このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。
主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。
ここでは信長の野望・太閤立志伝の人物について扱います。
参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨)
史実姫(史実にもとづく女性登場人物)を、所縁の大名家(実家、ない場合は婚家。それもなければ主家や仇敵など)ごとにだいたい北から並べています。
架空姫は各動画のページで。史実姫かどうかは
火間虫入道さん
などで確認できます。
蠣崎家
蠣崎圭(かきざき けい)
(?~?)蠣崎季広の娘。安東愛季の弟・安東茂季に嫁ぐ。毒殺で有名な長女(南条広継夫人)ではないので安心だ。圭は「蒼天録」等での呼称であり、実名不詳。
「革新」では、当主と南条広継しかいないという超人手不足なS1蠣崎家の救済措置的役割を与えられており、開始1年も経たぬうちに政治78という優秀な能力値を持って髪結いを迎えるとても出来た娘。
革新 |
統率 56 |
武勇 39 |
知略 58 |
政治 78 |
義理 49 |
水軍B |
+
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魚介乃類夫人。紙芝居に登場 |
第1話で魚介乃類の妻に迎えられた。類との間に「中間」「人魚姫」こと魚介乃佳がいる。紙芝居への登場は多くないが、対北条戦で道に迷い深く傷ついた類を支え、賢夫人の印象を強く残した。
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武田家
禰々御料人
(ねねごりょうにん)
(1528~1543)武田信虎の娘で晴信(信玄)の異母妹。1533年、政略結婚で諏訪頼重の正室(継室)となる。
しかし晴信の代に武田家が諏訪に侵攻、頼重を自害させると、幼い男児と共に甲斐に連れ戻され、16歳の若さで死亡。
創造PK |
統率 71 |
武勇 75 |
知略 61 |
政治 63 |
義理 5級 |
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諏訪御料人
(すわごりょうにん)
(1530?~1555)諏訪神社大祝・諏訪頼重と側室・麻績氏の娘。実名不祥。
武田晴信(信玄)
が頼重を滅ぼした後、側室として迎えられ、
武田勝頼
を生む。
晴信は当初、自分と彼女との間に生まれた男児には諏訪家を継がせようと考えていたが、上の男児三名はそれぞれ反逆・失明・夭折と故障があり、結局勝頼が武田家を継ぐことになった。
創造PK |
統率 67 |
武勇 77 |
知略 66 |
政治 65 |
義理 8級 |
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+
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諏訪姫家(プレイヤー勢力)大名。企画段階からキャラブレイク |
開幕早々、武田家からやって来た父の正室・禰々と組んで父親と家臣団を追放。その後も周辺勢力を外交でいいように操り、男の捕虜は撫で斬り……というはっちゃけたギャグプレイ。
「女の天下」を目指してなりふり構わず突き進む姿には、禰々ともども史実での悲劇の片鱗も見られない。
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北条家
早川殿 /蔵春院
(はやかわどの /ぞうしゅんいん)
(?~1613)北条氏康の娘、今川氏真の妻。夫の没落後も人生を共にした。甲相駿三国同盟で出来た三組の中で、唯一最後まで添い遂げられた夫婦である。
史料に多くが語られていないが、歴戦界隈では「おしどり夫婦」「夫を支えるしっかり者」という事になっている。「早川殿」名義で登場する太閤Vの顔グラは美人で「氏真にはもったいない」とのコメントが付く事も。
「蒼天録」等での名前は「春」。「革新」では氏真より余程強い…
革新 |
統率 60 |
武勇 48 |
知略 63 |
政治 69 |
義理 76 |
|
(1572~?)成田氏長の娘。実在に疑問もあるが、豊臣家の小田原討伐の折、主家が降伏するまで石田三成の軍勢から父親不在の忍城を守り抜いた女傑とされる。
主家滅亡後はその知勇と東国一と称えられる美貌を伝え聞いた豊臣秀吉の側室となり、一説によれば天秀尼(豊臣秀頼の娘・奈阿姫)の付き人を務めたという。
天道PKに「成田甲斐」の名で登場。一線級の高い能力値を与えられている。
天道PK |
統率 80 |
武勇 81 |
知略 51 |
政治 56 |
義理 76 |
騎馬A,弓A |
今川家
寿桂尼
(じゅけいに)
(?~1568)中御門宣胤の娘、今川氏親の正室。氏輝・義元の母。瑞光院。幼い氏輝に代わり領国を経営し「女戦国大名」とも称される。花倉の乱・桶狭間の合戦という苦難を乗り越えて今川家を支えた。寿桂尼存命中は信玄も今川家を滅ぼせなかったと言われる。
大河ドラマ「風林火山」では、義元・雪斎・寿桂尼が策略をめぐらす「今川暗黒会議」が度々登場。ニコニコ動画でも「妖怪ババア」と呼ばれて親しまれている。
「信長の野望」本編及び「太閤立志伝」シリーズでは、長らくイベントのみの存在で、動画投稿者がたまに登録武将や紙芝居の形で登場させていたが、創造PKでついに武将としての参入を果たした。
創造PK |
統率 80 |
武勇 35 |
知略 81 |
政治 88 |
義理 7級 |
詭計百出 |
+
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ゲスト。その5で登場 |
今川物としても、女性主人公の歴史小説としても優れたあの小説を紹介。某キャラクターの口調を思わせる本動画での寿桂尼の口調は小説準拠。
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+
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今川家登録武将 |
壱拾漆章で登場・紹介有。登録名「今川寿桂尼」。
うp主いわく「日本三大妖怪ババア」「日本三大高性能ばあちゃん」の一人。「妖怪ババア」の名に恥じぬ、知略内政特化型の能力値が与えられている。
統率 12 |
武勇 2 |
知略 90 |
政治 89 |
義理 46 |
計略A,内政S |
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+
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今川家に紙芝居で登場 |
強かさは史実通りだが、威厳と頭脳はこの動画に準拠。
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井伊直虎
(いい なおとら)
(?~1582)遠州井伊谷の国人・井伊直盛の娘。通称は次郎法師。直盛は従弟の直親に彼女を娶わせ婿養子にする筈だったが、直親は亡命先で結婚した為に婚期を逸した。桶狭間での父の戦死、跡継ぎの直親の謀殺、家臣の謀叛による失領等の多難な状況の下、1565年に家督を継いで「直虎」を名乗り「女地頭」と呼ばれた。直親の遺児であり又従弟の直政を育て、徳川家に出仕させた。
「信長の野望」シリーズには長らく登場しなかったが、「天道」で登場を果たした。
天道 |
統率 68 |
武勇 16 |
知略 74 |
政治 76 |
義理 60 |
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(1542?~1579)関口氏広の娘で今川義元の姪。義元の養女として松平元信(今川家人質時代の徳川家康)の正室となり、松平信康と亀姫を生む。
しかし義元の戦死と氏広の切腹で政略結婚の価値を失った彼女は、城外での長い幽閉生活の末に殺害され、信康も自害させられてしまう。権高な性格が原因との説もあるがはっきりしない。
「革新」では「関口瀬名」の名で登場する、歴史イベントのキーパーソン。今川家と徳川家康の関係が描かれる動画では、彼女の存在を気にしておくとより楽しめるかもしれない。
革新 |
統率 15 |
武勇 48 |
知略 74 |
政治 64 |
義理 52 |
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織田家
(1547?~1583)信長の妹、夫は浅井長政・柴田勝家。「浅井三姉妹」の母。絶世の美女であったといい、その生涯は戦国の世の悲劇として知られる。
信長からは「市が男だったなら、良き武将となったであろう」と惜しまれた程の能力を持っていたらしい。長政と信長の戦いを止めようとした説もある(俗説の可能性も高いが信長の味方をしていた可能性もある)。
「革新」ではCPUが秀吉の妻にしちゃってる事も多い。
実際に秀吉からは好まれていたが、反対にお市は秀吉の事を「猿顔」と嫌っていたらしく特に長政の長男、万福丸(長政の先妻の子説あり)が秀吉によって処刑された際には恨んでいたともいう。
勝家に嫁いだのも政略的な意味もあったが、「対秀吉への牽制だったのでは?」という声もある。
革新 |
統率 52 |
武勇 63 |
知略 73 |
政治 75 |
義理 38 |
内政B |
斎藤家
濃姫 /帰蝶
(のうひめ /きちょう)
(?~?)斎藤道三の娘、織田信長の正室。嫁入り時のエピソードなどが知られ「蝮の娘」にして「信長の妻」という女傑のイメージで語られる事が多いが、事績を伝える史料は少ない。
「革新」には姫武将としてのデータもあり、一線級武将と肩を並べる能力を持つ。但し、早期のシナリオが「革新」には無い為、真っ当な方法で姫武将として登場させるには、道三存命中の初期シナリオで信長と同盟破棄し、帰って来た所を武将に変える等、かなり条件が厳しい。
革新 |
統率 76 |
武勇 41 |
知略 86 |
政治 88 |
義理 30 |
足軽B,計略B,内政A |
+
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斎藤家(登録)武将 |
斎藤道三の娘。壱拾漆章で「斎藤帰蝶」として登場し武将紹介有。
織田家を内部から切り崩していた恐ろしい人。織田家滅亡時に斎藤家に帰り、紙芝居上で竹中半兵衛の妻となる。
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浅井家
茶々/淀殿
(ちゃちゃ /よどどの)
(1569?~1615)浅井長政とお市の方の長女。浅井・柴田と二度に渡る滅亡という辛酸をなめ、後に豊臣秀吉の側室となった。激動の生涯は小説・ドラマの題材になるが、大坂の陣での振る舞いから武将好きには不人気。
もっとも、悪女ぶりは後世に汚名を着せられた可能性があり、実際の彼女は幕府との和睦を望む穏健派であったという説もある。
「革新」では1567年生まれとしている。政治家としては結構優秀。
革新 |
統率 12 |
武勇 42 |
知略 79 |
政治 80 |
義理 83 |
兵器B |
+
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豊臣秀頼の母。紙芝居のみ登場 |
過保護な淀殿の存在が、大坂組の積極的行動が出来ない理由となっている。
「銀河英雄伝説」で同盟側主人公ヤン・ウェンリーの足を引っ張り続けた指導者「ヨブ・トリューニヒト」(ぶっちゃけ悪役)になぞらえ
「ヨド・トリューニヒト」と呼ばれたりする。
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前田家
(1547~1617)前田利家の正室。嫡男・利長をはじめ合計11人もの子を儲け、ときに細かすぎる性格の利家を叱咤激励した、加賀百万石にとっては文字通りの「国母」。
豊臣秀吉の正室・ねねとは尾張時代からの親友で、娘の豪姫(のち宇喜多秀家の正室)を養女として送った。その政治的パイプを活かして利家の窮地を救ったこともある。
長女・幸姫を生んだのは数え13歳のときのこと。夫をロリコンだと思うのは現代の思考である。
明智家
(1563~1600)明智光秀の娘で細川忠興の正室……なのだが、
ヤンデレ
の被害者として語られることが多い。
逆臣の娘として離縁された上に幽閉されたり、ようやく復縁しても夫の気性のせいで籠の鳥の生活だったり。宗教にのめり込んだのもむべなるかな。
最期は関ヶ原の戦いが起こって西軍の人質に取られかけ、キリスト教で禁止されているはずの自害に追い込まれる(家臣に殺してもらう、という形ではあったが)。
+
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主人公 |
千熊丸(のちの忠興)との縁談を蹴り出奔。堺の町衆のもとに身を寄せ、商人の道を歩む。
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羽柴家 /豊臣家
(1547?~1627)木下藤吉郎(豊臣秀吉)を小者時代から支え続けた正室。子は生まれなかったが官僚として有能で、朝鮮戦役でも大坂~名護屋間の兵站を取り仕切った。小早川秀秋は彼女の兄である杉原家定の子、つまり甥にあたる。
向こう気が強かったらしく、夫の秀吉と喧嘩したときの逸話がいくつも残っている。
毛利家
新庄局
(しんじょうのつぼね)
(?~1606)熊谷信直の娘。1547年に吉川元春の正室となり、元長、元氏、広家らを生む。かなり勝ち気な性格だったが、元春は彼女を深く愛し、側室を持つことはなかった。
太閤立志伝Vの一部機種版に登場。容姿に優れなかったせいで晩婚だったとの俗説があり、そのせいで顔ネタキャラとなっている。
一条家
阿喜多の方 /一条喜多(おきたのかた /いちじょう きた)
(?~?)一条房基の娘、
兼定
の同母妹。日向の伊東義益の妻となり男子2人(義賢・祐勝)・女子1人(伊東祐兵室)を儲けたが1569年に死別。木崎原の戦いの後の1577年、舅の義祐ら伊東家一族郎党は喜多の母方の縁(叔父が大友宗麟)を頼り豊後に落ち延びた。この亡命が耳川の戦いの遠因となる。義祐らが豊後を去った後も阿喜多は同地に残った。熱心なキリシタンであった。
「蒼天録」等では「
一条喜多」の名で登場。「革新」では兼定と似たような能力(全体的に彼女の方が一回り優れる)。
革新 |
統率 32 |
武勇 29 |
知略 37 |
政治 2 |
義理 41 |
|
+
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プレイヤー勢力・一条家姫武将。きたちゃん |
本動画ではほぼ唯一の女性のお色気担当。首フェチ。第一話で登場し、最初期には統率32という家中随一の統率力の持ち主として戦場に立ち、活躍した。紙芝居には殆ど登場せず、初登場も第二一話と遅い。しかし、滅多に無い紙芝居登場では、兼定似なのか奔放な振る舞いを見せて動画を18禁スレスレにする。初登場時にはのっけから武田義信を翻弄。第四二話では木下昌直と絡んでいる。どうやら木下にはいつもそういう事をしているらしい。羨ましい。後に、かなりのSっ気の持ち主と判明。
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大友家
立花誾千代
(たちばな ぎんちよ)
(1569~1602)立花道雪の娘。戦国時代の女性で家督を譲られた珍しい例の一人で、立花山城の城督になった。武勇に秀でた勇ましい女性であった共伝えられる。高橋統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。諸説有るが、一般に夫とは不仲であったという。
史実に根ざした「戦う女の子」キャラとして「戦国無双」等にも登場。ツンデレ的な捉えられ方をされる事も多い。
「革新」では一線級の猛将とも肩を並べる程の高い戦闘力。
革新 |
統率 90 |
武勇 84 |
知略 68 |
政治 31 |
義理 73 |
足軽B,騎馬A |
龍造寺家&鍋島家
彦鶴 /陽泰院
(ひこつる /ようたいいん)
(1541~1629)石井常延の娘で鍋島直茂の正室(継室)。前夫・納富信澄と早々と死別して実家に戻っていたところ、直茂に「大量の鰯を手際よく焼いてみせた機転」を見初められて恋愛結婚。
夫とは終生仲むつまじく二男二女を儲けた。また、前夫との間の娘は直茂の養女として後に佐賀藩家老となる太田茂連に嫁ぎ、太田鍋島家の祖となった。
無所属
出雲阿国
(いずもの おくに)
(?~?)歌舞伎の始祖とされる伝説的な女芸能者。出雲大社の勧進と称して諸国を巡業し、男装での踊りやエロティックな寸劇(かぶき踊り)で好評を博した。
しかし遊女屋の呼び物として真似る者が増え(阿国自身も遊女だった可能性がある)、風紀を乱すとして女の演者は江戸幕府から禁止されてしまった。
+
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傾奇踊り |
祭りを取り仕切る必要から龍興が彼女の一座に声をかけ、「仲間」と認められるほど打ち解ける。
なお、彼女の弟子がとんでもない衣装を披露するシーンがあるが、前述の通り、史実の阿国歌舞伎も当時の感覚ではそんなものだったのかもしれない。
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コメント欄
最終更新:2016年04月23日 11:57