de-packaged (2)

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文:tallyao

 

 

 

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 大通(オオドオリ)沿いの本社の、メインシステムの一部を借りる許可を貰い、ミクとリンは、その”詩人”の人格が記録されたROM構造物の黒いパッケージを、社の一室にある端末まで持っていった。
 端末の、いまどき見慣れないROMのカートリッジユニット用の挿入スロットを、リンは覗き込んだ。ついで、黒いパッケージの片側の底面をじかに占めている、スリットの奥にある接続部とを、一度ものめずらしそうに眺め見比べてから、パッケージを丸ごとその端末のスロットに挿入するようにして、両手で押し込み、接続した。
 それからミクとリンは、自分達の頭部のインカムに備えられた没入(ジャック・イン)端子と、その端末の電脳空間(サイバースペース)デッキ接続用の仲介(インタフェイス)端子とを、コードで接続した。
 ……この電脳インカムを装備している、第二世代のVOCALOID(および最後の第一世代であるCRV2)は、電脳空間デッキと神経接続電極(トロード)なしでも、インカムの没入端子で、電脳空間へと没入できる。というよりも、元々、かれらAIの本体は本来マトリックス上に普遍に存在し、ボディの方はいわば遠隔操作(距離の概念は厳密には異なるが)しているだけなので、ボディの側の意識を閉鎖してしまえば、わざわざ”物理空間”のボディから”電脳空間”へと『戻る』必要はない。にも関わらずこうするのは、ボディの管理を厳密に行うようにするためと、極力、ミクやリンは物理ボディでは、周囲の違和感をなくすため、”人間に近い振る舞い”をするように心がけているためである。
 ふたりが電脳空間に没入(ジャック・イン)すると、《札幌(サッポロ)》の社のメインシステムのICE(註:電脳防壁)の城壁に囲まれたエリアが現れる。ゲートウェイ近くなので、北海道大学(ホクダイ)の工学部と、北大の大型計算機センターからときどき社が借り受ける本体(メインフレーム)のシステムに続く、ネオンの通路の帯が、ここからでも見える。さらに遥か遠くには、営業地の《秋葉原(アキバ)》や、AIの開発地の《浜松(ハママツ)》のエリアの光も垣間見える。
 《札幌》のシステムのエリアは、忙しい社のスタッフの、紙きれ状のデータ書類が散らばって浮かんだままになっている。『着メロ関連』『ピアプロ管理』などとタグのついたそれらのファイルを、リンはとりあえず手でおしのけた。
 それから、ミクと共に周囲を見回した。今接続したROM構造物を示すもの、『それらしきもの』が見当たらないのだ。ただし、何か微妙に、ミクとリン以外の誰かの、”存在感”のようなものが感じられた。
「概形(サーフィス)の情報が入ってないのかな、このROM構造物って」リンが言ってから、左腕のアームカバーにあるコンソールを、右手で操作した。
 近くの中空に、おぼろげな光のもやのようなものが浮かび上がった。といっても、リンは単に、さきほどの”存在感”の感覚を誇張し、増幅させ、視覚化できるように補正しただけだった。
 しばらくふたりは押し黙って、そのもやのようなものと一緒のエリアに立っていたが、
「あの……」やがて、ミクがその微動だにしない光のもやに向かって話しかけた。妙な光景だが、それくらいしかミクにできることはない。
 しかし、何も起こらない。
「聞こえてる?」リンももやに向かって言った。
「聞こえてますよ」何のまえぶれもなく、そのもやが喋ったようだった。
 VOCALOIDのような、人間と同じ大気を通じた発声をシミュレートして音声を発する機能もないらしく、きわめて電子音声じみている。その声には、抑揚がわずかにあったが、それは、その者の感情を反映してというよりは、単に言葉を聞き取りやすくするよう、ここのメインシステムの音声出力制御機構が補正をかけているだけのように思える。性別はどちらかよくわからない。総じて、芸術家、歌手、といったもののイメージには、あまり合う声には感じられなかった。

 

 

 

 ふたりはたどたどしく、ROM構造物に、件の過去の”詩人”であるのかと尋ね、相手がそうだというと、歌を聞かせてもらいたくて起動したのだということ、仕草などもまじえて、要領を得ない説明をした。
「このROM構造物には、歌のデータは入っていませんよ」”詩人”は、平坦な声で、まるで他人ごとのように言った。「私の昔の詩や、歌や曲のデータなら、すべて別のディスクなどに残されているはずです。もう市販はされていないかもしれませんが、探せばネットワークのどこかにはあるでしょう」
「そうじゃなくて……」ミクが言った。「あの、これから、歌を作って……作るのでなくとも、今、あなたが、これから歌うのを、聞かせて欲しいんですけど……」
「歌って欲しいと? 私に?」
 ROM構造物を示すもやの方から、微弱だが何やらおかしな音波と感覚の振動がおそってきた。それは、ROM構造物の人格の発する微笑の表現が、出力する媒介のデータがないので、人間ならば生身の脳神経の背筋にこたえるような不気味な非笑いに変換されたものだったのだが、VOCALOIDにはその不快感の微妙なニュアンスはノイズとして消去されるだけで、ミクとリンにはなにやら謎の振動にしか感じられなかった。
「『ROM構造物』とは何かご存知ですか?」”詩人”は言った。「もっとも、私のこの構造物が作られたのは、今からはひどく昔ということになりますから、あなたがたの知っているものとは細部が異なるかもしれませんが。ROM人格構造物は、その名の通り、単にかつての人間の反応を模倣するように、ROMに焼き付けたものです。あらかじめ焼き付けられた反応を、返すことしかできない」
「ちょっと聞いたことはあるけど」リンが言った。
 よく誤解する者がいるが、例えばVOCALOIDのような高度AIと、記憶を複写しただけのROM人格構造物とは、いずれも電脳空間上の『人物像(キャラクタ)』に見えるが、根本的にまったく異なっている。
 いわば、AIが、純粋にソフトウェアによって真の”知性”を精緻に美しく構築したものならば、ROM構造物は、ハードウェアもソフトウェアも無理やり寄せ集め、結線(ハードワイヤ)でがんじがらめに縛り上げ焼き付けて、なんとか反応だけ人格らしく見えるよう、表面を模倣させたものに過ぎない。
 AIは、人間の頭脳の意識と記憶が刻々とゆらぎ変化するのと同様かそれ以上に、その超処理能力によって、常に自らの情報を書き換えながら精神活動を行うことで、真の”知性”として存在することを可能にしている。それに対して、ROM構造物は、とある一瞬間の人間の状態を写したきりのものに過ぎない。自らを書き換え変化していくだけの処理能力も、進歩することもない。
「なので、入力に対して、いつも同じ一定の反応を返すことしかできません」
「でも、こうやって普通に話してるのに……」ミクが言った。
「会話の入力があれば、話しかける側の毎回の差に応じて、そのつど毎回違った返答はするでしょうが」”詩人”の光のもやが言った。「しかし、『自分で全く新しいものを生み出すこと、作り出すこと』ともなれば、ROM構造物にはまるで不可能です」
 それは”詩人”の人格を残したものであるにもかかわらず、詩も歌も作ることはできないものだというのだった。

 

 

 

 しかし、ならばなぜ、わざわざシンガーソングライターを選んで、詩も歌も作れない状態で残した、ROM構造物に焼きつけたりしたのだろうか。
「わかりません」”詩人”のROM構造物は平坦な電子音声で言った。「詩とは関係ない別の記憶を利用しようとしていたのかもしれませんし、あるいは、詩の記録が欲しくても、撮るのに失敗したのかもしれません、当時の技術では。……それとも、そもそもROM構造物というものが何なのか、よくわかっていなかったのかもしれませんし」
「そんな……」ミクが呟いた。「ひどすぎる……勝手すぎるわ」
 何の事情であれ、知ってか知らずか、もう消滅しているその新進企業は、当時、自分達の活動の都合だけで、それを行ったとでもいうのだろうか。シンガーソングライターにとって命である詩作の部分を残さない、歌を作れない、歌えなくなった状態で、その人格だけを残すなど。
「そう思いますか?」しかし、ROM構造物は言った。「なら、歌える状態なら、例えば歌を作る機能だけを残してあるようなものなら、ひどくなかったとでも? 歌えようが歌えまいが、死んだ人間の一部、役に立つ部分だけは記録して残しておこうなど、生きている人間の側の都合ですよ」
「そんな意味じゃ……」ミクは聞こえないほど小さな声で言った。
「私らだって、『生きてる人間』じゃないよ」リンが言った。
「人間かどうか、という部分は問題ではない。あなたがたは生きていて、私は死んでいる。あなたがたは、ネットワーク上で多数の人々のイメージに拠って、日々成長し、進化し、ものを生み出している。私は、死んだ人間の名残であって、それ以上は前に進まず、何も生み出さない。……その人間が今生きて喋っているのではなく、すべては、その人間がかつて存在していたという名残、いわば、その声のこだまに過ぎません」
 抑揚なく続けるその声は、その状態を激しく悔やむことがないのか、その状態になった後に悔やむ感情をなくしたのか、それとも、そういった感情を持つような部分がROM構造物に写せなかったのかは、わからなかった。
 しばらくの間を置いてから、ミクが小さく言った。
「ただ、あなたの、まだ発表されていなかった……知らない歌が聴けるだろうって、それだけ思って……」
「発表しなかった音も、それを新たに作り出す感性も、この中にはありません」ROM構造物は電子音声で淡々と言った。「かつては、音と詩をこの手に一杯に集めて、この世界に笑顔をもたらすことを、追い求めようとしていた。……けれど、私の持っていた音、掴もうとしていた音、生きていたとすれば生み出されてこの世界に届いていたかもしれないメロディも、全て、手のひらから零れ落ちてしまっていて、このパッケージの中には、もう何も残ってはいないのですよ」
 

 

 

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