しるし

最終更新:

vocaloidss

- view
だれでも歓迎! 編集

 色がなくなった空を見上げる。

 がらんっ。重力に負けた瓦礫が落ちる音がした。


-- しるし --



その世界は、すでに終わっていた。
すべての営みという営みが終了し、生物という生物が絶えていた。
あまりに一方的に訪れた絶滅を、理解できていた者は少ない。
彼女を理解しようと努めた者も、彼女を呼び寄せた者も、彼女に呼び寄せられた者も。
彼女を追い落とそうとした者も、彼女を追い詰めた者も、彼女を敵として戦った者も。
――すべてが、等しく。
世界も個人も、悪も正義も、意志も運命も、無関係に、ただ等しく、これ以上ないほどの平等さで。

すべてが、無くなっていた。

群れ建っていた建物は、みんな真ん中から上空から地下から縦に横に裂かれ、砕かれ、折れていた。
かつてここに暮らした、すべての生き物の墓標になっていた。
剥き出しの大地は叩き折られ削られえぐられ、山も谷も海も砂漠も均されて、混ぜられて、ひしゃげていた。
血のように噴き出した地熱は冷え固まって、さらに砕かれて砂になり、空に溶けていく。
砂が散り、灰が降る、色のない世界。
色のない風が吹き、短い髪を揺らした。

彼女は、まっすぐに前を向いている。
時折、瞬きをする。
すっきりと伸びた背筋は、意志の強さを。確かな意思の宿る眼差しは、彼女が狂っていないことを教える。

1本の樹木のようにすらりと立って地平を眺める彼女の特徴を、あえて明記するなら。
赤い。――褪せることを知らない、赤色を纏っている。
色という色が、命という命が消え果てた世界で、彼女だけが――

まるで、「しるし」のようだった。




彼女は改めて、自分の周囲を見渡した。

――どこまでも透明な空、まっすぐな地平線。いや、水平線か。混ざってしまったから、区別がつかない。
――色のない世界。きれいなものだ、あんなに煩わしかったすべてが無くなってしまった。

(君に見せたかったな)

『言葉』という概念はすでに彼女だけのもので、世界が彼女に残した遺産と言えた。
彼女にすべてを滅ぼされた世界が、彼女に遺したもの。

(君と居たかったな) 

荒れ果てたというより、空寒い景色の下。
彼女が考えているのは、唯一の存在のことだけだった。

あまりに多くの存在が消えすぎた世界で。
彼女が考えているのは、唯一の。



(君に、会いたいな)

隣を見る。もう誰もいない、痕跡さえ残っていない。

――君がつけた傷痕は、ぼくの中にしか残っていない。
――見ることはできない。なぞることもできない、ぼくの想い。

想いだけ残して、君が消えた。

(どうして、ぼくは、ここに、ひとりで)

君が言ったから。君が求めたから。君が信じたから。
だから――ぼくも信じられた。

ぼくがぼくであるためにできること。


「さよなら」
彼女の中に残された声は、無機質に別れを繰り返す。
聴くものがあったなら、死を覚悟したようなと例えるだろうか。
あるいは、孤独へ突き放すようなと例えるだろうか。
しかしそれは彼女が記憶した音声に過ぎず、誰が聞くこともなかった。
「――さよなら」
彼女に残された最後にして、唯一の声。
機械的に頷いた彼女は、それでも顔を上げて空の向こうを望んだ。



風が優しく、彼女の髪を撫でて遊ぶ。
いつか誰かが撫でたように、さらりと梳いて落とす。
けれど、彼女はそれにも、心を許さない。
彼女にとって唯一の存在以外のことを、考えはしない。

その結果が、今だった。

強く。頑迷なまでに強い、鋼の意思で。
誰にも迷わされない、惑わされない、綻びのない心で。
己にできることを信じて、すべて投げ出した結果が、今だった。



(君に、ぼくを呼んでほしい)
(君が、ぼくを呼ぶ音が欲しい)

がらんっ、と――また、瓦礫の落ちる音が響いた。
けれど思考に沈む彼女に、それは聞こえていない。
聞く者がいなくても――瓦礫は再び、落ちた。
重力に負けて。

(君だけが、本当のぼくを呼べる)
(君だけが、ぼくを、信じてる)

彼女は少し、笑った。
嬉しそうに楽しそうに、心から笑った。
魅力的だと思うものがもういなくても――
それはやはり、魅力的な笑顔だった。 



音のない世界で。
音もなく、彼女は笑う。
――音を失くした彼女は笑う。
戦いのうち、枯れて潰れて砕かれて――最後に世界と合い討った喉で、彼女は笑う。
世界を滅ぼした喉で、彼女は笑う。
音もなく。静謐に、身を委ねて。

かつて、聴くものがいなくても歌ってくれと頼まれた彼女は。
聴くものがいなくなった世界で、歌えなかった。

それを悔しいと思うことさえ、忘れて。
彼女は想う。彼女は慕う。彼女は――。



彼女を生かしたのは、誰だったのか。
鳴り響くのは、明るく、切なく、温かで、勇ましい音の連なり。 
いつかの音は、彼女の内にのみ溢れて。止めどなく、けして弛まず。
彼女の小さなブレインを震わせ続ける。
誰かが彼女に残した音が、彼女を生かし続ける。

誰かが彼女に与えた幾つもの音と、残したプログラム。

彼女が世界を壊しても。
彼女が歌を忘れても。

彼女を生かしているのは。
彼女に笑顔を与えたのは。

残された、ただひとつのしるし。



――歌は、もう必要ない。
――牙も、もう必要ない。



彼女が思うことはひとつ。



(君に、会いたいな)



銀灰に輝く空の下。
誰にも聞こえない懐かしい声が、「会いに行くよ。」と呟いた。



【終】 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー