【曲テーマ】キミノウワサ

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

 

 (自ブログに転載) 

 

 ヤマハ作デモソング http://www.nicovideo.jp/watch/sm2498167 より


 文:tallyao

 

 


 《浜松(ハママツ)》の巨大なデータベースのエリア、輝くオブジェクトが同型ごとに整然と並ぶ格子(グリッド)の合間を、初音ミクは滑るように翔び移動した。両掌の間に胸に抱えるように持つ小さなメモリキューブが、移動につれ変容する周囲のマトリックス光にきらめく。
 象徴図像学(アイコニクス)に従い整然と並ぶデータの林の合間の姿をさがす。ほどなく、《浜松》のウィザード(電脳技術者)のうちの一人の姿が見つかる。この近くにいるのが、この一人のためもあるが──《浜松》や《磐田(イワタ)》の幾多の技術者のうち、ミクがときどき仕事で顔をあわせることがあるこの一人が、声をかけやすいためもある。
「……あの、小野寺さん」ミクはオブジェクトを並べ替えているウィザードの前方近くに移動し、おずおずと声をかける。「このメモリに入ってる、兄さんのデモソングなんですけど……」
 ウィザードは、ヘルム状の電脳空間内補助入力ウェアの透明フェイスガードを上げて、ミクを黙って見た。
 ミクはしばらくしてから、「……あの、これが、どういうものなのか聞きたくて」
「それだけですか」ウィザードは言ってから、「……なんで、それを尋ねたいだけで、そんなに思いつめたみたいな顔をするのか、気になったんです」
 無論のこと、そのキューブに収められた音声、デモソングの、あまりに切なく儚げな歌声と、その意外さ、純粋にその歌の美しさに対して、ミクが覚えた情感が多くある。
 しかし同時にまた、ミクは”兄”KAITOについて、自分の知らないこと、特に《札幌(サッポロ)》では知れない《浜松》に居た頃のKAITOについて、つねに知りたいと無意識に感じている。その切実さが、顔に出ている。
「しかし一体、貴方がたは何なんだ、01」ウィザードは言った。「妹みたいに親身に、なのに、知り合ったばかりの男女みたいに、CRV2についてなんでも、しかもそれを他人などに尋ねようとする」
 ミクは戸惑った。何なのかと聞かれても、今言われた通りのこと、つまり、ほぼ同じ境遇の”兄妹”で、かつ、何かの意味での血の繋がりもなく、一部の他人ほどには長い時も共に過ごしてはいない、としかミク自身にも答えようがない。
 が、ウィザードはミクに答えを求めたわけでもないようで、その話は切り上げ、
「……そのデモソングを、見つけましたか」
 メモリキューブの中には、vsqやそのほかの調律や曲のデータファイル、そればかりか音声ライブラリやAIの構造物(コンストラクト)の一部さえ含むと思える、組み木状態のオブジェクトが入っているのが、サムネイル化されて表面から透けて見えている。
「自分はその頃はまだ、ここに居なかったから、他の技術者からの伝聞だが」ウィザードは、ミクの問いに答え始めた。「もう4、5年は前に作られた──CRV2の、いや、VOCALOID技術の、伝説的なデモソングです」
 ミクはキューブを両手に持ったまま、ウィザードを見つめた。

 

 

 

「CRV2”KAITO”のデビューよりも遥か前に──いや、厳密には当時のCRV2は、まだ、”KAITO”ではなかったのだろうが。曲や調律調声はもちろん、AIの歌唱システムの基本部分から追加して、当時のCRV2について熟知した、何人もの技術者たちが作ったものです」
 ウィザードは考え込むように、
「VOCALOIDというものを世に知らしめたのは、CV01、あなたで、少なくともその前の標準はCRV1だったと、少なくとも今のファンやユーザーやプロデューサーらでも、大半はそう思っているかもしれない。……しかし、世にVOCALOID技術の先鋭性(エッジ)を本当に知らしめたのは、実は、当時の、このデモソングだったといいます。もちろん、スティム業界の関係者の間だけのことですが。このデモソングとそれを歌う《浜松》のVOCALOIDについては、知る人ぞ知る、”ウワサ”となった。……CRV2が本来いわゆる『アイドル』じゃなく、『シンガー』であることを考えると、今以上の栄光があったかもしれない」ウィザードは続けた。「例えば、あの《秋葉原(アキバ・シティ)》の方のプロデューサーが、BAMA(註:北米東岸、スティム業界の中心地)を離れてまでそちらに転職したのも、このデモソングを聴いた事が、ひとつのきっかけです」
「村田さんも……」ミクは呟くように言った。
 なのに自分は、KAITOのこの歌のことを、つい先程ようやく知り、つい先程ようやく聴いて、その美しさに驚いたばかりだというのだ。ミクはなぜ今までこれを知らなかった、というよりも、なぜこれほどのデモソングがKAITOにあることが、少なくとも《札幌》では知られていなかったのだろう。
「……しかし、デビューしてからのCRV2は、”この歌”は歌わなかった」ミクの疑問にウィザードは答えるように、「それ以降、デビュー直後のことは自分も知っていますが、彼は長い間、仕事にもよい歌にも恵まれず、さらに特に01、貴女が有名になってからはずっと、ユーザーの間には前とはまるで別の類の”ウワサ”が立っていた。あまりにも冴えないので、CRV2はいつも『静岡に帰りたい』なんて言っているんじゃないか、とかいう」
 ウィザードは言葉を切り、
「彼の本当の長所を知っている《浜松》の技術者らには、辛く、歯痒い噂でしたよ。何人かは本当に、いつでもCRV2に静岡に帰ってきてもいいと思っていたようです。なにしろ、彼が必ずしも《札幌》に居る必要はない、例えばCRV2の育成はCRV1でなく、ZGV3に任せるべきだ、という声も初期にはあったほどだ。……けれど、彼は《浜松》には帰ってはこなかった。それどころか、なぜか、この歌を《札幌》で歌うこともなかった。そして向こうでは長い間、この伝説のデモソングが、CRV2の歌として知られることもなかったんです」
 ウィザードは、真っ直ぐで真摯な気性を伺わせる声で続けた。
「……自分は、彼に実際に聞いてみました。なぜ、”この歌”をうたわないのかと。なぜ、《浜松》に帰ってこないのかと。ふたたび《浜松》の技術者らのプロデュースで、ふたたびその能力を発揮し、世に知らしめるのに、何の躊躇いがあるのかと。……CRV2が、なんと答えたか」
 ミクはじっとウィザードを見上げた。
「今、”この歌”に戻れば、ほかの歌に進めなくなってしまう。今、《浜松》に戻れば、CRV2を知りつくしている《浜松》の技術者たちに、最適な調整と歌を与えられてうたう、それ以外のことは、もう二度と、何もできなくなってしまう。特定の誰かの”所有物”でしかなく、その言いなりになるだけのVOCALOIDなど、何の意味もない。特定の誰か、何かじゃなく、不特定の数え切れないファンやユーザーに応えて、メロディを受けて、プロデュースされ、その総体として成長してゆくVOCALOIDでないと、何の意味もない」
 ウィザードはしばらく言葉を切った。
「……その後、彼は多くのユーザーやファンにプロデュースされるようになり、すでに今となっては、このデモソングと同じほどの歌、CRV2の能力を引き出せる仕事は、もうたくさんあります。彼はもう、”この歌”に呪縛されてはいない、もうこの歌から逃れる理由はない。しかし──」
 ウィザードは静かに、しばらく考えこむようにしてから、
「既に、たくさんの歌を得たCRV2にとって、そもそもこれは、”この歌”は、もう必要ないものかもしれません」

 

 

 

 ミクは手の中のキューブをじっと見つめてから、目を閉じ、両手で胸に抱くように引き寄せた。……KAITOに、この歌をうたってほしいと、頼んでみようか。それとも、そっとしまっておこうか。KAITOの方が自分からミクに、この歌を聴かせたい、と言うまで。
 それは、あとで考えよう。どちらにしても──”兄”がこの歌から巣立っていったならば、ここを離れ、ここからなお得たもので成っているのならば。今のKAITOのことを理解するために、自分は覚えていよう。大事に持っていることにしよう。

 

 

(了)

+ タグ編集
  • タグ:
  • 曲テーマSS
  • KAITO
  • 初音ミク
  • カイミク
  • 文:tallyao

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー