ユーザー

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文:稲人

 

「父ちゃん、カイトってマジで死ぬの?」
 小学四年生になる息子が、耳元で訝しげに囁く。
一年前、かかりつけのロボット専門医からあと一年の命だと宣告されたあの頃なら、俺はその問いに目に涙を浮かべながら頷いたことだろうが、一年経った現在、相も変わらず恍惚の表情でアイスを頬張るカイトを見る限り、やはり俺も息子と同じように訝しげに「分からん」と回答せざるを得なかった。
冷凍庫にあるアイスをラベルに目もくれる暇無く片っ端から手に取り、次から次へと腹にかきこんでいくカイトは元気そのもので、この先末代までウチの家計の数パーセントをアイス代に変えていく、まるで貧乏神の如く我が家にずっと住み続けるのではないかとさえ、この時俺は思っていたのだ。


               ◆


「たぶん、同情買ってアイスいっぱいもらおうとしてるんだぜ? ぜってえ死ぬ死ぬ詐欺だって!」
 息子が言う。うーん、そういわれるとそんな気もしてきた。
カイトを買ったのはもう三十年前になる。その頃俺は高校生で、年恰好も似ていた俺達は兄弟のような友達のような、それでいて一般的なマスターとボーカロイドのような、そんな一言で言い表せない不思議な関係だったように思う。今じゃ俺だけがだいぶ老け込んで、端から見れば親子とさえ思われてしまうかもしれないが、それでも俺達の関係はあの頃とあまり変わっていない。
 
 そんなカイトの寿命も間近だと、一年前に宣告された。
一向に機能を停止するそぶりを見せないばかりか、日に日に元気になっていくようにさえ見えるカイトに死の気配は影さえ浮かんでいなかった。
代わりに、と言っては何だが、三ヶ月前に親父が死んだ。
恰幅のいい人だったのに、病に倒れてからはみるみるやせ細っていって、見ているのが辛かった。
死に向かっていく親父の傍らにずっといて、親父が死んだ後もまだ一人、死を宣告された者が身近にいると言うのは、どうにも生きている心地がしないものだ。
今のところ、カイトが元気であることが何よりの救いだと感じる。
「マスター、今日のダッツはいつにもまして旨いですよ! アイスの味は幸せの味です! 夏真っ盛りでいよいよアイスの季節到来ですねぇ~」
 お前のアイス好きに季節なんて関係あるのか? というツッコミはすでに三十年前に終えている。
カイト曰く、「だって一人で食べるアイスより、みんなで食べるアイスのほうが美味しいじゃないですか。だから夏が好きなんです」だそうだ。
そんな能天気なことばっかり言ってるからバカイトなんだよ。
「このタダ飯喰らい~! ちっとは遠慮しろよな!」
 息子がカイトにつっかかる。カイトは息子に舐められまくってるのだが、これでも二人は仲がいい。
「って、お前もタダ飯喰らいだろーが」
 コツン、と俺は息子の頭を小突く。
「ですよねー」
 と、舌を出しておどける息子。
「さて、んじゃあアイス食い終わったみたいだし、昨日のレコーディングの続き、やっちゃうか」
「はいマスター! 今日はなんとリッチミルクを食べましたからいつにもましてリッチな歌声で――」
 ビターンッ!とリビングに音が響く。
突然カイトが顔から床にダイブした。転んだのだ。
「うははははは! 何も無いところで転ぶなよバカイトぉー」
 腹を抱えて笑う俺と息子。昔からバカでドジだったが、最近さらにエスカレートしてる気がする。
「は……はにゃ(鼻)が……はにゃが痛いれす……ますたー……」


               ◆


 リッチミルクパワーが本当に存在するのか否かは分からないが、確かに今日のカイトはよく声が出ていた。
寿命が近いなんて話がさらに信じられなくなるほどの美声で、長年聞いてきた声であることも忘れて聞き惚れてしまった。
「これがリッチミルクの力です! グッ!」
 親指をグッと立ててサムズアップをするカイト。勝ち誇ったような顔が実にウザい。

 まあそういうことで、今回の録音はこれにて終了。あとはオケとミックスするだけだ。
カイト自身も持てる力の全てを出し切ったのか、ずいぶんお疲れのご様子で。
「ん~、今日はなんだか疲れました。先に休ませてもらいますねマスター。おやすみなさ――」
 言葉を言い終える前に、カイトの姿は俺の視界から消え、直後轟音が響いた。どんがらがっしゃ~ん。
カイトは足元のゴミ箱に右足をぶつけ、体勢が崩れたところで左足をゴミ箱の中に突っ込み、そのままバランスを失って尻から床に叩きつけられた。
その拍子に、中のゴミが豪快に飛び出して辺り一面に散乱する。
昨日ゴミ箱の中身は捨てたばかりだったので、幸いにもあまり被害は広範囲には及ばなかった。
それにしても、すげえこけ方。コメディアンもびっくりだ。
「す、すいませんマスター。今片付けますから……」


 散らばったゴミを回収するカイトの手元をなんとなしに眺めていると、どうも妙な心地がした。
”本来あるべきはずのもの”がそこに無い。代わりに、そこには”あるはずの無いもの”が存在している、そんな違和感。その違和感の発信源は、ダッツだ。
 四散したゴミの中に紛れて床に転がっているダッツのカップが一個。
表面には、真赤で美味そうな苺の写真。
自作のレコーディングスタジオ(と言うほど大層なものではないが)の入り口脇にあるこのゴミ箱に、カイトがスタジオ入りする前にカップを捨てていたのを俺は見ていた。
カイトの言った言葉を思い出す。
『今日はなんとリッチミルクを食べましたからいつにもましてリッチな歌声で――』
 そういい終える前に、カイトは床へダイブしたのだった。
 そう、リッチミルク。
あの時カイトはリッチミルクを食べたと言い、そのカップをそこのゴミ箱に捨てた。
ならば、今床に転がっているダッツはリッチミルクでなければいけないはずだ。
しかし、飛び出たダッツはストロベリーただ一つ。
ゴミ箱の中にそれとは別にリッチミルクの容器が残っていると言うこともなく、つまりこの現場が物語っている事実は、、”カイトがここに捨てたはずのリッチミルクは跡形も無く姿を消してしまった”ということだ。
どうしてこんなことが起きるんだろうか。
 俺は二つの可能性を導き出した。
 一つは、一度ゴミ箱に入れたリッチミルクを別の場所に移動させたという可能性。つまり今あるストロベリーは、リッチミルク以前にすでに食べて捨てたダッツというわけだ。ただ、カイトがダッツを捨てたのはスタジオ入りする直前であり、その後は録音が終わるまでスタジオから俺もカイトも出ていない。なのでこれを実行に移すには時間が無く、実現性は低い。
 もう一つは、リッチミルクなど食べておらず、本当はストロベリーを食べていた可能性。俺もいちいちカイトの食うアイスのラベルまでチェックするわけでもないので、リッチミルクを食べたとウソを言われたとしても易々と騙されてしまうだろう。
 だが、どちらにしろ何の目的があってのことなのか、まるで検討がつかない。


「マスター、どうしたんです?」
 声をかけられてハッとなった。すでに片付けは終わったようだ。
ついつい探偵ごっこに熱中してしまっていたらしい。こんなこと、本人に聞けばすぐに終わることじゃないか。
「カイト、あのさ……」
「はい」
 直接問いただそうと思ったところで、突然ある最悪な予感が胸をよぎった。
「……寝る前にちょっと付き合ってくれないかな、晩ダッツ」 
あるはずの無いダッツ、最近のカイトのアイスの食べ方、その二つを結び合わせた時、一つの不穏な仮定が俺の中で生まれた。
俺はその、当たってほしくない予感を拭い払うために、カイトを試すことにした。

 

               ◆

 

 晩ダッツ。つまり晩酌のダッツ版。いつもはカイトにせがまれて渋々付き合ってやるのだが、今日は役割が逆だ。
「マスター……! マスターから晩ダッツに誘ってくれるだなんて、俺、大感激です! マスターは最高です!」
 カイトが目をキラキラさせて答える。
「だろ? 俺夏季限定のワイルドアップルな。カイトはどうする?」
「リッチミルクで!」
「またかよ! ホントに好きだなぁ。ほら」
 冷凍庫を開け、カイトにカップを手渡す。なんとか平静を装っているつもりだが、俺の手はかすかに震えていた。それを見られないよう、すぐ手を引っ込めた。
カイト、これを見て何か言うことがあるだろ。頼む、俺の馬鹿げた不安を笑い飛ばしてくれ。
分かるだろ、そのカップの違和感が。
口に入ったワイルドアップルのダッツも、今の俺には味をかみしめている心の余裕はなかった。
「いっただっきまーす!」
 胸がキュッと締め付けられる心地がした。普通に食べるな、馬鹿野郎。
「おいしーい! あれ、マスター食欲無いんですか?」
 その場から逃げてしまいたいと思った。
「……カイト、もういい」
「もういいんですか? ほとんど手つけてないじゃないですか。じゃあ俺が全部もらって――」
「もういいって言ってるだろ!」
 俺が怒鳴りつけると、部屋の中がシンと静まり返った。


「どういう……ことですか?」
 カイトはスプーンでアイスをすくった体勢のまま、不安そうな表情で固まっている。
そのアイスを指差して、俺は言った。
「それ、リッチミルクじゃないんだ。ビターキャラメルなんだよ」
「……!」
 この頃よく転ぶようになった。ラベルに目もくれず片っ端からアイスをかきこむような食べ方をするようになった。ゴミ箱にストロベリー味のダッツが捨てられていた。
そして今、ビターキャラメルをリッチミルクだと思い込んで食べ続けた。
 つまり今のカイトは――
味覚が壊れ、視覚もほとんど機能していない、ということだ。
それをずっと隠して、カイトは昔のようにおいしそうにアイスを食べるフリをし続けていた。
バカだ。本当にバカイトだ。
「……すみません、マスター」
 深々と、頭を下げるカイト。
「……今まで騙してて、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
 ごめんで済むもんか。どうしてそうやって自分だけで辛いことを抱え込もうとするんだ。
つき通せないと分かってる嘘なんて、つくべきではないのだ。
嘘で稼いだ時間の分だけ、真実の重みが一度に圧しかかってくるんだから。
三十年もずっとお前の友達で、兄弟で、マスターなんだから、話してくれれば何かしてあげられたかもしれない、と思うのは俺の驕りなんだろうか。いくら親しい者同士でも、死の運命を捻じ曲げることはできない。それは親父の看病をしてたあの頃に嫌と言うほど感じたことだ。
「どのくらい酷いんだ」
「味覚はもう、完全に機能停止しています。目はまだ多少はいけますよ。文字を読むのはもうかなりキツいですけど」
 自嘲気味にカイトは言う。
「……どんどん体がいうことを聞かなくなってきてるんです。歌を歌えるのも、今日のレコーディングが最後になるかもしれません。ビブラートが、さっきまで使えたビブラートがもう出せなくなってしまったので……」
「どうして、どうしてもっと早く話してくれなかったんだよ!」
 手が、足が、声が震える。それでも声を絞り出し、俺はそれだけ問いかけた。
「……お父さんが病気になって日に日に弱っていった頃の、マスターや家族みんなの辛そうな姿を見ていたからです。もう二度と、みんなにあんな思いをさせたくなかった。最後までどうにか隠し通して、ある日朝になったら眠るようにこっそり死んでいる。それが一番俺もみんなも辛くない、悲しい時間の少ない別れ方かなって思ったんです」
 俺のどうしようもない気持ちをぶつけるような口調に比べて、カイトは淡々とその言葉を紡いでいく。運命を受け入れる覚悟のようなものを、その中に感じた。
「そうやって、お別れの言葉さえかけさせないつもりなのかよ。そういうのってなんか自己満足だろ。なんつーか、卑怯じゃんか」
「そう……ですかね」
「いいか、そうやって自分の死の重さを軽くしようとか、そんなこと絶対に考えんな。辛い思いをするのは確かに嫌だよ。だけどさ……どんなに辛かろうが、親父を看病してたあの時間って、俺にとっても親父にとっても絶対に必要な時間だったんだよ。逃げ出したいとか目を背けたいとか、そんなこと全く思わなかった。たぶん俺が息子としてやり残したことを、親父が親父としてやり残したことをお互いにするために与えられた大事な時だったんだと思う。だから……こっそり死ぬなんて言うな。これからは俺が俺として、お前がお前として、やり足りないこと、伝え足りないことをお互いに――」


 自分でも気付かないうちに、涙がボロボロと雪崩れのように頬を滑り落ちていた。年甲斐も無く、大泣きしているようだった。
言葉の途中で黙り込んだのは、これ以上喋ると本格的に涙声になってどうしようもなく情けないことになりそうだと思ったからだ。だが無理に声を押し殺そうと黙り込むと、今度は背中が脈打つようになり、これはこれでみっともない姿を晒していることに気付く。
カイトはそんな俺を見て、にっこり微笑んで言った。今度は自嘲ではなく、心からの笑顔に見えた。
「マスター、続きやりましょうよ。晩ダッツの!」
「はぁ?」
「マスター、俺、さっきダッツ食べて『おいしい!』って言いましたよね。あれ、ウソじゃないですよ。それに晩ダッツに誘ってくれたのも、本当に嬉しかったんです。今度は色々、お話しながら食べましょうよ」
「でもお前、味覚が……」
「俺が昔言ったこと、覚えてます? 一人で食べるアイスより、皆で食べるアイスのほうがおいしいんですよ。不思議ですよね。さっきもマスターと食べてると、何も感じないはずの口の中に、じわーっとアイスの味が広がっていくような、そんな気持ちになったんです」
 本当に嬉しそうに言うカイトを見て、いつの間にか俺まで笑顔になっていた。
「それなら、これから毎日やってやってもいいんだぞ、晩ダッツ」
「本当ですか!? オールナイトアイスですか!?」
「おう、オールナイトアイスだ!」
 あははっと俺たちは笑いあった。こうやって毎日、お別れの日まで、思う存分話ができたらいい。
お互いが言い残したことを全て伝えられればいい。
「父ちゃん、カイト、なにやってんの?」
「あら、二人揃ってアイス食べてるのね」
 息子と妻が、二階から降りて俺たちの元へやってきた。
二人ともすでに寝巻きに着替えていた。
「なんだか急にアイスが食べたい気分になって降りてきたのだけど、先客がいたのね。一緒に食べてもいいかしら」
「もちろんです。四人で食べるアイスは二人で食べるアイスよりもさらにおいしいですから!」
「あら、面白いこと言うのね。今日は黒糖黒みつがいいかしら」
「俺クッキー&クリームな!」
 四人での晩ダッツがはじまった。
話に花を咲かせながら、俺たちはアイスを食べる。
味を感じられないはずのカイトも、実に美味そうな恍惚の表情をしている。
まるでアイスの味を、一つ残らず噛み締めるような。
そういえば今日、レコーディングの前にカイトが言ってたっけ。アイスの味は幸せの味ですって。
ならカイトが今味わっているのは、きっとそれなのかもしれない。


                         <fin>

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