暗い森のサーカス 

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vocaloidss

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 この作品は、2008年度の初音ミクの誕生日企画「ボカロSS投稿所PS企画”Miku Hatsune”」に投稿された作品です。

 作者名は、人気作品アンケートが終了するまで非公開とさせて頂いております。




 ――さあ、御伽噺をしてあげようか。


 やあ。よく来たね。まずはそこに掛けてごらん。寒かったろう? 今、温かいお茶を入れてあげよう。
 困ったな。そんな顔をしなくていいよ。僕は君をとって喰いやしないさ。さあ、お茶が入った。どうぞ。熱いから気をつけてね。
 ――美味しい? そう、良かった。それ、何も入ってなきゃいいね?
 ふふ。冗談だよ。毒なんて入れたら僕が君を食べられなくなってしまうじゃないか。
 ……冗談だよ。そんな顔しないでよ。まあいい。
 さて、それじゃあ御伽噺をはじめようか。
 いいや、これは御伽噺ではないね。だって全てが真実さ。そう、僕がいたあの場所についての話。
 君が見た、あの場所についての話さ。


 さあ。御伽噺をしてあげようか。



 僕があの場所を見つけたきっかけは、そう、君と全く同じだったと言っていい。捨てられたんだ。親にね。なに、別にそんな珍しいことじゃないさ。特にあの頃は、そう、ありふれた日常だったといっていい。あの頃僕らの国は飢饉だったからね。子どもを捨てるなんてことは良くあった。
 僕はあの森に捨てられた。君と同じにね。
 深い森だった。父に連れられてその森まで来たとき、正直なところ僕は自分が捨てられることを理解していた。聡い子どもだったんだ。それでも僕は泣き喚いたりしなかった。正しい子どもを演じていた。僕は何も判らないふりをしていたんだ。
 どうしてかって? さあ。それは僕にも良く判らない。でも君なら判るでしょう? ふふ、そう。君と同じさ。判らないまま、僕らは無知な子どものふりをしていた。それが僕らが生き残る術だったんだからね。僕らは子どもだったけれど、その術を理解して生きていた。利口な子どもは時として大人に嫌われていたからね。君も僕と同じ、利口な子どもだったということさ。だから利口な僕らは、あの時でも何も知らないふりを続けていた。
 判っていたんだ。喚いたところで泣いたところで捨てられていくことには違いない。それどころか下手に泣き喚いたら捨てられるのではなく、その場で父の手によって生を終わることになるかもしれないってね。さすがにそれは嫌だった。だから僕は、捨てられることを許容した。恐らくね。
 そうして父は去っていった。最後の言葉はなんだったっけな? もう忘れちゃったや。
 僕は父の背を見送って、それから森の中を歩き出した。パンなんて持ってなかったから、どこかの兄妹みたいな真似は出来なかったけれどね。
 それが間違いだったんだろう。僕はあっさり行き倒れて――そして君たちに拾ってもらった。




 目覚めて最初に耳に届いた君の歌声は、今でも僕の中に息づいているんだ。
 嫌だな。どうしてそんな胡散臭そうな顔をするの。
 本当だよ。僕は君の歌声に惚れたんだ。君は苦しそうに笑っていて、その笑顔にも惹かれたけれどね。
 さすが、あのサーカスの歌姫と呼ばれるだけはある。
 そうだ。腹を減らしていた僕に食べ物を分けてくれたあの獣は元気かい? あれから僕は新しい味を知ったんだけどね。
 座長は相変わらずのようだね。あの二人はどうだろう?
 ――ああ、ごめん。そんな顔をさせるつもりじゃなかったんだ。……ね、ほら。顔を上げて。
 君はまだ歌っているのかい? あの場所で?
 そう。そうか。そうだったね。終わりのない催しだと言ったのは座長だったか。
 風が出てきた。窓がすこし煩いね。いっそ開け放してしまおうか。待っていて。……ほら。ああ、いい風だ。君の髪と同じ匂いがするよ。いや、どうかな? 少しばかりあの獣の餌の臭いも混じっているかな? あの場所はここから近いんだったね。
 おや。鴉が鳴いている。こんな夜中に煩いことだ。
 どうだい君。少し外を散歩に行かないかい? こんな夜だ。御伽噺にはとてもいいじゃないか。歩きながら話すというのも少しばかりおつではないかい?
 君、知っていたかい? 御伽噺は夜伽話。夜に話す戯言さ。とても似合うと思わないか?
 さあ、お手をどうぞ。異形の歌姫。僕の愛しい歌姫。




 やはり外は寒いね。僕の上着を貸してあげよう。ああ、大丈夫。怯えなくていい。大丈夫。君があそこから逃げ出してきたことくらい判っているさ。
 僕がそうだったようにね。
 近づくのはやめておこうか。あの獣の鼻は侮れない。座長の勘も恐ろしいものだけれどね。
 さて、じゃあこのあたりで座ろうか。切り株の椅子なんて、なかなか御洒落じゃないか。誰が切ったものだか判った物じゃないけれどね。
 今日も微かに歓声が聞こえるね。相変わらずあのサーカスは盛況なようだ。楽しそうで何よりだ。
 何も知らない人間は楽しそうでいい。まったく、反吐が出る幸せだ。
 もっとも僕だってあの場所で楽しんでいたのは事実さ。だってそうだろう? あの場所では毎晩君の歌声が聴けた。それはなんと贅沢なことだろう! パンやミルクよりずっと素晴らしいご馳走だった。
 どうだい君。今宵も歌ってくれないか? 久々の再会に、一曲でいいから。
 ――本当かい! それはありがたい。じゃあ心して聴くとしよう。



 やはりいい声だ。断末魔の叫びにも似た絶望を、君の歌は体現している。だからだろうね。僕らの心に直接響く。
 歌いながらでいい。僕の戯言の続きを聞いてくれるかな。
 僕はあの場所にどれくらいいただろう? そう長くはなかったはずだけれど、僕の身体が腐るくらいにはいたんだろうね。
 僕は何かに怯えていた。何にだろう? 今となっては僕には判らず、僕に判らないということは、この世に判る人間は誰一人としていなくなってしまったということだ。別に構わないけれど。
 僕はあの場所から逃げ出した。なんということだろう。恩知らずだと恥じ入るしかない。あの一団に拾ってもらわなければ、僕は最初に行き倒れたあの場所で朽ち果て、森の一部になっていただろうに。
 それでも僕は「何か」に怯えて、あの場所を逃げ出した。そうして今、ここにいる。
 僕はどこへ行こうとしているのか、町へ戻るつもりはないのか。僕は僕自身に毎夜問いかけるんだ。けれども君、不思議なことに答えが出たことはないんだ。君はどうだい? 答えは出たかい?
 ああ、いい。いいんだ。答えなくて。君はただ歌ってくれていればいい。そう、無邪気な子どものように、いいや、そう振舞う利口な子どもみたいに、ただ笑って歌っていればいい。それが僕の望みだ。
 この歌声が、永久に響けばいいさ。そして町にいる馬鹿げた幸せを謳歌する人間たちに届く日を祈ろう。
 絶望を、聴けばいい。



 ああ。おや。どうしたんだい。歌姫。眠ってしまったのか。そうか。こんな場所で眠ってしまうと身体に良くないだろう。君のいるべき場所へ僕が連れて行ってあげなければならないね。
 さて。ところで僕は君に言わなければならないことがある。
 眠り姫。愛しい愛しい眠り姫。異形の歌姫。愛しい愛しい異形の歌姫。
 あの場所を逃れることを夢見てきた姫よ。僕の声が聞こえるかい?
 ここまで話してきた御伽噺の中、僕はたった一つだけ君に嘘を吐いた。
 それが何なのかは――

 言わないほうが、花だろう?



 さあ。御伽噺をはじめようか。
 そのサーカスは、暗い森の中にある。
 森の奥の奥にあるんだ――

――Fin.

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