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http://allatanys.jp/B001/UGC020006020090508COK00288.html
犯罪捜査に活用されているDNA鑑定をめぐり、近く裁判所の歴史的な判断が下されそうだ。19年前、栃木県足利市で起きた女児殺害事件。警察は「DNA型の一致」を決め手に幼稚園バス運転手(62)を逮捕した。裁判で無期懲役が確定したが、再審請求の審理の中で、実は「DNA型は不一致」の可能性が高いことが判明し、5月8日、それを示す鑑定書が裁判所に提出されたのだ。二審から被告の無実を主張し弁護に当たってきた佐藤博史弁護士に、インタビューした。(あらたにす編集部・丸山伸一)
足利事件とは、1990年5月12日(土)に栃木県足利市内のパチンコ店で4歳の幼女(松田真実ちゃん)が行方不明になり、翌13日、近くの渡良瀬川の河川敷で死体となって発見されたわいせつ目的誘拐、殺人、死体遺棄事件である。
捜査は難航したが、DNA鑑定が決め手となって、およそ1年半後の91年12月1日、菅家利和氏(当時45歳)が任意同行され、その日のうちに自白して、翌2日未明に逮捕された。
菅家氏は、以後捜査段階だけでなく、公判段階でも自白を維持し、途中公判で否認に転じたものの、すぐに再び自白して結審し、結審後再び否認に転じたが、2週間後の93年7月7日に、宇都宮地裁で無期懲役の判決を受けた。
Q 菅家氏の公判供述が二転三転していますが、一審段階で、菅家氏は無実ではないかと考える人はいなかったのですか。
ええ、ほとんどいませんでしたね。それは菅家さんが任意同行された初日に自白したこと、以後、捜査段階でも自白を維持したことだけでなく、公判廷でも認めたこと、一旦否認に転じたもののすぐに自白した経緯からです。それに菅家さんが本格的に否認に転じたのに、すぐに結審して2週間後に判決日が指定されたということは、裁判所が菅家さんを有罪と決め込んでいたことを意味しますが、そのことについてもおかしいと思った人はいなかったのです。
私は控訴審の段階から弁護人になりましたが、一審の弁護士から「菅家さんは犯人である」と聞いていましたので、弁護人になったときは半信半疑でした。しかし、東京拘置所で菅家さんに初めて接見したとき、「犯人ではない。菅家さんは無実だ」とすぐに思いました。
それからもう15年になりますが、以来無罪の確信が揺らいだことは一度もありません。
Q そのことはあとでお聞きしたいと思います。まずは、きょう(5月8日)、検察・弁護側双方から再審請求・即時抗告審の東京高裁に提出されたDNA再鑑定書のことですが、そもそも高裁が再鑑定を命じる(2008年12月)決断をしたのはなぜだと思いますか。
東京高裁の3人の裁判官が決められたことなので、理由は私には分かりません。あくまでも私の観測ですが、マスコミの影響も大きかったのではないかと思います。再審請求の一審にあたる宇都宮地裁は、昨年の2月13日に請求を棄却しましたが、DNA鑑定の再鑑定を命じることもせず、菅家さんと犯人のDNA型が違う可能性を示した弁護側のDNA鑑定について、資料となった毛髪が菅家さんのものかどうか分からないから証拠価値がないと、いわば門前払いしたのです。
これについて、ほとんどのマスコミが「それはおかしい。何故DNA再鑑定をしないのか」と批判したんですね。
また、アメリカではDNA鑑定が可能な場合は被告人や元被告人にDNA鑑定を受ける権利を認め、実際に200人以上の人の無実が証明されていますが、今回、DNA再鑑定を命じた東京高裁の裁判長は田中康郎裁判官で、アメリカの制度に明るい方だったことから、そのことも影響したのではないかという人もいます。
Q 今回明らかになったDNA再鑑定の結果について,分かりやすく説明して下さい。
今回の再鑑定は、犯人の精液が付着した真実ちゃんの半袖下着の遺留精液と菅家さんの血液を用いて、弁護人推薦と検察官推薦の2人の鑑定人によって行われましたが、結論からいえば、両鑑定とも、犯人と菅家さんのDNA型は一致しないというものです。
その理由は半袖下着から犯人の精液に由来すると考えられる男性のDNA資料が得られたが、そのDNA型は菅家さんの型と一致しないというものです。
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最初のDNA鑑定は科学警察研究所(科警研)が行ったものですが、検出されたDNAのバンドは太くて歪んでいます。これで犯人と菅家さんのDNA型が一致すると認めることには誰しも躊躇を覚えると思いますが、当時は誰も疑問を感じませんでした。
しかし、当時のDNA鑑定でも、一致する確率は1000人に1.2人(833人に1人)で、事件当時の足利市の人口をもとに性犯罪可能な男性を男性の半数と仮定して計算すると約50人が該当します。つまり、当時のDNA鑑定が正しかったとしても、菅家さんは50人の該当者のうちの1人に過ぎませんでした。
しかし、その後、科警研がDNA型のデータを集積するにしたがって、一致する確率は低くなってきました。つまり、1000人に1.2人(833人に1人)が、1000人に2.5人(400人に1人)、1000人に5.4人(185人に1人)、最後には1000人に6.23人(161人に1人)に変化したのです。
要するに、菅家さんと犯人の型は日本人に比較的多いものだったのです。該当者の数も、当初の約50人から、約103人約224人、約257人に増えていきました。しかも、犯人は足利市内に居住するとは限りませんので、足利市周辺(佐野市、桐生市、館林市、太田市、田沼町)の人口をもとに算出すると、当時でも該当者は約136人で、それが約283人、約612人、約706人と増えていったのです。
つまり、当時のDNA鑑定が正しかったとしても、犯人と同じ血液型とDNA型の人物は、足利市とその周辺で約700人もいて、菅家さんはその1人にすぎなかったのです。しかし、当時は誰もそのようなことを考えませんでした。当時は、私たちの言う「DNA鑑定神話」が支配していたのです。
しかし、以上は当時のDNA鑑定が正しかったことを前提にした議論です。問題なのは、当時のDNA鑑定は間違っていたのではないかということです。
科警研が行ったDNA鑑定は、MCT118と呼ばれる遺伝子の部位を対象とする鑑定法で、MCT118法と呼ばれていますが、科警研のMCT118法では誤った判定がなされる危険性があることが当時から指摘されていました。DNA鑑定を行うための基盤になるゲル(寒天のようなもの)と物差しに当たるマーカーにそれぞれ問題があったのです。
1995年には科警研も当時の判定が間違っていたことを論文で認めました。しかし、当時の判定と正しい判定には規則性があるといい、16型は18型、26型は30型であるとしました。
当時のDNA鑑定によれば、犯人と菅家さんのMCT118型は16-26と判定されたので、科警研の論文によれば、正しい判定は18-30だったことになります。菅家さんと犯人のMCT118型は、16-26ではなく、同じ28-30だというのです。
しかし、弁護団が菅家さんの毛髪を用いて行ったDNA鑑定では、菅家さんのMCT118型は18-29で、18-30ではありませんでした。日大の押田茂實教授による鑑定がそれです。
そこで、「菅家さんと犯人のDNA型は一致しない可能性がある。最終的には犯人の遺留精液が付着した真実ちゃんの半袖下着と菅家さん由来の資料(例えば血液)のDNA再鑑定によって確かめる必要がある」と弁護団は主張したのです。それが認められたのが今回の再鑑定でした。
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そうですね。犯人と菅家さんのDNA型が一致しないということは、菅家さんは犯人ではないことを意味します。したがって、菅家さんの自白はそれだけで虚偽のものということになります。
ではなぜ、菅家さんはその日のうちに自白したのか。菅家さんは知的レベルが必ずしも高い人ではありません。DNA鑑定によって菅家さんを犯人と「確信」していた取調べ警察官は、否認を続ける菅家さんにそれを突きつけ、自白を迫ったのです。DNA鑑定という科学捜査がある、犯人の精液からお前が犯人だということが分っている、否認しても無駄だ、と言われて耐えられるでしょうか。菅家さんの自白も、実は間違ったDNA鑑定が生み出したもので、両者は不可分一体のものなのです。
Q 東京高裁は、今回のDNA鑑定の結果に基づき、再審開始を認めることになると考えていいわけですか。
論理的にはそうです。しかし足利事件の場合、菅家さんの自白は捜査段階だけでなく公判段階でもなされ、しかも一度否認に転じたのに再度公判で自白したという意味で、これまでの多くの事件と異なっています。公判廷で、裁判官の前でも自白がなされたのが足利事件です。
東京高裁は、自白の信用性について、さらに何らかの証拠調べを行ったうえで決定を下すのではないかとも考えられます。が、DNA再鑑定の結果により菅家さんの無実は明らかですので、私たちとしては、直ちに再審開始の決定を下すよう求めるつもりです。
Q ここでもう一度、事件を振り返ってみたい。佐藤弁護士は一審判決後に菅家氏の弁護人になったわけですが、どのような経緯からですか。
私と菅家さんとの出会いは、私の人生の中でもっとも運命的なものの一つではないかと思いますが、きっかけはDNA鑑定を特集した法律雑誌に私が「DNA鑑定と刑事弁護」という論文を寄稿したことでした。
菅家さんを支援する人たちがこの論文を読んで、私に控訴審の弁護を依頼してきたのです。しかし、私は一審の弁護人から菅家さんは犯人であると直接聞いていました。私は一審判決のDNA鑑定の評価には問題があると思っていたものの、菅家さんの弁護人になることにはためらいがありました。ところが、当時裁判所から選任されていた国選弁護人に電話したところ、控訴趣意書の提出期限が迫っているのに菅家さんと接見して事情を聞くことさえしていないことを知り、即座に弁護人になることを決意し、裁判所に連絡しました。私選弁護人が付けば、国選弁護人は解任されることになっていたからです。
もはや後戻りができない状態で、菅家さんと初めて東京拘置所で接見しましたが、拘置所に向かうときの不安な気持ちと、拘置所を後にしたときの晴れやかな気持ちを今でも覚えています。接見して間もなく、私は無実を確信しました。私の刑事弁護人としての感性が試された瞬間だったと今思います。以来、100回近く接見していますが、無実の確信が揺らいだことは一度もありません。
そして、事件について調べれば調べるほど、菅家さんが無実であることの証拠は見つかっても、有罪を示すものは何ひとつ見つかりませんでした。大袈裟ではなく、これだけ明白な無実の事件はないと思います。
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たくさんあって、短時間では説明が難しいのですが…。
私が最初の接見で菅家さんの無実を確信できたこととも関係しますが、真実ちゃんを殺した犯人が小児性愛者であることは疑う余地がありません。私は、同じ小児性愛者による死刑事件だった島田事件の最終段階で弁護人になったことがあり、ほかに小児性愛者だった大学生が13人の幼女を犠牲にした事件の弁護を担当したことがあります。そのため小児性愛者による犯罪がどのようなものかそれなりの知識がありました。
そのような知識に照らすと、菅家さんは絶対に小児性愛者ではありません。ある人が小児性愛者かそうでないかは、それなりの知識をもとにインタビューをしてみれば簡単に分かると思います。
警察は、菅家さんを任意同行する前、ほぼ1年間にわたって菅家さんを尾行しましたが、当時菅家さんは幼稚園のバスの運転手をしており、それこそ幼女に取り囲まれていたのに、菅家さんは一度も不審な態度を示したことはありません。小児性愛者はチャンスがあれば幼女に声を掛けるものです。「声掛け事案」と呼ばれますが、幼女には性的な意味が分からないために、「事件」が発覚しないことも多いのです。幼女を性的興味の対象とした事件が必ず殺人に発展するとは限りませんし、犯人としても、死体愛好者でない限り、殺す必然性はないのです。
ところが、足利市では、11年前の1979年と6年前の1984年に幼女が誘拐され死体となって発見された2つの事件が起きていたため、菅家さんはこの2つについても追及され、2つの事件もやったと自白しました。11年前の事件では、真実ちゃん事件で起訴されたあと、再逮捕されました。しかし処分保留のまま釈放され、1年後の1993年1月に2つの事件とも不起訴になったのです。不起訴理由は「嫌疑不十分」。菅家さんが犯人だったとすれば、間違いなく死刑になったに違いない事件なのに、菅家さんは自白しました。しかし、検察官は、その自白は信用性に疑問があるとして起訴できなかったのです。
ところで、仮に真実ちゃん事件の前に菅家さんが2件も幼女を誘拐して殺害していたとすれば、菅家さんの小児性愛者としての傾向は極めて強いものになっていたに違いありません。そして、3件目の真実ちゃん事件を起こしたあと半年後から開始された警察の尾行で、菅家さんが小児性愛者としてのシッポを出さないことなどおよそ考えられない。菅家さんが警察の尾行に気付いていなかったことは警察も認めています。それなのに、菅家さんは1年間尾行されながら、そして、幼女に取り囲まれた生活をしながら、一度も小児性愛者としての行動を示さなかったのです。冷静に考えれば、菅家さんが犯人でないことは警察官が誰よりも知っていたことになります。
しかし、警察官は菅家さんが犯人だと確信し、その自白を疑うことをしませんでした。何故か。まさに「DNA鑑定神話」が支配していたからです。
私たちが控訴審で弁護人になって菅家さんの無実の証拠が見つかったと喜んだのは、スーパーマーケットに残されたレシートを発見したときのことです。菅家さんの自白では、真実ちゃんを殺していたずらしたあと、午後8時前にスーパーに寄って夕食を買ったことになっていました。警察は自白を裏付けるためにそのレシートを捜しましたが、見つかりませんでした。ところが、菅家さんが一審の弁護人に無実を訴えた手紙では、スーパーに寄ったのは午後3時すぎで、当日パチンコ店には行っていないというのです。そこで、私たちがスーパーに赴いて警察が見通していた当日の昼間のレシートを見てみると、なんと、午後3時2分に菅家さんが供述する買物に符合するレシートがあったのです。
自白を裏付けるレシートが存在せず、否認供述を裏付けるレシートが存在しているのです。
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さらに、事件当日は土曜日で、真実ちゃんの死体が発見された渡良瀬河川敷の近くには、多くの市民が集う運動公園がありました。事件当時100名を超える市民が事件現場にいたのです。警察は死体の発見が翌朝だったこともあって、当日そこにいた市民のほとんどを割り出し、それぞれの記憶を新鮮なうちに録取しました。
そして、幼女の手を引いて土手を降り、川に向かって歩いていく不審な男を2人が目撃していました。実際、菅家さんが逮捕されるまでは、これがもっとも有力な目撃情報でした。
ところが、菅家さんの自白によれば、自転車の後部座席に真実ちゃんを乗せて渡良瀬川の土手沿いの道を上り、運動公園脇の坂になった道路を下り、運動公園内を突っ切って河川敷近くの道路上に自転車を停め、真実ちゃんの手を引いて河川敷に向かったことになっています。が、幼女を自転車の後部座席に乗せて運動公園を突っ切り、河川敷近くの道路上に自転車を停めた人物を目撃した人物は一人もいないのです。もしその通りだとすれば、自分は菅家さんの姿や自転車を見たはずだが、見ていないと2人の「目撃者」が控訴審で証言しました。
足利事件では、犯人を目撃した人の証言が菅家さんの自白と矛盾することから無関係のものとして消され、一方、菅家さんの自白を裏付ける目撃証言は皆無で、菅家さんの自白と矛盾する「目撃証言」が存在するのです。
また、真実ちゃんの死体の鼻と口からは白い細かな泡が出て来ましたが、これは溺れた場合の溺死の所見で、真実ちゃんの首を絞めて殺したという菅家さんの自白と矛盾します。この点については、再審の請求審で、2人の法医学者が証言し、検察官からはこれを否定する法医学鑑定は提出されていません。
DNA鑑定が誤っていたことが分かった現在、高裁が、この弁護側の法医学鑑定こそが真相を明らかにしたもので、自白はその意味でも信用できないと判断してくれるのではないかと期待しています。
Q そのような事実は基本的には控訴審の段階で明らかになっていたのではありませんか。それなのになぜ東京高裁で控訴棄却になったのですか。
そのとおりですが、ひとつだけ控訴審段階では明らかになっていなかった事実があるんですよ。
それは、菅家さんのMCT118型が真犯人と異なるのではないかと考えて、菅家さんの毛髪を用いた弁護側の鑑定を行ったのが1996年5月9日の控訴審判決後、最高裁の段階だったことです。
もし控訴審段階で私たちがそのことを思い付き、押田鑑定を証拠に提出していたとしたら、間違いなく控訴審段階でDNA再鑑定が命じられたと思います。そして、私たちがそのことを思い付くことは可能でした。
その結果、菅家さんと犯人のDNA型が一致しないことが明らかになれば、菅家さんは控訴審で無罪とされたに違いないのです。私は、自分の本(『刑事弁護の技術と倫理-刑事弁護の心・技・体』2007年有斐閣)で、私自身の弁護の誤りを「不適切弁護」の例として掲げましたが、私たちの弁護活動にも反省を要するものがあるのです。
つまり、控訴審が控訴を棄却したのは、DNA鑑定の型判定が間違っていたとして、「一致する」という鑑定結果までは間違っているとは考えなかったこと、そして、菅家さんが一審の裁判官の前で自白したこと、が最大の理由だと思います。
高裁の裁判官は、自分は犯人ではないと訴える菅家さんの供述を直接何度も聞き、自白と矛盾する多くの証拠が存在することを知っていましたから、誤判の責任を免れることはできないことも指摘しておく必要があります。
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今から考えるとなお不十分な点がある弁護でしたが、私は1996年5月9日に東京高裁の判決が言い渡されるとき、菅家さんは無罪とされるものと信じて疑いませんでした。
しかし結果は「控訴棄却」。菅家さんも落胆しましたが、私もそうでした。その日、帰宅する道すがら、泣きながら「菅家さん、ごめんなさい」と言い続けたことを思い出します。
控訴審の裁判長は、退官後に中央大学法科大学院の教授を務められ、昨年亡くなられた高木俊夫さんでした。私は高木さんとは親しく口をきく仲でしたが、控訴審の判決後、高木さんに菅家さんのDNA型が犯人のものと異なる可能性があることをお話ししたところ、「それだったら駄目ですね」と率直にお認めになりました。もちろん最終的には菅家さんと犯人のDNA型が一致するのかしないのか確認する必要があります。また、だからこそ、控訴審の段階で押田鑑定を提出したら、高木さんのもとでDNA再鑑定が実施され、菅家さんは、今から13年前に無罪の判決を受けていたに違いありません。
本当に菅家さんには申し訳ないことをしたと思います。
Q 最高裁に上告したのち、押田鑑定を得たわけですが、最高裁判所にDNA再鑑定を求めたのですか。
もちろんです。求めました。押田鑑定書を添付して、1997年10月28日、菅家さんのDNA型と犯人のDNA型は異なる可能性があるので、DNA鑑定の再鑑定を命じてほしいと申し立てました。
しかし、最高裁は最終的にこれを無視しました。この事件の調査官だったG裁判官との何回かの面接で、「最高裁は事実審ではありませんので…」と言われたのがわずかに聞けた理由らしきものです。私たちは「最高裁が事実を取調べる必要はない。最高裁がなすべきことは、DNA再鑑定を命じることだけで、鑑定するのは鑑定人です」と訴えましたが、無駄でした。
ところで、私たちは、DNA再鑑定を求めるのと同時に、犯人の遺留精液が付着した半袖下着を保管替えしてほしいと最高裁判所に上申しました。警察庁が本件のDNA鑑定後に定めたDNA鑑定のガイドラインでも、DNA鑑定資料はマイナス80℃という超低温で保管することになっていますが、当時本件の半袖下着は東京高裁の証拠品保管庫で常温で保管されていたからです。しかし、DNA鑑定資料の半袖下着は、常温のままでは日々劣化してゆくいわば生モノです。証拠品の証拠価値をそのまま維持する責任が裁判所にはありますが、犯人の精液を付着させた半袖下着が常温で保管され続けるということは、DNA再鑑定が時々刻々不可能になってゆくことを意味します。そこで、裁判所には、最低限、半袖下着をマイナス80℃で保管替えするように命じる義務があると私たちは訴えました。しかし最高裁は、それも無視したのです。
G調査官から最高裁はDNA再鑑定を命じる考えはないことを知らされたとき、「もはや最高裁には期待できない。再審を考えるしかない」と考え、最高裁にこれ以上上告趣意を補充することはないので、最高裁の判断を示してほしいと伝えました。
Q 最高裁が足利事件の上告を棄却したのは2000年7月17日ですが、佐藤弁護士は最高裁決定を受け取ってどうしたのですか。
最高裁の判決や決定は郵送されますので、裁判所で判決を聞くような厳粛な雰囲気はまったくありません。G調査官との面談を通じて、最高裁には期待できないとう感触を得ていましたので、上告棄却の決定を受け取っても控訴審のときのように落胆はしませんでした。
再審でDNA鑑定の再鑑定をすれば菅家さんの無実は明らかになる、こうなったら再審請求しかないと覚悟を決めていたからです。
私たちが宇都宮地裁に再審請求したのは、それから1年半後の2002年12月25日のことですが、上告棄却決定後、日弁連の人権擁護委員会に再審請求を支援してほしいという申立を行い、その支援決定を得て、再審請求弁護団を結成し、新証拠として、押田鑑定のほか、法医学鑑定を新たに得て、再審申立書を書き上げ、申し立てたのです。
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Q 押田鑑定は最高裁の段階ですでに得ていたものですが、再審請求の際の新証拠になるのですか。
判決が確定するまでの確定審の段階で提出された証拠は、原則として再審請求の新証拠になりません。無罪を言い渡すことが明らかなという「明白性」と並んで、新規な証拠であるか否かという意味で「新規性」の問題と呼びます。
しかし、最高裁は事実審ではないため、最高裁が判断の対象としなかった証拠は再審請求の新証拠になり得るという考え方が一般的で、私たちも押田鑑定は新証拠になり得ると考えました。
そして、この点については宇都宮地裁の棄却決定も、押田鑑定の新規性自体は否定しませんでした。しかし、棄却決定は、押田鑑定の資料となった菅家さんの毛髪が本当に菅家さんのものかどうか分からないから、押田鑑定に証拠価値はなく明白性はないと判断したのです。
Q 宇都宮地裁は,何故DNA鑑定の再鑑定を命じなかったのでしょうか。
これも裁判長の池本寿美子裁判官に聞いてみないと分かりませんが、本件のDNA鑑定が正しい型判定をしたものではないことを認めながら、「一致」することに変わりはないとした東京高裁判決があったこと、最高裁が押田鑑定が提出されたにもかかわらず、再鑑定を命じないで上告を棄却したことが重くのし掛かっていたのではないかと思います。
ほかに、DNA鑑定の再鑑定を命じるということは、当時のDNA鑑定に問題があると裁判所が考えたことを意味しますので、科警研の権威を傷付けたくないという配慮もあったのかも知れません。しかし、所詮、権威をとるのか、真実に忠実であるべきかという問題です。
池本裁判長の前任の飯渕進裁判長は、私たちの申立を認めて、半袖下着の保管替えを命じ、DNA再鑑定に備えてくれましたので、池本裁判長によってDNA再鑑定が命じられるものと期待していました。
ですから私は、池本裁判長から「裁判所は、DNA再鑑定を命じないで、裁判所の判断を示したいと思います」と言われたとき、DNA鑑定を命じるまでもなく菅家さんの自白の信用性には疑問が生じており、裁判所はそのような理由に基づいて再審を開始するつもりだ、と楽観的に考えてしまいました。
Q 最高裁段階と違って、宇都宮地裁には期待していたということですか。
そうです。特に飯渕進裁判長のときに行った鈴木庸夫・山形大学名誉教授による法医学鑑定に追加して提出した村井達哉・元慶応大学教授による法医学鑑定について、池本裁判長が証人尋問の実施を決められ、熱心に証言を聞いてもらったこと、検察官側から有力な反論がなされなかったことから期待がふくらみました。
2008年2月13日に私は東京で宇都宮からの報告を待っていましたが、「請求棄却」と聞いて、控訴審判決のときと同じように落胆しました。菅家さんには別の弁護士が接見してすぐに結果を報告しましたが、私は翌日、菅家さんと接見しました。そのときの様子はテレビで放映されましたが、私の憔悴しきった姿を見て励ましのメールをもらったほどです。
しかし、菅家さんはその前に結果を聞いていたからかもしれませんが、希望を捨てていませんでした。私は菅家さんから励まされて千葉刑務所をあとにしたのです。
棄却決定に対する即時抗告の申立書は5日以内に書き上げなくてはなりませんでしたが、棄却決定を読めば読むほど裁判所の不十分な判断に怒りがこみ上げてくるのを抑えきれませんでした。
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田中裁判官とはある研究会でご一緒したこともありますが、柔らかな物言いの方です。しかし、私は田中裁判官が東京地裁の裁判長だったころ、無罪と確信した事件で手痛い有罪判決を受けたことがあり、実は、足利事件の棄却決定の日は、田中裁判長のもとで無罪を争っている税法事件の第1回公判の日でした。しかし、弁護側の証人尋問をすべて却下され、即日結審し判決日を指定されたのです。2008年2月13日は私にとってダブルパンチを受けた日でもあったのですが、足利事件の即時抗告審がその田中裁判長の部に係属して、正直言って「参ったなぁ」という気持ちでした。
そこで、正攻法で臨むしかないと覚悟を決め、DNA再鑑定の請求を2008年5月23日に行いましたが、まさか裁判所が直ちにこの問題に関心を寄せるとは思わず、棄却決定が排斥した弁護側の2つの法医学鑑定を補強することによって突破口を開こうと考えていました。それによって菅家さんの自白に疑問が生じなければ、DNA鑑定に入ってもらえないだろうと思っていたのです。
そこで、私たちは、夏休みを法医学鑑定の補強に費やし、9月初旬に法医学の鑑定補充書を裁判所に提出し、9月中旬、裁判所に三者協議を申し入れました。
すると、裁判所の書記官から、裁判所は5月に提出されたDNA再鑑定の請求について検察官の意見を求めているところで、10月末までに提出される検察官の意見書を待って三者協議の日程を入れるつもりなので、それまで待ってほしいと言われたのです。
それが、私たちが東京高裁がDNA再鑑定に関心を持っていることを知った最初の機会です。
そして、2008年10月15日、検察官の意見書が提出されましたが、驚くべきことに、その意見書は、DNA再鑑定は不必要であるとしたものの、仮に裁判所がDNA再鑑定に踏み切る場合には以下のような方法によるべきであるとして、DNA再鑑定を前提としたものでした。さらに、その意見書について、書記官から「裁判所はDNA再鑑定の方向で考えているので、検察官の意見書のうちDNA再鑑定を実施することを前提に書かれた部分についての弁護人の意見を聞きたいので、そのことを念頭に意見書を作成してほしい」と裁判所の要望が伝えられ、裁判所がDNA再鑑定に意欲的なことを知ったのです。
そして、検察官意見書を入手したと思われるマスコミが「DNA再鑑定へ」と報じたことから、今日に続く報道が始まりました。
Q その後11月14日にDNA再鑑定に関する弁護人の意見書、12月2日に弁護人の補充書が提出され、三者協議を経て2008年12月24日にDNA再鑑定が決定されたのですね。
そうです。ちょうどクリスマス・イブでした。執務時間も過ぎた午後5時30分に裁判所から電話をもらい、DNA再鑑定を命じる決定書を受け取りに行き、翌朝、菅家さんに接見して説明しましたが、2月13日から10か月余りでこのようなことが実現するとは夢にも思っていませんでした。
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Q その後の経過を簡単に説明して下さい。
今年の1月23日に半袖下着が超低温保存してある自治医科大学に赴き、検察官推薦の鑑定人と弁護人推薦の鑑定人が裁判官3名の前で宣誓したのち、本件の鑑定についていくつかの質問を受け、半袖下着を二つに分けて、それぞれ持ち帰られました。
2人の鑑定人が鑑定資料を実際に見られた最初の機会ですが、お二人とも資料を見て難色を示されることはありませんでした。弁護側推薦の鑑定人にはその前にお目に掛かりお話しを聞いていましたが、精子は人間の細胞の中でももっとも強い細胞膜で守られた細胞で、保存状態の点からは問題はないと聞いていましたが、実際に資料を見てもらって、その不安が解消したように思いました。
ついで1月29日、千葉刑務所で主任裁判官立ち会いのもとで鑑定人の1人が菅家さんから血液と口腔粘膜を採取し、ここに2つの鑑定資料が揃いました。
鑑定は4月末を目途に鑑定書を提出して行うことになっていましたが、ほぼそのとおり順調に鑑定が行われたことになります。
Q 今回のような鑑定結果が提出されることになると、予想はしていましたか。
もちろん期待はしていましたが、不安もありました。何よりも、半袖下着の遺留精液は、最初は血液型鑑定に使われ、ついで本件のDNA鑑定で使われ、残っているとしてもわずかでした。しかも、既にお話ししたように、マイナス80℃で保存されるようになったのはわずか4年前のことで、14年間常温で保管されていたのです。量的にも少なく、質的にも劣化している可能性が高かったために、鑑定不能という鑑定結果になるのではないかというのが一番の心配でした。
また、警察は本件のDNA鑑定を行う前に菅家さんの精液が付着したティッシュペーパーを入手していましたので、DNA鑑定の知識に乏しい警察官によって2つの資料が同時に取り扱われ、菅家さんの精液が半袖下着に付いてしまっていれば、「一致」の鑑定も出かねないという一抹の不安もあったことも事実です。
しかし、今回の結果はそのような危惧が無用だったことを教えるもので、「真実は必ず明らかになる」と信じてきたことが現実のものとなったのです。DNA再鑑定をしてもらえれば,自分の無実は明らかになると言い続けた菅家さんの言葉は正しかったのです。
DNA鑑定書の交付が、昨日(5月8日)の午後でしたので、菅家さんにはまだ伝えていませんが、週明けの11日にも千葉刑務所で面会して伝えるつもりです。
Q 今回のDNA再鑑定の結果は、足利事件だけでなく、他の事件や刑事司法全体に影響を及ぼすのではないかと思いますが、佐藤弁護士はどう思われますか。
私たちの現在の課題は、菅家さんの1日も早い無罪で、他の事件ことや刑事司法全体のことはそのあとの問題です。しかし、DNA鑑定という最新の科学による鑑定結果が間違っていたことは、足利事件以外にも影響を及ぼすと思います。
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たとえば、足利事件と並んでDNA鑑定が重要な証拠になった事件として「飯塚事件」があります。私は弁護人ではありませんので、詳しくは知りませんが、同じDNA鑑定が問題になったこと、しかも飯塚事件のDNA鑑定も足利と同じMCT118法で、同じ16-26と鑑定されたことから、私たちは「東の足利、西の飯塚」と呼んで、協力しながら弁護活動に従事してきました。
飯塚事件は被害幼女が2名だったこともあって、有罪とされた久間三千年さんに言い渡された判決は死刑でした。私が衝撃を受けたのは、久間さんが2008年10月28日、死刑を執行されたことです。飯塚事件の死刑確定は06年9月で、その2年前のことです。死刑の執行が判決確定後どのくらいでなされるものなのか分かりませんが、明らかに早い執行だったことは疑う余地がありません。再審請求の準備をしていた弁護団は、実際に再審請求しなかったために執行されてしまったと落胆していると聞きます。もしも飯塚事件のDNA鑑定も間違っていて、久間さんが無実だったとしたら、一体どうするのでしょうか。
また、久間さんの死刑執行が、足利事件で検察官の意見書が提出された2008年10月だったことをどのように考えたらいいのでしょうか。飯塚事件で死刑執行の書面を書いている検察官と、足利事件でDNA再鑑定の書面を書いている検察官が、ほぼ同じ時期に霞ヶ関の法務省と検察庁の2つの建物の中にいたのです。
いよいよ裁判員裁判が始まり,死刑の問題に市民が直面することになりますが、冤罪と死刑についても深く考えてみる必要があると思います。
足利事件の時効は、刑事訴訟法の時効の規定が改正される前でしたので、15年を経過した2005年5月12日に時効が完成しました。しかし、私たちがDNA再鑑定を求めたのは1997年10月のことで、事件から7年半後のことです。時効まで7年半ありました。そのときにDNA再鑑定を行えば、今回分かったように犯人のDNA型も同時に判明し、それを手掛かりに足利事件の再捜査を開始し、犯人を検挙することも十分に可能だったと思います。警察庁は、現在、DNA鑑定の結果のデータベースを捜査に活用していますが、本件でもそれが可能だったし、そうすべきものでした。
DNA鑑定は、これまでの鑑定と異なり、ある人の無実を明らかにするのと同時に、真犯人のDNA型を明らかにするという意味で、新たな捜査の出発点になる画期的な鑑定なのです。
DNA鑑定は誤っているのではないかという指摘があった場合には直ちにこれを真摯に受け止める必要があります。それを無視し、DNA再鑑定を実施しないことは、犯人を利することに等しいのです。
市民の安全、治安の維持に責任を負っている警察、検察こそ弁護人の指摘に謙虚に耳を傾けるべきだったことになります。DNA鑑定は、その意味で、鑑定の持つ意味について新しい時代の到来を告げるものということができると思います。
お話ししながら、足利事件のDNA再鑑定の結果が示すものは、私たちの予想をはるかに超えるものではないかということに気付きます。ただし、私たちの任務は、高裁による再審開始決定を得て、それを確定させ、ついで、開始された再審公判で無罪判決を得て、それを確定させることです。その道のりはまだまだ長いといわなくてはなりませんが、既に希望の光ははっきりと見えています。
Q お忙しい中、長時間のインタビューにお答えいただき、どうもありがとうございました。
私こそ足利事件のDNA鑑定の意味を考え直す機会を与えていただき、感謝しています。
【佐藤博史(さとう・ひろし)】1948年、島根県生まれ。東大法卒。1974年弁護士登録(第二東京弁護士会)。現在、早稲田大学客員教授。
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