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血も涙もないセカイ

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血も涙もないセカイ ◆LxH6hCs9JU



 柚原このみにとって、向坂雄二は最後の希望だった。
 自分を妹のように可愛がってくれた、お姉ちゃんとの離別。
 子供ながらに幼い恋情を抱いた、お兄ちゃんのような男の子との離別。
 二つの苦難を乗り越えた先、たった一つだけ残された幼なじみという名の希望。
 それが向坂雄二……柚原このみという少女の自我を支える、支えていた、最終兵器。

 僅か六時間の機能。
 雄二は役割を終え、このみは支えを失った。

 崩壊は突然であり当然。
 バランスを保てなくなったジェンガは、絶望から来る振動によって瓦解する。

 そんな少女の崩れゆく様を見て、西園寺世界は愉快に浸る。
 死者を告げる放送では向坂雄二の名こそ呼ばれたものの、伊藤誠の名は呼ばれなかったからだ。

 西園寺世界にとって、伊藤誠は人生の中核だった。
 愛しい夫の周囲に纏わりつく盛りのついた害虫共、すべていらない。
 火照った体に温もりを与えてくれる、生を授けてくれた男さえいれば、全部不要。
 それが伊藤誠……西園寺世界という少女に狂気を宿す、魔性の雄。

 柚原このみと西園寺世界。
 二人が放送で耳にし、情報として脳に刻み込んだのは、ただ二つの結果だけだった。
 向坂雄二が死に、伊藤誠がまだ生きている――それだけを知り、二人の行動は変わらない。

 柚原このみは絶望し、西園寺世界はその絶望をさらに深く、冥府へと突き落とす。


 ◇ ◇ ◇


「……ユウくん?」

 幼い頃から親しんできた名を呟き、柚原このみは足を止めた。
 荒廃した街々の中に佇み、白みを帯びてきた天を仰ぐ。
 朝陽はまだ、眩しいというほどのものではなかった。

「……ユウくん?」

 子供ながらに抱いていた、死のイメージがある。
 死んだ人間の行き着く先は、天国か地獄の二分。
 いい人は天国へ、わるい人は地獄へ、そんな漠然とした区分が、このみの中で確立していた。
 タカくんやタマお姉ちゃん、ユウくんは天国へ行けたのか――そう考えてみると、

「えっ」

 今も続いている放送の意味を、唐突に理解してしまった。
 死について考えている自分と、向坂雄二の名が告げられた事実の関連性。
 恐慌の中で聞いたこのゲームのルールは、記憶として確かに残っている。
 放送で呼ばれた者は既に死者である、という絶対的な記憶を呼び起こして、

「あ……あ……」

 このみは気づいた。向坂雄二が死に、そして自分はそれを受け入れたのだと。

「そんな……ユウくん……ユ、くん、がぁ……」

 涙腺は途端に決壊し、このみは悲しみを抱いたまま街路のど真ん中へと沈み込んだ。

 このみにとって向坂雄二の存在は、河野貴明のそれに比べればずっと軽い。
 両名の死亡報告が同時に告げられたならば、このみは意識せず貴明の名ばかりを口ずさんでいただろう。
 しかし、貴明はもうずっと前――ほんの六時間前のことだが――に死んでしまっている。

 眼前で首を爆ぜられ、隣で血飛沫を上げ、傍らで死を迎えた男の子の姿は、今でもよく覚えている。
 そのとき自分がなにを思い、なにを感じ、どれほどの絶望を味わったか、それも把握している。
 だからこそ、貴明の代わりとして自身の中心に据えたもう一人の幼なじみ――雄二の存在は重い、いや重かった。

「ああ、あ……うあぁ……あ、ぁ…………あ」

 せめてもの支えとして用意した代替物も、たったの六時間で役立たずになってしまった。
 十数年間連れ添った幼なじみとの離別は悲しいが、今のこのみにとっては、ひとりぼっちになってしまったという現実のほうが辛い。
 カレーに毒を盛る者、いきなり包丁で襲い掛かってくる者、そんな人間たちの渦中に、このみはただ一人取り残されてしまった。
 助けてくれる人は誰もいない。頼れる人も誰もいない。真の意味でのひとりぼっちが訪れたのだ。

「ぇ、ぐ……やだよ……やだ、やだぁ……あぐっ……そんなのやだよぉ……」

 リアルを否定するかのように、このみは冷たい土の上で蹲る。
 舗装などされていない路面は埃っぽく、風が吹けばむせ返るほどの砂が舞う。
 目元が涙で潤う一方、肌は徐々に乾燥していく。

 その、背後。

 ひっそりと近づいてくる殺人鬼の存在には気づけず、溺れるように泣き崩れた。


 ◇ ◇ ◇


 間桐桜は死んだ。しかし、棗鈴は生きていた。が、今はどうでもいい。
 生き延びた鈴があらぬ噂を流すかもしれないが、それよりも今は。

(こいつを殺すほうが……先決だよ)

 血に濡れた包丁を握り締め、西園寺世界は息を殺してこのみに歩み寄る。
 時刻は死亡者の通告があった頃、このみが逃走をやめたのは、何者かの死による喪失感が原因だろう。
 いい気味、と世界はこのみの不幸を嘲笑った。

(カレーに毒を盛る女……そんな奴のところに誠を置いてきた、罰が当たったんだよ)

 ステンレスの刀身がギラリと光り、木製のグリップが汗でほのかに湿る。
 足並みはゆっくりと、なるべく音を立てないように、このみに気づかれないよう忍び寄る。
 一度刺傷行為に及んでしまった相手を、取り逃がすわけにはいかない。
 この先の安全を確保するため、口封じとして殺す必要があった。
 第三者が介入してくるよりも早く、この放送の時期をチャンスに始末しなければならない。

(あの子を始末したら、棗さんも殺しに行かなきゃ……ひょっとしたら、悪い噂を流されるかもしれない)

 清浦刹那の偽名がいつまで機能するかはわからない。
 万全を期すには、自身を危険人物だと『思っているかもしれない』人間、すべて始末するのが一番だ。
 そのための武器も手に入れた。このみも鈴も、野菜みたいに切り刻んでやろう。

(みんな、みんな……私と、誠と、この子の未来を脅かす奴はみんな……)

 世界は焦っていた。
 放送では誠の名前こそ呼ばれなかったものの、確かに死者が出ている……その、ゲームとしては当たり前だが、日常としてはありえない現実に。
 世界が殺した桜を抜いても八名。単純に考えて、八人の殺人鬼がこの舞台にいる。
 その中の誰かが誠を狙うかもしれないし、世界自身に襲いかかって来るかもしれない。
 考えれば考えるほど不安は募り、焦燥は増す。
 この焦りを拭うには、感触が必要だった。

「ひぐっ…………あ?」

 私は安全だ――という、感触が。


 ◇ ◇ ◇


 肌に突き刺さる怖気の正体が殺気だと気づき、このみは後ろを振り向いた。
 そこには、放送の前まで懸命に逃げ続けてきた追跡者の姿があった。

(そんな……せっかく逃げてきたのにっ)

 悲しみを凌駕する絶望が、胸の奥深くに押し寄せてくる。
 清浦刹那。そう名乗った少女はこのみの血がついた包丁を握り締め、強張った表情で自分を見つめている。
 その様子を一目しただけで、ああまだ殺す気なんだ、と直感できた。

(やだぁ……死にたくないよ、まだ、まだ死にたくない……!)

 濡れた頬を拭うこともできず、このみは震える足で立ち上がった。
 だが足腰はしっかり立たず、すぐに躓いてしまう。
 膝を襲う激痛に、次いで体を庇おうと突き出た手の平が、硬い土の感触にじくりとする。
 地面に鼻を打ちつけることにならなかったが、痛みのせいで余計に足が震えてしまった。

「うくっ、うぅ」

 このみは泣きたい衝動を抑え、懸命に足を前に押し出す。
 刹那はどれくらい近づいて来ているのだろうか。
 確認したかったが、振り向いた瞬間に襲われたら嫌だ。
 恐怖と不安の板ばさみに遭いながら、このみは逃げる。
 しかし、

「ねぇ、待ってよ」

 声が届く。
 このみの小柄な背中に浴びせられる、刹那の穏やかな声だった。
 だがこのみは知っている。この声は質こそ穏やかだが、本当はもっと怖いものであると。

「ねぇ、待ってってば。さっきのことは謝るから、足を止めて。私の話を聞いて」

 優しい声も徹底的に無視する。
 止まったり振り返ったりすれば最後、刹那はきっと走り出す。
 その証拠に、ローファーが地面を擦る音はせかせかと、忙しなく響き続けている。

「待ってよ、ねぇ。どうして待ってくれないの。ねぇ、待ちなさいよ。待ちなさいったら」

 カッカッ、と刹那の足音が迫る。
 このみは千鳥足で逃げ続けるが、速度はいっこうに速まらない。
 対する刹那の足並みは軽快で、もうすぐ背後に迫っているだろうことを予感させた。

「待ちなさい。待ちなさいよ。待ちなさいってば。待て。待てったら。どうして待てないの?
 待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て。待て待て待て待て待て待て待て待て――待て!」

 もう駄目だ、追いつかれる。
 雄々しくなる語気を聞き続け、このみはついに恐怖に敗れた。
 納まりが聞かず、後ろを振り向いてしまう。
 そこには案の定、このみに向かって包丁を振りかぶる、〝鬼〟がいた。


 ◇ ◇ ◇


 鏡がない。だから自分が今どんなに醜い形相をしているのか、世界は知らなかった。
 人が人を殺す――その人間離れした狂気は、日本ではしばしば〝鬼〟に例えられる。

「ひっ……!」

 このみの硬直した表情を見ても、彼女がなにを見たのかという察しはつかない。
 世界の頭の中を満たす衝動、殺意が、ただ行動だけを促した。
 包丁を逆手に持ち、振り上げろ。
 そして下ろせ、と。

「――ふんっ!」

 力を込めるあまり、荒い息が声となって漏れた。
 持ち上げた包丁を、槌のように振り下ろす。
 目の前で体を強張らせるこのみは避けようともせず、反射的に右手を突き出した。

「あうっ!?」

 小さな手の平に、包丁の先端が触れた。
 鋭利に尖れた切っ先は、少女特有の柔らかな肌に裂け目を入れる。
 ぷっ、と弾けた血は微量。しかし痛みとしては極上の刺激が、このみを喘がせた。
 またこの包丁は所詮は調理器具であり、人体を貫くには強度が不足している。
 突き刺さった刃は指節骨に阻まれ、貫通には至らない。

「ふんっ! ふんっ!」

 世界はそれがわかっていないのか、このみの手の平に食い込んだままの包丁をぐいぐいと動かした。
 強引にやっても骨は貫けず、手の平の傷を広げるばかり。世界の意図とは違うが、このみへの負担は増す。
 言葉になっていない絶叫が木霊し、このみの頬は激痛から来る滝に呑まれた。
 そして、痛みから逃れるためにこのみが取った行動は、

「うああああああああ!!」
「べっ!?」

 殴る、だった。
 いや、満足に拳も握れていなかったその殴打は、叩くと表現したほうが適切かもしれない。
 このみは右手から押し寄せてくる激痛を取り除くため、空いている左手で世界の顔面を叩いたのだ。

「あ、ぐ……」

 まさか来るとは思っていなかったの反撃に不意を突かれた世界は、包丁から手を離し一歩後退する。
 叩かれた箇所を手で押さえてみると、鼻から血が出ていた。
 だくだくと流れる健康的な血は、世界の持つ焦燥感を加速させる。
 同時に、なんで自分がこんな痛い思いをしなければならないんだ、という不条理な怒りも覚えた。

「こ、の……このぉ!」

 キッ、とこのみを睨みつける世界。
 このみは右手に突き刺さった包丁を力の限り引き抜き、明後日の方向に放り投げた。
 傷口の辺りを左手で押さえながら、ギュッとその場に縮こまる。

「ぐっ、ううううううう……!!」

 転んだ子供が痛みに堪えるように、声を殺して、体を小さく凝縮させる。
 常時なら心配そうに声をかけただろう光景が、今はただただ忌々しく映る。

(人の顔を鼻血塗れにしてぇ……!)

 自分が包丁で刺したことは棚に上げ、世界はこのみに対し怒りの情念を燃やす。
 その怒りが、世界を突き動かす原動力となった。

 放送は長く、まだ続いている。
 双方共に武器はなし。
 力の差も均衡。
 対立するのは怯えと怒り。
 攻め手は世界、受け手はこのみ。
 しかしこの関係は絶対ではない。
 数秒後には、立ち位置が変わっているかもしれない。
 結果はもう間もなく訪れる。
 結果を出すための戦いは今、始まる。


 ◇ ◇ ◇


 怒り心頭の世界が、怯えるこのみのほうに向かってずんずんと歩を進める。
 このみは世界の接近にビクッと体を跳ね上がらせ、なんとか対応するべく立ち上がった。
 勢いはないが、圧力を伴った歩み。ビクビクするこのみは逃げられず、世界の到来を待つ。

 (殺す殺す殺す殺す殺す――)/(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――)

 攻める者と攻められる者の関係は獅子と小鹿。世界が強者でこのみが弱者だった。
 いざ接触が始まるまでは、誰の目から見てもそのように思えた。が、しかし。
 このみは小鹿のように、一方的に狩られる立場を受容したりはしなかった。

 (嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――!)/(なっ――!?)

 目前まで近づいてきた世界に、このみは怯えた表情のまま立ち向かった。
 明確に効果的な対策を成せたわけではない。できたのは至ってシンプルな肉体動作。
 目を固く瞑り、可愛らしいファイティングポーズを構えての、体当たり。

 (ぶふっ!? こ、こいつ――!)/(死にたくない……死にたくないよぉ――!)

 転ぶことも厭わない、全体重を乗せたこのみの体当たりが、世界の身を地面に沈めた。
 衝撃こそ軽かったが不意であったため、世界はこのみ共々やや大袈裟に転んでしまう。
 その際、勢いで世界の履いていたローファーがすっ飛び、打ち付けた背中に激痛が走った。

 (死にたくない! わたし、まだ死にたくない!)/(いっ……つぅぅぅ、こ、の!)

 世界は背中の痛みを我慢し、誘発された怒気を攻撃行為に転化する。
 のしかかっているこのみの髪を掴み、毛根ごと引っこ抜かんほどの力で、思いっきり引っ張った。
 小さく、ぶちぶちぶちぃぃ、という音が奏でられ、現に何本か何十本か、このみの髪の毛が引っこ抜かれた。

 (この! この! このこのこのこのぉ!!)/(いやだぁあ、痛い、いたいぃぃ……!)

 頭皮ごと剥がされるのではないかと思えるほど、世界の込めた力は容赦がなかった。
 だが実際のところ、女性の腕力で髪の毛を抜くことはそう容易くなく、かといって世界も手を離しはしない。
 痛みだけが続き、耐え切れなくなったこのみは、咄嗟に手を伸ばした。世界の顔面へと。

 (痛いのいやぁぁぁ……お願いだからやめてぇ!)/(い――っ!?)

 特に狙いがあったわけでもなく、ただ抵抗の手段として突き出したこのみの小さな手の平は、世界の顔面を覆う。
 震える親指が意図せず世界の鼻の穴へと突き刺さり、血に汚れる。鼻血の勢いもまた、当然のごとく強まった。
 親指の先端から伝わる、ぬるぬるとした感触とごわごわとした感触。鼻血と鼻毛による些細な不快感である。

 (だだっ、痛い! これ、痛いって!!)/(わっ、わわっ、わわわっ!?)

 鼻の穴が広げられる感覚に襲われ、世界は悲鳴を上げる。このみは動揺こそすれど、指を抜こうとしない。
 世界はこのみの髪を手放し、顔面を掌握している細い腕を、両手で掴みなおす。
 どうにか払い除けようとするのだが、このみも抗い、力を込めた分余計に鼻が広げられた。

 (やだ、やだ、手、掴まないで、怖い、怖い!)/(痛いぃぃぃ! 痛い、痛いよこれえぇー!!)

 血はとめどなく溢れ出る。試行錯誤する内にこのみの親指は世界の鼻から抜かれたが、その跡は真っ赤に腫れ上がっていた。
 確認は出来ないが、きっと豚鼻のように醜く変形してしまっている。思うと、世界の瞳が潤み始めた。
 憎しみが新たな活力を生み、世界は仰向けの体を大きく捻る。乗っていたこのみは、横に落とされた。

 (ぐ、うぅぅ~……許せない、こんなの、許せやしない!)/(ひゃああうぅ!? ま、また……!?)

 このみの体重という負荷から逃れた世界が、逆襲を果たさんと起き上がる。その動作は、鼻の痛みのせいか緩やかだ。
 幽鬼にも思える不穏な蠢きを、しかしこのみはラストチャンスだと解釈し、勇敢にも飛び掛った。
 スカートから覗く世界の生足、激しい運動のせいかソックスがずれ落ちた箇所を狙い、しがみつく。

 (やだよ! もう刺されたくないよ! こうしてれば……!)/(ま、また!? ぐ、あっ、ああ!?)

 足を取られた世界は途端にバランスを崩し、そのまま前、しがみついているこのみの背中へと倒れ込む。
 世界と地面の間でサンドイッチにされたこのみはか細く悲鳴を上げ、だが腕だけは絡ませたまま離さない。
 結果、世界は完全に倒れ込むことができず、膝立ちの姿勢で這い蹲るこのみを見下ろすこととなる。

 (しつこいなぁ……! こいつ、思い知らせてやる!)/(う、うううう…………)

 引き剥がそうとするが、この姿勢では上手く力が入らない。どうしてやろうかと思案する世界の目に、それは入り込んできた。
 このみのちんまりとした臀部。スカートで覆われた可愛らしいそこを、攻めるには絶好の弱所だと悟る。
 思い立った後、即行動。スカートを捲り、露出したショーツを乱暴に掴み、そのままぐいっと引っ張った。

 (えぇ!? い、いだ、いだだだだだだだ!?)/(鼻の穴、やられたお返し!)

 ショーツが肛門にきつく食い込み、このみはそれまでとは異なる種の絶叫を上げた。
 普段はまず攻められることのない部分を刺激され、体は電気ショックを浴びたかのように弛緩する。
 世界の足に絡まりついていた腕が解かれるのは必然であり、脱力したこのみに僅かな停止の間を与える。

 (やっと離した! こいつ……もう許さない!)/(ううう……痛いい……あ!)

 強烈すぎる痛みを和らげるためにおしりを押さえようとしたこのみだったが、寸前で察知してしまう。
 邪魔な束縛から逃れた世界が、未だ地面にうつ伏せになるこのみを睥睨し、そして殺意を再燃させている事実を。
 このみの頭は世界の足元。世界の足はこのみの頭の上。僅かに見上げた視線が、このみに危機を予感させた。

 (やだ、やだ――)/(もう許さない――このまま! 思いっきり! 踏み潰してやるッ!!)

 世界は膝を持ち上げ、そのまま、アルミ缶をぺしゃんこにするつもりで、このみの頭を踏みつけた。
 咄嗟に持ち上げた利き足ではあったが、あいにくそれは先ほどローファーが脱げたほうの足。
 このみの後頭部に直接的ダメージは少なく、しかし衝撃で路面に打ちつけられた顔が、熱を帯びて痛み出す。

 (違う! そうじゃない! そうじゃなくて、この、砕けろ!)/(いがっ!? がが、いいたああ)

 二度、三度、小気味よくこのみの頭部をスタンピングし続ける世界。そのたびに、このみの嗚咽が漏れた。
 世界の脳内で巻き起こるイメージは、レスラーが握りつぶすリンゴ、買い物籠から零れたトマト、夏のスイカ割り。
 あんな風になったらいいな、と思い描きながら、ソックスのみの素足で踏みつけ続ける。

 (いががががい、もごごごご、もぼ、やぁー!!)/(潰れろ! 砕けろ! 粉々に――え!?)

 それまで世界の猛攻を堪え続けていたこのみが、急に身を捩り、横合いに転がって狙いから逸れた。
 勢いをつけた世界の足はタイミングを外され、砂利の地面を思い切り踏みつけてしまう。
 軽い痛みが足の裏を襲い、靴を履いていないことを今さらながらに思い出し、咄嗟に靴を探し出す。

 (靴! 私の靴どこ!? 私の……靴どこなのよぉー!)/(けほっ、ごほっ、うあ……あ)

 靴を探している場合などではない。世界が気づいたのは、このみがふらふらの足で立ち上がった後である。
 脳髄をシェイクされた後遺症か、視点は定まっておらず、顔は真っ赤。世界と同様に鼻血も出ていた。
 無様な姿に笑みを零す傍ら、また性懲りもなくと憤怒の念も燃やし、こうなったらとことんとやってやる、とも。

 (人間って、こんなに丈夫なんだ。はは……隊長、まだやれるであります)/(今度こそ、殺してやるッ!)

 世界がにじり寄る。このみはそれを待ち構えるのではなく、立ち向かう形で、自身も一歩前に出た。
 女の子だから非力だ。両者共に自分のスペックを理解していたからこそ、突き出したのは諸手である。
 殴ったり蹴ったりは得意ではない。引っ張ったり押したりするほうがやりやすい。二人とも、そう本能で判断していた。

 (なんなのこの子……さっさと、殺されればいいのに……!)/(死にたくないから……うん)

 世界が先に手を出し、このみがそれを払い除ける。このみがもう片方の手を出し、世界がそれを払い除ける。
 柔道のような掴み合いが数秒間続き、均衡はすぐに崩れた。このみが別の戦法に躍り出たのである。
 手を使うことを放棄し、後先を考えず、結果的に生き残れればいいやと捉え、頭を突き出して前方にジャンプした。

 (えーい、それー)/(――!? ちょ、あなた――がふっ!? ご、ぉ……)

 不意の突進に虚を突かれた世界は、防御も回避も取ることができず、それを直にくらってしまった。
 よりにもよって――おなかに。世界の胎内、子宮に眠っているであろう、生涯最高のクリスマスプレゼントに、衝撃が。
 愛しの彼、違う、夫。伊藤誠が授けてくれた愛の結晶に、入ってはならない亀裂が入る。

 (おなか、苦しいよ。え? これ、赤ちゃん、大丈夫?)/(攻撃成功であります隊長ー!)

 痛みからではなく恐れから、世界は顔を真っ青にして思い出す。医師から伝えられた、妊娠中の諸注意を。
 喫煙や飲酒は厳禁。ストレスや薬の投与、もちろん風疹などのウイルスも悪影響を及ぼす。
 腹部に打撃を与えられるなど、もってのほか。世界の脳裏に、『流産』の二文字が浮かぶ。

 (敵は怯んでいるであります。これは好機であります!)/(やだ……ちょっと、待ってよ。これって……)

 おなかの中に眠る胎児。誠との絆の証である赤ちゃんのことを思えば思うほど、世界は動けなくなった。
 ガタガタと震える両腕で腹部を覆いつつ、このみがおなかを狙ってこないことを祈るばかりだった。
 そしてこのみが動く。小さな体を中腰の姿勢に保ちながら、世界に近づき、そして跳ねた。

 (せーの、とつげきー!)/(うあ……ダメ、や、あ……ふがっ!?)

 このみは手の平を前面に突き出して、世界の顔に勢いよく押し当てる。パチンッ、と軽い打撃音が鳴った。
 力士の張り手にも似た、このみなりの拙い攻撃だったが、幾度となく攻められた鼻はもう感覚を失いつつある。
 だが世界にとっては幸いだ。もっとも攻められては困る腹部ではなく、顔を攻めてくれたのだから。

 (ふが、ふが、ふが、ふがふが、ふが)/(そーれ! それそれそれー!)

 若干の安堵を交えた顔が、世界の母性の証とも取れた。それでもやはり顔は痛む。何度も何度もぶたれては当たり前だ。
 ただ手の平を打ちつけるだけでは飽きたのか、このみは両手で世界の顔全面を覆い始め、そのまま押し倒す。
 再びこのみが世界の上に跨る体勢。小さいとはいえ、二つ分の手は顔の面積を優に覆いつくし、呼吸を困難にさせる。

 (隊長! 必殺のチャンスであります~)/(ふが~……ふがふがふがふがふがふが)

 世界の顔に押し当てた手の平にぎゅ~っと力を凝縮させ、ぎゅっぎゅっぎゅと圧迫を開始する。
 ライフセーバーが人工呼吸を行うかのごとく、世界の顔面を、体重を乗せた圧力で追いやるこのみ。
 鼻からはまだ血が垂れていたが、不思議なことに、涙は止まっていた。これは二人ともである。

 (ふが…………誠ぉ…………激しい、よぉ…………)/(あはは~、ダメだよゲンジ丸~、暴れちゃ、めっ!)

 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅう~。
 傍から見ればなにをしているのか、理解に苦しむ光景が延々と続く。
 少女が少女の上に跨り、少女が少女の顔をひたすらに押し、聞こえてくる声は……

 「あはっ、あはっ、あはっ、あはっ、あはっ、あはっ」/「おぐっ、おぐっ、おぐっ、おぐっ、おぐっ、おぐっ」

 ……奇声以外のなにものでもなかった。


 ◇ ◇ ◇


 言峰綺礼の長々とした演説もさすがに終了し、多くの参加者に悲痛と安堵が齎されているであろう頃。
 肩や頭、鼻やおしりの痛みが和らいできたことで自我を取り戻した柚原このみは――混乱のどつぼに嵌った。

「えっ……なっ、うそ……そんな、そんな!?」

 気づいたら、清浦刹那という名の少女の上にいた。
 気づいたら、刹那の顔面に両手を押しつけ、腕が疲れている自分がいた。
 気づいたら、ぐったりした表情で目を瞑る刹那がいた。

(なにこれ……知らない、このみはこんなの知らないよ!?)

 なんでこんなことになっているのか。寸前の記憶を辿ろうとするが、困ったことにまったく思い出せない。
 成績は低いが決して記憶力が悪いわけじゃないのに、ちょっと前のことぐらい簡単に思い出せるはずなのに。
 このみは地べたに尻餅をつき、まったく動かなくなった刹那を見つめ、震える。

(ひょっとして、このまま起き上がってこないんじゃ……やだ、そんなの、ヤダァー!)

 耐え切れなくなったこのみは、刹那から、そして現実からも目を背ける。
 ぐわんぐわんと体を揺らしながら立ち上がり、覚束ない足取りでどこぞへと逃げ出した。
 動かなくなった清浦刹那を置いて、そこで起こった一連の事実も置き去りにして、逃避を開始する。

「ヤダ……ヤダァー!」

 指針はない。目的地もない。希望もない。頼れる人もいない。心の支えがない。このみのエネルギー源がない。
 ないないづくしの、ただ落ちていくだけの逃走劇が開幕、あるいは再開した。

 生きようという必死さの影で芽生えた人間性、それを否定したこのみには、まだ気づけない。
 これが、新世界への扉である事実に――。



【B-3 モスク周辺/朝】

【柚原このみ@To Heart2】
【装:防弾チョッキ】
【所持品:無し】
【状態:左肩上部と二の腕に軽い切り傷、右のお下げのリボンが無い上に不ぞろいに切り裂かれている、
    右手の平に刺傷、顔面に擦り傷、後頭部に痣、頭皮と股間に痛み(じきに治まります)、
    顔中鼻血塗れ、重度の混乱症状、人間不信、精神錯乱、疲労(中)
【思考・行動】
0:ヤダ……ヤダァー!
2:とにかくこの場から離れる。
3:ファルの命令通りに動くかどうかは不明。
4:ドライさんにもう一度会いたい。
【備考】
※制服は土埃と血で汚れています。
※世界の名を“清浦刹那”と認識しています。
※ファルから解毒剤を貰わなければ、二十四時間後に遅効性の毒で死ぬと思い込んでいます(実際には毒など飲まされていません)
※ファルがこのみに命令した内容は以下の通りです
1.三人以上の参加者の殺害(証拠となる首輪も手に入れる事)
2.ファルに脅されたという事を誰にも漏らさない
3.十八時間後に教会へ来る事
※第一回放送内容は、向坂雄二の名前が呼ばれたこと以外ほとんど覚えていません。
※自分が清浦刹那(世界)をどうしてしまったのか、混乱のせいで覚えていません。


 ◇ ◇ ◇


 西園寺世界は、三途の川を目前にして生還を果たした。

(……あ、れ……? わた、し……生きて、る?)

 二度と覚醒することはなかったかもしれない。しかし彼女は、このみの叫び声をきっかけに身を起こす。
 ゆらりゆらり、と海面のように揺れる視界の端で、薄桃色のセーラー服を着た少女が去っていくのを見た。
 ああ、もう危機は去ったんだ。よかったよかった……と、再び眠りに落ちようとするが、

(よく……ない! ぜんぜん、よくないよ……!)

 体を崩し落とす寸前で、大事なことに気づいた。危機は去ったが――まだ安心は獲得していない、と。

(赤ちゃん……私の、私の赤ちゃんは!?)

 地べたの上に正座し、丁寧におなかの上を摩る。ゆっくりと、やさしく撫で、胎児の反応を窺う。
 この子は誠との愛の結晶だ。クリスマスの夜に授かった、大事な大事なプレゼント。
 壊してはならない、世界と誠の将来を委ねる宝物なのに……なのに、

「あ、ああ……」

 目尻に涙が浮かび、声に嗚咽が混じる。妊婦だからこそわかる胎内の感覚が、世界に非情を齎した。

「聞こえない……私と誠の赤ちゃんの声……聞こえない、聞こえないよぉぉ……」

 おなかの中に眠る赤ちゃんの健やかな寝息、時折ノックする無邪気さ、なにもかもが奪われていた。
 まだ膨らんですらいないおなかを懸命に摩ってみるが、それでもやっぱり、反応はない。

「返事してよぉ……お願い、お願いだから……ねぇ、お母さんの一生のお願いだからぁぁ……」

 泣きじゃくりながら、まだ声帯も備えていない胎児に懇願する。
 当たり前だが反応はなく、世界は女性ゆえの、母だからこその悲しみに暮れた。

「えぐっ、いぐっ、あ、っぐ、うっ、っ……がはぁ、あぁ……うわあぁぁ……」

 流産――たまにテレビでやるドキュメンタリー番組でしか起こらない現象だと思っていた。
 それがこんなにも身近に、こんなにもあっさりと、我が身に降りかかるなんて、思っても見なかった。
 悲痛の波は胸を押し流し、活力を奪い去り、心を沈没させた。
 もう夢も希望も未来もない。誠との愛の証も失った。
 愛情の架け橋が、脆くも崩れ去る――だが。

「あっ……」

 世界は気づいてしまった。
 誠と世界を繋ぐ愛情の架け橋は落ちた――けれど、もう一方の橋がまだ残されていることに。

「ウィンフィールド、岡崎朋也、リセなんとか、蒼井渚砂、対馬レオ」

 つい先ほど行われた第一回放送。その中で世界が重視した、死者の名前。
 記憶を丁寧に手繰り寄せ、反芻する。口ずさむ中、あの名がなかったことを確認するように。

「小牧愛佳、向坂雄二、間桐桜、あと一人いたような気がするけど忘れた。でも」

 ――呼ばれていない。あの人はまだ、呼ばれていない。まだ生きてるんだ。
 しっかりと確認し、心に刻みつける。大きく頷いて、世界は勢いよく立ち上がった。

「――桂言葉。桂さんはまだ、生きてる」

 桂言葉。
 それは、清浦刹那と同じく世界の親友たりえた少女の名。
 互いにいがみ合うこともままあったが、あの聖夜の日――掛け替えのない親友になれた女の子。
 世界と同じく、誠から、子を授けられた母。

「桂さんの子供は……まだ生きてる」

 子供。言葉の子供。誠の子供。言葉と誠の子供。言葉と誠が創った愛の結晶。未来は――幸せな家庭?

「ううん、そんなの許されないよ。だって、私がこんな目に遭ってるのに。桂さんだけ不公平だもん。ね?」

 涙は途絶えた。枯れたわけではなく、単純に悲しくなくなったのだ。
 思いついた奇策を実行に移せば、自分にはまだ未来が残されている。世界は気づいたのだから。

「そうだよ。桂さんの子供。ううん、違う。誠の子供だよ。誠の子供。私が貰ったのと、同じ」

 冷静に考えれば、妊娠発覚から間もない身の上。胎児が反応を返すはずなどない。
 世界は我が子を失ったかもしれないという喪失のショックから、徐々に思考回路を破綻させていった。
 その末路が、とんでもない恩恵を授けた。世界を薔薇色に変える、天才的なひらめきを。

「ひょっとしたら、『桂さんの中にいるのが、私と誠の本当の子供』かもしれない」

 狂っている言動、嬉々と語る。

「それで、『私の中にいたのが、桂さんと誠の子供』だったんだよ。うん、きっとそう」

 違和感などまるで覚えず、くるくると踊る。

「だっておかしいもん。私と誠は結ばれたんだもん。二人の愛の結晶が、そんな簡単に壊れるわけないよ」

 辺りに転がっていたローファーを拾い、履き直す。
 腹部を裂き、中を確認し、×××すための道具も拾い、デイパックにしまい込む。

「『取り変えよう』。ううん、『取り戻そう』。私と誠の赤ちゃん――桂さんの中から」

 西園寺世界――彼女は、自身のセカイが既に崩壊していることに気づけない。



【B-3 モスク周辺/朝】

【西園寺世界@School Days】
【装備】:包丁、時限信管@現実×4、BLOCK DEMOLITION M5A1 COMPOSITION C4(残り約0.9kg)@現実
【所持品】:支給品一式、このみのデイパック
【状態】:妊娠中(流産の可能性アリ)、疲労(大)、顔面に痣、顔中鼻血塗れ、
     精神錯乱、思考回路破綻(自分は正常だと思い込んでいます)
【思考・行動】
基本:桂言葉から赤ちゃんを取り戻す。元の場所に帰還して子供を産む。
1:『桂言葉の中を確かめる』、そして『桂言葉の中身を取り戻す』。
【備考】
※参戦時期は『二人の恋人』ED直後です。従って、桂言葉への感情や関係は良好です。
※下着や靴の中などにC4を仕込んでいます。デイパック内部にC4は存在しません。
※時限信管はポケットに入っています。デイパック内部に時限信管は存在しません。
※衛宮士郎、リトルバスターズ!勢の身体的特徴や性格を把握しました。
※このみから、このみの知り合い(雄二、ドライ)とファルについて聞きました。
※第一回放送内容については、死者の名前くらいしか覚えていません。



079:この地獄に居る彼女のために 投下順 081:Crossing The River Styx
079:この地獄に居る彼女のために 時系列順 081:Crossing The River Styx
046:求めなさい、そうすれば与えられる 西園寺世界 090:悪鬼の泣く朝焼けに(前編)
046:求めなさい、そうすれば与えられる 柚原このみ 090:悪鬼の泣く朝焼けに(前編)



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