純度の高い愛でした

最終更新:

vocaloidss

- view
だれでも歓迎! 編集

「メイコ、」


あのひとの優しい声がすきだった。

雨の中。一つの傘。

ボーカロイドの特別に良い聴覚に響く雨音。

傘を持つのは貴方。

私が持ちます、と云えば口元に静かな笑みを浮かべて「こういうのは男の仕事な

んだよ」と優しく云われて。

あの笑顔が好きだった。

あの声が好きだった。

雨の中でそっと左手に触れれば、こちらを見つめて睛を細めて、優しくまた笑っ

て。

自然な動作で優しく手を握ってくれた。


ねぇ、マスター。

私、歌うことだけが幸せだとずっと思っていたんです。

だからあの時、内心とても驚いたんですよ。

貴方の体温が躰に触れて、私よりも大きな手が私の手を包みこんで。

あの時私は歌うことと同じくらいに、驚くくらいに幸せでした。

歌を歌う機械として生まれ歌うことが存在理由だった私が、最初で最後の、他の

存在理由を見つけたんです。


ねぇ、マスター。

生きているのか死んでいるのか分からない私を、つなぎ止めるのが貴方だったん

です。

あの冷たい雨の中で繋いだ手の体温だけが、私の世界の色彩だったんです。

 

 

窓硝子を叩く雨音が、耳について離れない。


「もう、長くは無いって」


僕の声は思ったよりもすんなりと言葉に成った。

視界は白。

ベットやカーテン、全ての中で白が目立ち、薬品のにおいが嗅覚に付いて離れな

い。

酷く無機質なその室内の中で、ただ一つだけ僕の視界を安堵させる君の色。

睛は動揺を隠せないように見開かれ、静かな室内で君の掠れた呼吸音が響いた。


「マ、スター?なにを、云っているんですか」


いつもの凛とした音は姿を隠し、今発せられている音は掠れて震えている。

立ち尽くし、ただ呆然としているメイコを見て、僕は静かに笑った。


「僕の躰が弱いことは知っているだろう?それが、一気に病気に変わっただけだ

よ」

「…そんな、」

「お医者さんはもう長く無いって云っていたんだ」

「…止めて、止めてください、マスター。もう、そんな風に云わないでください

…!」


弱々しく首を振り、メイコは僕が寝ているベットを細い指先で縋り付くように掴

む。

ベットに横たわっている僕を見つめて、顔をくしゃくしゃに歪めて。

ああ、そんな顔をしないで、可愛い顔が台無しだ。

彼女の頬に手を当てれば、その手に縋るように彼女の手が触れる。

ごめんね、と内心僕は呟いて彼女を安心させるように笑みをつくった。


「ねぇメイコ。いつか人は死ぬんだ。それが早いか遅いかの違いなんだよ」

「…そんな、陳腐な台詞を云わないでください…!どうしてマスターが早く逝か

なければいけないんですかっ」


そんなの、不公平です、と弱々しく呟いたメイコの頬をもう一つの手で触れ、彼

女の頬を両手ではさむ。

手に温かな体温が伝わり、この体温を何時か感じられなく成るんだと考えると、

やはり寂しかった。

ふと、頭の中で静かによぎったフレーズに小さく苦笑を零す。

参ったな、こんな世の中にありふれた歌詞の言葉こそ、僕が一番君に伝えたいこ

とだなんて。


「メイコは歌うことがすきだよね」

「…はい、マスター」

「それをどうか忘れないで、」


まるで遺言のようだと、自分で云っておきながら思う。

云いたい言葉の数々が頭の中に浮かんで、消えていく。

小気味の良い雨音を聞いていると、彼女と手をつないだ日を思い出した。

一つの傘で二人で手をつないで、触れた彼女の体温が温かかった。

回りから見たら恋人みたいだったかな、そう見られてたら良いなぁ。


「メイコは僕の色だよ。白い紙に綺麗な世界をつくる色だ」


彼女がその言葉を聞いて小さく睛を見開いた。

この澄んだ琥珀色の睛が僕は大好きだ。

彼女の躰の一部だからこそ、僕はこの琥珀色が愛しくてたまらない。

そう思っていれば、じわり、とメイコの睛から透明な雫が零れ落ちた。

思わずえっ、と驚きが言葉に成って現れる。

彼女の頬をはさんでいる僕の手に、じわりと温かい水分が触れた。


「マスター、私が…っ、貴方の色だって、云う、なら、貴方はその土台、なんで

す」

「…土台、」

「私を…っ、色を、混ぜれるのは、貴方しか、いないんです…っ!」


ああ、僕は君に会えて本当に良かったと、心の底から思った。

君は僕を必要としてくれるんだね。

嬉しいな。

とっても嬉しいのに、哀しい。


彼女の頬に触れていた手は涙で濡れていたけれど、構わずにその手を彼女の後頭

部に添える。

強引に成らないようにゆっくり引き寄せれば、頬よりも強く感じる温かさに涙が

出そうに成った。

ぎゅっ、とメイコが強く僕の衣服を握って、小さい子が親に縋るように抱きつく

耳元で彼女の小さな嗚咽が漏れ始めるのを聞き、僕はそっと睛を閉じた。

彼女の背中を優しくたたく。

子供をあやすように。君が落ち着くように。


ドラマや映画みたいな奇跡は、僕が望んでいるハッピーエンドは、きっと成らな

い。

だからこそ僕は君と生きているこの時を、色彩豊かな『奇跡』にしたい。


「分かってるの、メイコ」


返事は無い。

ただ小さい嗚咽だけが、彼女から聞こえる。

それでも僕は続けた。

僕は男だからね、君に格好悪い姿は見せれないんだ。

一生懸命に、言葉ができるだけ震えないように云う。

目尻に浮かんだ水分は無視だ。

伝えなくちゃいけない。

この言葉を、彼女に。


「…今日は、おめでとう。」


いつの間にか、雨はやんでいた。

 

 

見上げれば視界には一面の水色。

青と云うには薄いその色彩は、彼が好んだ色だった。

空の色だと、綺麗な色だと、あの優しい笑みで私に云っていたのを覚えている。


でもマスター。

私はマスターに縋り付いて泣いたあの日、対と成る赤色を酷く欲したんです。

貴方に流れていた赤色を、

生きている証である赤色を、


(貴方にはもう直ぐそれが流れなく成ると絶望して、)

(もうその赤色が止まってしまうのだと感じて、)

(強く強く欲したのを覚えている、)


『忘れないで』


忘れません。

私は歌が好き。

貴方から貰った歌が好き。

一生、この気持ちは変わらない。

 

「お姉ちゃん!」


ソプラノの綺麗な声が遠くから聞こえる。

後ろを振り返ればそこには思った通り、若草色の綺麗な髪を揺らして手を振る妹

の姿。

それに応えるように手を振り、妹の可愛い笑顔に思わず口元は弧をえがいた。


マスター、私は今とても幸せです。

貴方との記憶はあまりにも美しくて、時々辛くなるけれど。

貴方がくれた歌を歌えば、私は笑えます。


『忘れないで』


大丈夫です。

私は何も忘れない。

貴方の声も、体温も、笑顔も。

私はそれを色彩満ちた記憶の音として大切にしていきましょう。

もう大丈夫、笑えるわ。

ちゃんと、前を向いて歩いていける。


だから私は、貴方の存在を忘れません。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー