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ミュンヘン総統

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ミュンヘン総統◆zxPj9tMZXU


反自治新党の急先鋒だが、力量は今一歩足りぬも奮闘せり


コテになり、三戦ナチ党を率いる


名無しとして三戦に潜伏していた模様だが2009年7月23日、突如としてスレ立て主コテ会長の立て逃げした
「国家社会主義三戦板労働者党(通称三戦ナチス党)」に党員番号第2番として入党、
議会にも立候補し、当選。さらに本来指導者であるはずのコテ会長が不在であったために、
臨時に「全板指導部指導者」の一人として党組織や政策などを制定。急速に反自治新党の動きを高めた。
当然、巨大組織である自治新党からの攻撃は苛烈であったが、緒戦はよく耐え抜いた。
その後正式に総統(大統領兼首相兼党指導者)の地位をコテ会長より禅譲される。その後コテ会長は名誉総統、名誉党員番号1番を贈られる。

婿ビンゴの乱


また、最初の党員として婿ビンゴを採用(役職は突撃隊長、全国指導部所属)したものの、面接時より本来三戦ナチ党の重要公約である学徒体制・新党からの脱却を破り、
新党にも所属するという裏切り行為を起こし、その後総統であるミュンヘンを裏切り、追放される。
その後再び舞い戻って来たため、再入党を許すが今度は上級副総統を名乗り(恐らくその前に新入りウセドス・アナッカムを能力重視で副総統に任命
したため、それへの対抗心・敵対心からくるものであったろう)「ハイルビンゴ!!(ビンゴ万歳!!)」を連呼し再び総統を裏切ったことから、
遂に叛乱を起こし、三代総統を名乗りだす。そして新党工作員及び無関心日和見主義者とともに猛烈なミュンヘン叩きを敢行、ミュンヘンを窮地に追い込むも
結局はミュンヘンが主導権を握り、失敗。その後もミュンヘンの不在時などを狙っての単発的な叛乱を散発させている。
またこれらの一件により、新党のコテたちの過剰とも言える反応で新党のコテ達も急速に発展するこの党に危機感を抱いていることが判明した。

三戦ナチ党公約


  • 反議会主義(反自治新党にも通じる。ただし政権を取る手法は民主的だそうだ。)
  • 反自治新党、反旧体制(旧勢力によって三戦板の住人流出や過疎化・質の低下が起こった)
  • 反無双、演義両厨房(三戦板住人のなかの下等部分にあたり、住人として認められない)
  • 反中英、戦国両板(三戦過疎化の元凶)
  • 三戦板住人至上主義(三戦板は2000年誕生時よりの優等板でありその住人もまた優等である)
  • 三戦板の住人を中英戦国その他より呼び戻す、または新規住人を取り込む。(重要法案のひとつである)
  • 反荒らし・粘着(これは個人的なことかもしれない)

また、ミュンヘンの支持者にはぷらっと、佐倉広夢などがいる模様である。


新党の荒らし・煽り

しかしミュンヘンは幾つかの失策を犯している。能力を重視するあまり、年功を無視してしまったため内紛の発生を招いたり、
党員の人身掌握が完全でない状態のときに新党の中規模な妨害などが入ったりして、党員をさらに減らしてしまったのである。
さらに彼の言動は正しくもどうでもいい理論を並べて論破するという手法であるため、武力で勝る新党には対抗が難しいものであった。
それでも新党はこの政党の底力を知っているため、とうとうなな板コテであったコロ暁やひょーりみ等が大規模な国家社会主義三戦板労働者党乗っ取り作戦を敢行する。
物量と言い掛かりに任せた新党の攻撃にさすがのミュンヘンも堪えたようである。党を撤退せざるを得なくなった。

やはり自治新党の力は(弱体化が進んでいるとはいえ)強大であったようである。
が、依然ミュンヘンと国家社会主義は強い情熱とパワーを持っており、活動は続くと思われた。が、残念ながら完全にひょーりみなどに党は乗っ取られ、
三戦にコテデビューして一ヶ月もたたぬうちに(コテ活動期間:7月23日~8月15日)で消息を断った。
三戦ナチ党は完全に自治新党と名無し板の地盤を活用して三戦に侵略したコロ暁の関西党に乗っ取られた。(コロ暁は新党の重要ポストも兼任)
しかし、あまりに短い間だったがミュンヘンと国家社会主義三戦いた労働者党が残した反自治新党は確実に自治新党に脅威を与え、
新党の脆さ・危うさを逆にさらけ出す事に成功し、反新党勢力に力を与えた。さらに、一部の嗜好を持つものに差別的感情があったとはいえ、各板より蔑まれていた
三戦住人の誇りを取り戻させる一つの希望を住人に持たせた。
党は独裁的であったし党の力が足りなかったのは事実だが、希望、という名の足跡を三戦板に残した。
しかしその後、8月23日にひょっこり現れ自分の党の復権を成し遂げた・・・かに見えたがひょーりみのAA大量投下に敗北、失敗した。
その後、彼の支持者によって、三戦コテの中でも有数のお人好しとして懐かしがられている。

本人の性格

よく言えば道理や情義を大切にするほう、ただし前述のとおり能力主義でもあり、臨機応変の態度を取る。。悪く言えば理屈っぽく、つまらなく、巨大勢力とやり合うには力量が足りない。
また独裁者でもある。が、独裁は彼の党の基本姿勢でもあり、当然と言えば当然である。
金宰陽と決定的に違うところは、買いかぶり過ぎかもしれないが比較的義理堅いところである。また荒らしなどは好まないようだ(ただし一回だけ敵対者コロ暁に対し
小規模な荒らしを行ったことがある)。

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