このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。
主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。
ここでは信長の野望・太閤立志伝の人物について扱います。

参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨)

武将別伝(戦国)
ア行
ア2
ハ行
カ行 マ行
サ行 ヤ行
タ行 ラ行
ナ行 ワ行
史実姫

甲斐宗運/親直 (かい そううん/ちかなお)

(1515~1585)肥後御船城主。阿蘇家の重臣で、島津家の勢力拡大に抗い主家を支えた忠臣。戦では生涯不敗と謳われる。阿蘇家に背く者には身内にも容赦せず、息子3人を手にかけたと伝えられる。
島津と張り合えるだけの強さを誇る「西のスーパーG」。阿蘇家の切り札であり、阿蘇家の全てでもある。

革新  統率 84 武勇 77 知略 90 政治 87 義理 91 足軽B,弓S,計略S,兵器B,築城B,内政B

ニコニコ大百科 『甲斐宗運』

+ 阿蘇家(プレイヤー勢力)初期家臣。
阿蘇家(プレイヤー勢力)初期家臣。
文字通り阿蘇家の柱石。

+ 毛利家(プレイヤー勢力)途中参加。
毛利家(プレイヤー勢力)途中参加。「阿蘇家の四冠王」。
この動画では助言を外すなど、いまいちパッとしない。親直つながりで久武親直と並べて評されていたりもする。

+ 『フォー・オブ・ア甲斐ンド』
例の如く阿蘇家能力TOP4を占拠していたが、とある事情でボケ老人になってしまった。

+ 解説補佐役、序で紹介
解説補佐役、序で紹介される。
阿蘇惟将が狂言回しのこの作品で、しばしば登場したり言及されたりする。



蠣崎季広 (かきざき すえひろ)

(1507~1595)蝦夷蠣崎氏第4代当主。アイヌ民族と和睦を結び、長きにわたる武力抗争に終止符を打つとともに北方交易を独占。蠣崎氏の基盤を強化し、安東氏からの事実上の独立を果たした。
マップの北端にあり後背に敵を持たない地の利に、初期武将数の少なさ故にやり甲斐が有る。登用した新武将を活躍させやすく、動画でもプレイヤーの勢力として度々登場する。心が広く度量の大きい君主として描かれることが多い。

関連用語 館長

革新  統率 66 武勇 49 知略 70 政治 79 義理 52 計略B,水軍B,内政A


+ キャラブレイクなし、一話から登場、紙芝居途中までレギュラー、徳山館城主、蠣崎家当主、のちに隠居
蝦夷徳山館城主にして、蠣崎家当主。嫡男・慶広、長女・圭、次女・花、三女・恵がいる。
主人公・魚介乃類とその盟友・銘酒濁酒の仕官を受け入れたが、この時点で類達の正体を見破っていた。十三湊攻略の功や類の懇願により 圭の婿とした 。鉱物銀、宵木材など特産物の力を得て、東北に勢力を拡大するが、その途上、季広は己の力量の限界を悟るとともに類の志を理解。伊達・上杉連合軍との岩出山攻防戦では上杉家の猛攻の前に立ち塞がり奮戦するも、戦傷を負い、類に家督を譲って天下へのを託した。以後季広は、蝦夷で隠居生活を送っており、類の天下獲りを見守っている。季広は、大きな器量を持つ屈指の名君で「大殿」として敬愛されて、類の心の支柱でもある。

+ 一話から登場、紙芝居レギュラー、徳山館城主、蠣崎家当主、キャラブレイクあり
異国(幻想郷)の者達を受け入れる器の大きさを持った館長。ときおり男塾風に名乗りを上げる。



蠣崎/松前慶広 (かきざき/まつまえ よしひろ)

(1548~1616)蝦夷蠣崎氏第5代当主。季広の子(三男)。1582年父から家督を譲られる。中央政界とつながりを持って本領を安堵され、名実ともに安東氏からの独立を果たした。のち松前に改姓し、近世松前藩初代藩主となる。なお、幼名は「天才丸」である。

革新  統率 70 武勇 50 知略 72 政治 84 義理 31 弓B,水軍B,内政A

+ 蠣崎家→魚介乃家(プレイヤー勢力)家臣。紙芝居登場あり
蠣崎家→魚介乃家(プレイヤー勢力)家臣。
蠣崎季広の子。類の義兄。第九話(sm1672308)で類たちの正体が特産物であることに気づきこれを評定で暴露する。しかし、類の反論や同僚の人間武将たちを説得できず、奉行所送りにされた。一時、 第二十話 で織物麻には左遷ネタにされたり、視聴者からはすっかり「馬鹿息子」と称されるなど、不遇な期間を送ることになる。しかし、特産物武将が特産物として「見える」のは異能者・大器の持ち主。奉行所で漫然と仕事をしていたわけではないことが、 第二十三話 終わりに明らかになる。
第二十四話 では、不穏な状況下にあった魚介乃家の沈静化に奔走し、 第二十六話 では、岡崎攻城部隊として参戦するなど、最終幕以降、馬鹿息子から「男前」「御曹司」なと評価がうなぎ登り。

+ 元服前、紙芝居登場のみ
蠣崎季広の子。元服前なので、顔グラフィックは表示されないことと、紙芝居登場時も名前が「天才丸」と書かれている。
北白河ちゆりの影響を多分に受けており、「~だぜ」口調。
「天才丸」の名に恥じず、天才である。



加藤清正 (かとう きよまさ)

(1562~1611)豊臣家臣。賤ヶ岳七本槍に数えられる武闘派で、佐々成政改易後の肥後の北半分を与えられた。朝鮮出兵からセロリを持ち帰ったことでも知られる。
関ヶ原の戦いでは東軍に付き、徳川政権下での豊臣家生き残りを図ったものの、豊臣秀頼と徳川家康が会見を持った直後に病死。4年後には豊臣家も滅ぼされてしまった。
築城の名手として知られ、彼の熊本城は267年後、西南戦争の政府側拠点として実用に耐えていた。

革新  統率 90 武勇 92 知略 64 政治 71 義理 80 兵器S,築城S,足軽A

+ 主人公(当主ではない)。キャラブレイクあり
豊臣家武将。ただし熊本城は大坂との連絡が絶たれている状況で、事実上、半ば独立した状態の豊臣家九州方面軍を率いる立場にある。
立花宗茂とともに九州を平定し、孤立無援の大坂城に駆けつけるべく立ち上がるが……。

 ゲスト。その23で登場。
 豊臣秀吉子飼い時代から死までを追った作品を紹介。


蒲生氏郷 (がもう うじさと)

(1556~1595)蒲生賢秀の三男。六角家滅亡後、織田信長の下に人質として送られる。氏郷の器量を一目で見抜いた信長は娘の冬姫を嫁がせた。信長の死後は秀吉に仕え、会津92万石の所領を得た。
最前線で指揮を執り規律にも非常に厳しかった猛者でありながら、利休七哲として「風流の利発人」と称された。また、家臣愛に満ち溢れた逸話も多数残っている。
その完璧超人ぶりはコーエーの査定にもいかんなく発揮されている。

革新  統率 90 武勇 82 知略 84 政治 89 義理 78 足軽B,騎馬A,鉄砲A,計略B,兵器B,築城A,内政S 釣瓶撃


河合吉統 (かわい よしむね)

(1521~1573)朝倉家臣。内政に優れた手腕を発揮、最高位の重臣として朝倉家を盛り立て、「一乗谷奉行人」と称された。刀禰坂合戦において戦死したとされる。
魚住景固らと合わせて「一乗谷四奉行」とも呼ばれる。

革新  統率 40 武勇 27 知略 60 政治 71 義理 78 内政A


コメント欄

  • 蒲生氏郷の項目が無い・・・彼が活躍する動画は無いんですかorz -- 名無しさん (2009-11-29 13:42:46)
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最終更新:2014年01月14日 14:50