喜井竜児

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喜井竜児(きい りゅうじ、1964年- )は、愛知県名古屋市出身のテレビディレクター。本業のかたわら特撮怪獣映画を自主制作している。アーマージャック・プロジェクト(アマプロ)代表。

来歴

第1次怪獣ブームの中、幼年期を過ごし、ソフトビニール製怪獣人形を好むようになる。

高校卒業後、東京映像芸術学院熊谷校特撮学科に進むが、2年で退学。東宝東部興行(現在の東宝東日本興行)に入社し、福島の映画館に1年間、勤めた。その後、テレビ制作会社テレフォース特撮部所属などを経て、1987年9月、名古屋の中京テレビ(日本テレビ系列局)のグループ企業、中京テレビ映像企画に入社。

深夜枠を利用して、特撮映画「大怪獣ガメラ」関係者の座談会を企画。この映画で美術を務めた井上章と特撮監督を務めた築地米三郎が専門学校時代の恩師であったことから、2人に加えて監督の湯浅憲明と脚本の高橋二三も参加した対談番組「ガメラよ永遠に~ガメラを造った男たち」が実現。これが喜井にとってテレビディレクターとしての初仕事となる(番組を再編集したものが、2006年に角川映画から発売された「ガメラ生誕40周年記念Z計画DVD-BOX」に特典映像として収録されている)。

1993年-1996年に中京テレビで「今甦る!昭和ヒーロー列伝」を月単位で制作・放送。毎回、昭和の特撮ヒーロー番組を1本選び、その番組から3話を放送するもので、喜井みずから番組の登場人物に扮して解説役として出演。地方番組にもかかわらず、全国の特撮ファンの注目を集める番組となり、その世界に喜井の名を一躍広めた。

「今甦る!昭和ヒーロー列伝」内で途中から独自の短編特撮映画シリーズ「セーラーファイト!」を発表。監督・脚本は喜井が務め、編集や合成も喜井自身がこなした。シリーズは、ビデオ5巻が発売されるに到り(販売元は、初めの2巻が中京テレビ映像企画、後に全巻、東海東映ビデオ販売に移行)、最後の1巻「甦るマルサン怪獣帝国」はビデオオリジナル作品。「セーラーファイト!」誕生10周年の2003年には、新作「セーラーファイト!2003」が中京テレビで放送された。

1996年、「正義のためならどんなに悪いことでも平気でやっちゃうヒーロー」アーマージャックを考案し、これを製作するプロジェクト、アーマージャック・プロジェクト(略してアマプロ)を発足。同プロジェクトで数々の短編・中編怪獣映画を制作している。

怪獣ブームに便乗して、中小のメーカーが玩具やカードとして独自に商品を発売した、いわゆる「パチモン怪獣」を愛好しており、趣味が高じて、同好の唐沢なをき(漫画家)、堤哲哉(カード蒐集家)とともに2005年からパチ怪獣サミット(2006年秋以降は、パチモンサミット)を開催している。

外部リンク

最終更新:2008年04月04日 18:38