伝説の忘れられた一羽のハト (3)

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 (自ブログに転載)

 

 

 文:tallyao

 

 


 3

 


 その遥か遠い別管理区の支部にたどり着いたミクは、地下深くの保存庫に降り、ハトの足環の番号と年代を頼りに、古い紙の記録を捜索した。記録があること自体はわかっていても、アナログの記録を探るのは並大抵のことではなく、もし人間の持久力ならば継続がかなり困難と思われることを平然と淡々と行う、そのAIの電子”あいどる”の姿を、管理区の事務員たちはひどく奇妙なもののように見つめていた。
 まもなく、その番号のハトにまつわる数多くの公式な記録と、さらに多い非公式な手記の類の数々が見つかった。その周りにあった資料からは、内容的によく似た記録が他にも沢山あることがわかった。当時から、ハトにまつわるそういった記録、物語は、いくつも存在していたのである。
 まして、もっと名高いハトたち。古い詩文の中にも、”危難に立ち向かい潜り抜けるもの”として、執拗に繰り返されるハトの暗喩。イアソン、ノア、ロスチャイルド、初代P.J.ロイター、マリー・アントワネットらの伝書鳩。『シェール・アミ』『米兵のジョー』『エクセターのメアリー』そして『アルノー』といった数多くの伝説的なハトたちの物語に比べれば、なんでもない当たり前のものに違いない。
 それは、そんな無数のハトの説話のうちのひとつに過ぎなかった。ミクがそれに触れたというだけの話なのだ。たまたまミクの目の前に、そのハトが来る、そのハトが舞う、ただそれだけのことである。
 そこには、その金の足環の名と番号を持つハトにまつわる、逸話と事件について公式な記録が集められていた。しかし、それらの全容をかいつまんで語るものとして最も典型的だったのは、ある女性の手記で、関係者の伝聞のすべてを集めているものだった。
 ミクのよみとったその物語は、思いをこめた長い手記だった。非常に詳細に記されているにもかかわらず、その旧時代の遠い光景は、ミクには鮮明には想像することができず、まるで遠い昔話や絵本、童謡の中の出来事のように感じられた。その一因でもあったことだが、手記はその女性が、それらの絵本や童謡が似合うような、ほんの小さな少女だった頃の出来事について記されていた。

 

 

 

 緑の服の幼い少女は、落ち始めた陽に照らされる小道をひた走っていた。夜になれば飛べなくなる鳥は、その前に鳩舎にたどりつかなくてはならない。少女はまるで自分がその鳥と共に急ぐかのように走った。あるいは、鳥よりも先にたどりつくためか。
 緑の森に面した鳩舎近くは静かだった。今回の鳩レースは、とうに佳境をすぎており、戻ってきたほとんどのハトはすでに鳩舎の中なのだろう。
 しかし、鳩舎の前に、ただひとり金髪の少年だけが立って、空を見上げていた。
 たどりついた少女は息を切らせて、少年に駆け寄った。
「……ユーリスは?」
 少女は荒い息を整える間も惜しむように、やっとこれだけを少年に聞いた。
「まだだよ」
 少年は見下ろして答えてから、ふたたび待つように空を見上げた。
 思っていた通りだった。そのハトが最後で、そのハトの姿を待つために、この少年、鳩舎の主人の息子が、こうしてひとり見上げているだろうこと。尋ねる前から、ここに来る前から、そうしているだろうことが、少女にはわかっていた。
 緑の少女は、金髪の少年にならって、同じ方向を見上げた。
 かなりの時間が経ったが、じわじわと落ちていく陽は、まるで常に急き立てているようで、その時の長さをふたりに忘れさせた。……緩慢に沈む陽が、地に少しばかり隠れ始めた頃、空のある一点を、少年が注視した。少女は意味もなく背伸びをするように、同じ方向を見た。
 ハトが、ただ一羽、はばたいて飛び来るのが見えた。白く美しいわけでもなく、灰色のみすぼらしくも見える羽色の、見るからに小さなハトだった。二人が見守る中ハトは、鳩舎に接する森の上に広がる空から舞い降り、鳩舎の丸い入舎口めがけて降り、入舎口の内側にある一方通行開閉のトラップにぱたりと音を立てて、飛び入った。
 金髪の少年と、緑の少女は、駆け込むように鳩舎に入った。……どのみち今のハトが、ハトの翼の速度から考えて、今回のレースでは戻ってくる最後だと思われた。飛び立ったきり帰ってこないハトも、毎回レースごとに、羽数でいえばかなり出る。その理由は様々なものがある。
 しかしあのハト、ユーリスは、いつも一番最後になって、必ず帰ってきた。
 ──鳩舎の中で、金髪の少年はいましがた戻ってきた小さな灰色のハトを抱えて、緑の少女の方に差し出した。その小さな鳥を、少女は慈しむように、両手でそっと抱えた。
 ハトはただ小さく啼き声を発しつつ、おそれようともせずに、少女の手に抱かれた。

 

 

 

 鳩舎のとなりの、主人らが住む母屋の方には、さきほど緑の服の少女が走っていたあの小道の方から、青い服の青年が歩いてきた。
「ユーリスかい」
 L.J.レオン鳩舎の、まだかなり若い金髪の主人、あの少年の父親が、歩いてくる青年に呼びかけた。
「いまや、あのハトに会うのが──レースごとにあのハトが戻ってくるのを見るのが、妹の一番の喜びですよ」青年は答えた。
「誰もが、あのハトは弱くて育たないと思っていたよ」主人は言った。「妹さんと、うちの息子だけだろう。雛の頃から、ユーリスをずっと見守っていたのは」
「……レースバトとしては、役には立たないんでしょうね」
 主人はその点には無言だった。ユーリスはなんとか成鳥まで育ちはしたが、それでも翼の力は非常に弱く、レースバトに相応といえる速度で飛ぶことはできなかった。
「だが、飛行距離はゆっくりでも積み重ねている」主人は緑の少女の兄、青の青年に言った。「ひとたび飛びたてば、ユーリスはどんな困難があっても最後に必ず、この鳩舎に帰ってくるからだ」
 ……そのハト、ユーリスは、翼ばかりでなく体がかなり虚弱なので、レースに出られないことも多く、したがって、急に飛行距離が伸びるというわけでもなかった。
 しかし、飛び立てる状態になれば、必ず飛び立った。そして、ひとたび飛び立てば、速さはないが、逆にどれほど長い時を経ても、必ず帰ってくるのだった。
 その弱々しい体に、さらにひどく衰弱して戻ってくることも、ほぼ瀕死のひどい怪我を負っていることもあった。悪天候、肉食鳥、旅する伝書鳩にはしばしば、数多くの様々な障害があった。しかし、レースがそういった災難に見舞われ、他のハトが現にほとんど戻ってこなかったときであっても、ユーリスだけは必ず、どんなに弱っても、どんなに日数を経ても帰ってきた。
 ユーリスは、どんな困難があろうとも、どれほどの苦難の長旅(オデッセイ)を経ても、おそらくは、その小さく虚弱な体に似つかわしくない賢さと一途さをもって、全ての障害を潜り抜け、必ずこの鳩舎にたどり着くのだ。
「あの弱い体のうちからの、飛ぶ衝動につきうごかされて──やがていつかは、帰って来ないときが来るような気はするが」鳩舎の主人はつぶやいた。それは息子や、緑の少女には言ったことはなかった。青年も、それを聞いても無言だった。
「だが、ともかくも」主人は言った。「もうすぐ、飛行距離があわせて三千里をこえるところだ」
「同業者の皆さんから、聞いてます」緑の少女の兄、青の青年は言った。「──実は、そのことで相談があるんですが」

 

 

 

 金髪の少年が母屋に戻ると、その双子の姉、少年と同じ金髪の少女が出てきたのと、ちょうど鉢合わせることになった。双子の姉は少年と顔を合わせたときには既に、眉をひそめていた。
「またユーリスなの?」姉は呆れたように言った。「他のハトの世話を放っといて」
 少年は同じくらいの視線の高さの姉を見返しつつも、無言だった。
「別にいいけどね。……ただ、わかんないのよ」双子の姉は少年の視線に反発するように言った。「必ず帰ってくるってのも、別にいいけど。でも、戦時中でもないし、確実な通信が必要なわけでもないし。……ここのハトは、レースバトなのよ。いくら何度飛べたって、”速く”飛べないハトに、何の意味があるの」
 そんなことを言いつつも、以前から双子の姉は、速く飛ぶハトを含め、ハトのレースというもの自体に意味を見いだせないらしいことを、少年は前から知っていた。そもそも彼女は、ここの家業のハト自体に、あまり興味を持つことができないようなのだ。
 この鳩舎で働く人々に現にあることだが、ハト好きの人々の中には、ハトの世話に没頭するあまり、人付き合いから離れる者も多い。元来は明るく利発な弟に、そうなりつつある兆しがあること、なおかつ、他所のとある少女とだけは懇意なことには、双子の姉にはあまり面白くないことに見えるようだった。
「いつも思うのよ、あのユーリスに。……ときどき大怪我までして、死にそうになって帰ってきながら、そこまでして飛ぶのに、何の意味があるのよ」
 少年は姉の言葉に、しばらくの間そのまま無言で立っていたが、やがて、姉の横を通り抜けて歩いていった。
 ……実は、姉の言うことは、少年も、ユーリスが衰弱しながらも飛ぼうとしたり、傷つきながら戻ってくるたびに、考えたことだった。天は、ハトの中でもことに弱いユーリス、平穏に生きる道を与えても良いようなユーリスに、あえて苦難に挑戦する懸命さと、困難をことごとく潜り抜ける智力を与えた。その飛ぶ力、飛ぼうとする力は、なんのために与えられたというのだろう。

 

 

 

「父さん」少年は、夜中に暖炉際にひとり掛けている鳩舎の主人に歩み寄って言った。
 主人はパイプを吹かしたまま、無言で息子を見た。
「……一度、ユーリスが、帰ってくる間近に、ハヤブサから逃げるのを見たんだ」少年は父親の椅子のそばに、突っ立ったまま言った。「でも、鳩舎や他の飼い主のみんなも、お姉ちゃんも、ボクが嘘をついてるだけだって言う。ハヤブサの素早さから逃れられるハトなんて、いるわけがないって」
 まだ若い金髪の父親は、息子を見たまま、しばらくパイプをくゆらしていた。
「前に、空軍の友人が言っていたことがある」やがて、主人は口を開いた。「空戦に熟練した飛行士のように、自分より遥かに速い肉食鳥が、急降下して襲ってくる、その直前に。翼の動きをとめて、彫像のようになって落ちたり、風にまかせることで、逃れる。そういう飛び方をする鳥を見たことがあると。……あの賢いユーリスなら、それができたとしても、何も不思議ではないな」
 鳩舎の主人は、一度言葉を切り、
「前の暴風におそわれたレースの、ユーリスの経路と距離を計算してみたことがある」ゆっくりと息子に、解くように話した。「暴風が弱まり、しかも利用できる追い風が吹く機会をとらえて、正確に飛行と休息を繰り返していたらしい。他の前触れから感じ取るんだろう。おそらく──ユーリスならば、ハリケーンの傍らをかわして飛ぶことさえも、できて不思議はないだろう」
 しばらくの間、少年は父親を見つめていた。
 やがて、鳩舎の主人はふたたび口を開いた。
「あの兄妹と、何人かの他の鳩舎の飼い主が。……飛んだ距離が三千里になったときに、ユーリスの足環を『金』のものにかえよう、と言っている。あの兄と、飼い主らの、みんなで費用を出して」
 主人はパイプの煙を吹いてから、
「距離そのものは、期間や速さを区切った特別な記録ではないから、ハトのレース協会も誰も、”表彰”なんてしない。……だが、レースバトとして、表彰されることはなくとも、ほとんどの人々に認められることはなくとも。ただ、あのユーリスが毎回戻ってくる、それだけで嬉しいという人達が。心を癒されるという人達は、ほかにもいるんだ」
 父親は、息子の金髪に手を伸ばし、優しく撫でると、ハトの姿に思いを馳せるように、しばし宙に目を据えた。

 

 

 

 初音ミクは一度、手記の文字から目を上げた。ハトの足環が黄金でできている、その背景の方は読み取ることができた。しかし、もっと不可解な疑問、あの『刻まれた銘文』の方の背景が、まだわからない。
 ──それは、その手記に引き続き記されていた。その後のごく短い期間にあった出来事に対して、今までの記録をあわせたよりも、さらに詳しく、さらに長い物語だった。そう明記してあるわけではなかったが、まるで、その女性の人生そのものに与えた大きさを物語るかのように、今までの記録よりずっと多くの出来事が書き遺され、ずっと多くの心情が吐露されていた。

 

 

 

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