伝説の忘れられた一羽のハト (5)

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  (自ブログに転載) 

 

 

 文:tallyao

 

 

 5

 

 

 

 風雨に軋む鳩舎の中で、全てのハトたちは静かにうずくまり、外の嵐の音以外には何も聞こえなかった。
 母屋では、窓ががたがたと鳴った。その窓際に、鳩舎の主人の息子、金髪の少年は、しかし外を見ることもなく、うなだれて椅子に掛けていた。体を動かしでもすれば、気がまぎれるかもしれない。しかし、嵐が来て以来、何日もハトたちは動いていないし、この悪天候で少年が母屋の外に出る理由もなかった。
 ……緑の少女とユーリスを乗せた船が、遭難したという知らせがL.J.レオン鳩舎にも届いてから、丸一日以上も経っていた。この嵐は、途切れることはあっても、嵐雲は向こう何日も去らないだろうという予想と共に。
 ユーリスも、緑の少女も、一度に少年の前からいなくなってしまうのか。少年の握り締めた手は震えたが、うなだれる他に、何もできなかった。
「いつまでそうしてる気なの」
 もう半日もそうしている少年に近寄り、双子の姉が怒鳴りつけた。
「……どうしようもないでしょう」
 少年は双子の姉の言葉にわずかに上体を動かすように見えたが、結局、うなだれたままだった。
「思い入れだとか、期待だとか……」やがて、姉は抑えたように、震える声で、低く言った。「何の意味があるのよ……」
 金髪の少女はそのまま、弟をじっと睨んでいたが、やがて、無理に視線を引き剥がすように振り返り、歩み去った。
 ……しばらくして、少年は姉に怒鳴られたからというわけでもないが、緩慢に立ち上がった。窓の外の風雨が、ほんの少し穏やかになったような気もしたからだった。断続的に雲の途切れている箇所があり、それが少しずつ移動しているとも聞いている。
 少年は、うずくまっているハトたちの様子を一度見ておくためにも、とぼとぼと母屋を出た。扉が、さびしげに軋んだ。
 外に出て鳩舎に向かおうとしたとき、急に風が、ほとんど止まるかと思うほど弱まった。のみならず、上から日光が差し込んできたので、少年は思わず立ち止まって、見上げた。雲がわずかに途切れていたのだった。
 わずかな雲間に、さらにわずかに輝く光が差し込んだ。その中に、影になって、小さな姿が見えた。ゆっくりと舞い降りてくるのは、鳥の姿だった。そのとき、その小さな足に、差し込む日光を照り返し、かすかに光がきらめいた。
 ──黄金色の光が。
 少年の目が見開かれた。その瞼が、瞳が、震えた。
「ユーリスだ!」
 少年は天を仰いだまま、ありったけの声で叫んだ。
 扉を勢いよく開け放ち、双子の姉が飛び出してきた。金髪の少女は、弟とまったく同じまなざしで、天を見つめた。空を舞うようにゆっくりと回りながら降りてくる、小さな灰色のハトを、少年と同じように、その瞳の中に宿して。
 金の足環と、救助の通信文の入った筒を足につけたハトは、まるで今とびたったばかりであるかのように弱りも傷つきもせず、翼をその生気と英知に、日の中に輝かせて、少年の手の中へとゆっくりと舞い降りた。

 

 

 

 そのあとの手記の記述は簡潔だった。通信文に記された状況や位置と、ハトの飛行時間の推定から、救助が差し向けられた。何者も抜けられない嵐を潜り抜けて、災害から幾多の人命を救った名もないハトを、今度こそレース協会は、並ぶものないハトとして記録した。それ以外の者も、惜しみなく賞賛を送った。命を救われた人々と、それ以外にもそのハトを称える人々の手によって、その黄金の足環にはさらに、人類すべてからの感謝をそのハトにこめて、Homerの永遠の記録(Homerが『ホメロス(大伝説家)』と『伝書鳩』のどちらなのかは、結局手記には記されていなかった)なる文字が刻まれた。
 しかし、ユーリスはおそらく、人間のために飛んだのではないだろう。あるいは人間を救うためではなく、ましてや人間に称えられるためなどに、飛んだのではないだろう。
 にも関わらずハトはただ飛ぶことで、それぞれ個々に思いを託す人間たちの、それぞれ別々の思い、そのすべてに対して報いたのだった。

 

 

 

 その後、人間や馬その他の動物であれば、表彰でもされて穏やかな余生を送ったところかもしれない。しかし、ハトには表彰も何も関係のないことだ。L.J.レオン鳩舎のユーリスは、そのままレースに、またしばしば通信に、飛び続けた。やがて、緑の少女は成長し、その土地を離れて都会の学校へと移り、鳩舎を訪れることも、ハトを見ることもなくなった。その後も双子の姉弟から欠かさず送られてくる、レースの経過と連絡を除いては、その女性の知ることも少なくなった。あとの記述はすべてその女性の伝聞となり、まばらになった。
 手記の最後の方には、その伝聞のひとつ、年老いたユーリスが州境をまたぐ飛行に出かけ、ついに鳩舎に戻らなかった、と記されていた。そこで、ユーリスの飛行の記録も終わっていた。世界が、世紀なかばの次の大戦に突入し、おびただしいハトが戦争の道具として、戦場を飛び交う時代を迎えるのを待つまでもなく。
 しばらくはユーリスの消息、拾った者や見かけた者などの連絡が請われたが、ほどなくして打ち切られ、後はそのまま探る者はいなかった。
 その先、ユーリスの最期はいまや、初音ミクだけが知っている。州境で、老いたユーリスは渓谷に迷い込み、そのまま帰らなかった。賢いユーリスでも、自分の羽がさらに弱り、そこに迷い込めば逃れられないことを、知らなかったのだろうか。それとも──”空の墓場”についての説話の通り、そうと知って、地上の人の家や人の手の中ではなく、空の上で死ぬことを、みずから選んだというのだろうか。
 だが、後の者の想像など、すべて空を駆けるハトの心からくらべれば、卑小きわまりない。ハトのその心は、誰にもわかりはしないのだ。
 ともあれ、ユーリスは人々の認知、記憶と記録から忽然と消滅し、初音ミクにその足環が見出されるまで、旧時代からの長い歴史を通じて、誰ひとり思い出す者もいなかった。あるいは、緑の少女は、大人になってからこんな手記を記すほどなので、伝説のハトとなったユーリスのことを、ずっと後まで、最後まで忘れなかったに違いない。あるいは、最後まで捜し続けていたのかもしれない。しかし、その女性が生きていたのも、はるかな昔、旧時代のことなのだ。

 

 

 

 初音ミクは色あせ朽ちた資料の数々と埃の積もった地下室から、地上に、建物の外に出た。しかし、その管理区の建物も、包みこむのは大気と光ではなく、汚染された濁った空の下だった。
 しかし、ミクはその空の下にひとり佇んで、両手を、その掌の上の金の環を、その空にかざすようにした。そして、そのハトの物語に、思いをはせた。
 ──誰もその飛ぶハトの心を知らず。その最期も人の手や目、心の届くところではなく。最後の最期まで、人はその心を知ることも、とらえることもなく。
 しかし、人々が思いを託してきたのは、そんなハトの姿だった。どこまでも自由に天を駆け、かつ人を救い、人の心を救ってきた生き物だった。まさに、そんなハトであるからこそ、様々な人に様々に思いを託され、祈りを託されてきたのだった。
 それはいにしえの伝書に記された、そんな無数のハトたちのうち、とうに忘れられた、ただ一羽の物語にすぎない。人々がその小さな生き物の行き来に、言葉や思い、伝えるすべてを託していたその時代の。とうにこの地上には輝く空もなく、その空を戻ってくるハトもいない。
 ハトの姿は知っても、その物語を知る者もいない。
 ミクは目を閉じた。輝く空から風に舞い降りてくる、その姿に思いをはせた。
 ハトが来る、ハトが舞う、ただその姿を、歌にして伝えよう。ハトを見たことがない、知らない人達にも、はるかな時をこえて来るそのハトの物語が、生死の虚しさの絶望、銀河の闇に、光となって射し込むように。時をこえて人々の目の前で舞うその物語が、人の心を癒すために、歌にして届けよう。
 ハトに心を動かされる、全世界の人々に捧げる歌を。

 

 

 


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