LINK RING 1 マスターの場合

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「父さーん、いっくよー!」
 

「よーし、来い!」


 いつもの土曜日、いつものスタジオからの帰り道、いつもの夕焼け空。
 

 レンの視線は、名前も知らない父子の間を行き来する傷だらけのボールに注がれていた。自然と歩を進めていた足も止まる。風の流れと足音で、今まで自分の後ろを歩いていたマスターとリンが立ち止まった自分を追い抜いてしまったことがわかった。けれど、それよりもあの白いボールが気になる。


 時刻は、6時過ぎ。家に帰ったらちょうど時報。それくらい。薄くオレンジ色に染まったエステル綿みたいな雲以外、何にもない淡い朱色の背景になんどもなんどもボールが舞う。パシン、と革の変な形の手袋に傷だらけのボールが吸い込まれていく様子に、何故か目が離せない。


 子供が投げたゆるい球を父親が軽く受け止め、父親が明らかに手加減をして投げた球を子供が必死で取りに行く。ただ、それだけのことなのに。それだけのことが、レンにはどうしようもなく心惹かれるもののように見えたのだ。


「レーン。置いてくぞー」


「ちょ、待ってよ。マスター!」


「レーン! あと10秒で来なかったらレンのご飯要らないってお兄ちゃんとミクちゃんにメールしちゃうよー」


「リン! お前が言うとそれ、冗談に聞こえねぇ!」


「冗談じゃないもーん。ほら、いーち、にーい、さーん……」


「ちょ、おま! 待て待て待て!!」

 



LINK RING 1 マスターの場合
 
 

 
 

 ガチャリとドアを開けて、
 
 「今、帰ったぞー」


などと、まるで一家の大黒柱のように……いや、こいつらを養っているのは俺なんだから「ように」はいらないか。とりあえず、「帰ってきた」という挨拶をマンションの自室に投げかけても一向にいつもの「おかえりなさい」は聞こえてこない。


 当たり前だ。いつも、俺が帰ってきて一番に出迎えてくれるのはこの家のVOCALOIDの中で一番の古株のMEIKOだが、そのMEIKOは今俺の後ろにいるわけで、むしろ「おかえりなさい」を言われる立場にある。時刻は、日曜日の9時半過ぎ。0時の時報にはまだ遠い。そんな時間。毎週恒例の土日のスタジオ行きの帰りにしては少し遅い。いや、かなり遅い。一応理由はあるのだ。俺の財布と生活的に大きな、な。


 そんなことを考えていたら、やっと俺の声がリビングまで届いたらしく、中からドタドタと騒がしい足音がアスファルトを真っ平らにしていくような地響きを立てて近づいてくる。……リンだな。


「ずるいずるい!! マスターとおねーちゃんだけ寄り道したんだ! 2人だけでおいしーもの食べたんでしょ! 昨日、アタシとレンの時は帰りにみかん一つ買ってくれなかったくせにー!! マスターの馬鹿―!!」


「おいおい、おかえりなさいの前にそれかよ」


 マスターは、リンをそんな娘(こ)に育てた覚えはありません。


「オカエリナサイ」


「……お前な。MEIKOとは前々から約束してたの。おまけに、お前らの間食にいちいちつき合ってたら俺の財布が干からびるわ」


 俺たちのいる玄関に姿を現したとたん、おもっきりタックルをかましてくるリンを受け止める。こいつ、ちっこいくせに妙にパワーがあるから厄介だ。その辺は歌声からの影響なんだろうが、ここまで強いとネタじゃなくマジでRRを持ち出してきそうで怖い。レンがいくばくか控え目なのが唯一の救いだ。こんなのが2人もいたら耐えられん。まぁ、2人とも可愛いんだが。


「ただいま、リン。マスターは今日、あたしのせいで余計にお財布干からびちゃってるのよ。我慢して、リン。明日、ケーキ焼いてあげるから」


「こんどは、お酒の入ってないのを作ってよね!」


「はいはい」


 頬を膨らますリンをなだめるMEIKOは、いつものセパレートタイプの衣装ではなく、ワインレッドのマーメードラインのシンプルなドレスに白のストールを肩にかけている。俺もいつものTシャツに柄シャツではなくかっちりしたスーツ。つまり、今日行った店はそう言う店だということだ。メニューを見たときの俺の財布の悲鳴を察してくれ。MEIKOに渡したものも含めるととんでもない金額になった。一度にこんなに金を使ったのは初めてかもしれん。


「なぁに、リン。その言い方。私と兄さんが作ったご飯に文句があるの?」


 リンに続いて現れたのは、意外にもリンの片割れのレンではなくミクだった。片手にお玉を持ち、主である俺には目もくれず、俺とMEIKOだけで外食したことを非難したリンを仁王立ちで見ていた。普段怒らないこういう娘が怒ると一番怖い。


「だってぇ、ミクちゃんのお豆腐のハンバーグも、お兄ちゃんのパンプキンポタージュも美味しかったけどー。マスターとおねーちゃんだけ、お外で食べるなんてずるいじゃん。お兄ちゃんも、なんか黙って出掛けちゃうしさー」


「なんだ、KAITO出掛けてるのか」


 意外だ。よそのKAITOは知らないが、うちのKAITOは生真面目を絵に描いたようなVOCALOIDで、意味もなくこんな時間にミク達だけを残して出かけるなんて珍しい。ミクは、俺の声に視線を俺とMEIKOに寄こし、少し小首をかしげて微笑んだ。
 

「お帰りなさい、マスター、姉さん。兄さんは、ご飯もそこそこに出てっちゃったの。多分、2人のこと兄さんは複雑に考え過ぎてたから、頭冷やしに行ったんだと思う」


「あいつ、VOCALOIDのくせに石頭だからなぁ……」


「頭の中が前時代的なのよ、あの子は。ミク、ただいま。レンは?」


「おかえりー、おねーちゃん。レンは、なんかずっとネットしてる。昨日から何かそわそわしててスポーツページとか見てるけど、何調べてんの? って聞いたら、なんでもないっていうのよ。おかしいでしょー」


 おい、マスターである俺には、明らかに棒読みの挨拶をするくせにMEIKOにはそれか! MEIKOもMEIKOでそれを咎めようともしないで、話を続ける。おいおい、お前くらいは主人を立ててくれよ。


「また? 昨日の夜もあの子何か調べてなかった? 昨日のも確か、スポーツ系のページだったと思うけど……野球だったかしら、サッカーだったかしら? とにかく一瞬でよく見えなかったけど……」


「ご飯のときも、気もそぞろな感じだったよね」


「ねー」


 そう言えば、昨日のスタジオの帰り道もレンはぼんやりしていた気がする。昨日の収録はリンもレンも全くと言っていいほど問題がなかったし、苦手な滑舌もかなり頑張っていた。心残りがあるようには見えなかったが……、そう言えばレンの様子がおかしくなったのは、スタジオと言うよりむしろ帰り道だったような気がする。……なにかあったっけ?


「とりあえず、いつまでも玄関で団子にならない! さっさとリビング行きましょ。気になるんだったら、もう一度レンに聞けばいいじゃない」


 MEIKOに肩を押され、PCのあるリビングに行くと話通りレンがなにやら真剣な顔をしてモニターを覗いていた。あの無駄にふあふあした金髪のすんごい量の前髪でモニターの内容は見えない。


「何調べてんだ? レン?」


「うわっ。マスター!? 帰ってきたならなんか言えよ!」


「いや、一応俺はちゃんと帰ったぞって言ったぞ」


 よほど真剣に調べ物をしていたらしく、俺たちが帰ってきたことにも気づいていなかったらしいレンは、なぜか必死でモニターを体全体で隠そうとしている。あやしい。ひっじょーにあやしい。


「レン、お前何見てたんだ? もしかして、女の子には言えないアレか? だとしたら、お前にはまだ早いぞ。通販雑誌の下着のページで我慢しなさい」


「あんた、自分のVOCALOIDなんだと思ってんだ!」


 大体、あんなので喜ぶのはあんただけだ! というレンの言葉に反対したい。あれはすごいだろ。ただで下着のおねーちゃんいっぱい見れるんだぞ。ただで! しかも、みんなモデルさんだからウェストが綺麗に引き締まってるんだぞ!


「……マスター、それ以上言うと叩き潰すわよ」


 MEIKOさん、何を叩き潰すんですか……?


「そ、それより、マスターにメイ姉。どうだったの? 高級レストラン。やっぱうまかったんだろ?」


 お、いっちょ前に話をそらしやがった。


「味なんて分んなかったわよ。マスターかなり張り切っていいお酒用意してくれたみたいだったけど、ソムリエの話聞いてたら、眠くなっちゃって……」


「おいおい、俺の頑張りは無駄だったのか」


「あら? 雰囲気には酔えたわよ。夜景もきれいだったし、テーブルクロスの模様とか、蝋燭の明かりとか」


 うふん、といつもとは違う紫色のアイシャドウに飾られた瞼を片方だけ閉じたMEIKOがそう言うのなら、今夜は大成功だったと言えるわけだ。いや、しかし、俺の財布はシベリアのようだが。


「ねーねー、それより、見して! 見して! 指輪!」


「そうだ! 忘れてた! おねーちゃん、指輪見して!」


 こらこら、せめて見せて、と言えよ。平成っ子どもよ。リンに至っては「見ちて」になってるぞ。誰だ、こんな調声したの。……俺か。


「もう、急かさないでよ。ほら、こーれ」


 そう言ってMEIKOが自慢げに2人の妹に見せたのは、左手の薬指にあるルビーが鎮座したシンプルなデザインの指輪である。


 そう、今日俺がMEIKOに渡したもの。それがこの、俺の給料3カ月分だ。


 もとはと言えば、まだMEIKOが来たばかりの頃の話に遡らなければならない。曲を作ってMEIKOに唄わせるも全く再生数が伸びない俺。しかも、ずっと憧れていた会社の女の子に振られ、同級生の結婚式が相次いで、同期の奴が課長に昇進。だんだん自暴自棄になって曲を作るのすら嫌になってきたときに、バーを経営している友人にMEIKOともども誘われた酒の席で、MEIKOが俺に行った冗談が原因だ。


「マスターの作ったあたしの曲が殿堂入りしたら、お嫁さんになってあげるわ」


 この時はそんなときが来るわけがないと思っていたため、俺は安請け合いしてしまったが、MEIKOは本気だった。俺が適当なことをして逃げ出そうとしたら、はたいてでも性根をたたきなおしてくれたし、迷ったり、困ったとき、不安なときはただ話を聞いて頷いてくれた。そのうち、KAITOが加わり、ミクが加わり、リンレンがやってきて、俺の調声もだいぶ上達して、ついにとうとう先日、あの日の約束通り、MEIKOの唄う俺の曲が、殿堂入りを果たしたのだ。


「わー、きれー! これ、ルビー?」


「そうよ。高いのよー。なんてったってマスターのお給料の3カ月分だもの」


「ネギで言うとどれくらい?」


 今現在、人間と人間以外の結婚は法律上認められていない。VOCALOIDであるMEIKOもその例外に洩れないが、結婚とは心の問題だ。互いが互いをパートナーだと思っていれば、相手が例え宇宙人だろうと未来人だろうと異世界人であろうと超能力者であろうと問題はないだろう。


 俺は、今日、MEIKOにそう言う気持ちをこめて、きっちり給料3か月分の指輪を贈ったのである。


 あら、私の誕生石のトパーズじゃなくてルビーなのね。と、MEIKOは笑ったが、別にMEIKOの発売日(たんじょうび)や誕生石を考えなかったわけじゃない。ただ純粋に、MEIKOには、トパーズよりもルビーの方が似合う。そう考えたのだ。


「いいなー。きれいだなー」


「うん、ほんと奇麗。いいな、私もいつか欲しいな」


「なら、まず相手を見つけなきゃ」


「えー、むりー!」


 そうやってきゃいきゃいと笑い合う女の子3人を見て、ちょっとだけため息が出る。ほんのついさっきまで、二人して改まった雰囲気のなか、がちがちになっていたのに家に帰ってきたとたんこれだ。……こういうのを家族っていうんだな、と考えると、妙に照れくさくなってしまうから不思議だ。世間の目とか、堅物すぎる俺たちの上の弟のことは一応気になるけど、何とかなりそうな気がする。これが、家族なんだな。と再確認する。頬が自然と緩む。


「レン、お前も俺の給料3カ月分の美しさを見ろ! 姉さんの指に映えて奇麗だろ。MEIKOのために作ってもらった特注品だぞ!」


「……うん、奇麗だね……」


 調子に乗った俺は、さっきまでPCに齧りついていた下の弟にも浮かれた声で感想を求めた。が、返ってきた返事はこの通りだ。どうやら、この家族の問題は、上の弟だけではなく下の弟にもあるらしい。一体、どうしたんだ、レン。



<LINK RING 2 ハクの場合に続く>

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