無知に対する憤り、無知への焦りに対する嫌悪、無知への焦りを矮小化するものへの軽蔑
無知ということに対して、われわれは激しい憤りを覚える。それは全くいやらしさのない、透明で、まっさらな、「怒り」の純粋形である。
私は知らない。
宇宙の塵が凝集したとき、地球が生まれたとき、火山が爆発したとき
ティラノサウルスの肌の色、イクチオステガの泳ぎ、ブロントザウルスの卵
釈尊の悟り、モーゼの奇跡、ナポレオンの野望、信長の野望
チベット僧の嘆き、神の町ファベーラで銃を手に取る子供たち
両親のセックス、友人の生い立ち、彼女の悩み、コンサルの仕事
宇宙の塵が凝集したとき、地球が生まれたとき、火山が爆発したとき
ティラノサウルスの肌の色、イクチオステガの泳ぎ、ブロントザウルスの卵
釈尊の悟り、モーゼの奇跡、ナポレオンの野望、信長の野望
チベット僧の嘆き、神の町ファベーラで銃を手に取る子供たち
両親のセックス、友人の生い立ち、彼女の悩み、コンサルの仕事
私は知らない。
驚くほどに知らない。
驚くほどに知らない。
そして、全く未知なる物が、眼前に存在したとき、その無知への怒りは、畏れへと変わる。
その畏れは、感性を研ぎ澄まさなければ、畏れだと認識できずに、焦りとして錯誤帰属してしまう。
無知への焦り。これは誰にでもあることだ。
大学の授業で、友人との語らいで、美術館に行って、図書館に行って、たくさんの情報の渦波に接することでそれは生じる。
ツタヤのB2で感じる例のアノミー的状況だ。
大学の授業で、友人との語らいで、美術館に行って、図書館に行って、たくさんの情報の渦波に接することでそれは生じる。
ツタヤのB2で感じる例のアノミー的状況だ。
この焦りには、だからこそ嫌悪感を感じるべきである。
自分のものであるはずの感情を、つかみ損ねるということ。
自分のものであるはずの感情を、つかみ損ねるということ。
しかしそれを軽蔑してはいけない。嫌悪しながら、まっすぐにそしてじっくりとその「焦り」の正体を見極めなければいけない。
だからこそ、その無知への焦りを矮小化し、嘲るものに対しては、深く軽蔑する。
それはまず、流行という幻想を作り出し、人々の無知への焦りを金に変えようとする錬金術師たち。
そして、特権的な言葉で語り、人々の無知への焦りを自らの権威に変えようとする詐話師たち。
そして、特権的な言葉で語り、人々の無知への焦りを自らの権威に変えようとする詐話師たち。
それは自分の無知への焦りを見つめることをせず、糊塗し、粉飾し、あらたな無知への焦りを生み出してきたものたちである。
さて、この「無知」をめぐり興味深い試みを続けているのが東京大学のアート事業団体「フィボナッチ金魚」である。
ノゾキミ展覧会、スコット・ド・ワシュレー来日展と続く一連の架空の芸術家による展覧会は、「アート」という観念を少々ナイーブに持て遊び気味な側面があるにせよ、意識・完成度ともに高度な試みである。
ノゾキミ展覧会、スコット・ド・ワシュレー来日展と続く一連の架空の芸術家による展覧会は、「アート」という観念を少々ナイーブに持て遊び気味な側面があるにせよ、意識・完成度ともに高度な試みである。
自らの感性に多少なりとも自信を置く人々ならば、必ず「無知への焦り」を感じたことのある「アート」というフィールドにおいて、すべての人にとって「無知」である架空の芸術家の展覧会を大真面目で行うという行為は、そこにずれを生じさせ、そのずれから一筋の光を見せてくれる。
しかし、である。
しかし、彼らの出版物の中でどうしても看過できない一文を見つけてしまった。それを血祭りにあげることでこのエッセイを閉じよう。
しかし、彼らの出版物の中でどうしても看過できない一文を見つけてしまった。それを血祭りにあげることでこのエッセイを閉じよう。
それは以下の文である。
「ほほえましいほどに無知な駒場のアートさん達はたぶんこの名を知らないんだろうけれど・・・」
何だよそれは。
お前のその、人々の無知への焦りをギャグにし、矮小化する論理は、お前ら「アートさん」の嫌いな資本主義商業主義の論理とまるで変わらないんだよ。
それは、ずらしでもなければユーモアでもエスプリでもなく、ただ人々を矮小化することで自らを特権化する、卑怯としかいいようのない態度なんだよ。
「「アートはジョークだ」とかいう言葉がたしかあって・・・」
お前はそうやって一生すべてを相対化し、何年生きようと絶対に人を愛することもできずに朽ち果てていくんだよ。
俺はアートなんて嫌いだし、ナイーブにアートといっている人には嫌悪感を覚えるが、しかしその一方で意識と完成度の高さがあるものに対しては、それを真面目に見据えようと思う。
しかしこういった発言をする輩がいるからこそ、アートアートといっている人全体に軽蔑を感じてしまいたくなる。
いや、そんな楽な道は取らないが。
しかしこういった発言をする輩がいるからこそ、アートアートといっている人全体に軽蔑を感じてしまいたくなる。
いや、そんな楽な道は取らないが。
しかし不愉快だ。
(河)