「薄着とネガと私」
俺は薄着が好きだ。
一昨年の冬はPコートを買った。ペラペラのヤツはかっこよくないから、ずっしりと重いのを買った。海軍放出品のような「本物感」があった。しかし、ろくに着なかった。重いし、ゴワゴワするし。やっぱり薄着が最高だと思った。
去年はコートを買わなかった。ペラペラの皮ジャンを良く着ていた。やっぱり薄着が最高だと思っていた。しかし、寒かった。2月ごろ限界が来た。重いのは嫌だからダウンを買おうかと思った。でもやっぱりやめた。ダウンは確かに軽いが、ゴワゴワするという問題はクリアできていない。ゴワゴワというよりかモコモコという感じ。あのモコモコ感が許せない。俺はB-BOYじゃないから、あまりモコモコしたくない。とにかく、2月に外套を買うというのもなんだか負けた気がして、結局薄着で過ごした。
今年は、ダウンを買おうかと思っている。モコモコの問題はクリア出来ていないが、なんていうか、もうどうでも良くなった。モコモコしてるのもいいじゃないかって、8月ごろフト思った。今探している最中だ。
アトリエ展の準備をしている最中にK女史に「石鳥君っていつも薄着だよね?」と言われた。そうだ、俺は薄着が好きだ。
俺はネガフィルムが好きだ。一人コタツに入りながらネガを透かし見ている時間は結構楽しい。心の芯が昂る。此岸から彼岸を覗き見ている感じ。パラレルワールド。
アトリエを撮ったネガもコタツに入りながら良く見た。ブローニー、6×6、トライX。クリアファイルにでも入れて、まとめておこう。気が向いたときに、酒でも飲みながら透かし見れるように。
プリントはどうだろう。もちろん写真はプリントで見るもんだ。ネガで透かし見る写真展なんて聞いたことない。でも俺はネガのほうが「本物」「本番」という感じがする。プリントはその時々の気分でコントラストを上げたり、明るさを変えたりできる。人間、時間が経てば気分が変わる。おそらく去年撮った写真のネガを今暗室に入って引き伸ばしたら、去年とはまったく違うプリントが出来上がるだろう。ネガこそが一瞬の光を永遠に封じ込めたもので、プリントはそれをまた刹那的な光に還元する行為のように思える。そんなプリントの展示は、物質として写真を見せるというより、環境としてその場かぎりの空間を作り上げる行為、つまりインスタレーションに近いものではないだろうか。
そんな考えを言い訳にして、いつも展示が終わったあとのプリント管理はテキトーだ。ネガはきちんとファイルに入れるが、プリントはぐちゃぐちゃにダンボール箱に入れておいたり、本棚の脇に挟んでおいたり、最悪の場合千切ってメモ帳になったりする。今回アトリエ展に出したプリントは、きっと駒場部室にでも放置しておくだろう。プリントのサイズがでかいし、枚数も多いから、もって帰るのが億劫だ。あの、傘立ての裏にでも突っ込んでおこう。
いつか、数年後の未来、駒場部室の大掃除によって、俺のプリントは発掘されるかもしれない。後輩達は不思議がるだろう。
「このジャンクな建物はなんなんだ?石膏、イーゼル、絵画、壁一面のグラフィティー・・・」
本郷の院生あたりに問い合わせてみる。
「ああ、なんか俺の入る2年くらいまえに美サクと一緒に展示やったらしくて・・・それ?今○○棟が建ってるところに旧物理倉庫ってのがあって・・・」
写文 石鳥