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378“尼御台”北条政子

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#378“尼御台”北条政子




籬(まがき)菊蒔絵螺鈿手箱

ここに一枚の手箱の写真がある。
明治五年十一月以前に下岡連杖によって撮影された「鶴岡八幡宮古神宝写真」六枚のうちの一枚である。
写真には、鶴丸紋を散らした錦と思える布の上に、手箱の身と蓋を中心に、左右に二枚の懸子(かけご:身の縁にかかるように作られた浅い箱)と手前には仕服から出した内容品が写し出されている。

題箋に、「十二手筺神寶」の文字が見え、明治五年以前に鶴岡八幡宮で行われた開帳(展覧)に際して撮影した籬菊蒔絵螺鈿手箱の写真であることが窺える。籬菊蒔絵螺鈿手箱は、明治六年、オーストリアで開催されたウィーン万国博覧会に、鎌倉時代の古器物として鶴岡八幡宮から出品され、日本を代表する手箱としてヨーロッパの人々の目を驚かせたに違いない。
博覧会終了後の明治七年三月二十四日、この手箱をはじめとする出品物一九二点を日本へ輸送していたフランス郵船ニール号が、静岡県伊豆半島の沖合で台風のために沈没するという出来事が起こった。
翌年、博覧会事務局は、引き上げを開始し、陶磁器・漆器など合わせて六八個を引き上げたが、ついにこの手箱の手掛かりは得られなかった。

下岡連杖の撮影した写真は、鎌倉時代を代表する手箱の勇姿を伝えるだけでなく、奉納された手箱の内部の状態を知り得る唯一の資料として貴重な存在である。
写真には、手箱の身と蓋に描かれた籬菊文の蒔絵や螺鈿、合い口部分の覆輪の状態、さらに上段の懸子の中には、櫛・櫛払・畳紙などを納めた状態が写し出されている。
一〇枚ずつ紙で束ねた櫛は、嘉永年間(一八四八-五四)に柴田是真が修理した際に作成した模写図の記載どおり櫛二七枚、梳櫛三枚合計三〇枚の所在が確認される。

また、下段の懸子の側面には葦と流水の蒔絵らしき文様が見られ、内部には仕服が散乱している。おそらく、これらの仕服は手箱の前方に置かれた小箱などの仕服の一部であろう。手箱の前方には、鏡と鏡箱をはじめ一対の白粉箱・歯黒箱・香物(たきもの)箱を陳列している。
現存する鎌倉時代の手箱の内容品もこのように二つの懸子に分散して収納されていたのだろう。源頼朝の夫人北条政子の奉納による七つ手箱の一つである籬菊蒔絵螺鈿手箱は、現在も伊豆半島沖の海溝深く沈んだままである。

ニール号沈没から約130年後の2004年5月、水中考古学の第一人者・荒木伸介氏を団長にニール号学術調査団が結成され、地上と海底の両方向から調査を開始。日本とフランスに残る当時の資料や、高性能音波探索機など最先端の機器を導入して、ついに海底に埋もれた船体の一部を発見した。その後、ニール号と断定する証拠も発見され、翌2005年に正式な遺跡「(伝)ニール号沈没地点」として静岡県に登録された。また、2007年7月には、積荷発掘に向けた重要な証拠固めの1つと位置付けられるアンカー(錨)を2つ発見、ニール号のものとほぼ断定された。この発掘調査は『消えた国宝!ニール号の謎』として2005年に、『明治政府の遺産 海底に眠るニール号の謎』として2007年にフジテレビ系列で放送された。

なお、当時引き上げられた蒔絵書棚、蒔絵見台、蒔絵置物台、色紙扇蒔絵料紙箱など、引き上げられた蒔絵の器には際だった損傷が見あたらず、図らずも日本の漆器が堅牢であることを証明することとなった。
そのため蒔絵見台は翌年のフィラデルフィア万国博覧会にも再度出品された。これらの漆器は博覧会事務局を経て現在東京国立博物館、京都国立博物館に収蔵されている。

また、日本の工芸の手本とすべく収集された品の多くが同時に失われた。これを知ったサウスケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート美術館)の館長フィリッツ・オーウェンの呼びかけにより、陶器、ガラス、金工、染織などのヨーロッパ工芸315点が日本に寄贈された。

ニール号

出品記録写真「澳国維府博覧会出品撮影」より

引き上げられた「吉野山蒔絵見台」18世紀江戸 東京国立博物館
上記記録写真の右下参照



梅蒔絵手箱 国宝 十三世紀 三島大社

三島大社は鶴岡八幡宮、伊豆・箱根二所権現と並んで、源氏各代の尊崇を集めたことで知られる神社だが、そこに「政子の手箱」の名で知られる梅蒔絵手箱が伝わっている。
最初にその形から。箱は蓋と身がぴったりと合う合口造で、蓋の甲は僅かに盛り上がりをみせ、身の側面もやや丸みを帯びた形に作られている。鎌倉時代の手箱に特有の、どっしりとして、いかにも量感に富んだ姿である。
手箱の中には二枚の懸子をはじめとして、鏡と鏡箱、さらに白粉箱、五倍子(ふし)箱、香物箱、櫛、毛抜、笄といった化粧道具が収められている。
表面は金粉を密に蒔き付けた沃懸地(いかけじ)に仕立てられており、全てがまばゆいばかりの光彩を放っている。
その金色を背景に描かれているのは、梅の花が咲き乱れる水辺の光景である。梅樹の脇には几帳が立てられ、水面を泳ぎ、あるいは空に列をなして飛ぶ雁などが金の高蒔絵であらわされている。
一見、梅の樹を中心に、自然の情景を写した図柄のように思えるが、画面をじっくり眺めていくと、画中に「栄・傳・錦・帳・雁・行」といった文字が、銀の平文(ひょうもん:金銀などの薄い板を文様の形に切って張り付ける技法)を用いて散らされていることに気が付く。
「白氏文集」に収められた詩の一節
 栄は錦帳を伝え 花は萼を連ねたり
 彩は綾袍を動かし 雁は行を趁う
を主題とした葦手によるデザインである。
白氏文集は唐代の詩人白居易(白楽天)の詩文集で、ここに引かれているのは、白居易が友人と共に昇進を遂げた際、その慶びを歌った有名な詩である。
手箱は数ある女性の丁度の中でも、もっとも主要な物の一つであった。ここに見られるデザインは、手箱という晴れがましい調度を飾るに相応しい、慶賀の意に満ちたものといえよう。

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