※この話はタイトルの通り、悪ノ娘・悪ノ召使・リグレットメッセージから派生した二次創作です。元の作品をご覧になっていない場合は全く意味が分かりませんし、ご覧になっている場合は逆に不快になる可能性もあることをご了承下さい。(ヨミ屋)
辻に歌い手が来ていた。
3曲目まで歌った有名な歌に人々が集まった頃、歌い手は4曲目に誰も知らぬ歌を歌い始めた。人々は戸惑いつつも、2曲目の歌に似ているために、とりあえず聞き続ける。
「とある海辺で膝を抱え、波間を見つめる子供が一人。歩み寄る一つの人影が『何しているの』と声をかける」
歌い手の上着は、この季節には薄く、色あせて綻びていた。しかし、その歌声は澄んでいる。
「子供は問いには答えない。しかし鐘の音が時を告げる。思わずこぼれたうつろな声に、人影はぴたりと立ち止まる」
「『あら、おやつの時間だわ』」
「立ち止まったその人影はかつて子供が恋焦がれた人」
「しかし今は見向きもしない。ただ波間の瓶の行方を追う」
歌声に比べると、どこか不器用なリュートが歌の間を奏でる。
「かつて咲き誇った王女様、今は散って枝を残すのみ。すでに棘すらありはしない、なのに王子は近寄れない」
「時遡り夜明け前、密かに知らされた真実に、王子は城を飛び出した、家臣の一人を斬り捨てて」
「『愚かな王族を傀儡に、甘い汁を啜ろうと、一つの婚姻企んだ。だが一人の女が邪魔だった』」
間奏で語られる。王女の双子の兄弟が隠蔽されたのも、王子が恋した女を殺すよう王女を唆したのも、全ては一つの陰謀。
「『そう、すべてあの国の貴族と共に仕組んだこと』」
乱暴なリュートの和音が、剣の閃きを表わす。しかし感情的な音と対照的に、歌い手の声は穏やかだった。
「咲き続けるはずだった王子様、しかし己も既に虫の住み家。虫が火の中で燃え尽きても、王子の手には何も戻らない」
単調な間奏に、集まっていた人々が少しばかりの小銭を投げて立ち去り始める。
歌はまだ終わっていなかった。
「逃げた海辺には膝を抱え、波間を見つめるかつての王女。恋した人の仇だと昨日まで恨んでいた娘」
「血に濡れたままの剣を下げて王子は彼女に歩み寄る。しかし鐘の音が鳴った時、聞こえてきたのはうつろな声」
「『あら、おやつの時間だわ』」
「作り物の悪の華は散り、そこに残るはただの娘。聞こえた声はまるで鏡、今の王子をそのまま映す」
リュートを奏でる指が止まり、歌い手はささやくように語る。
「そして城に報せが舞い込む。家臣を切り捨て逃げた王子は、崖から身を投げて海の中、いくら探しても見つからない」
歌い終わった時、人はいくらも残っていなかった。まばらな拍手と、精進しな、という苦笑の声。その中で一人の子供が、必死にポケットをまさぐって、なけなしの小遣いだろう小銭を歌い手に差し出した。
小銭を集めていた歌い手だが、優しくその手を押し戻して、何か訊きたいことがあるのかな、と低く言った。
子供は、眉を寄せ、泣きそうな顔で問う。王子は本当に死んでしまったのかと。王女はそれからどうなったのかと。
その時、歌っている間はどこか淡々とした表情だった歌い手の顔が嬉しげに微笑んだ。絶対に秘密だよと囁いて、王子が身を投げたことを城に報せたのは、すべての真相を調べ上げた腹心で、赤い髪をした王子の乳兄弟だったと言うよ、と。
言われた直後は意味が分からなかった子供だが、歌い手が少し離れたところで待っていた妹を呼び寄せるのを見てはっとした。妹は、兄よりもやや厚手で質のよい上着を着ていた。兄妹は揃って優しくもどこか虚ろな笑顔を子供に向けたが、その造作はあまり似てはいなかった。
去っていく二人の後姿に、瞳を輝かせた子供は千切れるほどに手を振った。
兄は妹の手をそっと引き、もうすぐまた海が見える町に着くよ、今度こそ彼に会えるといいねなどと語りながら歩いていく。いつか、小さくとも、本物の花が咲く日まで。
「そう、ここにある全ては絵空事。しかし、喜んでくれる誰かがいるのなら、そこに救いはあるだろう」