嘘画、嘘話、嘘歌

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vocaloidss

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 この作品は、2008年度の初音ミクの誕生日企画「ボカロSS投稿所PS企画”Miku Hatsune”」に投稿された作品です。

 作者名は、人気作品アンケートが終了するまで非公開とさせて頂いております。


 見るんじゃなかった。
 画家は思った。
 気分転換に繰り出した街で見かけた小さな個展。まぁ、たまには他の奴の絵も観とかないとな、と軽い気持ちで吸い込まれたのがいけなかった。
 会場の一番奥に飾られた、作者が一番力を入れたであろう大作。大空と広い大地にこれでもかと言うほど大きく広々を描かれた大木。ありきたりの構図。でもそこには、息が在った。酸素があって、水素、窒素、二酸化炭素が確かにあって、空の匂い、木の匂い、鳥たちの声、木陰の光の筋が確かに揺らめいていた。その絵は、現実を切り取ったものではなく事実を切り取っていた。湿った土の匂いのするその絵は、確かにノスタルジーを切り取ったものだった。
 戦慄が走った。描きたい! 自分も描きたい!! こんな絵を描きたい!!!
 逃げ出すように会場を後にした。気分転換も何も全部どうでもよくなった。走って走って電車の扉が開ききるまで待つのも苦痛だった。部屋に戻って、キャンパスの前に座り、筆をとると生き返るような気がした。深く座った、安い椅子。構図を探るように、筆を構えると、胸が高鳴った。描きたい! 描きたい!! 走ってきたからか、それ以前か、解らないが、心臓が、鳴りやまない。熱い。汗が、目に、入るのも、もはや、どうでも、よかった。
 描きたい! 描きたい!! 画家の心を満たすのはただ、それだけだった。


 でも、描けない。

 

 画家は目を見開いた。目からこびりついて離れないのだ。あの絵が離れない。離れないのだ。今何を描いても、結局は、結局は。
 それでも、描かずには生きていけない。人としても絵描きとしても。でも、どんな絵を描いても、いつもあの絵がちらつくのだ。自分のただ色を並べただけの布っきれには、自分の何も込められてはいないのに。
 確かに伝えたいことはるのに。でも、それがうまく色にできない。ただ、生きるだけのために”受けそうな”絵を描く。なのに、なのに、あの絵はいつまでも、画家の瞼から離れようとしない。あの絵の快感だけは、今もなお、きらきらと木漏れ日を照らしているのだ。名も知らない絵師のあの大木が、深く根を張っているのだ。色使いが、タッチが、気持ちいい! なのに、どうしようもなく悔しくて苦しくて。もがきながら描きあげたのは、ただの色の羅列だった。



 読むんじゃなかった。
 小説家は唸った。
 タイトルが気になって何の気なしにレジに持って行った。それが、後悔のもとだった。
 書店近くの公園のシンボルマークの大木の下、ページを開いて読み始めた時はありきたりなラブストーリーだと肩を落とした。しかし、ページが進むにつれ世界に引き摺りこまれる。未だ嘗て、こんなにも共感できる比喩表現を読んだことがあっただろうか。こんなにも、純粋に誰かを応援できる嘘話があっただろうか。こんなに、心を抉るような台詞を聞いたことがあっただろうか。こんなにこの身を引き裂かれるような切なさを表現できる日本語があることを知らなかった自分が恥ずかしい。
 手が震えた。書きたい! 自分も書きたい!! こんな物語が書きたい!!!
 芝生が痛むのも気にしてられなかった。まるで、犬のように四つん這いから土を搔き毟るように立ち上がり戦場へ向かう足軽兵のように脇目も振らず走った。バスの中、耐えきれなくて携帯電話のメール機能で書き始めようとすらした。でも、手が震えて上手く文字が打てず、諦めた。構想だけを、頭の中で何度も何度も書き連ねた。部屋に付き、パソコンの電源を入れる。ウィンドウズが立ちあがるのも、ワードが開ききるのすら待てず、イライラとマウスを弄んだ。そして、やっと、現れた、ワード。キーボードに、置く、手が、震えた。指に、ついた、泥も、気に、ならなかった。今は何より書きたい!


 でも、書けない。

 

 キーボードの上で手がぴたりと止まってしまったのだ。どうしてだろう。構成は、ある。永遠のように思えたバスの車内、世界観を膨らませ人物像を描き彼らがどのような台詞を紡ぐのかぐるぐると想像を巡らせていたのに。いつも、キーボードに手を置けば手が勝手に頭の中に細かく描いた物語を紡ぎ始め、自分は手が過ぎた表現や描写の足りない文を書かないかどうか見張っているだけだったのに。手が動かない。意を決して書き始めても、何かが違う。
 今まで、オートマチックでしていたことをマニュアル仕様で進めるような速さでキーボードを叩いても、何も生まれない。ただの文字列。何か書こうとするたび、あの話に重なる。あの描写に被る。あの台詞が耳をかする。こんな文字列が誰かの心に届くはずがない。何かを、伝えられるはずがない。
自分の中のもやもやとした何かが、日本語にできない。なのに、PCのディスプレイに浮かび上がるのは、ただの文字を並べただけの作り話(嘘っぱち)なのだ。あの本を読み終えた時には尊敬すらしていた作者のことを妬ましく思う自分に寒気がする。



 聴くんじゃなかった。
 音楽家は嘆いた。
 サムネに釣られてしまったのが運の尽きだった。自分が使用しているのと同じヴォーカル音源を使ったその動画は、アップロード主の「初投稿です」という一言から始まっていた。投稿自体は初めてでも作曲は初めてではないのだろう。決してストレートではないが素直な歌詞とそれにあった歌声とそれらを包み込むメロディー。一瞬で聴きほれた。背骨のど真ん中を駆け抜けていく何か。「サムネに釣られて正解だった!」というコメントに頷き、ずっとエンドレスリピート。字幕を見なくても歌詞がう
かぶほどになるほどには、ずっと聴いていたいという欲望は、自分も作りたいという欲望に変わった。
 髪と言う髪が全て逆立つようだった。聴けば聴くほど、自分もこんな曲を作りたい。明るくて、楽しげで、でもどこか儚げで、いろんな感情が詰まった音を作りたい。身を切る思いで動画の再生を止めウィンドウを消して、DTM用のソフトを立ち上げる。キーボードの電源を入れ目を瞑り、さて、どんなメロディーにしよう、キーボードの鍵盤に指を置いた瞬間。こんなにもわくわくする瞬間はない。


 なのに、浮かばない。

 

 メロディーが浮かばないのだ。鍵盤の上の指が所在無げにぴくりと動く。頭に浮かぶメロディーは、何をどのように始めても最終的にあの曲に行きつく。それを無理やりあの曲から遠ざけようとすると、自分の作りたいものから逸れてしまう。伝えたいことが何も入らない、ただの音の羅列。こんな物が欲しいんじゃない。なのに、自分の欲しい音を集めていくとどうしてもあの曲に行きついて、それから逃げることができない。逃げて逃げて生まれるのは、ただの音の繋がり。こんなもので自分の思いが伝えることができるわけがない。……そもそも、自分の思いとは何だ?
 音楽家は、真っ白になった。ただ、曲を作ろうとした衝動だけがくすぶっている。今、曲を作らなければ、死んでしまう。そんな気さえした。なのに、出来上がるのは一体何が伝えたいのか解らない音だけ。一体、自分はなにをこんなにも伝えたがっているんだ? 伝えるものなど何もないのに? だから、こんな嘘の様な歌しか浮かばない。
 あのアップロード主の音が頭の中を蝕んで、響いて、気持ちいい。ただ聴いている時は、尊敬と好意しか感じなかったそのメロディーが憎らしく思えてくる自分が怖い。もがきながら、作りだしたものは、まるで魂の入っていない人形のような音ばかり。この苦しみを、どう表現しよう。苦しくて妬ましくて恥ずかしくて気持ちよくてもどかしくて、吐き出しそうだった。口元を押さえて吐き気を押し籠めたその瞬間、


「吐き出せばいいんですよ、マスター」


 何かが聞こえた気がした。人の声? いや、違う。これは……いやしかし。
 次の瞬間、立ち上げた覚えのないヴォーカル音源のエディタがPCの画面いっぱいに広がった。VOCALOID2 初音ミク。あのアップロード主も使用していた、今日本で一番ポピュラーなヴォーカル音源。


「その苦しみを歌にすればいいんです、マスター」


 音楽家の耳に聞こえた”何か”は確かにこういった。人間の声かむしろ日本語かすら怪しいが、音楽家には、はっきりそう聞こえた。


「苦しいんですよね。羨ましくて、恥ずかしくて、気持ちよくて、もどかしくて、しょうがないんですよね」


 立派に伝えたいことですよ、と何かは言った。いや、何かではない。はっきりと”初音ミク”はそう言った。


「マスターのその気持ち、私が唄います」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中の何かが切れる音がした。無我夢中でキーボードに齧りつき、弾いてはやめ弾いてはやめ、自分の理想の音を探し始めた。不思議と、さっきまであんなにまとわりついていたあのアップロード主の曲は頭から消えていた。
 メロディー、オケ、歌詞を書きあげ、投稿サイトからイメージイラストを選び、動画投稿サイトへアップロードするまで、息をつくのさえ時間の無駄のように感じた。
 そうさ。俺は、あんな曲作る奴が羨ましくて、妬ましくて、悔しくて、俺も作りたいけど、出来なくて、もどかしくて、苦しくて、でもやっぱりあの曲は気持ちよくて、どうにかなっちまいそうだった。
 そういう気持ちを全部、曲に詰めた。メロディーも歌詞も、そう叫んでる。そう、俺が伝えたかったのは、これだ!!


 画家は気まぐれにその動画サイトを漂っていた。ただの気晴らし、現実逃避だった。でも、その曲が再生された瞬間、その眼は、カッと開かれる。

 小説家は、なんとなくその動画を開いた。逃げだと解っていた。でも、一刻も早くあの文章を忘れたかった。何でもよかったのだ。が、その歌詞が耳に入った瞬間、その口はぽかんと開く。

 そして、二人とも曲を聴き終わるや否や、こう書きこんだのだ。


「バカ野郎! 今度はお前の曲が気持ちよくて頭から離れねーよ!」

<END>

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