手塚治虫全集(講談社刊)より手塚治虫氏によるあとがき

左から なかよし版(No.4~6)・双子の騎士(No.53)・少女クラブ版(No.85~86)


なかよし版あとがき
ぼくの故郷は、少女歌劇で有名な宝塚です。したがって、とうぜんぼくは、
少年時代、青春時代を、歌劇の甘くはなやかなふんい気の中で過ごしました。
ぼくの作品の登場人物のコスチュームや背景は、かなり舞台の影響をうけていますが、
なによりぼくの少女ものの作品は、宝塚へのノスタルジアをこめて作ったものが多いのです。

「リボンの騎士」は昭和二十八年から「少女クラブ」誌に連載したものですが、それ以前の
単行本時代に、二つの少女メルヘンを書いています。「森の四剣士」と「奇蹟の森のものがたり」です。
どちらも「リボンの騎士」の>習作のようなもので、そのあと「ファウスト」などの
コスチュームプレイも書きましたが十四年間もつづいた「リボンの騎士」はその総仕上げです。
といっても、アトムなどと違って、「リボンの騎士」は十四年間に四回、ストーリーの上で
おなじようなくり返しをやってきました。つまり、四回別種の「リボンの騎士」の物語ができたわけです。

第一回めのは「少女クラブ」に昭和二十八年から三年にわたって、色ページにのったもので、
当時少女漫画にストーリーものがなかったせいで、たいへんうけました。
少女バレー教室でバレー化されたり、昭和三十一年には、ラジオドラマ化されています。

第二回めは昭和三十三年から一年半、「なかよし」に続編として連載されたものです。
これは「少女クラブ」の後日談で、サファイア姫とフランツ王子は幸福な王室生活を
いとなんでおり、ふたりにふたごの子どもが生まれるところから始まります。
これはのちに「双子の騎士」と改名されて、単行本になりました。

三回めのは、昭和三十八年から四年間つづいて、同じ「なかよし」にのったもので、
これは「少女クラブ」の「リボンの騎士」のやきなおしです。
ただ、内容的にすこし違い、「少女クラブ」にメフィストという悪魔が登場したのを、
魔女ヘル夫人にかえたり、海賊ブラッドを出したりしています。本編に収録されたのはこの原稿です。

四回めのは、テレビで、「リボンの騎士」が放映されたのがきっかけで、「少女フレンド」に五週間
連載されたまったくべつの物語でしたが、これはあきらかに失敗作で、途中で終わってしまいました。
もっとも、ぼくは原案だけで、絵は虫プロの人が代筆したのです。

もう二度と「リボンの騎士」は書かず、思い出として心に残しておきたいと思いますが、
最初の「リボンの騎士」の愛読者のかたが、もうおかあさんで、お子さんたちに
「リボンの騎士」を見せているというおたよりを、よくいただくので、感慨無量です。
年月ははやくたつものです。


双子の騎士あとがき
じつは「双子の騎士」を再録することについて、担当のH氏と意見のやりとりがあったのです。
というのは、この「双子の騎士」は年代からいうと少女クラブ版の「リボンの騎士」の続編にあたるもので、
さきに全集で再録したなかよし版「リボンの騎士」に、つながるものではないということです。
だから、H氏は、「双子の騎士」は、少女クラブ版「リボンの騎士」をまず出し、
そのあとに出版すべきだという意見を持っているのでした。

しかし、なかよし版が出版されたあと、続いて少女クラブ版が出るのは、内容が似ているだけに
読者が混乱するし、どうしても足をひっぱりあうという心配がありました。
そして「双子の騎士」をこのさい先に出そうということになったのです。
あらためて読んでみると、やっぱり、「双子の騎士」はどうしても
なかよし版「リボンの騎士」にはつながりません。
絵柄も年代が古いのでチマチマと幼児漫画風ですし、だいいち、物語がすこしあわない点があるのです。

「双子の騎士」は、正確にかけば「双生児の騎士」で、サファイア姫のふたりのこどもが主人公に
なっているわけなのですが、なかよしに連載された当時は、タイトルは「リボンの騎士」でした。
これは、なかよしにそれ以前に載った「こけし探偵局」という作品がやや小味でしたので、
編集部から、少女クラブに連載して評判をとった「リボンの騎士」の続編をかかないかという
すすめがあったのです。
しかし、ぼくは、「リボンの騎士」はあれでもう完結したのだから続きはないのだと強調しました。
それでも、なんとかやってみてくれというので仕方なしに始めたのです。
やってみると、やっぱり二番煎じでした。

なかよしは、その三、四年前から出版された新米雑誌でしたが、内容は、少女クラブよりも
一段低い読者層をねらっていました。したがって、絵柄も絵本的に大きく、はでなものが
多かったのですが、「双子の騎士」は、すこし絵がこまかすぎ、かきこみすぎました。
したがって、少女クラブ版「リボンの騎士」よりはあまり反響もなく終わってしまいました。

これから数年たって、またおなじなかよしに、少女クラブ版「リボンの騎士」の
改訂版の連載を始めるのだからややこしいのです。
でも読者からさほどの苦情は出なかったところをみると、雑誌の読者はどんどん
回転していて、新しい読者には別段抵抗がなかったのかもしれません。


少女クラブ版あとがき
「少女クラブ版リボンの騎士」をお読みになって、「なかよし版リボンの騎士」と
比較していかがでしたか。
これは断言できますが、この「少女クラブ」にのった「リボンの騎士」は、日本のストーリー
少女漫画の第一号です。それまでの少女漫画は、「あんみつ姫」に代表されるように、
お笑いとユーモアだけでつくられた生活漫画でした。

昭和二十七年の秋に、当時「少女クラブ」の編集者だった牧野さん(その後、編集長から
役員にまでなり、現在は出版社の社長です。)が来られて、「鉄腕アトム」や
「ジャングル大帝」のようなストーリー漫画を、少女ものとしてつくれないだろうかと、
相談をもちかけられたのです。
ぼくは、すぐ、女の子に人気の高い宝塚歌劇の舞台を漫画におきかえてみたら
どうだろうと思い、やってみましょう、とご返事しました。

ぼくは、ご存じのとおり、育ったのが宝塚で、歌劇団の事務所にも出入りし、知りあいも
たくさんいたし、宝塚歌劇調のコスチュームプレーが漫画で十分表現できると思いました。
もっとも、ぼくはそれまでに、いくつかの少女ものの単行本をだしていました。
「森の四剣士」「奇蹟の森の物語」「ファウスト」、「漫画大学」の第二話、「化石鳥」の第三話などは、
はっきり女の子を対象にかいた漫画です。「リボンの騎士」は、その延長線上にあるわけです。

昭和二十八年に、三色刷り四ページで始まった「リボンの騎士」は、おかげで、
最初からものすごい支持を受けました。
読者からのお便りの山の中に、「私も男の子の姿をしてみたいわ。」ということばが
しきりにかかれていたのは、その当時の女の子の立場と夢がよくあらわれていたと思います。

牧野さんは、その仕事ぶりの迫力とねばりでは、つとに有名でした。
なにしろ、これはたぶんうわさにすぎないと思いますが、ご本人の結婚式の日の
朝、モーニングを着て講談社で仕事をしていた……というような人でしたから。
まあ、「リボンの騎士」のヒットの要因は、この牧野さんの「リボンの騎士」にかける情熱が
あったからこそではないかと思います。それにしても、「リボンの騎士」はたのしい仕事でした。

もうお話が大団円にきてしまったのに、読者の要望でさらにのばさなければならなくなりました。
しかたなく「人魚姫」のお話をくっつけたりしました。
この「少女クラブ版」だけに登場するメフィストは、最近作の「ドン・ドラキュラ」の原型だと思います。
これをなぜ「なかよし版」で、魔女ヘル夫人に変えてしまったのか、自分でもよくわかりません。
テレビの「リボンの騎士」は、長い物語を読み切り形式に変えたため、不必要なエピソードが
たくさんはいったり、サファイヤも何回も決闘したりして、原作とかなりちがいます。
ことにフランツ王子を思いきってロックの役にしたことは、ある意味では失敗だったような気もします。
また、「少女クラブ版」は三色刷りでしたから、色彩の冒険がいろいろ
できたのですが、この全集ではそれがごらんにいれられず、はなはだ残念です。
最終更新:2008年05月15日 11:00
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