伝説の忘れられた一羽のハト (1)

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 (自ブログに転載)  

 

 

 文:tallyao

 

 


 1

 


 初音ミクがその古物屋で目をひかれたのは、小さな円筒状の金色の環だった。それは店の隅の、細かい金属製のガラクタの一杯に詰まった木箱、売り物としてまだ整理されていないのか、売り物にならないものが放り込まれているのか、その箱の一番上に載って、通り過ぎようとするミクの目に留まって欲しいとでもいうように、かすかな光に輝いた。
 ひどく薄汚れて傷ついたそれは、しかし読み取れる文字が刻まれていた。指先で摘めるほどの小さな環の表面に細かく、何かの標識らしい番号や文字列がいくらか。そして、その下に、文章。
 ミクはいつもの目当ての、職業柄の音に関わる古物や、ひそかにもっと目当てにしている乙女じみた品物さえも捜すのを忘れて、理由もなしにその環に見入った。
 古物屋の店主は、そのガラクタの詰まった木箱の中身は”空の墓場”から誰かが拾ってきたものを集めたのだと言った。
「空の墓場……」ミクは聞き返した。
 それはかつて、州境の近くの渓谷だったという。谷の地形のために気流が乱れていて、その周辺を通過していた鳥が、逃れられずに引き込まれてくる。そして、かなり大きな鳥でも遂にそこから逃れられず、岩壁にぶつかり死ぬ、ということが起こっていたらしい。鳥が死期になると”空の遥か彼方にある死に場所へと姿を消す”という説話からついた名なのだろう。ともかくも、その渓谷では鳥の身につけていたものがよく見つかった。
 もちろん、渓谷は開発が進んで、今ではその地形は原型をとどめていないし、その周辺を飛ぶような鳥など、ほとんどが絶滅している。その環はおそらく鳥の足環で、調査用につけられたか何かのものだろうが、それでも大昔、おそらく旧時代のものだろう。その頃に渓谷に迷い込んで死んだ鳥のものではないか。
 ミクは、店主もそれ以上は谷や鳥についてあまり詳しくは知らないような口調だったので、それ以上は尋ねずに、その金の環を掌に載せたまま、じっと立ち尽くしていた。
 確かにその表面に刻まれていた番号などの文字の幾分かは、鳥の認識用のものだと思われた。刻まれている中には、『L.J.レオン鳩舎 1922年10月4日』というものもある。この年代が、この足環に関わるそう遠くない年を刻んだものだとすれば、そしてこの年が西暦を示し、そして刻まれているのが本当だとすれば、旧時代の、記録が電子に依存しない頃の時代、文字通り言葉も届かぬほどのいにしえのことである。
 その輝きと、手の上に感じる重さから見て、その環は純金だった。その時代のものが、野ざらしでも、朽ち果てることもなく残っていたのは、そのためだった。
 観測用の鳥の足には到底似つかわしくない点が、それが純金などで作られていることのほかに、もうひとつあった。足環の表面には、それらの認識用の番号や文字列とはかなり間をあけて、文章が刻まれていた。──『ホメロス(大伝説家)、これを永劫に記す』というものだった。

 

 

 

 プロダクションのスタジオのひとつに帰ってきても、ミクは座りもせずに、古物屋から譲り受けたその環をじっと見ていた。
 スタジオで、色あせた紙の楽譜をめくっていたMEIKOは、そのミクと、手の上の環に気づくと、興味津々でそれを受けとって眺めた。
「ほんとに鳥の足環なの、これ」MEIKOは譜面台に向かったまま、環をひっくりかえして眺め、「金は重い金属だから鳥につけるには不利だし、高価だし。まあ、こんな小さなものじゃ、実際はどっちの影響もほとんどないんでしょうけど、かといって、わざわざそんな金属を選ぶ理由もないわよね。この形からして、飾りのためってわけでもないし」
 ついで、MEIKOは環に目を近づけて、その表面の文字を眺めた。
「てか、この”Homer”ってのは文頭だから大文字なんであって、”ホメロス”じゃなくて”ホーマー(帰巣種鳩)”のことかもしれないわ」MEIKOは環の文字から眼を離し、「つまり──『伝書鳩の、この記録よ永遠に』とも読めるわね」
 MEIKOはふたたび手のひらの上でその重さ、大きさをはかり、「大きさからしても、たぶんハトの足環でしょうね」
 ミクは、MEIKOから金の環を返されても、それを掌に載せてじっと見つめながら立ち尽くしていた。
 かつて鳥が、おそらくは一羽のハトがいた。おそらく人知れず難所に迷い込み、岩壁にあたり、断崖でその身を砕かれて、空に消えたハトがいた。そんな足環を身に付け、その刻印の文が、MEIKOの今言ったどちらの意味であったとしても、そんな刻印が記されるほどの物語を背負いながらも。その最期は、運命は、誰に知られることもなく。
 その足環が最後にたどり着いていた場所、そのハトの最後の運命を知っているのは、いまやミクしかいない。そしてミクはそれ以外について、その物語について、その最期が何を意味するかについても、何も知らない。ハトという生き物についても、ネットワークの電子上の間接的な情報を通じてほんの少し知る程度で、”伝書鳩”というものが何なのかについてさえ、そう詳しくは知らない。
 ……MEIKOは当初から何事もなかったかのように、ふたたび譜面台に向かっていた。濃い鉛筆で乱雑なメモを譜面に走らせる音と、譜をめくる音だけが続いた。
 が、しばらくして、MEIKOは譜面を見たまま、唐突に言った。
「捜しに行ったらどう」
 ミクは金の環を掌に載せて突っ立ったまま、MEIKOを見上げた。自分に対する言葉だと気づくのにも、しばらくかかった。
「気になるんでしょう。──なら、出かけて、追いかけたらどう。それが、かたちになるまで」MEIKOは譜面をめくり、金属ホルダに入った6Bの鉛筆を、くるくると指の上で回しながら言った。「前に、KAITOから教わったでしょう」
 ミクは立ち尽くした。
「この世界に流れている、誰にも知られることなしに、忘れられるままに、日々流されていく感情とか、思い出とか。……それをつかまえる方法、かたちにする方法を。KAITOが捜すのを、今まで、いつも隣で一緒に見てきたんでしょう」
 ……ミクは次第に思い出した。いつも、音楽の理論と感性をじかに教えこまれるMEIKOと同様に、それ以外の時に隣にいるKAITOからも、音を形にしてゆく、形になってゆくまでの心の動きを、ともにしてきたのだった。そういうことが、多々あった。
「今度は、ミクが自分でやってみなさいよ。捜しに行ってみなさいよ」
 ミクはそのMEIKOの言葉に、またしばらく立ち尽くしてから、その金の環に眼を近づけ、その表に刻まれたうち、認識用の番号と文字列を再び見つめた。
 目を上げて、何かに思いをはせるように、ミクは遠くを見た。その掌は無意識に金の環を握り締めていた。

 

 

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