レンが水を差されます(小説)

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匿名ユーザー

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一ヶ月前、交通事故がおきた。
トラックが、俺たちの歩いていた歩道に突っ込んできたのだ。
俺は助かって、リンは助からなかった。
だけど、それはまったくの偶然だった。
純然たる事故だった。
過失はあったかもしれないけど、そこに悪意はなかった。
悔やむことは出来ても、憎むことは出来なかった。

そんな失意の俺に、とある事実が知らされた。
リンのメモリーだけは、傷一つなく無事だったのだ。
あとは、体のほうの損傷さえなんとかなれば、全快できると言うことだ。
ただ、その損傷が激しすぎて、完全な修復には一年かかるらしい。
そしてその間、リンのメモリーを保管をしておく場所が必要なのだが、

生半可な記憶媒体では、ボーカロイドのメモリーという繊細なものを、
一年もの間完全に保管し続けることは不可能らしい。
そこで白羽の矢が立ったのが、俺のメモリーの空き領域だった。
俺の成長と共に、徐々に使われることになるはずの部分だ。
のびしろと言っても良いかもしれない。
そこに、リンのメモリーを一時的に住まわせるというのだ。
のびしろを使うわけだから、ずっとそのままだと俺の成長はある所でストップしてしまうらしいが、

一年程度ならその心配もないらしい。
俺は、喜んで空き領域を提供した。だって、それでリンが戻ってくるのだから。
そのときに俺は、日常生活には特に支障はないはずだと説明を受けていた。

…それがまったくでたらめの未来予測だったことを、俺は後で痛感することになる。

 

「みかんはいいねぇ。みかんは心を潤してくれる。人類の生み出した文化の極みだよ。

…君もそう感じないかい? 鏡音レン君?」
「ああ、はいはい」
俺は、聞こえてくるリンのみかんに対する薀蓄を適当に受け流すと、さらにもう1個、

みかんの欠片を自分の口の中に放り込んだ。
「うーん、やっぱおいしいわー」
その直後に聞こえてくるリンの感想。
感覚を共有しているため、俺の味覚がそのままリンにも伝わっているのだ。
そう。リンのメモリーを俺の空き領域に入れたその日から、俺の心の中にリンが住み着くようになった。
「レンったら、もうちょっとおいしそうな顔でみかん食べなよー」
「俺は、バナナのほうが好きなんだよ」
「なら、バナナも食べれば良いじゃない」
「両方いっぺんにはさすがに食えないな。今日はみかんだけにしておくよ」
「…じゃあ、明日はバナナ食べてよ」
「別に気を使う必要はないぞ」
「そんなんじゃないって! 私が明日バナナを食べたい気分なの!」
「ああ、はいはい」
こんな感じで、俺が何かするたびに、リンの声が頭の中に直接響いてくる。
はっきし言って、日常生活に支障をきたしまくりであった。
ただまぁ、一ヶ月もしたらこの奇妙な生活にも慣れてしまった。
それに、永遠にずっとこのままというわけでもないのだ。
リンの体の修復さえ完了すれば…後11ヶ月さえ経てば、俺たちは晴れて元に戻れるのだ。

そのとき、家の外からなにやらトラックの停止する音が聞こえてきた。
なんだろうと思って窓から外を覗いてみると、トラックからなにやら段ボール箱を取り出して、

隣の家へと運び込む作業をしていた。
そう言えば、隣の家はもう何年も空き家になっていたことを思い出した。
誰かが引っ越してくる、と言うことらしい。
そしてすぐ脇には、その引越しの張本人らしき家族が、その作業を見守っているのが見えた。
その中には、俺と同じ年頃の少女も居た。
俺と同じ髪の色で、サイドテールというのだろうか。
片方だけに尻尾のようにまとめた髪が垂れ下がっていた。
ややツリ目の顔で、へそ出しに背中に穴が空いているという、奇妙なデザインの服。
そして、とても短いスカート。
一瞬ドキッとするも、その端からはスパッツらしき黒い生地が見えているので、

心配したようなことはなさそうだ。
「お、なかなか可愛い人じゃない。襲っちゃえ」
「何をいきなり犯罪幇助しやがりますか、お前は」
「あら、同意があれば犯罪じゃないのよ。襲わせてくださいってお願いすればいいのよ」
俺は、リンのたわ言を無視した。
そんなことをしていたら、その少女と目が合った。ぺこりと頭を下げてくる。
「今日からここに引っ越すことになった、亞北ネルです! よろしくね!」
「あ、鏡音レンです」
俺もつられて、そう自己紹介しながら頭を軽く下げる。
「まずは出会いイベントクリアってところね!」
俺は、リンのたわ言をさらに無視した。


次の日の朝。
俺はかばんを片手に、学校へ行く道を歩いていた。
リンの方は、今日はまだ声が一切聞こえてきていないので、まだ寝ているのだろう。
俺の貴重な、心休まるひと時だった。
だがそんな時、いつもの登校風景とは違ったものが俺の目に飛び込んできた。
昨日、俺の隣に引っ越してきた亞北ネルという少女がそこにいたのだ。
なにやら、辺りをキョロキョロ見回しながらうろちょろとしている。
なんとなく気になって話しかけてみた。
「…なにやってるの?」
「ふぇ!? あ、昨日の…レン、だったわね」
「そうだけど…。何かあったのかな、ネルさん」
「ネル、でいいわ。んーとね…学校行かないといけないんだけど、道に迷っちゃって…あ、あはは…」
なるほど、まぁ引っ越してきたばかりなんだから、仕様がないか。
「だったら、一緒に行く? たぶん、同じ学校だろうし」
「え、いいの? やった! 助かった! ありがとうね!」
どうせ俺も学校に行くんだから、別にそうたいした事でもないというのに、ネルは飛び上がって喜んだ。
なんというか、感情表現が豊かというか、とても大げさな人のようだった。
「おお! なんだ、私が居なくても、ちゃっかりフラグ立ててるんじゃないの」
頭の中にそんな声が響く。
…寝てなかったのかよ、お前。

 


無事に学校に着いた。
ネルは、まず職員室に行くように言われていたらしく、そこに案内して俺の役目は終わった。
そろそろ始業時間なので、さっさと自分の教室に行くことにする。
しばらく教室で待っていると、やがて先生がやって来た。
「今日は、転校生を紹介します」
そう言って連れてきた少女は、紛れもなくネルであった。
「おお!! 同じクラスとは! これは間違いなく運命! デスティニー!!」
リンが頭の中で飛び跳ねながらはしゃいだ。
いや、実際には姿は見えないので、そんな感じのニュアンスの声が響いてきただけだが。
「ええと…、ああ、鏡音レン君の隣の席が空いてますね。そこ座ってください」
先生がネルにそう言った。
そのときになって、ネルのほうも俺に気づいたらしい。一瞬、顔を明るくさせた。
「よろしくね、レン」
ネルは、俺の隣の席に座ると、そんなことをそっと囁いてきた。
「なんと! さらに席が隣同士! これはもう、奇跡よ! くっついちゃえって神様のおぼしめしね!」
さらにリンが、頭の中ではしゃぐ。
「…別に、運命でも奇跡でもないでもないぞ」
そんなリンに、俺は冷静な言葉を投げつける。
「どゆこと?」
「結論から言うと、同じクラスになった理由も、席が隣になったのも、お前が居ないからだ」
「へ??」
リンは、本気で意味が分からなかったらしく、そんな素っ頓狂な声を俺の頭の中に響かせた。
「お前が居ないから、このクラスは他のクラスに比べて一人少ないんだ。

そんなときに他所から転校生がやってきてみろ。

このクラスに回されるのは自明の理ってわけだ。

さらに言えば、俺の隣の席も、元々はお前の席だ。お前が居ないんだから、空いていて当然。

確かに、俺の隣の家に引っ越してきたって所までは偶然かもしれない。運命、と言っても良いだろう。
だが、そこから先は奇跡でも運命でも、ましてや神様のおぼしめしでもなんでもなく、

ただ単に、事務的な処理をした結果ってわけだな。

この通り、ちょっと論理的思考を張り巡らせて見れば、

奇跡なんてこと、早々起こるもんでもないってことが簡単に説明できる」
「む、むう…。じゃ、じゃあ私の存在はどうなのよ!? こうやって話せてるのって奇跡じゃないの!?」
リンは、どうしても何か言い返したかったらしく、微妙に論点をずらした反論をしてきた。
だが、あえて俺はそこを指摘せずに、真っ向からそれを受け止めた。そして、こう切り返す。
「それも奇跡って言わないな」
俺は少し言葉切った。その後に答える。
「嬉しい誤算って言うんだ」

 


そして、授業が始まった。
俺は無言で、黒板に書かれていく文字の羅列を一字一句丁寧に書き写していく作業を繰り返す。
そんなとき、隣の席に座っているネルが、俺に小声で話しかけてきた。
「ね、ねぇ…」
「ん?」
「ごめん、教科書見せてくれないかな? 僕、時間割わかんなくて持って来てなくて…」
ああ、と俺は思った。転校初日なんだし、これは仕方がないな。
俺は、黙って机をくっつけた。これで、二人で教科書を覗き込みやすくなる。
俺としては、あくまでクラスメイトとしてこのような行動に移ったつもりだったのだが、
リンの目にはそうは映らないだろうな、と俺は思っていた。まぁ、からかわれてもスルーするだけだが。
だが、頭の中に響いたリンの声は、そのようなものではなかった。
「ねぇ、レン」
「なんだよ、リン」
「論理的思考を張り巡らせれば、同じクラスになることは簡単に分かるって言ってたよね?」
「まぁ…」
「だったら、昨日会ったときに時間割を教えてあげればよかったんじゃないの?」
「あ…」
俺は一瞬ぽかんとしてしまった。リンの言うとおりだったからだ。
「いくら同じクラスになることが分かってたとしても、

それを生かした行動が出来ないんじゃ、どうしようもないわねぇ」
リンは、俺を言葉で言い負かせたことがよっぽど嬉しかったらしく、心底楽しそうにそんな声を響かせた。
「……」
俺はそれに無言を返すことで、ささやかに抵抗した。

 

 

その後は特に何事もなく、そして放課後となった。
変わったことと言えば、体育の時間でネルが、
それまでクラスで一番だった人の50m走の記録を、あっさり抜いてしまったことぐらいだ。
ずいぶんと足が速いらしい。運動神経が良いんだろうな。
それと強いて言うなら、数学の授業のときにネルが、終始苦い顔で過ごしていたってことだろうか。
数学が苦手なんだろうか。
「ねぇ、レン。一緒に帰らない? 実は、まだ帰り道が曖昧で…」
俺がボーっと帰り支度などをしてると、ネルがそんなことを言ってきた。
まぁ確かに、一回通っただけの道を一人で歩くってのも不安だろう。
「一緒に下校イベント来た!!!」
案の定と言うか、なんと言うか、リンが水を得た魚のように騒ぎ出す。
「ただ単に、地理に明るい人と一緒のほうが安心するってだけだろ。

お前が考えてるようなことなんざ、ないっつーの」
俺は、冷静に状況を分析してそう言った。
「もうー。若いうちからそんなあれこれ考えてると、老けるの早くなるぞ!」
「おめーが考えなさ過ぎるだけだ。ボケるのが早くなるぞ」
「シツレイな! ボケるのが早くなるんじゃなくて、とっくにボケておるわ!」
「…言い切られても」
そんな、文字通りの脳内漫才に俺はさっさと見切りをつけて、ネルと一緒に帰り道を歩き出した。
「ネルって足が速いんだな。びっくりしたよ。やっぱ、部活は陸上部とかにするのかな?」
俺は、体育の時間の出来事を思い出しながら、隣を歩いているネルにそう話しかけた。
「うーん…。それが決めてないのよね。レンは部活なにやってるの?」
「ん? 合唱部」
「合唱部かぁ…。僕もそうしようかな? そしたら、レンと毎日一緒に帰れるし」
また、リンが飛びついてきそうなことを、ネルはさらりと言った。
「おおおお!! こいつは脈ありですな! レンの旦那!!!」
そして、案の定リンは飛びついてきた。俺はそれに、いつもどおり冷静に答える。
「転校してきたばっかで知り合いがいなくて、それでちょっとでも知ってる人の傍に居たいってだけだろ。
時間が経って周りになじむことが出来れば、そう思うこともなくなるさ」
そんな俺の答えに、リンは明らかにつまらなさそうにふてくされた。
「また論理的思考ってやつ? 少しぐらい、はしゃげばいいのに」
「お前は、はしゃぎすぎだけどな」
「むうー」
ずっとリンとの対話を続けてても仕方がないので、さっさとネルにも返答をしておくことにする。
「まぁ、今すぐ部活を決める必要ないよ。

個人的には、運動神経良いみたいなんだし、運動部入ったほうが良いとは思うけどね」
「そ、そう…」
それきり、ネルは黙ってしまった。
「ほら! ネルさん黙っちゃったじゃない! レンが空気読めないからだよ!」
リンがここぞとばかりに、やいのやいのと抗議の声を上げてきた。
「常にしゃべり続けながら帰らなきゃいけないって事もないだろ」
「だめ! こういうのは植物と一緒なの! 水を上げ続けないと成長しないのよ! 

だから私は、仕方なく水を差してるんだから!」
「…お前、それ意味分かってて言ってるのか?」
水を差すってことわざは、上手くいっているものを脇から邪魔するってことのたとえなんだが。
とはいえ、このまま黙り続けてても、またリンにとやかく言われるだろう。
俺は、なにか話す話題がないか考えてみた。
そして、数学の授業のときのことを思い出した。終始ネルが苦い顔で過ごしていた、あのときのことだ。
「そういや、ネルって数学が苦手なの? なんか難しい顔してたみたいだけど」
「うーん、別に特別苦手って事もないんだけど…。

ただ前の学校じゃ、まだあの辺のところ、まだ習ってなくて」
なるほど…。授業内容に微妙に差があったわけか。
しかも、今数学の授業でやっているところは、応用問題のあたりだ。
基本をまったく習っていないのなら、全然内容が分からなくても仕方ないだろう。
それで、終始あんな苦い顔をしてたわけか…。大人には分からない、子供ならではの悩みってわけだな
それを聞いたリンは、嬉々としてこう提案してきた。
「よーし! ここはレンが家庭教師役を買って出ればいいのよ!」
「いや、別に俺がやる必要はないだろう。先生に事情を話して補習してもらうなり…」
「なに言ってるのよ! せっかくの家に上がりこむチャンスを!!」
「そんな不純な動機かよ、なに考えてるんだ、お前は」
「いいから、ネルさんに自分が教えてあげるって言いなさい! 

言わないと、四六時中頭の中で叫び続けるわよ!?」
「脅迫かよ!」
とはいえ、正直そんなことをされるの勘弁願いたい。
俺は仕方なくネルに、自分が家庭教師役を買って出ることを伝えようと話しかけた。
「じゃあさ、俺がその辺のところ教えてあげようか? 

でも、俺もあんまり自信ないからうっかりでたらめ教えちゃって、
授業で当てられたときに恥かくかもしれないけどね。それでいいならどうぞ。

まぁ正直、断ったほうがネルのためだと思うけどね」
ただし、ネルが断りたくなるように誘導をかけたかなりひねくれた提案の仕方だったが。
「なっ…! なによそれ、ちゃんと言いなさいよ!」
リンが再び抗議の声を上げたが、俺はそれを無視した。
どういう形であれ、リンの言うとおり家庭教師役を買って出たことには変わりないのだから、

文句を言われる筋合いはない。
ところが、ネルはそれに驚くべき回答をした。
「うん、それでもいいよ。そのときは、レンに教えられたとおりに答えましたって言うから」
「…へ?」

 

 

数分後。俺はネルの部屋に居た。
この部屋の主はと言うと、飲み物を取ってくるといって出て行ってしまったので、今は俺一人だった。
「にやにやにやにやにや」
頭の中でリンがなにやらほざいているが、俺はひたすら聞こえない振りをして、

カバンからノートと教科書を取り出した。
「おやおや、やる気まんまんですなぁ」
さらにリンのたわ言。
「理由は何であれ、引き受けてしまったからにはちゃんとやり遂げたいしな」
俺は、毅然とした態度でそう答えた。
勉強を人に教えるなんてことはやったことはないが、基本部分だけなら、まぁなんとかなるだろう。
やがてネルが、二人分のジュースを持って戻ってきた。
「お待たせしました。それじゃ、勉強教えてくださいね、レン先生」
ネルがまるで、学校の先生を前にしたかのように、妙にかしこまった態度でそう言った。
「そういうのやめてくれよ、逆にやりにくいから」
「わかった、じゃあ、そうするね」
俺がそう言うと、ネルは一瞬で地に戻った。
あまりに変わり身が早すぎるのもやりにくいな…。

 

 

「ううううううう。ピーマン苦い、ピーマン嫌い、ピーマンいやー!!」
俺は、頭の中に響いてくるリンのそんな絶叫をひたすら無視してピーマンを咀嚼し続けた。
あらかじめ、夕飯にピーマンを多めに出してくれるように頼んでおいたのだ。
リンに対するささやかな嫌がらせだ。
あれからしばらくして、ネルの家庭教師役は一段落したので、

続きはまた今度と言うことにして俺たちは引き上げた。
「ネルさんとも、ホントに一緒に勉強しただけだったしなぁ」
リンの心底不満そうな声。
「当たり前だ。なにを期待してたんだ、お前は」
まぁ俺も、なるべく事務的に家庭教師役に徹していたからって言うのもあるんだろうけど。

夕飯も食べ終わって、自分の部屋に戻った。
「ふふふふふふふ」
さて、宿題でも済ませてしまおうか、と思ってた矢先、さきほどのリンの、なにやら怪しい含み笑い。
「どうしたんだよ?」
「いやぁ、そろそろどこのご家庭でも、お風呂に入ってもおかしくない時間ですなぁ」
「…それがなに?」
「それは、お隣さんも例外ではないんじゃないでしょうかー?」
リンの含み笑いは、ますます大きいものになってきている。
なにが言いたいんだ、こいつ。
…ま、まさか。
「NO☆ZO☆KE」
「DA☆MA☆RE」
俺は、リンのとんでもない提案にそう即答した。
「なんでよ!? こうやって次々イベントを重ねていかないと、距離が縮まないでしょうが!」
「先に刑務所との距離が縮むっての!! 立派な犯罪だ!!」
「それは間違ってるわ、レン!!! 

犯罪に立派も何もないんだから、『れっきとした犯罪』と言うべきよ!!」
「んなこたぁ、どうでもいいわー!!!!」
というか、犯罪だってことの自覚はあるのにこんなこと言ってるのかこいつ、タチ悪いな。
「どうしても覗かないって言うの?」
リンが、やや声のトーンを落としてそんなことを言う。
「当たり前だ!」
俺は、きっぱりと断った。
「そう。それじゃ最終手段ね。できれば、あまり使いたくはなかったけど」
そんな不穏なことを言ったきり、リンは黙り込んだ。
どうしたんだ? と、思った途端、脳内にばちっ電気が走って、一瞬目の前が真っ白になった。

そして、すぐに戻る。
????
なにが起きたんだ?
びっくりして体を動かそうとして…そして、体の自由が利かないことに気づいた。
「よーし! こんなものね!」
代わりに、リンのそんな声と同期するように、俺の体が勝手にガッツポーズを取った。
それはまるで、俺とリンの立場が入れ替わってしまったようにしか見えなかった。
「リン! お前なにをしたんだ!?」
「ん? ブレインジャック。一日に一回、それも五分限定でしか使えないけどね」
な、なにぃぃぃぃ!?!??!
「そ、そんなことできたのかよ、お前!」
「夜、レンが寝てる間にこっそり試してたんだー。だから、朝起きれなかったんだけどね」
朝はずっと寝てておとなしいと思ってたら…そういう理由だったのかよ!
「さーて、これで覗きイベント発生させなきゃ!」
「ちょ、待て! まさか、このまま俺の体で覗きをするつもりなのかよ!?」
「当然至極!」
「やめろぉぉぉぉ!!!!」
俺は、力の限り叫んで抵抗しようとしたが、

悲しいことに俺の体は、まったくと言っていいほど俺の自由にはなってくれなかった。
「うきうき、わくわく」
リンが、順調にお隣の家の風呂場の窓へと移動していく。
どうやら、どうあっても止められそうにはなかった。
俺は、抵抗することを諦めた。
その代わり、外部からの情報をシャットアウトしだした。
俺の心が、徐々に暗闇と静寂に包まれる。
これでいい。これで、リンが俺の体を使って覗きをしたとしても、俺自身は何も見ることはない。
たとえ、これが理由で俺が獄につながれたとしても、そのことだけを誇りにして生きていける。
…というか、その場合リンも獄中生活を体験することになるんじゃ?
そのことわかってるのかなぁ、リンは。
まぁ…もう、どうでもいいか。
俺は、完全にシャットアウトを完了した。
そこで、俺の意識は途絶える。

 

 

「…ん?」
次に俺が目を覚ましたとき、そこは自分の部屋であった。
既に体の自由は、俺の意識化にあるようだった。五分経ったらしい。
気づいたら腕には手錠が、なんて自体も半ば予想してただけに、俺はこの事態に拍子抜けをしていた。
ひょっとして、途中でリンが思いとどまって戻ってくれたのだろうか。
「リン、やっぱり覗かなかったとか?」
「ううん、覗いたよ」
「じゃ、じゃあネルは居なかったとか…」
「ううん、ちゃんと居た」
ぐはっ!! じゃあ、今頃通報されているんだろうな。
なんだ、まだ警察が来てなかっただけか、あはははは。
ちょっとでも助かったと思った俺が浅はかだった…。
「でも、普通に世間話して終わった…」
「…え? 騒いだりとか、怒ったりとかは?」
「まったくなかった」
リンが、つまらなさそうにそう答えた。
ウソ…は、言っても仕方ないよなぁ。じゃあ、ホントのことか。
風呂を覗かれたって言うのに、普通に世間話で返すとは、ひょっとしてネルって、

ちょっと不思議な人だったりするんだろうか…。
まぁなんにせよ、警察沙汰にならずにすんでよかったよかった。
すっかり安心してしまった俺は、ちょうど良い時間だったので、俺もお風呂を済ませてしまうことにした。

宿題は、その後にやろう。

 


「…ふうー」
湯船に浸かって、一息をつく。
今日一日で溜まった疲れが、じょじょに体から抜けていくような感覚を覚えた。
特に今日は、リンのせいでいろいろあったからなぁ。疲労も相当なもの…
「こんにちはー」
俺が、そんな感じでくつろいでいたら、窓のほうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
…ネルの声だ。慌てて声のしたほうを見ると、窓の外からこちらを覗き込んでいるネルと目が合った。
「な、なななななぬを!?」
「ん? さっきのお返しー」
あまりと言えばあまりの一言に、俺はとっさに言葉が出なかった。
「今日はいろいろとありがとうね。おかげで助かっちゃった。お隣がレンで、ホント良かったって思うよ」
そんな俺にはお構いなしに、ネルは世間話を続けた。
ひょっとして、さっきもリンが風呂を覗いたときも、こんな感じだったんだろうか。
「んじゃ、僕はそろそろ行くねー。また明日、家庭教師よろしくね」
そう言って、ネルは去って言ってしまった。再び、お風呂場に静寂が戻る。
「……」
「……」
俺はともかく、意外なことにリンまでもが無言だった。
「…リン、どうしたんだ? お前の好きな『イベント』だとか『フラグ』とかってやつじゃないのか、これ」
「いや、さすがにあれは想定外」
どうやらさすがのリンも、ネルのあの破天荒な行動は、予想の範疇になかったらしい。
さっきは、ちょっと不思議な人だと思ったが、
ひょっとしてちょっとどころじゃなく、相当不思議な人なんじゃないだろうか、ネルは。
あれ? まさかリンといい、ネルといい、俺の周りに常識人は居ないってこと?
…はたして、俺に普通で平穏な、何の変哲もない生活はやってくるんだろうか。
なんとなく、先行きに不安を感じながら、俺はぶくぶくと湯船に沈み込んだ。

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