サンデー・ラブジェット・ジュース

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――甘くて苦い夢を見せてあげる。



毎週、日曜日の午前中に私たちはカフェで時間を過ごす。
「だっからさぁ、マジやめたほうがいいってあの男」
毎度毎度の台詞を吐き、彼女は思いっきり顔を顰めた。思わず、呟く。
「そういう顔してると、不細工になるよ」
「あーんーたーねーっ」
その私の言葉に、彼女はああもうっと髪をわしゃっとかきむしる。
「どうっして、そうなのっ!? 自分大事にしなさいって何度も何度も何度も何度も言ってるでしょッ!?」
「してる」
「どこがっ!?」
「全部。もー、うるっさい。おかーさんじゃないんだからいい加減にして」
たんっ、と音を立ててコーヒーのカップをテーブルに置いた。同時に、彼女は黙り込む。ふっと短く息を吐いて、ゆっくりもう一度カップを持ち上げて口をつけた。砂糖もミルクもない苦い水を喉の奥に流し込む。
毎週のことだ。彼女はバイトが昼からで、私は完全にオフな日曜日。夜行性の彼とは午後からしか会うことはないから、午前中はこうしてだべって過ごす。その度にこのくだらない会話が繰り返され、毎度毎度私は午前中の苦い水を飲み干している。なんて発展性のない二人だろう。
「ねー」
「何よ」
「あんた今、自分のこと大事にしてるって言ったよね」
「言ったわね」
「じゃ、なんであの屑男と別れないの?」
……くず、おとこ。
あんまりにあんまりな発言に、私は思わず自分の瞼を軽く揉んでしまう。
「付き合ってる本人に向かってそういうこと言う」
「言うね」
悪びれもせず、彼女は言う。なんというかもう……どうしようもない。
どうすれば黙るだろうかと数秒、思案した。それから、端的に言葉を紡ぐ。
「愛してるから」
にこっと微笑んで見せた。彼女は猫がネギでも食べたかのような顔をしてしまう。
これもまた、毎度のことだ。彼女もいい加減慣れて来たのだろう、ふうとため息を吐くと椅子の背にもたれて伸びをした。
「どこがいーの」
「全部」
「盲目」
「恋してますからね」
そう。彼女の言うこともまぁ、あながち判らないわけじゃない。屑男、ってのはさすがにあんまりにあんまりだとは思うけれど、似たような評判ならきっと誰の口からでも聞けるだろう。
私の、彼。
まぁ、逢って一月までならいいイメージを誰もが保っていられるんだろう。顔も、服のセンスも、気遣いだって悪くない。端的に言えば『モテる男』だろう。実際、私をうらやむ声だって少なくない。
ただ――
「あたしは、悲しいよ。あんたが恋してて」
親友はこんなふうに漏らす程度の男では、ある。そればっかりは否定のしようがない。
「ねぇ、気付いてる? あんた、すんごいいい女なんだよ?」
「ハハ。お世辞ありがと」
「お世辞じゃありません」
ぐっと、今度は身を乗り出して目を覗き込まれた。
「髪綺麗だし、落ち着いてるし、ちょー姉御肌だし、酒強いしおっぱいでかいし」
「最後ふたつ黙ろうか」
「それも含めてみーりょくーなーのっ。判ってる!?」
――もしも。
ふと、心の中で私の中の私が囁いた。
――もしも『判ってるわよ』って答えたら、あんた、どんな顔するの?
判らないはずが、ないじゃない。私はそういう私を作り上げて生きてきているのだから。なにもかも計算ずくだなんて知ったら、あんたどうせ引くんでしょ? 友達面もしていられないんでしょ?
カップの底に僅かに残った苦い水を飲み干した。
これだって、そうだ。
甘いものが好きだけれど、日曜日の朝に飲む物は甘いジュースよりコーヒーのほうがいい。だってそのほうが『いい女』を演出できるでしょう?
――私はたぶん、私を誰よりも理解している。
こんな醜い計算をしている私を理解して、それを誤魔化す術すらきっちり身につけている。それで構わない。
そうして身体中から甘い蜜の香を漂わせるの。蜜蜂を誘うの。でもね、花はただ咲いて餌を与えるためだけに蜜の香を漂わせているんじゃないって、気付くべきよね。誰も彼も。
蜜蜂が蜜を欲しているように、花だって蜜蜂を欲しているのだと。
「――まぁ、そう思ってもらえるなら嬉しいけどね」
照れたような苦笑を浮かべて見せて、私は曖昧にはぐらかす。
「……ま、あんたあたしがこれ以上言っても別れる気ないんでしょ」
「判ってるならこれ以上言わないでね?」
不満たらたら、といった顔で彼女は軽く肩を竦めた。それから、ふいに思い出したように机の下においてあった紙袋を持ち上げる。
「何?」
「めーちゃん。お誕生日おめでとう」
言葉と同時に、小さな袋が取り出された。近場のアクセサリーショップの袋……のようだ。
「わっ、誕生日プレゼント? 嬉しい、ありがとう」
「感謝しなさい。あーあ。こーんな心優しい親友の忠告も聞かないなんてねぇ」
「ね、これ開けていい?」
「人の話聞けよ」
聞きません。
とりあえずダメとは言われなかったので袋を開けてみる。中から滑り出てきたのは――
「可愛い。ブレスレット」
アジアンテイストな大振りのブレスレットだ。そっと左手首にはめてみる。
「似合う?」
「似合うに決まってるでしょうが。あたしが選んだのよ」
「あはは。感謝してます、大親友さま」
笑って、カフェの時計に目をやった。
「あ。ごめん、私そろそろ行かなきゃ」
「待ち合わせかー。あーあ、行かせたくなーい。あたしとラブラブデートしよー、そっち蹴って」
「やぁよ。私は逢いたいの」
連れ立ってカフェを後にする。駅までの短い距離を並んで歩いていく。彼と歩くときよりずっと遅いスピードで。
「今日もおうちでだらだらデート?」
「ううん。今日は遊園地」
言うと同時に、彼女が足を止めた。つられて私も足を止めて、数秒、見詰め合う。
「……無言にならないでよ」
「……いや、だって。びっくりして。ゆうえんちとか聞こえたんですけど何の冗談」
「冗談じゃないわよ。これから遊園地よ。ジェットコースターに乗ってきゃーきゃー言って、観覧車に乗るのよ。素敵でしょう?」
「どこの中学生カップルよそれ」
唖然とした表情で呟いて、彼女はようやく歩を再開させた。が、駅構内に入ってもまだぶつぶつ呟いている。
「あんたはともかく、あの男がゆーえんち。ゆーえんちと来たか。あー……詐欺。見た目からして詐欺」
「詐欺言わない。もー。じゃ、私はこっち方面だから」
彼女のバイト先とは逆方向を示してみせる。やはりどこか複雑な顔を見せて、それでも彼女はようやく笑った。
「ま、いいわ。せいぜい楽しんでらっしゃい。最高の誕生日になるように」
「ありがと。じゃ、またね」
手を振って別れる。
――最高の誕生日になるように、か。
なるに決まっている。いつもどおりの、くだらなくて幸せな日曜日と変わらない、最高の誕生日に。
そして。
胸中で、囁く。
蜜の香を漂わせて、あの人を捕らえてあげましょう。夢を見せてあげましょう。私が貴方に溺れているという甘い夢を。そうして、溺れさせてあげる。私という蜜に絡まって、飛べなくなってしまえばいい。捕らえてあげる。そう、ちょうどこのブレスレットのように、貴方をくるっと囲んであげる。
貴方が私を欲しいんじゃない。
――私が貴方を欲しいだけ。
そのことにすら気付かない、甘い夢を見せてあげる。
電車を降りて、あの人との待ち合わせ場所へ向かう。少しだけ駆け足になって、息を弾ませて。

――さあ。甘くて苦い、最高の日曜日をはじめましょう。

――Fin.

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