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vol.4⑥Return

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taka18r

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vol.4⑥Return


 クリスマス・イヴのディナー。高層ビルのレストランで夜景を見ながら『君の瞳に乾杯』なんて、高校生の身ではできるはずもない。といって、そこらのラーメン屋では味気なさすぎだ。
 ぼくたちは順番待ちの列に30分並んで洋食レストランに入った。ぼくはハンバーグステーキのディナーセットとカルボナーラ・スパゲティを、晶良はオムライスのセットを食べた。
 食後のコーヒーを飲んでいると、頬杖をついた晶良が話しかけてくる。
「ことしはいろいろあったなぁ」
「そーだね」
「去年はアンタが受験で、デートどころじゃなかったもんね」
「うん。あっ、晶良さん、受験勉強は?」
 その話には触れるな、そう言われると予測する。が、
「自分なりにね、しっかりやってるから、きっと大丈夫だと思う。人知は尽くしたから、あとは天命を待つわ」
 表情に自信がにじんでいる。
「さすが。やっぱり晶良さんはすごいや」
「へへへ。まっかせなさ~い、って言いたいところだけど、ほんとはね…」
 晶良は紅茶を口に運んでから、つぶやくように言った。
「自信なんてない、よ。でもね、自分を信じなければ、ほかに頼れるものなんてないでしょ」
 それはそうだと思うが、自分には決定的に自信が欠けていた。
 思えば、ザ・ワールドで"黄昏"の謎を追っていたときも自信なんてなかった。ただ、とりあえずいいと思えることからやっていただけだ。そうすることでしか前に進めなかったから。
 結果として、すべてがうまくいった。解決の決め手となったのは腕輪だった。
 その腕輪は最終局面を前に、クビアという強敵と引き換えにして失われた。それでも最後の敵、コルベニクを倒すことができた。
 腕輪に代わるものがあったかと問われれば、否と答えるしかない。しかし、腕輪がなくなったからといって、あきらめるわけにはいかなかった。やるしかなかった。
 あきらめない気持ち。前向きな気持ち。失敗を恐れない気持ち。それがいかに大事か、思い知ったはずだった。
 いま、再び腕輪を失って、ぼくはうろたえていた。
 目の前にいる晶良は微笑んでいるというのに、ぼくの心はネガティブな影に支配されようとしていた。そのとき、晶良がぼくの目を射抜くように見つめていった。


「アタシさ、笑ってるアンタが好き。アンタの笑顔を見てると、なんか安心するんだ。だから──」
 いまのぼくにできるのは引きつったつくり笑いが精いっぱいだ。
「もっと自信を持ってほしい」
 悩みの核心をずばりと突かれ、ぼくはテーブルのコーヒーカップに目を落とした。そこに答えはなかった。当たり前だが…。
「そりゃぁさ、自信過剰なのはダメだけど。頼りないのはもっといやだな」
「うん…」
(わかってるよっ、わっかってる…けど)
 晶良に授かった自信は、その晶良の存在の大きさゆえに揺らいでいた。
「アンタ…」
 晶良の声に影がさした。
「アンタ、なんか変だよ。ん~、こないだのウチの高校の文化祭のときから」
 心当たりは、大ありだった。なつめとの密会を目撃した翔子に脅され、言われるままに関係を持ってしまった。そして腕輪の喪失──。
 晶良という恋人がいる。そのことからくる自信が呼び込んだ悪夢だった。
 自信を持つことで悪い結果を生んでしまったいま、再びぼくに自信は戻るのだろうか。
 恐る恐る顔を上げ、晶良を見た。そこにはいつものやさしい晶良がいた。しかし、期待とはうらはらに晶良の言葉は冷たいものだった。
「だぁーかぁらっ。そんな捨てられた子犬みたいな目で見るなっつーのっ!」
「ご、ごめん」
 うろたえるぼくを突き放すように晶良は言う。
「アタシはね。我慢するのやめたの。そんだけ」
「晶良さん…」
 ぼくはどうしたらいいんだろう?
「ねぇ。アタシたちって恋人同士、だよね? アタシ、思ったんだ。なんでも言い合えるのが恋人同士なんだなって。うん。文和と千春ちゃんを見てたら、そー思った」
「ぼくは…。…そーだね。ぼく、言いたいことがあっても我慢してた…かも」
「ん~? なに、アンタ。アタシに対してなにか我慢してるってぇのぉ!?」
「げっ…。い、いや、べ、べつに、その…」
 じたばたするぼくを見て、晶良はとてもおかしそうだ。


「あ~ぁ、せめてあのときの半分でも自分に素直になればいいのに…」
「えっ!? 晶良さん、いま、なんて? あのとき、って?」
 口を滑らせた晶良が我に返って頬を染める。
(ま、まさか、セックスのときって意味なんだろうか?)
「アタシってば…。い、いくら恋人同士だって、言っていいこととそーでないことってあるよね」
 まして人前では、そのとおり。目だけ動かして周囲をうかがっていた晶良だが、だれにも聞かれた様子はなく、ほっと息をついた。
(やっぱり。…でも、セックスしてるときは自分に素直、ってゆーか、なんの迷いもためらいもない…気がするなぁ、ぼくって)
 晶良の言うとおりだと思ったら、もやもやが晴れていく気がした。いろいろなことを経験して、成長したのはセックスだけ。中身は子供のままだ。だが、いまはその事実を受け入れられる。
(まだ高校1年生だもんね、ぼく。そんなにすぐに大人になれるわけない。ゆっくりと歩いていこう。そう、晶良さんと)
 晶良の失言のおかげで(あとで、あれはぼくがあまりにも暗かったからワザと言ったのっ! と強調されたが…)、ぼくは暗黒のネガティブ・ゾーンから脱けだせた。
「ありがとう」
「なにがよ?」
「いろいろ」
「そお」
 これからも自信たっぷりというわけにはいかないだろう。普通にしていられること、それが大事なのではないかと考えた。
「やっと、アンタらしい目に戻ったね」
 晶良がうれしそうに言う。
「晶良さん。これからもよろしく」
「急にどうしたの、あらたまっちゃって。ふふふ。うん。こちらこそ、よろしくね」
 ほんとうにうれしそうな晶良の笑顔。これまでしてきたことを悔いつつ、自分の胸の奥底に死ぬまでしまっておこうと決意した。
「ほかに好きな人ができたのかって思ってた」
 晶良が真顔になって言う。
「そんなこと! あるわけないよ。ぼくには晶良さんしか見えないよ」
「こらっ、声、大きいって」
 今度は何人かがこちらを見てくすくす笑っている。ぼくたちは真っ赤になった顔を下に向けて、そそくさと席を立った。


 外はもう真っ暗、いや街並を彩るイルミネーションがまぶしいほどの存在感を放つようになっていた。空気は冷たかったが、つないだ手から伝わる晶良の体温が心まで温めてくれるかのようだ。
「立ち直りが早いのって、アンタのいーところ、だね」
「えっ、そんなことないよ。ぼくって結構引きずるほうだよ」
「ふぅ~ん。そうは見えないけど、アタシに気ぃ使ってたりする?」
「う~ん。まぁね。晶良さんに心配かけたくないし」
 どこに向かうでもなく夜の街を歩いていた。ずっと晶良と一緒にいたかった。その気持ちは晶良も同じだと思えた。
「あんまり無理しないよーにね。アタシってば、いっつもだれかの心配してるみたいだしぃ」
 冗談めかして言ってくる晶良の心づかいが身に染みる。
「ありがとう。晶良さんにはほんとに感謝してる」
「あっ、だめだめ、シリアスは。ねっ、ずっと笑っていて」
「それじゃあ、変な人みたいじゃん(笑)」
 やっと軽口をたたけるようになった。晶良もうれしそうだ。
「ねっ、何に悩んでたかは聞かないけど…。さっきは、なんで立ち直れたの?」
 不安を隠すように、わざと明るく聞いてくる晶良。ぼくは前を向いて答える。
「晶良さんのおかげ、だよ」
「もぉ。はぐらかさないで。ちゃんと答えて」
 今回はごまかせそうにない。照れくさくて答えにくいんだけど…。
「自信…」
「そっかっ。自信、持てたんだ、自分に」
「いや…」
「えっ!? 違うの?」
 晶良の手に力が込められる。受験勉強漬けでテニスラケットはしばらく握ってないはずなのに、ぼくの指が軋んだ。痛みをこらえて話す。
「まあ。自信は…あんまり持てそうにない、かな」
「ふぅ~ん。ま、しょーがないか。そこがアンタのいいとこ、かもね」
 晶良のほうに顔を向ける。満面の笑顔が迎えてくれる。ぼくは歩みを止め、冷えた空気を胸いっぱいに吸い込んで、晶良に向き直った。そして答える。
「わかったんだ。何かを見たくなければ、目を開けばいいって──」


「意思の力で、ただ意思の力だけで、ぼくは自分を押さえつけようとしてたんだ。でも、それは、怖くてしようがなくて、不安でしようがなくて、寂しくてしようがないからだったんだ…」
 言葉が震えながらこぼれ出てくる。自分の弱さを恋人に見せるのはつらかった。でも、晶良なら、きっと受け止めてくれると信じてもいた。
「アタシは、ここにいる」
 ぼくの目をしっかり見すえて晶良が言いきった。やさしい眼差しながら力強さがあった。
「うん」
「だから、ね。これからも一緒に歩いていこ、ずっと」
 うれしかった。涙がこぼれそうになり慌てて上を向いた。
「あっ、あれ…」
 かすんだ視界に光の波が飛び込んできた。
「ん~、なに?」
 ぼくの視線を追って晶良も顔を上げた。
「わぁ…」
 いくつもの超高層ビルに『クリスマスツリー』が浮かび上がっていた。光のページェントだ。
 そして、雪が舞い降りてきた。
「ホワイトクリスマス! すてき」
「メリークリスマス、晶良さん」
 心はじんわりと温まっていく。でも、雪が舞うだけに寒さが染みてきた。
「う~、さむ。ねぇ、晶良さん。あったかいもの、飲まない?」
「アタシ、ココアがいいなぁ」
 角にあった自動販売機が目に入り、ぼくたちはそこで缶のココアを買って飲んだ。一口飲んだところで晶良が、
「あ、そーだ。出がけにこれ届いたんだけど、アンタのところにもきた?」
 思いだしたように聞いてくる。
「なに?」
 晶良がバッグから封筒をひっぱり出す。のぞき込むと『東京プリンセス・ホテル』のマークとロゴの入った封筒が目に入った。
「なにが入ってるの?」
 そう聞くぼくに晶良は、
「まだ開けてないんだ。ちょっと待って」
 言うなりビリビリと封筒を破って中のものを取り出した。


 まず出てきたのは1枚のCDだった。それから定形サイズの封筒が1通。その中には便箋にしたためられたお礼状と、さらに小さい封筒が入っていた。
「ん~。なになに。…えっと」

──速水晶良様
そのせつはお世話になりました。
おかげで弊社のブライダル・コーナーは大変な好評をたまわっております。
(正直、ビックリするほどの人気です!)
あのとき、撮影させていただいたときに頼まれました写真データ、そして作品をお送りさせていただきます。時間がかかりましたことをお詫びします。でも、そのぶん腕によりをかけました。
きっと、ご満足いただける仕上がりになっていると自負しております。
なお、同封させていただいたのは、弊社のささやかな御礼です。
ご笑納いただければ幸いです。
(待ってるからね!)

 CDはいま、ここで見られない。でも、ぼくには思いだしたくない記憶として、東京プリンセス・ホテルのポスターがあった。
「待ってるからね! って…どーゆう意味だろう…」
 晶良は便箋をじっとにらみつけ考え込んでいる。
「ねぇ、晶良さん。小さい封筒にはなにが入ってるの?」
「ん~。ちょっと待ってて」
 閉じられていなかった封筒を開けて晶良が取り出したのは、
「ん…っと。『結婚式披露宴(60名様)半額券』だって…」
「えーっ。それって、いくらになるんだろう」
「わかんない。けど、かなり高額よね」
「そーだね。あっ、それじゃあ、待ってるから、って、ぼくたちのこと?」
 晶良が驚いたように顔を上げる。
「これ、アタシの名前が入ってる。ほら、ここ。『速水晶良』って…」
「ほんとだ。金券ショップとかにはもっていけないね」
「んなこたぁしないけど。それより、これと同じもの、きっとあんたのところにもきてると思うんだ」
 はっとする。
「じゃあ、もし、将来ぼくと晶良さんが結婚したら、披露宴はタダでできちゃうってこと?」
「わぁ~っ」
 晶良は目をきらきらと輝かせている。


 結婚なんて考えたこともない。ずっと先のことだとしか思えない。それが、いきなり現実的なものとなって飛び込んできたのだ。こんなサプライズはこれまで経験したことがなかった。
 ボー然としていたぼくの横で、うつむいた晶良のつぶやきが聞こえた。
「…待ってる。アタシも待ってる」
「えっ!?」
「なるべく早くね」
「う、ん」
 照れくさい。結婚は意識したけれど、それが現実のものとなるのはまだまだずーっと先の話だ。法律的には最低でもあと2年は待たなければならない。
 照れ隠しに口を滑らせる。
「でもさ、この半額券、別々に使ってもいいんだよね?」
 晶良がぼくよりいいひとを見つけたとき、そうなるだろうという悲観的な考えを言ったつもりだった。ところが、
「なに言ってんのっ。アンタ。アタシ以外の女とこの半額券、使うつもりぃ?」
 あまりの剣幕にたじろぐ。
「い、いや、そんなつもりはこれっぽっちもないけど…」
「けど? けど、なによぉ」
 目が釣り上がっている。怖い。
「ぼくよりいい男はいっぱいいるし。ぼくじゃ晶良さんにふさわしく」
 ない、は言えなかった。晶良がぼくの言葉を制して言う。
「アタシにはアンタが一番いい男なのっ。それがわからないから情けなくなるんだってば」
 うれしかった。自分で思い悩んでいたのでは絶対に出ない答えが思いがけなく得られたのだ。
「うん。ありがとー」
「それにね。ふさわしくないって思ってんなら、ふさわしい男になってよね」
 晶良も照れくさくなったのだろう、プイと横を向いてしまう。
「ごめん。ぼく、頑張る」
 ちらちらと横目でぼくの様子をうかがっていた晶良は、頑張るという言葉にようやく満足したようで、
「ん。しっかりしてくんなきゃだめだぞ。世界の勇者さん」
「もう勇者じゃないよ。でも、もし勇者になれるとしたら、晶良さんだけの勇者になるよ」
 じっとぼくを見つめていた晶良になにか言われるかと思ったが、晶良はくるりと背を向け、
「いこっ!」
 と言って、ぼくの手をとって歩きだした。


「早くCD、見たいなぁ」
 スキップでもしそうなほど明るい晶良。
「晶良さんのウエディングドレス姿、きれいだったぁ」
 目を閉じて思いだす。
「なんか、恥ずかしくなってきたぁ。アンタは見ちゃだめっ」
「えーっ!? ひどいぃ。ぼくだって見たいよ。でも、自分の写真は照れくさいなぁ」
 駅へ向かってふわふわと歩いていたぼくたちは、
「ちゅいっすっ!」
 という大きな声に思わず足を止めた。
 さっきも見たストリート・ライヴがいままた始まろうとしていた。雪が舞うなか、先ほどよりも露出度を大幅アップしたサンタクロース姿のレイチェルが、少ないギャラリーに笑顔を振りまいていた。
「少し…見ていっても、いいかなぁ?」
 晶良は早く帰りたそうだったが、すぐに笑顔でぼくの手をとってほとんど最前列にまで進んだ。
「この先、すっごく有名になったりして」
 晶良は片目をつぶって話しかけてきた。
「ははは」
 乾いた笑いがぼくの口からこぼれる。そのとき、ステージに足を引きずった相方が登場。先ほどくらったレイチェルの上段まわし蹴りのダメージが残っているのは明らかだ。
「ちぃ~すっ」
 という掛け声も全然ハリがない。ボケ役のはずのレイチェルがつっこむ。
「どないしたんや?」
「お、おう。いや実はな、知的なしゃべくり漫才がウリのオレに向かってドツキ漫才を仕掛けた女がいてな…」
「ほぉ~。さよか」
 うまくボケてるじゃないか、と思ったそのとき。レイチェルと目が合った。
「…なんや。ずいぶんいい顔になったやないか」
 ニッコリと笑んで話すレイチェル。
「いい顔って…、あのなぁ。オマエの蹴りのせいで男前が台無しじゃ」
 話がうまくつながっている。レイチェルはぼくと手をつないでいる晶良に一瞥をくれ、
「やっぱり相方がいいと、男はしっかりするもんやねぇ」
 自分で言って自分でうんうんと納得している。


 きっと、いつもとペースが違うからなのだろう、相方が戸惑っているのがよくわかった。とはいえ、そんなことがわかるのはぼくひとり。少ない観衆は…ウケていた!
「ったりまえだろっ! オマエがうまくボケられんから、オレが身を挺してだな、ドツかれてやったんだってば。…ほんとに、わかっとるんかい」
 一度つかんだウケの波を離すまいと相方がさらなるツッコミをブチかましていく。
 レイチェルは、というと──。
「パートナーちゅうのは運命のひとや。せいぜい大事にせな、あかんよ」
 お構いなしだ。
(ありがとー、レイチェル。ぼくと晶良さんを祝福してくれてるんだね)
 主導権を奪われたままの相方は開き直ったようにバク転を決め、ファイティングポーズをとった。
「っしゃあぁぁ。そんなら最後まで付き合ってやろーじゃないかっ。ドツキ漫才のスタートだっ!」
 さらに盛り上がるギャラリー。笑い声につられた人が足を止め、観客の輪はかなり大きくなっていた。どんな展開になるのか、ドキドキしてきた。ところが、
「あかんっ。あかんのや」
 踏み込んだ相方がずっこける。観客はまた爆笑。
「な、な、な、なんでだぁぁぁ」
 そっと右手を自分のお腹にあてたレイチェルは、その手に視線を落としてつぶやいた。
「赤ちゃんが、おるんや」
「えぇっ? え────っ!」
 驚いて変なポーズをとる相方。予想し得ない展開に観客もどよめいている。
「オ、オ、オレの…、オレの子供か?」
 相方は漫才そっちのけでレイチェルに問いかける。それを聞いたレイチェルが怒声を響かせ、回し蹴りを放った。
「どアホーっ! ったりまえやろぉ。アンタの子ぉや!」
 不意を衝かれたわりには見事な十文字受けで蹴りを受け止めた相方が、上ずった声でさらに質問を浴びせる。
「オ、オ、オマエ。だって、春先にコーコーセーを食った、とかって自慢してたじゃないかぁぁぁ」
「だからアンタはアホやっちゅーねん。あたしが浮気で妊娠するなんてヘマするわけないやろっ。それになぁ…、春にヤって妊娠しとったら、いまごろはこーやろぉ」
 お腹のところで大きな山を撫でるように手を動かしたレイチェルが、
「ハっ!」
 気合一閃。いきなり踵落としを繰り出した。クリーンヒット。
「ぐえっ」
 カエルが踏み潰されたようなうめきをもらし相方は崩れ落ちた。


 観客たちは笑っていいのか戸惑っている。それは晶良もぼくも同じだった。
(これって…、もう漫才じゃなくなってるよね。どーなっちゃうんだろー?)
 レイチェルは相方を抱き起こし、背中に膝を立てて活を入れた。
「うぐぅ」
 うめくようにして息を吹き返した相方がのろのろと立ち上がるのを待って、レイチェルが静かに告げた。
「アンタの子ぉや。…な。納得したら、言うこと、あるやろ」
「あぁ」
 姿勢を正した相方がレイチェルの両肩に手を置き、まっすぐに目を見つめて言った。
「愛してるぜ。これから、オレたちは夫婦ドツキ漫才で再出発だ。なぁ、け、け、結婚…しよう!」
 とんでもないオチだと思った。あっ気にとられていた観客のなかから、ぽつりぽつりと拍手が鳴りだし、それはすぐに耳が痛くなるほど大きくなった。
「いいぞぉーっ!」
 この寒さのなかで、なぜかアロハシャツを着たオジさんが両手を口にあてて声援を送っている。それにつられてまた万雷の拍手が鳴り響いた。
「よぉ…言うてくれた…なぁ。あたし、うれしいわ」
 相方はレイチェルの肩を抱き寄せ、ぼくらの頭上の遥か先を指差し、言いきった。
「さあ! オレたちの新居に行こうな」
「あんたぁ」
 目から星を飛ばすレイチェル。彼女にちらりと視線を送り相方が決めゼリフを放つ。
「あの先の公園の、ダンボールハウ…ぐぇっ!」
 レイチェルの肘打ちが相方の水月の急所をとらえていた。前のめりに倒れた相方の頭のまわりを星と月が回っていた。
「お亡くなりや…。ほんまに、しょーもない。こりゃ苦労しそうやわぁ。ふぅ」
 レイチェルは肩に相方をかついで舞台のソデに下がっていった。ぼくも晶良も、それに観客たちも、あっけにとられていた。
「終わったんだよね、これ。ね、いこっか?」
 晶良に袖を引っ張られ、
「あ、うん。そーだね」
 ぼくたちは駅に向かって歩きだした。


 しばらく歩くと、道の端にアクセサリーを売っている露店が見えた。
(あそこって、前に千春にペンダントを買ってあげた…)
「ちょっと見ていこうか?」
 ぼくの提案に晶良は素直に同意した。
「アクセって、あんまり興味なかったな~」
「なかった、ってことは、いまはあるの、興味?」
「うん。ちょっと気になりだしたかな。でも、受験勉強の"代償行為"なのかな」
 はにかむ晶良がかわいい。
(なんにしても、晶良さんがきれいになるのは、ぼくもうれしいよ)
 これから化粧を覚え、おしゃれになって、どんどん美しくなっていくであろう恋人を想う。
「指輪かぁ」
 晶良のつぶやきで現実に引き戻される。慌てて指輪が並べられている台に視線を移動した。
 ある指輪に釘付けになった。手を伸ばしてその指輪を取り、目の前にもってきて凝視する。
「似てる…」
「ん~。なになに。なにに似てるって?」
 晶良が真剣に指輪に見入るぼくを不思議そうに見ながら聞いてくる。
「腕輪…。ザ・ワールドの腕輪のデザインによく似てるんだ、これ」
 晶良に指輪を手渡す。晶良は目の高さに指輪をもっていってじっと見て言った。
「へぇ、そーなんだぁ。光ってたりしてたんでカイトの腕にあるのはわかったけど、アタシたちには見ることができなかったんだよね、腕輪。ふ~ん。こーゆーのだったんだぁ」
 きらきら輝く晶良の瞳を見て、ぼくは決めた。
「どうかな? これをクリスマスプレゼントにしたいんだけど。だめかな」
「だめなんてことない。アタシもこれがいい」
 店のお兄さんが怪しい日本語でサイズはOKか? と聞いてくる。すると、晶良が左手をぼくに突きつけた。
「え…っと。どの指に?」
「決まってるでしょ」
 戸惑うぼくに、じれったそうに言う晶良。困る。
(と、言われても…)
 晶良は無言で薬指を動かし、たまにする命令口調で言った。
「この指!」
 ぼくだって知ってる。女性が左手の薬指にする指輪の意味。


 店のお兄さんが突然歌いだす。
「パパパパ~ン、パパパパ~ン、パパパパ~ン、パ~ン、パーパ、パパ~パパッ、パンパ~パ、パ、パッ」
 結婚行進曲だ。ぼくと晶良は同時にお兄さんをにらみつけた。顔から火が出そうだ。お兄さんは知らんぷりをして結婚行進曲の続きを口笛で吹きながら背中を向けてしまった。
 指輪に視線を戻した晶良がはっきりと言う。
「アタシ…、これ、ほしい!」
「うん。わかった。あのぉ、これ、ください」
 お兄さんは顔中で笑い、サンキューを連発して金額をぼくに告げた。それから、指輪に2人の名前を入れるか? と聞いてくる。
「あ、お願いします」
 と晶良。お兄さんは紙切れをぼくに渡し2人の名前を書かせた。それから慣れた手つきで指輪の裏側にアルファベットで2人の名前を刻んだ。
 指輪をお兄さんから受け取った晶良は大事そうにバッグの奥にしまい、
「あのぉ。これと同じものをもう一つ、ほしいんですが…。ありますか?」
 さらなる売り上げに満面笑みのお兄さん。ちょっと待てとポーズで晶良に伝え、後ろに置いていたバッグから同じデザインの指輪を取り出した。
 晶良は、サイズOK? という質問に首を振り、
「これはペンダントにしてほしいんですが、できますか?」
 とリクエストする。晶良の希望を理解したお兄さんは右手の親指を突き立て、胸をドンとたたいて指輪をペンダントに改造する作業にかかった。
 3分もかからずに細かいチェーンがつけられた。しかも2人の名前も入っている。晶良はお金を払ってペンダントを受け取ると、ぼくを促してお店から離れた。
 駅のすぐそばまで無言で歩いていた晶良が急に立ち止まる。とうせんぼするようにぼくの正面に立ち、かったばかりのペンダントを差し出す。
「はい。アタシからのクリスマスプレゼント」
「ありがとう、晶良さん。すっごくうれしいよ」
「アウラがくれた腕輪には負けるけどね」
「そんなことないよ」
「いつもつけてなくてもいいから。でも、あたしと会うときは絶対つけること」
「うん。わかった」
 ペンダントを首にかける。晶良はニッコリと笑み、
「似合ってるよ」
 と、はにかんだ声で言ってくれた。


 あの腕輪にそっくりの、いまはペンダントトップになった指輪を見ながら、ぼくは思う。
 ぼくにとって腕輪は、子供から大人への通過儀礼だったのだ、と。
 そして、ぼくは指輪に誓う。
(いつかきっと晶良さんにふさわしい男になってプロポーズするんだ)
 雪はいつの間にか降るのをやめていた。そのぶん空気は冷たくなったようだったが、不思議と寒さは感じない。むしろ心の底から温かさが湧き上がってくるようだ。
 ふと視線を感じて顔を上げる。晶良がじっとぼくのことを見つめていた。
「あ、ごめん。ちょっと考えごと、してた」
「うん」
 なにも聞かず、ただ微笑んでいる晶良。少し間を置いて、いかにも照れくさそうに消え入りそうな声でつぶやく。
「あのね。もう一つ、プレゼントあるんだ」
「え、なに、かな?」
 それは、一生続くプレゼント。
「アタシのことね、これからは、さん付けしなくていいよ。晶良って…呼んでいいよ」
 うれしくって、ドキドキして、すぐに反応できなかった。目を閉じて深呼吸を一度。再び見開いた目には期待に瞳を輝かしている晶良が飛び込んできた。
 これから、ずっと、そう呼ぶことになるだろう。お正月に晶良の家に行ったとき、そう呼べるかはちょっと自信がないけれど…。
 もう一度、深呼吸。
 街中に、いや世界に響け、と思った。
 心の中で『愛してる』とつぶやいてから、ぼくは叫んだ。


「晶良っ!」





                      <完>

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