アンダーさんからまわってきたお題が「キング・コング」の「ぐ」ということで、今回は中村うさぎの「愚者の道」を読みました。
買い物依存症やホスト狂い、美容整形などで有名(と思われる)な中村うさぎのエッセイなのですが、今回の「愚者の道」は他の軽い語り口で自らの破滅的な行動を笑うタイプのエッセイとは少し違うノリで、どうして今まで自分がそのような行動を取ってきたのかを振り返り考察するような、多少仰々しい文体のものとなっています。軽く読める範囲ですが。
読んでる最中、3回くらい涙ぐみました。
夫のセリフが泣かせる。
というか、単にいろいろ、中村うさぎが自分とかぶりすぎなんですけどね。こんなに共感してどうするのか、というくらい何度も「ああ……わかる、わかります先輩!」と思いました。(私に勝手に先輩と呼ばれてもどうかと思いますが。)
夫のセリフが泣かせる。
というか、単にいろいろ、中村うさぎが自分とかぶりすぎなんですけどね。こんなに共感してどうするのか、というくらい何度も「ああ……わかる、わかります先輩!」と思いました。(私に勝手に先輩と呼ばれてもどうかと思いますが。)
「愚者の道」の最初の部分では、筆者が自らを「愚者」と認識して行動するようになった経緯や「愚者」の定義が考察されていて、それに従い以降の記述では一人称は(最後の2編を除いて)ずっと「愚者」で語られています。
タロットカードの「TheFool」、象徴する数字は「0」、すべてを手に入れ、そしてすべてを無に帰すもの……愚者が追い求めるものはナルシシズムの充足でそのため必死にそれを満たすものを手に入れるのですが、そもそもの欲求はそれらから解放されることであるがゆえ、愚者は手に入れたもの全てを自分にとって「無価値」にすることによって捨てていく。「自由」を手に入れるために。
中盤以降の、筆者の両親が持っていた価値観のダブルスタンダードが筆者の内面に与えた影響に関する考察は、私が以前から気になっている、個人が持つ複数価値観の内部衝突の具体的記述と見れて非常に興味深いです。
また、「裁く者」と「赦す者」という「神」の役割を恋愛対象に投射して、しかしその相手は自己愛によって「裁く者」の機能しか果たさず、結果的に男女間で「裁く者」と「赦す者」の役割分担(共依存関係)が生じてしまう……というのも、非常に興味深い考察。てゆーか痛いです。いたい。あいたたた。
そういう役割の分担発生がある場合、自分を含め、周囲では「裁く者」をパートナーに選び、「赦す者」を多少距離のある関係(友人等)に持つ場合が多いように思われるのですが、帰る場所としての家庭の機能を考慮すると逆のほうが上手くいきそうではある。(「裁く者」が家にいると、帰らなくて済む場合、帰らなくなります。)
そこに、自分自身が「裁く者」にしか恋心を抱かないという考察の元(?)、実際にゲイの夫と結婚し「お互い恋愛は外で」と決めて生活しているという筆者の行動力には頭が下がる思いです。
そこに、自分自身が「裁く者」にしか恋心を抱かないという考察の元(?)、実際にゲイの夫と結婚し「お互い恋愛は外で」と決めて生活しているという筆者の行動力には頭が下がる思いです。
あと「自分の女としての価値を知りたい」という気持ちにも私は深い共感があり、実際私はその欲求を消化してみようと一昨年メイド喫茶の従業員募集に応募してみたりして落選して事なきを得た(?)のですが、そこでデリヘルをやってみたりする中村うさぎはやっぱりすげーと感じました。
人によってはかなり気持ちの悪い本なのかもしれないと思いますが、私は「先輩!尊敬します!」と思いました。気軽に読めるし、特に女性に、おすすめです。