このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。
主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。
ここでは信長の野望・太閤立志伝の人物について扱います。

参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨)

武将別伝(戦国)
ア行
ア2
ハ行
カ行 マ行
サ行 ヤ行
タ行 ラ行
ナ行 ワ行
史実姫

大内義隆 (おおうち よしなが)

(1507~1551)大内義興の子。大内家31代目当主。尼子家と中国地方の覇権を争い、北九州に進出して大内家の版図拡大に努めた。しかし養子・晴持を亡くしてから野心を失い文化人的な傾向を強めたため、陶晴賢に討たれた。
意外なことに「革新」には登場しない。

天道  統率 76 武勇 34 知略 77 政治 89 義理 48 足軽B,弓B,兵器B



大内義長 (おおうち よしなが)

(1532?~1557)大友宗麟の弟。大内義隆を討った陶晴賢に迎えられ大内家の傀儡当主となった。厳島の戦いでの晴賢の死後、崩れ行く大内家を守ろうとしたが、毛利元就によって滅ぼされた悲運の人。
「武将風雲録」で初登場。当時はまだ教養や魅力に見所があったが、その後評価が下落。鎧姿の立派な顔グラから「顔だけはまともな人」等と呼ばれる。
能力に似合わず「大内筒(一等級家宝 政治+10)」を持っている為よく没収される。処断される事もしばしば。

革新  統率 22 武勇 20 知略 12 政治 36 義理 56   
天道  統率 22 武勇 20 知略 12 政治 36 義理 56 兵器B

関連用語 大内筒
ニコニコ大百科 『大内義長』

+ プレイヤー勢力・一条家途中参加
第10話から登場。
陶晴賢にも追放された。一人称「僕」。見ていて気の毒な位に気弱。北畠具房と仲良し。



大久保長安 (おおくぼ ながやす/ちょうあん)

(1545~1613)徳川家臣。江戸幕府では勘定奉行や老中を務める。元猿楽師であるため出自は「庶民」。
金山経営や度量衡の制定、街道の整備などなどの一切を任され、初期の江戸幕府の経済基盤を作り上げた「天下の総代官」として有名。
しかし本多正信との政争に敗れ、「大久保長安事件」の影響もあり彼の死後ほどなくして大久保家は断絶した。

革新  統率 4 武勇 2 知略 62 政治 98 義理 17 内政S



大関高増 (おおぜき たかます)

(1529~1598)ご存知、ないのですか?! かの者こそ、「いい話・悪い話スレ」でファンを掴み、ダークヒーローの座を駆け上がっている、北関東真っ黒武将、大関さんです!
下野の名門・那須氏の有力家臣団「那須七騎」の筆頭格。独立性が強いのはこの時代の国人領主の通例だが、彼もまた主家に叛いたり、同僚を謀殺したり、同僚から奪った領地を弟(福原資孝・大田原綱清)と山分けしたりやりたい放題。小田原の陣に参加せず改易の憂き目に会った主家を尻目に、小国の大名になった。
余談だが、彼の子孫は「会津若松城の戦い」で、新政府軍において知られざる活躍をした兵隊を組織したとか。

革新  統率 68 武勇 46 知略 87 政治 80 義理 40 弓B,計略A,兵器B,内政B



太田牛一 (おおた ぎゅういち/うしかず)

(1527~1613)織田、豊臣家臣。柴田勝家の元にいたが抜擢され、後に政治手腕を発揮。『信長公記』等の軍記物を記した事でも有名だが、実は信長の祐筆はしていない。武にも優れ、信長に「弓三張」と言われる名人で、金ヶ崎撤退戦において優れた用兵術で信長に褒められたと『信長公記』は記す。
「信長の野望」シリーズには「天下創世」のダウンロード武将として登場。「太閤立志伝V」では著作から『作者』と呼ばれる事も。
「信長の野望 天道PK」では、「嵐の前夜」クリア特典武将となった。

天道PK 統率 43 武力 84 知略 74 政治 82 弓A 斉射之四

+ 初回ノ壱から登場、末尾ではうp主の伝達役
「革新」にいないなんて理由で敵だったのに龍興に連れて来られ、半兵衛と共に行動する。
真面目に見えてかなりちゃっかりした性格。龍興の空気を読んで行動し半兵衛の頭痛を増幅させている。



太田資正/三楽斎 (おおた すけまさ/さんらくさい)

(1522~1591)岩槻太田氏当主。道灌の曾孫に当たる。扇谷上杉家滅亡後は北条氏に降るが、やがて反北条に転じ、打倒北条に後半生を捧げた。軍用(伝書)犬を使う等エピソードも多い。
大名として登場する場合、周囲の相手が悪いせいで早々に滅亡する勢力の一つ(時報代わりの恒例行事)。
武人としての生涯の魅力や、「らきすた☆立志伝」の活躍等から「 太田さん 」と呼ばれて親しまれている。
北条氏康の嫌悪武将の一人。

ニコニコ大百科 太田資正
関連用語 時報 トップブリーダー

革新  統率 88 武勇 74 知略 78 政治 50 義理 86 足軽A,騎馬B,計略B,兵器A,築城A
天道  統率 88 武勇 74 知略 83 政治 50 義理 86 足軽A,弓B,兵器A
太閤5 統率 79 武力 65 知謀 59 政務 49 魅力 48,野心 65   

+ 一話から登場、紙芝居常連、途中まで一軍
城主の座をこなたに譲り、一家臣に。
その後は戦国の世に不慣れな君主の補佐を勤め、見事に関東制覇を成し遂げた。
途中、歴史改竄にて記憶を書き換えられる。

+ わかりやすい人
プリズムリバー三姉妹の音楽を常に聴きっぱなしだったため、感情の乱高下が激しくなった。


関連動画――――



太田道灌 (おおた どうかん)

(1432~1486)扇谷上杉家重臣。文武に通じた名将で、江戸城を築いた事等で知られる。その活躍により扇谷上杉家を伸張させたが、声望の拡大を疎まれ、主君上杉定正に殺された。謀略説も色々ある。
北条早雲と同世代で、信長よりも1世紀前の人物であるが、近年の「信長の野望」シリーズでは「古武将」としてデータがあり、ゲーム中に登場させられる。
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき という和歌にまつわる逸話は有名。

革新  統率 99 武勇 88 知略 99 政治 90 義理 68 足軽S,弓S,計略A,築城S,内政A

+ 北条家家臣。紙芝居登場有
第十五話(sm2094283)で初登場。北条早雲との関東チート両巨頭タッグは視聴者を震撼させた。衰えゆく北条家に忠義を尽くそうとするが、北条家に見切りをつけて裏切りを図る模造刀に斬られた。
躑躅ヶ崎館を脱出し、第十九話(sm2663563)冒頭で路傍に倒れていた所を苦居茶々に助けられて駿府城に担ぎ込まれた。刀に斬られる直前に特産物が「見える」様になり、人ならざる苦居親子に感謝の言葉を捧げ、息絶えた。享年は史実出生年から数えて164で、戦死ながらも大往生をとげ、その回にはタグ(大~)もつけられた。



大谷吉継 (おおたに よしつぐ)

(?~1600)官途の刑部で知られる。秀吉に仕え、主に兵站や検地指揮で活躍した。当時偏見にさらされていたハンセン病を患うが、それを意に介さない石田三成と親密な関係を築いたという。関ヶ原の合戦にも参戦し、東軍に寝返った倍以上の兵力を持つ小早川隊を二度も追い返すなど奮戦するが、衆寡敵せず戦死した。
親友の為に劣勢の戦いに身を投じ、義に殉じた武将として人気が高い。

革新  統率 90 武勇 78 知略 91 政治 89 義理 99 足軽A,弓B,鉄砲B,計略B,兵器B,築城A,内政A
天道  統率 93 武勇 68 知略 91 政治 89 義理 99 足軽A,弓B,鉄砲B,兵器B

関連タグ 【大谷吉継】

 ゲスト。その13で登場。
 関が原の合戦に加わる吉継の心理を描いた作品を紹介。

関連動画――――



大友宗麟 /義鎮 (おおとも そうりん/よししげ)

(1530~1587)大友家当主。激戦区の九州において版図を拡大し大友家の最盛期を築いたが、没落するのもまた早かった。
西洋文明の理解者、キリスト教の信仰者、家臣の妻を奪う好色な暴君、優れた外交戦略家など、多様な要素を持つ人物で、それぞれの解釈の仕方によって評価は大きく分かれる。

革新  統率 82 武勇 71 知略 75 政治 87 義理 2 鉄砲A,計略B,兵器S,築城B,内政A   
天道  統率 79 武勇 69 知略 78 政治 93 義理 2 鉄砲A,兵器S 金剛之備

+ 解説役
ルイス・フロイスと共に小説・漫画の解説役を務める。作品に描かれた武将との掛け合いも見所で、影武者に騙されたり薬を盛られたりといった場面もある。宗麟自身に関する作品は「その2」で紹介されている。



岡部元信 (おかべ もとのぶ)

(?~1581)今川家重臣で、岡部正綱の弟。桶狭間の戦いで主君・今川義元が討ち取られた後も頑強に抗戦。織田信長との交渉により、義元の首と引き換えに鳴海城を開城し、主君の首を国へ持ち帰った。
武田氏の駿河侵攻により、氏真が駿府を追われた後は武田氏に属するが、徳川家との戦いで討死した。

革新  統率 76 武勇 73 知略 45 政治 17 義理 67 足軽B
天道  統率 80 武勇 78 知略 65 政治 17 義理 67 足軽A
太閤5 統率 70 武力 68 知謀 52 政治 35 魅力 66   

+ 初期家臣の一人
縛りの一つとして「初期値で71以上の能力値がある武将の使用を禁止」している事から、統率が70の元信は、今川家においては正にエースである。
病に伏して戦線を離れていた時期もあったが、プレイ開始時よりほぼ全ての合戦に参加し縦横無尽の活躍を遂げている。



小笠原貞慶 (おがさわら さだよし)

(1546~1595)小笠原家当主。長時の子。没落→放浪→旧領復帰→豊臣大名→改易→徳川譜代と数奇な運命を辿った。
「革新」では能力にそぐわない高級家宝を2種も所持している為、「家宝が本体」「没収の小笠原」「戦国のガラハド」「歩く宝物殿」等、散々な言われようのネタ武将と化してしまった。
その人気は、多くの英傑を差し置いてニコニコ大百科に早々と「小笠原貞慶の憂鬱」の項目が立ったことからもうかがえる。

革新  統率 60 武勇 71 知略 40 政治 63 義理 70 騎馬A,弓S
天道  統率 60 武勇 71 知略 40 政治 63 義理 70 騎馬S,弓S


+ 純プレイ動画のため紙芝居なし
俸禄最高値>家宝没収>引き抜かれ。家宝のみならず織田家への経済攻撃の材料にされた。
ニコ動における小笠原爆弾の初出と思われるが、動画連載当時は「小笠原ミサイル」と呼称された事も。

+ 武田家家臣。弓馬の道と礼法を伝える程度の能力
「初回ノ参」で浪人として登場し、「軍師」斎藤龍興が狂喜乱舞。ただちに武田家家臣に登用された。
憂鬱な目に遭わされずに一線で活躍している貴重な動画である。
小笠原流の弓術を氏神の力により人外の領域にまで到達させており、スペルカードを使える。

関連動画――――



小笠原長雄 (おがさわら ながかた)

(1520~1569)石見温湯城主。石見銀山争奪戦で重要な役割を果たした石見小笠原家当主。初め大内義隆、次いで尼子晴久に従った。1558年、毛利氏に城を攻められ降伏、家臣に。
ガラハドじゃない小笠原。残念ながら能力は・・・。

革新  統率 57 武勇 52 知略 42 政治 56 義理 44   



小笠原秀政 (おがさわら ひでまさ)

(1569~1615)貞慶の子。父の流浪中に生まれ、徳川家に人質に行ったり、父と共に離反したり、家康の孫娘(信康の娘・登久姫)と結婚したり、祖先の地・松本の城主となったり、天王寺口の戦いで毛利勝永の猛攻を受け息子ともども戦死したりと、劇的な生涯を送った。
「革新」ではPK追加武将として登場するも、扱いは「戦国のガラハド二世」「歩く家宝二世」。全てが父親より少し上の、ちょっと強い小笠原。

革新  統率 64 武勇 75 知略 48 政治 69 義理 76 騎馬S,弓S

+ 徳川家武将
江戸城攻めの際、佐竹家に捕らえられ、案の定父と同じ運命を辿った。それもまた小笠原一族の定め。



岡本頼氏 (おかもと よりうじ)

(1537~1606)相良家臣。大口城攻防戦では敵将・川上久朗を討って名を挙げた。軍中覚書「岡本頼氏戦場日記」を書き残している。

革新  統率 66 武勇 75 知略 33 政治 31 義理 59 足軽B

+ 日記担当
何時の間にか太閤佐竹の梅津政景日記ばりの 日記 担当になってしまったが、梅津のカオスぶりに比べると、インパクトが薄い。



小島政章 (おじま まさあき)

(?~1591)土佐一条家臣。出雲守。周辺の国人の平定に活躍した。1574年、一条兼定が追放されるとその不義に怒り、追放に加担した安並和泉守らを攻めた。後に長宗我部氏が幡豆地方に侵攻するとこれに降り、一条方の城の攻略にあたった。

革新  統率 58 武勇 55 知略 52 政治 33 義理 77   

+ プレイヤー勢力・一条軍武将。キャラブレイク有
はわわ武将。女体化・ロリ巨乳化。新ジャンル小島。心攻を受け、嫁宣言する者多数。暑さに弱いらしい。
統率 60 武力 55 知力 60 政治 35 魅力 85 心攻/弩兵A



小田氏治/天庵 (おだ うじはる/てんあん)

(1534~1603)常陸国小田城主。平安末期から続く名門、小田家の当主。よく言えば「不屈の人」で、佐竹・上杉・結城・宇都宮などの諸家を相手に、小田城を奪われては奪い返す激しい攻防戦を繰り広げた。
絶望的なまでの戦下手であり、ゲーム内の列伝にも連戦連敗と明記される始末。が、菅谷(すげのや)さんをはじめ氏治を慕ってついていく家臣・領民たちも多く、喜劇とも悲劇ともつかぬその生涯は「いい話・悪い話スレ」を中心に知られる。その生き様ゆえか、「小田さん」「氏治様」「天庵様」等、呼び捨てにされることがまずない。
なお、地元土浦では「てんあん」ではなく「てんなん」と呼ばれている。

革新  統率 40 武勇 19 知略 38 政治 42 義理 57   
天道  統率 40 武勇 19 知略 38 政治 42 義理 57   

関連動画――――



織田長益/有楽斎 (おだ ながます/うらくさい)

(1547~1622)織田信秀の十一男、信長の弟にあたる。千利休に茶道を学んだ利休十哲の一人とされ、有楽流を開いた。
茶人としての印象が強いが一軍の将として軍事的な事績も残している。関が原の合戦では東軍に参加して蒲生頼郷を討ち取り、大和国に三万二千石を拝領した。

革新  統率 24 武勇 7 知略 5 政治 68 義理 31



織田信雄 (おだ のぶかつ/のぶお)

(1558~1630)信長の次男。北畠具房の養子となり家督を継ぐ。賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉と共闘するが、秀吉との関係が悪化すると徳川家康と結び、小牧・長久手の戦いを起こした。小田原征伐の後に改易され、徳川家康の仲介で一旦は大名に復帰するも、関ヶ原の戦いの後に再度改易された(更に後、大阪の役を経て大名に復帰)。
たびたび失態を犯したため、織田家内部でも「三介殿(信雄)のなさる事よ」として悪評が多かったとされる。
しかし信長の息子の中では最も長く生きた人物であり、大阪の役を経て大名に復帰した後は領土の発展に注力するなどの事績を残している。

革新  統率 40 武勇 21 知略 9 政治 58 義理 6   



織田信勝/信行 (おだ のぶかつ/のぶゆき)

(1536?~1557)信長の同母弟にして対抗者。柴田勝家らと共に信長に叛旗を翻したこともある。兄の手により清洲城で謀殺された。

革新  統率 34 武勇 32 知略 67 政治 59 義理 49   
太閤5 統率 65 武力 51 智謀 72 政務 59 魅力 82,野心 88   

+ 主人公。反逆の信勝。洗脳茶会
タイトルとは異なり城主からのスタートでイベントを見せている。その3で本題に入り、浪人となって信長打倒を目指す。茶道を極めて人心を操り、裏切りを繰り返して謀叛をそそのかし、天下に波瀾を招き悪逆非道を重ねるさまはフリーダムにしてカオス。日本をめちゃくちゃにしてしまった。



織田/神戸信孝 (おだ/かんべ のぶたか)

(1558~1583)信長の三男。伊勢の神戸具盛の養子となり、その勢力を傘下に収める。清洲会議後は岐阜城主となり、柴田勝家や滝川一益らと結んで、兄の信雄や羽柴秀吉と争ったが、敗れて自害に追い込まれた。兄の信雄とは違い、周囲から器量人との評価を受けていた。

革新  統率 58 武勇 66 知略 19 政治 35 義理 36   

+ プレイヤー勢力大名。純プレイ動画
革新PKの1582年12月スタートシナリオ「覇王の後継者」の動画。
初期位置においては羽柴家、徳川家など周囲から攻められる状況で、織田家初期武将4人は皆が武勇以外60以下で外交も碌に出来ないといった悲惨な状況から、羽柴筑前守ら簒奪者相手に信長の遺志を継いで争っていく。



織田信忠 (おだ のぶただ)

(1557~1582)信長の嫡男。信長に従い松永久秀討伐、甲斐武田家平定などで活躍。信長から家督を譲られ将来を期待されていたが、本能寺の変の際に二条城で自害した。
彼が生存していれば秀吉の台頭はなかったとも言われている。

革新  統率 78 武勇 72 知略 59 政治 70 義理 84 足軽B,鉄砲A,内政B
天道  統率 78 武勇 72 知略 59 政治 70 義理 84 足軽B,鉄砲A



織田信長 (おだ のぶなが)

(1534~1582)「尾張のうつけ」「戦国の覇王」「第六天魔王」、その他多くの渾名で呼ばれる戦国三英傑の一人。
「信長の野望」シリーズのおそらく主人公。CPUの織田家が滅ぶと「信長の野望終了」とコメントされる事がある。優秀な家臣、多くの関連イベント、OPやEDへの登場などの特権を享受し、余りに強力でメジャーな為、動画の主人公としてよりはラスボス等の役割を振られる。
流石信長というべきか百地や鈴木一族、本願寺に荒木村重に弟の信勝等、嫌悪武将が相当多い。


革新  統率 92 武勇 89 知略 96 政治105 義理 40 足軽A,弓A,鉄砲S,計略A,兵器B,築城S,内政S 釣瓶撃
天道  統率100 武勇 89 知略 94 政治 97 義理 40 足軽A,弓A,鉄砲S,計略A,兵器B 覇王之備

確かに優秀な能力なのだが、能力はチート級の武将に劣り得意の鉄砲に関しては九州地方の武将に水をあけられている事もある等信長自身のアイデンティティが発揮されにくいのが残念。
ゲームシステムや当時の状況(特に評価された戦国系作品や戦国系大河ドラマ)によって他の武将がピックアップされたり、天翔記以降は 信長が登場しない シナリオまで出始めて登場人物としての存在すら危ぶまれるなどタイトルに表記される人物としては案外扱いが酷かったりする。


関連タグ 【織田信長】
ニコニコ大百科 『織田信長』

+ 織田家大名
多くの家臣を惨たらしい方法で殺された。プレイヤー側が余りにも悪逆非道なので、至極まっとうな英雄の役割となっている。これ程、信長を応援したくなる動画も珍しい。

+ プレイヤー勢力大名
本能寺の変を逃れた信長が見たものは、子の裏切り、家臣の謀叛、盟友の離反。
信長は付き従う子・信忠や娘、柴田勝家達と共に戦いを挑む。
信長の病死後も外伝「織田家の趨勢」が続けられた良作品。

+ 織田家大名
上洛を画策する今川義元の圧迫に対し、乾坤一擲の急襲を試みるも失敗。
尾張が陥落した所を萃香に助けられ何処かへと落ち延びる。現在消息不明である。
なお、織田家旧臣はその多くが長野家に吸収されている。

+ 織田家大名
様々な危機的な状況も時に徳川と敵対し時に同盟を結ぶ事で生き延びて来た。
多くの史実武将に警戒され、「うつけ」ではない。ランスを重用する事で小国ながら五ヵ国の一つとして生き残った。
織田家滅亡後はどの家にも付かず謎の失踪を遂げ、現在行方不明。うp主曰く「そう言う仕様です。」
もしかしたら戻ってくることがあるのかもしれない。

+ 紙芝居に登場
レミリア好きとして知られる覇王。自由な妄想と自由な創作を重んじる。
もっとも、自己の萌えに忠実な振る舞いをするあまりに失言も多く、家臣に反旗を翻させることもしばしば。

関連動画――――



織田信秀 (おだ のぶひで)

(1510?~1551)信長の父親。尾張守護・斯波氏の家臣。今川氏の那古野城を奪い、戦国時代に名乗りを上げた。
一門や家臣を尾張の要所に配置して国内の地位を固め、三河の松平氏や今川氏、美濃の斉藤氏(後に和睦)と対立した。
「信長の野望」でも優れた武勇の持ち主であり、近作では息子の信長をも上回る。

ちなみに「天下創世PK(PS2版)」のチュートリアルでは彼がチューターを務めることとなる。実はこの時既に信秀は死亡しているのだが 「このままでは死にきれないからこの世に戻った(訳)」 と言って幽霊となって蘇り、息子の信長にゲームの進め方を指導する。
チュートリアルのシリアスさで大分誤魔化されているが死んでいるにもかかわらず あの世とこの世を行き来して信長に大名としての心得を伝授する という、ある意味信長よりもものすごい離れ業をやってのけている。
魔王の父親もやはり超人であったということか・・・

革新  統率 93 武勇 95 知略 53 政治 61 義理 44 足軽A,騎馬B
天道  統率 93 武勇 95 知略 53 政治 61 義理 44 足軽A,騎馬B



コメント欄

  • 大関さんいつの間に! -- 名無しさん (2010-12-09 14:00:54)
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最終更新:2019年02月16日 21:24