昨日の夜帰って来てから、兄さんの様子がおかしい。出かける前は姉さんとマスターのことでうだうだ悩んでたくせに返ってきたとたん、マスターと姉さんにお祝いを言って、よく聞こえなかったけどマスターに何か一言ちょっと怖い顔で言ったかと思ったら、妙に嬉しそうにして。朝からは、妙にそわそわして、鏡なんか見てる。しかも、さっきからいそいそとよそいき用のいいマフラーなんかして!
「ちょっと、出てきます。お昼は外で食べてきますんで」
え、ちょっと! どこ行く気なの? お昼はミク特製のネギうどんなのに! ……気になる、気になる気になる! まさか、兄さん馬鹿がつくほど真面目だから悪い女に騙されてるんじゃ……、アポイントセールスとか、デート商法とか……こうしちゃいられない。兄さんは私が守ってあげないと!!
「ごめん、私も行ってきます!!」
「ちょ、ミク!? あんた、茹でっ放しのうどんどうすんの!?」
「姉さん、お願い! 兄さんのピンチなの! アポイントでデート商法でクーリングオフなの!」
「ちょ、意味分んない!! 待ちなさい、ミク!?」
もう一度、ごめん。と姉さんを振り切って、私は兄さんの後を追って駆け出した。もたもたしたせいで私がマンションの玄関を出た時には兄さんは大分遠くにいたけど、あの無駄に目立つ青い髪とマフラーはごまかせない。絶対追いついて、問い詰めてやる! ううん、相手の女が来るまで待とう。兄さんに変なことしたら、ネギのサビにしてやる!!
<LINK RING 3 ミクの場合>
兄さんが向かっていたのは駅だった。待ち合わせ場所の定番の変な銅像の前で誰かを待ってる。一体誰? VOCALOIDの私たちの知り合いはほとんどがマスターを通した知り合いの筈だから、もし、私が知らない女が現れたら、間違いなくそいつは兄さんを騙そうとしてる悪いやつだわ。許せない!!
「あ」
兄さんが、待ち人が来たのに気付いたのか会釈をしてる。その先にいるのは…………え? あの人、マスターの友達の弱音さん……? なんで、あの人が兄さんと……?
ううん、そんなどうでもいい。問題は弱音さんの目的よ。例え知ってる人でも、兄さん相手にひどいことしたら、ただじゃおかないんだから!
私が尾行していることに気付かず、2人は歩を進める。電車に乗ってどこかへ行くみたい……。ここは同じ車両に乗って2人を見張らなくっちゃいけないけど、さすがに同じ車両にいたら鈍い兄さんでもさすがに気づくよね。どうしよう。
……あ。
「すいません、その着ぐるみ、貸して下さい!」
「はぁ!?」
なんとか、拝み倒して禁煙補助薬のキャラクターの着ぐるみを借りることができた私は、慌てて兄さんと弱音さんが乗った車両に飛び込む。周りの視線が集まってきている気がするけど、兄さんたちには、私だって気付かれていない筈。
「なんでしょうね、あれ。何かのイベントかな」
「さぁ……? でも、電車の中でなんて珍しいですね」
ああん! 電車が混み過ぎてて2人が何話してるのか聞こえない! なに、ちょっと笑いあったりなんかして! 大体、弱音さんと兄さんって特別仲が良かったわけじゃないのになぜ……? もしや、昨日ふらふら家を出たのは、弱音さんに会うためだったの? ていうか、弱音さん、なんであんな胸が大きいのが判るようなシャツ着てるのよ! どうせ、私は小さいもん! でも、貧乳はステータスなんだから!! って、ちょっと、着ぐるみ上からだからって触んないでよ! 鼻にネギ突っ込むよ! おじさん!
電車は、まっすぐ都市部の方へ向かって進んでいく。一体、2人はどこへ向かっているんだろう。そう言えば、私は、私があの家に来る前の兄さんのことを知らない。私と知り合う前に弱音さんと兄さんの間に何かがあったとしても、おかしくないんだ。そう考えると、なぜか、ぞっとした。今まで、兄さんは兄さんで、私にとっては、ある時は頼りになる物知りな年上の男の人で、ある時は私が守ってあげないとすぐに人に騙されちゃうようなほっとけない人で……そういえば、なんで私、兄さんと弱音さんが一緒に出かけるのが嫌なんだろ……。
って、ああん! そんなこと考えてる間に二人が電車降りちゃう! んもう! 行先ぐらいはっきりさせといてよね!! ……って、私、尾行してるんだった。
2人が降りたのは、繁華街より少しそれた飲食系のお店が多い通りに面した駅で、どうやら2人は一緒にご飯を食べる約束をしていたみたい。なぁに? 兄さん、私のネギうどんが気に入らないの? 贅沢にも一人に一本分の刻みネギが入ってるのに! まったく、失礼しちゃう!
って、ああ、また二人を見失っちゃう! この着ぐるみ動きにくいのよ。……しかもなんか、周りに人がいっぱい集まってきちゃうし……もしかして、この変装って失敗だった?
♪♪♪
着ぐるみはロッカーに入れてきた。ロッカーのサイズが小さ過ぎてかなり無理やりいれたために時間はかかってしまったけれど、何とか収めることができた。しかし、その間にこともあろうか2人を見失ってしまった。なんてことだ! オワタ!
「兄さんと弱音さん、一体どのお店に入ったんだろ……」
兄さんのことだから、きっと甘い物が美味しいお店に違いない。私は手当たり次第アイス系デザートがおいてありそうな、いかにも若い女の子が好みそうなお店を覗いて回った。可愛らしいインテリアのカフェ、ケーキバイキングのお店、てっとり早くファミレス、いっそのことアイスクリームショップ。全然見当たらない。お店の人も、中に入るでもなく客席を睨むように何かを探している私を変な眼で見てたけど、そんなの関係ない。とにかく、兄さんを見つけなきゃ!!
そう決心して、次のお店を覗こうとした時だ。
「おかーさーん。おかあさあん。どこー、どこお?」
歩道の真ん中で、お母さんを探している小さな男の子。歳は4歳くらい。髪の毛の色とかは全然違うけど、雰囲気がちょっとレンに似てる。甲高い声でお母さんを呼びながら、きょろきょろしてるけどなかなかお母さんは見つからないみたいで、声は涙と叫びすぎで掠れてきている。なのに、誰もあの子を知らんぷりして通り過ぎていく。
無視よ、無視。今は兄さんの一大事なんだから!
「おかあさあーん! ぐすっ。どこーっ!? おかーさあん!」
だから無視だってば、兄さんが巨乳の魔の手に落ちても良いの? ミク。
「お゛がーざーんッ!! どごおー?」
…………ああん! ほっとけるわけないじゃない!
「ボク、どうしたの? お母さんとはぐれちゃった?」
兄さんのことは気になったけど、私はこの子をほってくことが出来なかった。私だって初めてインストールされたばかりの頃は、外に出るとすぐマスターや兄さんたちとはぐれちゃって、「マスターどこー? おにいちゃんとおねえちゃんどこー?」って、大騒ぎだったもの。その時は、兄さんと姉さんがすぐに見つけてくれたけど、この子はどうやら一人ぼっちみたい。なら……
「なきむしさんはーだあれだ♪ なきむしさんはーどおこだ♪
なきむしこむしはだあれだ♪ なきむしこむしはどおこだ♪
なきむしこむしは おたまじゃくしのだいこうぶつ♪
あたまから がじがじがじがじ たべちゃうぞ♪」
とにかく適当に思いついたフレーズを適当にメロディーをつけて唄ってみる。マスターみたいに上手に作れないけど、それでも、随分前にマスターが私に童謡を唄わせたときの、できるだけ柔らかい声を意識する。
「おんぷの おたまじゃくしが なきむしこむしをたべちゃうぞ♪」
「ぐずっ。な、なきむしこむしって、ぼ、ぼくのこと?」
すると、早速反応が。やっぱり、歌ってすごいなぁ。マスター、姉さんばっかりじゃなくってもっと私にもメインで唄わせてね。
「そうだよー。早く泣きやまないと、おんぷのオタマジャクシがボクをがじがじしちゃうよ。おネギ齧るみたいに」
「おネギはなまのままかじれないよー」
可哀想に。生ネギの美味しさを知らないなんて!
「かーじーれーまーすー。ね、どうしたのかな? お母さんと、はぐれちゃった?」
「ワンちゃん見てたら、はぐれちゃった! おかあさん、ぼくをおいていっちゃった! ぼくいらない子なの?」
「そんなことないよー、お母さんもボクのこと探してるよー。ボクもおねーちゃんといっしょにお母さんさがそっか」
「うんっ!」
今まで泣いていたのが嘘のように、元気よく頷いた男の子の手を取り立ち上がると、もう一度私は彼に尋ねた。休日のこの人ゴミの中、この子のお母さんを探し出すのは一苦労かもしれない。
「お母さんは、どんな人? 今日はどんなおよーふくを着てたかな?」
「わんぴーす、しろいの。かみはながいの」
「そっかー。じゃあ、元気にお母さん探そうねー」
正直、うちに来た時点でリンやレンはあの歳だったから、このぐらいの都市の子にどんな喋り方をしたらいいのかは分らなかった。それでも、この子が怖がらないように言葉を選んで、
「今日は、お母さんと何しに来たのかな?」
「えーとえーと……」
こうやって、この子と落ち着いてゆっくり喋っているとさっきまでの、兄さんと弱音さんに対するもやもやした気持ちをほんの少しだけどうでもいいようなことに思えてきた。さっきまでの状態で、兄さんたちに出くわしていたら、きっと私、弱音さんにも兄さんにもひどいこと言っちゃう。だから、確かにこれで、完全に兄さんたちは見失ってしまったけれど、ある意味、これでよかったんじゃないかな。と、そう思うことにした。
♪♪♪
「ありがとうございます、ありがとうございます! ほら、竜矢、お姉ちゃんにありがとうは?」
「ありがとー!」
意外にも、お母さんはすぐに見つかった。やっぱり、お母さんもタツヤくんを探していたみたいで息を切らしたままタツヤくんを抱きしめたお母さんは、何度も何度もお礼を言ってくれたけど、むしろ、お礼を言うのはこっちの方だ。
「いえ、私も楽しかったです」
「じゃーねー、おねーちゃーん!」
「もうお母さんとはぐれちゃだめだよー」
お母さんに手を引かれ、見えなくなるまで手を振ってくれるタツヤくんを見送って、私はふう、と一つため息を吐く。
兄さんたちのことは気になるけど、兄さんだって子供じゃない。むしろ、私より年上で昔、私が街やPCの中で迷った時にいつも助けに来てくれたのも兄さんだ。姉さんもすぐに私を見つけ出してくれた。いつまでも、兄さんにべったりでいるわけにもいかないし、兄さんは私だけの兄さんじゃない。そんなことは解りきってるはずなのに、今日の私は少しおかしかった。そして、ちゃんと理解した今でも、ほんの少し、胸が痛い。そっか、私、兄さんのこと……
家族だとか5兄弟とか言われている私たちだけれど、血の繋がりは一切ない。家族だけど、家族じゃなくて、幼馴染みたいな、兄弟みたいな。世の中には、うちの姉さんみたいにマスターと恋仲になるVOCALOIDもいるし、VOCALOIDどうしで本当のカップルデュエットを唄う子たちもいる。私が、誰かにこういう気持ちを抱くことは、当たり前だったのかもしれない。でも、今まで気付かなかったのは心理回路ののどこかで私達は家族なんだって思ってたからかもしれない。この気持ちに気付いたのはきっと――
「引き金は、姉さんとマスターかぁ……」
そう小さくぽつりと呟いた私は、背後の存在に気がつかなかった。
「姉さんと、マスターがどうかしたって?」
「いや、だから、姉さんとマスターのことがあったから……って、えええ!? 兄さん!?」
<LINK RING 4 KAITOの場合へ続く>
すみません、まだ続きます