中東の農村部では、女性の婚前交渉は死刑に値する行為である。そのような女性は「一家の恥」とされて、家族によって殺しても罪にならない。むしろ家族は一家の名誉を守るために、間違いを起こした我が子を殺さなければいけない。このような習慣を「名誉の殺人」という。アフリカなどに伝わる女子割礼と並び、2大女性人権問題とも言える。
本著は、そのような経緯で家族によって火あぶりにされた少女スアドが、スイスの人権団体によって救われ、フランスで第2の人生を送り出すまでのノンフィクションである。
動物以下の扱いを受ける女性の描写は衝撃的であるし、資料の少ない「名誉の殺人」文化の研究において、生の情報が得られるというのは貴重ではあるものの、口述筆記という性質上、読み物としては高水準とは言えない。特に、シスヨルダンの村で殺されかけるまでのエピソードは、物語として読むためにはクールすぎるし、ドキュメンタリーとして読むのには感情的すぎる。むしろ個人的には、スイスに渡ってから立ち直っていくスアドが、我が子と再会するまでの過程のほうが読み応えがあった。
また、こんな文化があったのか!というカルチャーショックよりも、その文化の中で育つとこんな考え方になるのか!というショックのほうが大きかった。乱暴者の弟に対して、ただ男であるというだけで好意をもっていたり、女の子が突然いなくなっても誰もそのことに触れなかったり、腕を出して歩くスイスの少女たちが殺されると思いこんだりするくだりは、なかなか興味深い。
ただし、どんな辺境の異文化でも、恋をする気持ちだけは変わらない。ファイエツとの恋も、アントニオとの恋も、それ自体は実に平凡な、普遍的な恋である。それが、どんな異文化でも我々が同じ人間であるという証拠であり、本著の唯一の救いであるように思う。