著者の色川武大は、阿佐田哲也という別名のほうが有名かもしれない。そちらの名義で『麻雀放浪記』のヒットを出した、ばくちエンターテイメント業界(?)では神さまのような人だ。
中学を停学になってそのまま辞めてしまい、ちょうど日本は敗戦。これからどうやって生きようと思った著者が選んだ道は、賭博。そんな…と思うけれど、著者本人は劣等生だったから、まともに仕事をしてやっていけるとは考えてなくて、これならと思えるのが賭博だったのだとか。
そんな著者が週刊誌に連載した、人生を勝負にたとえて劣等生の子供に語る本。と聞くと、殺伐としたゴロツキが勝負の厳しさについて、九割自慢でガキを煽る、みたいなイメージを持つ人がいるかもしれない(いないか)。まず、引用で雰囲気だけでもつかんでもらいたい。先にいっとくけどすごく優しいから。
最初の章から、各段落の始めの文をいくつか適当に抜き書きしてみよう。
「さて、どんなことからしゃべりはじめようか。」
「俺、無学だからね。」
「俺は、人に何か教えようなんて思ってないよ。」
「俺ね、子供を作らなかったんだ。」
「これも嫌われそうな言い回しだけれども、俺、なんだか、やたらめっぽう、誰にでも優しくしたくてしょうがないんだ。」
「多分、もうそれほど長くは生きられないからだろうな。」
「昔、小学校に行ってるころ、一年上の男の子を好きになっちゃってね。」
「俺、無学だからね。」
「俺は、人に何か教えようなんて思ってないよ。」
「俺ね、子供を作らなかったんだ。」
「これも嫌われそうな言い回しだけれども、俺、なんだか、やたらめっぽう、誰にでも優しくしたくてしょうがないんだ。」
「多分、もうそれほど長くは生きられないからだろうな。」
「昔、小学校に行ってるころ、一年上の男の子を好きになっちゃってね。」
そして、この章(6ページ)は次のように終わる。
「うんと小さいときに人を好きになって、そういう無償の行為に近いものをいったん肌で覚えておくのは無駄なことじゃないね。あ、スペースがなくなっちゃった。なんだか垂れ流しのようだが、俺のおしゃべりはいつもこうだよ。また来週。」
どうだろうか。ちなみにぼくは、この本を買った後に入ったとんかつ屋で、ビールを飲みながらここの部分を読んだのだけど、あんまり優しいから、目頭を熱くしてしまった。ひとり泣いているところに、ロースカツ定食(1000円)が運ばれてくるほど気まずいことはないので、頑張ってこらえたけれど。
とにかく「人生録」ということだけで、バカ社長の自伝みたいなものを間違っても想像してほしくない。人生を勝負にたとえて話をしているからといっても、どうやったら勝てるかということは全く書いてないから、「俺のいうとおりにやれば、俺みたいになれるぜ!」という空気とは無縁だ。
じゃあ何が書いてあるのかというと、一局ごとの勝負の方法ではなくて、その一局一局を重ねていくときのバランスのとり方が語られている。「九勝六敗」を目指そうという方針がそれだ。これは相撲の星取りのたとえで、トータルでほどほどに勝ち越すくらいが、理想的なんだそうだ。勝ちすぎると場が荒れ、人が離れ、うらみを買って、いつしか後ろから刺されることもあるかもしれない。そもそも勝ちまくりを狙おうとすること自体が、自分のフォームを崩してしまう。
これは、直接的には賭博場で著者が培った身の処しかたなのだけれど、実際の人生だって死ぬまで全部勝つことなんて普通はできないし、できそうだといって実行に移すと、どこかに無理がきて、ろくな目にあわないだろう。十五戦全勝したあとに三十戦全敗が待っているかもしれないのだ。あるいは、順風満帆で真っ白な星取り表(○○…○○)に喜んでいると、1つ負けた。○○…○○●になったなと思っていると、一番左に実は●があることが見つかって、●○○…○○●になった途端に間の白が全部ひっくり返った。そんな可能性だってある。そういうルールだったっけとあわてても遅い。ついこないだも「勝ち組」のトップみたいな人の星がひっくり返って、暗いところに連れて行かれたね。
勝ちまくる、全勝すること、そしてそれ以前に全勝を狙うことが長期的にいい結果をもたらさないのは、結局自分の収支しか考えていないからだろう。自分が負けたら人が勝つ。だから負けるときには負ける必要がある。勝ち負けをやりとりしながら、場を「しのいで」いく。このように、他人の収支を考慮しながら勝ち越しを目指す態度のことを、著者は「貿易」と呼ぶ。あの「勝ち組」「負け組」っていう浅はかなラベリングには、この「貿易」の観点が全然たりてないと思う。貿易って、基本的にはお互いにプラスになるようにするんだから。それであの分類は幼稚なんだな。きっとそうだ。今度バカにされたら、「貿易しろ!」と叫ぶつもりでいる。
さて本書にはその他にも、人生とか運とか流れとか、そういうとらまえがたい漠然とした何かについての「認識や判断のセオリー」がたくさん含まれている。とてもやさしく書いてあるから、そんなことはわかっているという人もいるだろう。行き詰ったら一度バックして、再発進しようとか、色々なものはうらおもての対でできているとかね。一般論としては当たり前に思えることがたくさんある。
けれど、実際に目の前で物事が進行しているときに、こうした当たり前のことを思い出すのは結構むずかしかったりする。行き詰っている最中に後ろに戻るのは、めんどくさいし、今まで進んだ分がもったいない気もするしで、ついついそのまま突っ込んで、くたくたになったことはないだろうか。そして、意地もあるから、その疲れがまだ抜けないうちにロスを取り返そうと無理をして、負けがこんでしまう。こういう悪循環(つまり連敗)に陥らないためには、そしてもし陥ってもそこから抜け出すためには、現在進行中の視点とは別の視点を取り込んで、当たり前のことを思い出し、気を取りなおす必要があるんだろう。けれど、意地になっているとき、狼狽しているとき、疲弊しているときには、これはきっとすごく大変な作業になるはずだ。こういう大変なときに、当たり前のことを思い出せるかどうかが鍵になるのだとしたら、冒頭で見たような優しいこの本を、ぼくは大事にしておこうと思う。大変なときには、優しく言ってくれないと聞きたくないからね。
さて、まだまだ色々思ったことはあるけど、このへんで次のhtmlプラグインエラー: このプラグインを使うにはこのページの編集権限を「管理者のみ」に設定してください。に「く」のバトンをお渡しします。今回はテーマがテーマだけに、考えだけが膨らんでちっともまとめきれませんでした。まあ、俺のおしゃべりはいつもこうだよ。また来月。
(追記 2/14朝:「うらおもて人生録」は去年のしりとりリレー2005でもhtmlプラグインエラー: このプラグインを使うにはこのページの編集権限を「管理者のみ」に設定してください。が取り上げておられます。合わせて読むとより本書の魅力がよくわかりますのでぜひ)