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 オリンピックを「誰が一番強いか決める場」と捉えるならば、そういう考え方も出来るでしょうが、フィギュアスケートにおいてはこの前提が妥当しにくい側面もあります。 何故ならば、フィギュアスケートは採点競技であるが故に、誰が一番強いということを厳密には決められないからです。演技の結果として得点は出ますけれども、採点には若干の紛れがあるので、互角の実力を持つ選手がいずれも実力を出し切った演技をした場合、誰もが納得する形で勝負をつけられないのです。 例えばジャンプの際のエッジの使い分け(ジャンプの種類が決まる)や、着氷までに何回転したかの判定は電子機器ではなく人間の目で行いますから、微妙なジャンプでは、ジャンプの種類の判定や回転数の認定に運が紛れ込みます。 また、複数の審判の出した数字を乱数発生器でランダムにサンプリングして得点を計算するので、選ばれた数字次第で若干、得点が上下します。これも運です。さらにプログラムコンポーネンツと呼ばれる要素(スケート技術、要素の繋ぎ方の上手い下手など)は厳密な算出式に従って数値化するのではなく、やはり人間の印象による判断ですから、ここにも運が紛れ込みます。 それでは、フィギュアスケートの競技会には意味が無いのでしょうか? そんなことはありません。明らかな実力差があれば明確に点差になって現れて来ますし、選手の調子によっても点数は上下します。 もちろん転倒や回転数不足などのミスがあれば点数は下がります。つまり、実力同等の選手がともに同程度に実力を発揮するという局面以外では、ちゃんと「どちらがより良い演技をしたか」は点差として決まるのです。 おわかりでしょうか。フィギュアスケートの競技会は「誰が一番強いのか」ではなく、「その競技会では誰が一番良い演技をしたか」が争われるのです。競技会の権威が上がれば上がるほど、有力な選手が沢山エントリーしてきますから、自然、オリンピックや世界選手権で勝つということは「大きな名誉」になるのです(「最強の称号が手に入る」わけではありません。実力同等の選手の勝負は運が大きく作用しますから)。つまり、オリンピックというのは「最強の選手を決める」競技会というよりも、「開催数の少なさと出場選手の平均レベルの高さ故に最も勝つのが難しい大会で、誰が一番良い演技をするか試す」競技会なのです。 「最強の選手を決める」大会であれば、浅田選手が出場しないことはその価値を大きく減じますが、フィギュアスケートの場合はむしろ、権威ある大会への出場を果たした選手たちが、その権威に導かれて最高の演技を見せてくれるのを楽しむ大会ですから、浅田選手の不出場が競技会の価値を決定的に損なうことは無いのです。 浅田選手が出る、出ないに関わらず、出場した選手たちは持てる能力の限界に挑む演技を見せてくれるでしょう。結果として、トリノでもまた伝説として語り継がれるような名演がいくつも生まれるはずです。浅田選手がいるいないという程度のことで、名演の生まれる可能性は下がったりはしないでしょう。  
**でも浅田選手が出ないとオリンピックの競技会としての価値が失われるんじゃないの? オリンピックを「誰が一番強いか決める場」と捉えるならば、そういう考え方も出来るでしょうが、フィギュアスケートにおいてはこの前提が妥当しにくい側面もあります。 何故ならば、フィギュアスケートは採点競技であるが故に、誰が一番強いということを厳密には決められないからです。演技の結果として得点は出ますけれども、採点には若干の紛れがあるので、互角の実力を持つ選手がいずれも実力を出し切った演技をした場合、誰もが納得する形で勝負をつけられないのです。 例えばジャンプの際のエッジの使い分け(ジャンプの種類が決まる)や、着氷までに何回転したかの判定は電子機器ではなく人間の目で行いますから、微妙なジャンプでは、ジャンプの種類の判定や回転数の認定に運が紛れ込みます。 また、複数の審判の出した数字を乱数発生器でランダムにサンプリングして得点を計算するので、選ばれた数字次第で若干、得点が上下します。これも運です。さらにプログラムコンポーネンツと呼ばれる要素(スケート技術、要素の繋ぎ方の上手い下手など)は厳密な算出式に従って数値化するのではなく、やはり人間の印象による判断ですから、ここにも運が紛れ込みます。 それでは、フィギュアスケートの競技会には意味が無いのでしょうか? そんなことはありません。明らかな実力差があれば明確に点差になって現れて来ますし、選手の調子によっても点数は上下します。 もちろん転倒や回転数不足などのミスがあれば点数は下がります。つまり、実力同等の選手がともに同程度に実力を発揮するという局面以外では、ちゃんと「どちらがより良い演技をしたか」は点差として決まるのです。 おわかりでしょうか。フィギュアスケートの競技会は「誰が一番強いのか」ではなく、「その競技会では誰が一番良い演技をしたか」が争われるのです。競技会の権威が上がれば上がるほど、有力な選手が沢山エントリーしてきますから、自然、オリンピックや世界選手権で勝つということは「大きな名誉」になるのです(「最強の称号が手に入る」わけではありません。実力同等の選手の勝負は運が大きく作用しますから)。つまり、オリンピックというのは「最強の選手を決める」競技会というよりも、「開催数の少なさと出場選手の平均レベルの高さ故に最も勝つのが難しい大会で、誰が一番良い演技をするか試す」競技会なのです。 「最強の選手を決める」大会であれば、浅田選手が出場しないことはその価値を大きく減じますが、フィギュアスケートの場合はむしろ、権威ある大会への出場を果たした選手たちが、その権威に導かれて最高の演技を見せてくれるのを楽しむ大会ですから、浅田選手の不出場が競技会の価値を決定的に損なうことは無いのです。 浅田選手が出る、出ないに関わらず、出場した選手たちは持てる能力の限界に挑む演技を見せてくれるでしょう。結果として、トリノでもまた伝説として語り継がれるような名演がいくつも生まれるはずです。浅田選手がいるいないという程度のことで、名演の生まれる可能性は下がったりはしないでしょう。  

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