無限の業を重ねて生きよ(前)

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文:tallyao

 

 
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 鏡音リンは自宅のキッチンの裏の、空気を入れかえていた勝手口の扉を閉めようとして、家の方にまっすぐ歩いてくる人影に気づいた。
 その二つの人影を見て、リンは最初、すぐ上の姉と兄が帰ってきたのかと思った。が、やがてそれが、自分や兄弟姉妹とはかなり異なる装束や色合いの姿だと気づいた。
 ──それは、まず、丈の長い白と紫の服、長い髪の少女だった。そして、その少女が、意匠も色合いも少女自身とよく似た、同じ白と紫の服に、長い髪の青年を、軽々と横抱きに抱えていた。その少女は、ほぼ無表情のまま、荷の重さを感じている様子もなく、いそいそと早足で、まっすぐリンの方を見ながら勝手口の方に向かって歩いてくる。
 その光景をまず一旦認めてから、リンは、ばたりと扉を閉めた。
 キッチンの席のひとつに掛け、両肘をテーブルについて、じっと額を両掌の上に乗せる。それから、深い息をつく。
「落ち着くの、落ち着くのよ鏡音リン」リンはぶつぶつと呟いた。「きっと何かの見間違いだわ」
 この上、正体不明の来訪者など信じたくない。この先、まだ見ぬ”ばちっこ”(註:北海道弁『末子』、ここではCV03を指す)が控えているだけで充分すぎるというのに、このVOCALOID一族とその周囲の関係者たち、今まで知られている限りのゲテモノ揃いの妖怪ファミリーのもとに、さらにこの上何かヘンなモノが訪れ現れるなど、想像もしたくないし、断じて受け入れることはできない。そういった光景に慣れすぎた自分の見間違いであるべきだ。あれらの姿か、こちらに向かってきているという事態の、少なくともどちらかが。
 とんとんと扉を叩く音がした。
 リンは微動だにしなかった。その音も気のせいだと思おうとしていた。
「済みません」
 少女のような声がした。細い抑揚の少ない声で、あの無表情に落ち着いたさきの少女の容貌に、非常に合致するように思えた(声色そのものは、すぐ上の姉に少し似ていた)。
「急病人なのですが、手をかして頂けないでしょうか」
 リンは一旦、深くため息をついた。
 ……そして諦めと共に立ち上がり、ふたたび勝手口の扉に向かった。気持ちを切り替えなくてはならない。気は進まないが──あの声の言うことと、それと一応は符合している自分の見た光景が本当であれば、事態は急を要することだろう。

 

 

 リンが扉をあけると、意識のない青年を横抱きにした、無表情の少女が立っていた。リンは黙って、かれらを家に招きいれた。
 少女はリンに案内されるまま、軽々と居間まで青年を運び、長椅子に横たえた。よく見ると、少女と青年は色合いや雰囲気こそよく似ていたが、面立ちなどは異なっており、あまり兄妹などの血縁には見えなかった。そのあたりも、リンがすぐ上の姉と兄を思い出したところだったかもしれない。それにしても、この青年に何が起こったのか、どういう状態なのか。
 ともあれ、リンが水やタオルそのほか、頼まれたものを持ってくると、少女はしばらく看ていた青年のかたわらから立ち上がり、改めて軽く一礼した。
「私、こういう者です」
 少女はリンに、電脳空間(マトリックス)内において名刺にあたる、情報ハイパーカードを差し出した。

 

 

 北海道札幌市中央区宮の森39条3-9-39
 森之宮神療所

  森 之 宮 先 生

 E-mail:sensei-mouyamete@kuchibashi-p.net

 

 

 リンはつかのまカードを見つめた。この「 森 之 宮 先 生 」というのが人の氏名だとはあまり思えない。が、それに気をとられている場合ではなさそうだった。
 青年は長椅子に横たわったまま目覚めない。少女は左手に水差しを持ったが、それを飲ませる前に、静かに青年に顔を近づけた。……唇が触れ合わんばかりになったとき、少女は儚そうな表情のまま、すっと目をとじた。
 リンは高鳴る胸をおさえるように両手を組み、息を呑んで二人を見守った。人工呼吸をするのかと思ったのだ。
「息が止まりかけていますね」
 少女が、つと顔を上げて言った。顔を近づけたのは、単に息を確かめるためだったというのだろうか。
 と、少女はいきなり右の拳を固めると、薬指一本を突き出した。リンが何かに気づき反応をするよりも前に、少女はその薬指を、横たわっている青年の鳩尾に強烈な勢いでぶち込んだ。ほとんど腕が肘の部分まで埋まっているのではないかと思えるほどに深々と、少女の拳は青年の腹の中にめり込んだ。
「おっぱああああああああああああ!!!」
 Zガンダムのシールドがどてっ腹に突き刺さったシロッコの如く、青年は顔面と顎を目一杯縦に伸張させて苦悶の絶叫を上げた。それが、VOCALOID ”神威がくぽ”がこの家で発した最初の音声だった。その声質が兄にも劣らない美声であることに、鏡音リンは目の前で起こっている事態を一瞬忘れるほどの驚愕を覚えた。

 

 

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